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No.1-1 ▼
累犯障害者 / レビュー総評点:898
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ASIN:4103029315 / 売上順位:33084
新潮社(2006-09-14)山本 譲司 ¥ 1,470(中古:¥ 128)
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私は平凡な会社員だが、多少福祉分野に携わったことがあり、この本の中にあるような世間一般から隠されている実態の一部は事前に知っていた(障害者の売春婦、ヤクザなど)。
この本が衝撃を与えたことに異論はないが、このような探索型のノンフィクションは読んだあと「では、どうするか?自分にできることは何か?」を考えるのがとても重要だと思う。 よく周囲に目を凝らしてみると、ヤクザが障害者を喰い者にしているような構図が見つかるかもしれない。本の中の人は一般論としてかわいそうだが、周囲の障害者は何をするかわからないから怖い、というダブルスタンダードが問題を見えにくくしているのだと思う。 山本氏の功績は、刑務所に入って障害者受刑者の実態をリポートしたこともあるが(ケガの功名?)、それよりも、日本には日本人が直視しようとしない問題がいろいろとあって、それを明るみにしたことだろう。 文章表現でやや大げさだったり、違和感を感じるところも若干あるが、それを補って余りある意義ある本だと思う。(カスタマー / 2008-01-21)
本書は、「獄窓記」の著者が服役経験を交え障害者の犯罪をリポートした、画期的なノンフィクションである。
刑法には、心神喪失者の行為は罰せず心神耗弱者の罪は軽減する旨が定められている。この条文を根拠に、私は知的障害者は犯罪を犯しても通常服役することはないものだと思い、またそうしたあり方に少なからぬ疑問を抱いていた。 だが、現実は異なっていた。 14歳未満は刑事未成年として不処罰となるにもかかわらず、知能の面でそれ以下である多くの知的障害者が、実際には刑を受け服役しているというのだ。論理的に反論する能力を持たないため、警察のシナリオどおりの調書が取られ、犯罪者に仕立て上げられた障害者もいたという。 責任能力の有無にかかわらず、殺人等の重大犯罪を犯した者については情状酌量の余地はあるにせよ、なんらかの刑に服するべきだと私は考えていた。だが、軽度の知的障害であるがゆえに福祉の枠からは外れ、かといって「健常者」が支配する社会には居場所がなく、刑務所が唯一の居場所とならざるをえない累犯障害者の現実を目の当たりにすると、複雑な思いにかられてしまう。 他にもろうあ者の暴力団の存在や売春する知的障害者の女性たちなど、今まで知りえなかった驚くべき現実を精巧な筆致で書き綴っている。 (佐藤忠義 / 2006-10-11)
かつて政治家でもあった著者がまさに決まり文句(山本氏だけでなくね)のように主張していた「セーフティーネットの構築によって安心できる社会を」という言葉について、そのような綺麗なスローガンでは見えてこない悲惨な現実と向き合うことで、同じ「セーフティーネット」の必要性を説く言葉でもここまでも読む、あるいは聞くものの心を打つかということをまさに言葉の力の一つの側面を教えてくれる一冊。
法改正によって法的(それも加害者としてだけど)に障害者は正常者と同等の扱いを受けるようになったが、それは正しかったのだろうか?と人としての尊厳を確保するのは建前としての平等よりも福祉、形式的平等ではなく実質的平等があって始めて現実的でありえるのではないかという結論に否応なく至る。…たとえそれが差別の固定化に繋がる恐れがあるとしても、やはり別の世界を生きているのではないかと。このことは昨今39条の廃止を巡る言説についても敷衍化可能な部分でもあろうと思う。 しかし、ドラマなどでは純真無垢な存在として描かれがちな障害者の綺麗ごとではない、もう一つの社会(ここは是非読んで衝撃を共感していただきたい部分なので避けます)の暗部、翻ってこの社会の冷淡さをとことん突きつけられたとき、この国とはなんなのかと考えざるをえなくなる、目を逸らさずに読まなければいけない一冊であることだけは断言できます。 しかし、今こそ山本譲司氏は政治家たるに相応しいというか、是非とも政治家になって欲しい人材となっている。しかし、皮肉な話のようで本来政治というものが弱者の声を掬い取るものだとすればまさに当たり前のことなんですよね。これが代々の政治家、苗字が同じであればポチでも当選できそうな地盤を有していれば、禊を経たなどと容易に復活できたであろうことを思うたびに嘆息してしまいます、秘書給与の流用という罪自体が本当に軽微なものなだけにね。(遊鬱 / 2006-10-30)
見たことのないことばがいっぱい出てくる。累犯障害者、デフ・ファミリー、デフ・コミュニティ、触法障害者などだ。さらに、意外な事実もいっぱい出てくる。ろうあ者が用いる手話と健常者が使う手話には大きな違いがあるなどだ。なんと自分は無知だったんだろうと思う。パラレル・ワールドのようだとも思う。
マスコミでも障害者の犯罪にはほとんど触れないのだという。本書は、そういったほとんど公開されない障害者の犯罪とその背景を明らかにしている。 パラレルワールドなどと書いたが、現実だ。 この現実を知らない人はたくさんいると思うが、そういった人にはぜひ読んでいただきたい本だ。(りりしはおり / 2006-09-25)
2006年に読んだ本では文句なし、一番の衝撃作だった。障害者×犯罪、二重のタブーに身を以て斬り込んでいった著者に拍手したい。
地味だけどショックだったのは「第三章 生きがいはセックス――売春する知的障害女性たち」。これを読むと、風俗(売春)産業にはかなりの割合で知的障害者が従事しているのではないかと思われる。男性の方、思い当たりませんか。ものすごくサービスのいい、情熱的な風俗嬢の記憶ってありませんか。客は、通常の商取引だと思って買春している。資本主義倫理的には売り手と買い手はイーブンだから、そこには何の後ろめたさもない、と思っていたのに、実は相手は知的障害だった、としたら。 本書が取り上げるのは、いま流行の格差社会論ですら掬われていない、どん底の人々である。自分と彼らとのあまりの距離に愕然とする。とくに「聴覚障害者が使っている手話は日本語逐語訳ではない。逐語訳手話は通じない」という指摘とか、改めて衝撃だった。日本語じゃない、んですよ! だが、私たちは彼らとまったく違うのか?というと、そうではない。私たちも加齢とともに必ず何らかの障害を抱えるのである。私たちもいつか、この社会に居場所のない、排斥される、弱者になるのだ。必ず。金があれば居場所はあるかもしれないけれど、その金を失ったら誰もが弱者だ。そのとき、こんなはずじゃなかった、と泣くような社会でいいのだろうか。私たちが作るべきは、そんな社会なのだろうか。 山本譲司さんの投げる球は、遠くまで届く力があると思います。力の続く限り投げ続けてほしいです。私は、受け取り続けたいと、強く思います。(不審な言動 / 2006-12-27)
監獄経験を経歴のひとつに加えて物を書く作家は多いが、
なぜ彼らはこれまでこの現実に向き合わなかったのだろうか。 著者自身が「監獄」に入り、その目で現場を見たことは、 日本にとり大きな収穫だった。 どれも驚くべき事実ばかりだ。 手話通訳の通じない裁判がなんの改善策も考えられずに行われていることに この国の福祉政策の貧しさを見た。 一件一件にさかれるページ数が少なく若干物足りない気がするが、 今はこうした障害者による犯罪と刑務所の実態が白日の下に晒されたことに 本書の価値を見るべきだろう。 (冬野紫 / 2006-12-11)
今年の犯罪白書が特集で取り上げたように、最近の犯罪情勢においては、再犯を問題とすることが多いようだ。特に高齢者の犯罪が顕著だという。
同じように、知的障害を持つ人たちの犯罪(や再犯)も、近年まで等閑視されてきたものであるが、著者の前作「獄窓記」によって脚光を浴びることになったことは周知のとおりである。 本書は、これまでタブー視されてきた知的障害者や高齢者など社会的弱者とされる人々が行う犯罪を、冷徹な視点で直視しようとするものである。見たくないものを直視することは確かにつらいことだ。だが、著者はあえてそのような作業を引き受け、社会的弱者である人々が犯罪に立ち至る原因を突き止めようとする。そして、そのような人々が犯罪を行わないようにするために何が必要かを、事実をもって語らしめようとする。 これまで、裁判所や刑務所などのいう「社会復帰論」が机上の空論でしかなかったことを関係機関は重く受け止めるべきだろうし、私たちも私たちのもつ「犯罪者」のイメージを改めるときが来ているように思われてならない。 同じような視点で、刑務所での犯罪者の実像を描くものとして、浜井浩一の「刑務所の風景」がある。こちらとあわせて読むことで、理解はより深まると思う。(コースケ / 2007-11-22)
この本を手に取る人は,おそらく,様々なバックグ
ラウンドを持っているのだろうと思います。福祉,医 療,政治,法律,マスコミ,自身が障害を持つ人,障 害を持つ人を家族に持つ人……。山本が書き写した現 実は,ここに挙げたいずれの立場にある人からも見え にくい,あるいは意図的に隠されてきたところにある のかも知れません。 社会に居心地の悪さを感じているのならば,ニュー ス番組の解説を鵜呑みにする前に,政治家のプロパガ ンダに飛び付く前に,自分勝手な哲学的解釈を始める 前に,まず,事実を知らなければならないのだと思い ます。評価はそれからでも十分なのだと,彼は教えて くれます。 読了したすべての人に,何も知らない愚かな自分と, 社会を見詰める新しい自分とを知らせてくれる一冊。(K / 2007-09-30)
経歴という面から見ればこれほどドラマティックな人生を経ている人は少ないでしょう。
本書は元国会議員の山本さんが服役中に見た累犯障害者たちの姿を丁寧に追ったものです。 我々の社会から存在自体をほとんど無視され、居場所すらない障害者たちが何度も刑務所に服役する姿、警察や検察から冤罪を捏造される姿など、読み進めるのが苦しくなるような切なく、悲しい現実が綴られています。 セイフティネットという元々脆い網ですら、小泉政権の時に一層網目が粗くなり、彼らは正に絶望的な状況に置かれているといって良いでしょう。 また本書で特筆すべきは、障害者たちが、我々健常者がほとんど想像すらしたことのない異なる世界に住んでいるかもしれないことに触れている点です。 たとえばろうあ者たちが使う言語は、健常者が作った普通の「手話」ですら彼らの思考に直結する言語とは解離があり、夢ですら手話で見る彼らは、文化や思考など我々とは全く異なる世界を築いているかもしれない、と述べられています。 つまり犯罪に対する意識すら我々とは全く異なるかもしれない、ということです。 これは正に慧眼といえるでしょう。 著者が自身の経験に基づき、自らの足で築いた文章は圧倒的な説得力をもっていてわかりやすく、また非凡な文才も伺えます。 そしてかつて絶望を経験した著者の持つ慈しみの目線は、絶望的な事実を述べていく中でかすかな救いと光を感じさせました。 読みすすめるのが、心苦しく、所々で切ないため息をつかずにはいられない本ですが、読む価値は十分にあると思いました。 (サウザンツ / 2007-02-24)
福祉施設からは触法障害者として受け入れを拒まれ、一方、厚生施設(身元引受人のいない受刑者の出所後の受け入れ先)からは、障害者は絶対に受け入れてもらえない。
行き着く先もなく、そしてまた犯罪を重ねて、刑務所に戻ってくる……。そんな、なんとも切ない事実を初めて知った。 「出所後は、刑務所での作業賞与金一万五千円で飲むだけ飲んで、後は人に迷惑にならないような方法で死ぬだけ」「障害者は生まれたときから罰を受けているようなもの。だから罰を受ける場所はどこだっていい。また刑務所の中に戻ってきてもいい」「これまで生きてきたなかで、刑務所が一番暮らしやすかった」 彼等の多くは、無銭飲食や置き引きといった軽微な罪での服役だという。福祉が関わり、身元引受人さえいれば、何も実刑判決を受けるような罪ではないという。 筆者の、 「福祉は一体何をやっているんだ。そう叫びたくなる。もちろんそれは、私自身に対してもだ」 という言葉、「私自身に対しても」というところが、この本の説得力を支えていると感じた。筆者自ら罪を犯し受刑し、そこで見た事実が、その後の筆者の人生を大きく変えていった様子も、人間の生涯の機縁を考えさせられる。 書かずにはいらなかった、伝えずにはいられなかった……筆者の辛く熱い気持ちが籠もった作品だと思う。 (ミシシッピかずみ / 2007-11-26)
大変ショッキングな内容であり、そして予想以上の内容だった。予想以上、というのは「得るものが多かった」という意味だ。
福祉施設で収容しきれない知的障害者が、罪を犯し服役している…つまり刑務所の一部が福祉施設の代替施設と化してしまっている事実。 「俺ね、これまで生きてきたなかで、ここ(刑務所)が一番暮らしやすかったと思っているんだよ」と語る知的障害を持つ受刑者。 人類に於ける知的障害者の出生率は2〜3%であるというデータ。受刑者一人当たりに270万円と言う税金が投入されているという事実… 全てが初めて知ることばかりだった。触法障害者に関する報道が(過剰なほどに)メディアによって自主規制されていることも初めて知った。 初めて知る事実に驚くとともに、自らの服役経験から障害者福祉に従事するようになったという著者の情熱にも、心動かされるものがあった。前著「獄窓記」も早速読みたい。(moripu / 2007-07-25)
著者は元々福祉政策にも通じた政治家であり、実刑判決を受け政界を去ったのち刑務所でも辛酸を嘗めた。
著者は本書で障害者(ここでは知的障害者および聴覚障害者)が、累犯(犯罪を繰り返してしまう)となる社会システムについて優れた洞察を見せているが、それも著者の希有な経験がなせるものと言える。 取調、裁判では、 ・適切にコミュニケーションできないので、自己に不利な状況でも弁明がうまくできない ・反省の弁を述べることができない(反省という概念をうまく理解できない) ・警察、検察が誘導尋問する場合、それを認めやすい。 ・聴覚障害者の場合は、ろう者同士の手話を適切に理解できる手話通訳がいない という理由で、実刑判決となる場合が多い。 また、障害者の犯罪は、容疑者が障害者であるとわかった段階で、メディアは報道を自粛するので、市民から事件が忘れられたまま結審する。メディアのバックアップもない。 刑期を終えても、刑務所から福祉へのバトンタッチはほとんどされず、触法障害者(犯罪歴のある障害者)が、障害者福祉のサポートを受けることはほとんどない。 触法障害者は文字通り「野に放たれる」わけであり、現実社会でほとんど居場所がなく、適切なサポートもないのだから、再び犯罪を犯す可能性も極めて高い。犯罪を繰り返すうちに福祉のサポートはますます遠のき(ほとんどが障害者手帳を保持していない)、まともな生活ができるのはやはり刑務所だけ、という意識になるのが、悲しい現実である。 前述の理由で、メディアも報じない障害者による事件を、丁寧に足で追いかけ本書にまとめたことで、メディアを通して知っている「障害者福祉」は本当に福祉の必要な障害者に届いてはいないことを知ることになった。(picander / 2006-10-18)
重い作品である。食い逃げやその他の軽犯罪を繰り返す留置場行きの常習犯の話は昔から良く聞いていた。理由は本書と同じく「三度の飯が食えて、雨露を凌げるから」である。しかし、それは健常者の話であった。自己の不明を晒すようだが、軽度知的障害者にこうした同様の問題があるとは知らなかった。本書は、刑務所内でこの問題に気付いた著者が、その後、軽度知的障害者を追跡し、売春問題や暴力団絡みの問題まで綴る暗澹たるレポートである。本レビューで、もしかすると、いわゆる"差別語"を使ってしまう恐れがあるが、それは一重に私の無知によるもので他意はない事をお断りしておきたい。
良く障害者のスポーツ大会等はTVで放映される。こうした事を公にすることは"善"という認識があるからだ。一方、本書で語られるような内容をレポートしたTV、雑誌等にお目にかかった事はない。こうした実態を知っている関係者は多くいるだろうに。日本人の「臭い物にはフタをしろ」的体質がこういう所にも出ていると感じざるを得ない。どのような解決策を提示するにしても、その前にまず問題を一般に知らしめる必要がある。多くの人の理解・共感・協力が必須だからだ。本書をキッカケに、多くの人にこの問題を知って欲しいと思う。特に、マスコミ関係者には勇気を持って取り上げて欲しい問題である。(紫陽花 / 2006-11-17)
「障害者の福祉施設の一つが刑務所」と、言われかねない状況。このフレーズを聞いて、衝撃を受けた。「刑務所」=「福祉施設」ではないのは当然であるが、まるで福祉施設のように使われているという実態がある。
障害者が罪を犯してしまったきに、帰る場所がないのは問題だと思う。自分の存在するべき場所、自分の居所、(住む場所、心が満たされる場所)がなければ、再犯してしまう。だから、刑務所に再び行くことになる。再犯をしてしまう理由の一つに挙げられるだろう。刑務所でも社会復帰できるようなプログラムをもっと考えるべきだが、人手不足のようだ。社会復帰は大切なことであり、もっと充実したものになってほしい。 障害者は、障害者が受給できる福祉サービスを知らないこともある。子どもも障害があり、親、もしくは同居をしている親族が障害をもっていれば、福祉サービスがあっても理解できないこともあるだろう。このような点にも焦点をあて、福祉サービスの恩恵を受けることができるようにしたい。昨今の福祉サービスは煩雑で、自分で知識をもとうと探し求めなければ受けることのできないサービスもある。福祉サービスについての伝え方についても、再考する必要がある。 上記にあげたような、犯罪を未然に防ぐような手立てが充実し、犯罪が減少することを切に願いたい。 (はましょう / 2006-11-04)
触法障害者と呼ばれる「括り」があること自体私には衝撃だった。そして、本書でもっともクラクラとさせられるのは、その触法障害者と呼ばれる者たちの再犯率の高さである。彼らが語る再犯の動機を、誰も容易には否定できない。本書が取り上げる事例は、刑務所において矯正という目的が達せられていないことをまざまざと示している。ただし、著者はこの問題を、決して社会や制度への批判に終止するのではなく、立法や福祉活動への取り組みなど具体的な行動をライフワークとし解決しようとするところに、暗い気持ちで終わってしまいそうな内容に読んでいて救われる思いがした。「福祉」、「矯正」、「更生」という無批判で受け入れがちな言葉に対して、立ち止まって考えさせてくれる本である。
(てるおはるお / 2006-12-11) レビュー数 42 [残りも全部見る][amazonでレビューを書く] 平均点:5.0 |
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