新聞社―破綻したビジネスモデル (新潮新書) と、その同時購入商品を検索しました。

読み込み中・・・
No.1-1 ▼
新聞社―破綻したビジネスモデル (新潮新書) / レビュー総評点:159
|
ASIN:4106102056 / 売上順位:35000
新潮社(2007-03)河内 孝 ¥ 735(中古:¥ 1)
これを買った人はこれも買ったよ![一覧で見る] |
レビュー総評点:
159
新聞社の抱える構造的な問題を概説してくれた本です。
さらっと書きましたが、この「構造的」というところが肝。 タイトルにもあるように、この著書は新聞社の「ビジネスモデル」を切り口として、現在の新聞社(「新聞」ではない)が抱える問題を抽出しています。 第1章の「新聞の危機、その諸相」では、新聞社のビジネスモデルの概略(広告や販売の仕組み、異常に高い販売コストの問題等)を述べた上で、現在新聞社を取り巻く消費税増や人口減、広告収入の減少といった外的な「危機」について概説されます。 第2章の「部数至上主義の虚妄」では、新聞社の抱える「販売部門」の問題が追及されます。「発行部数」と「実売部数」の差。ヤクザまがいの新聞契約。販売店に流れる「補助金」等々。販売部門の深い深い闇が描かれます。 第3章の「新聞と放送、メディアの独占」に関しては、少し「ビジネス」の話とは毛色が違っています。ここで書かれているのは、戦後のメディア史、テレビと新聞という巨大メディアの5系列寡占化、またその過程で、新聞社という「会社」がいかに自分の権益を拡大しようとしたかということが述べられています。他の4章とは違い、「報道のあり方」がメインテーマになっていると私は感じました。 4、5章は新聞再生への取り組みと展望が描かれます。4章では産経新聞の改革と、著者の持論(朝日・読売以外の「第3の極」創出に向けた、毎日・産経・中日提携案)が書かれています。5章ではIT社会に抵抗するのではなく、IT社会に融合しつつ新聞社が進化する可能性を著者が探ります。 ここで描かれる新聞社の「構造」「ビジネス」からは、硬直的で既得権益にしがみついた実情を感じます。 新聞社とはいえ、所詮人の集まり。人が集まるところには常に腐敗が生まれるもの。個人的には、長きにわたって大手数社がメディアを牛耳っていること自体異常にも思います。著者は「第3の極」を提案していますが、それも大手の再統合にすぎないといえばそれまで。もちろん現実的に考えたらそれしかない、と著者は考えたのでしょう。もちろん私には良策を提案することなどまさかできませんが。ただ、老舗が必ずしも活躍しなくてもいいです。 また、私はそのうち販売制度は廃れてしまい、コンビニやキオスクで買うのが主流になったりして…とも思ったりします(そのほうが、ある意味メディアとして健全かもしれません。毎朝、読者に選別されるのですから)。誠に勝手な意見ですが。 最後に、本のでき自体に対する感想ですが、戦後メディアの歴史や新聞社のビジネスについて予備知識のない読者(私も含めて…)には少々難解なのではないかと感じました。 ただ、現在のメディアに対する疑問を持ち、「メディアを監視」する第一歩にはなる本だとは思います。(秋の七草 / 2007-04-30)
新聞はまだいる?/もういらない?・・・を考えられる
|||||||
営業・販売と関わる部数論から他業種との競合で立ち遅れるメディアの融合論まで、業界にとってはそこまで見てそこまで言わなくても、と思うようなことが次々と書かれています。
新聞社が戦後急成長した巨大企業である以上、人口減社会となった今に利益を出していかねばならない企業としての動態が大きく軋み始めている、軋みきっていると言うべきかもしれないのはある意味では当たり前のことだし、藁半紙に政治経済から社会、広告、小説まで全て詰まったものが毎日毎日配られてきて次の日には捨てられることはネットを利用している人には本当に馬鹿馬鹿しい無駄なことと思われるのも当然です。新聞社という優良な大企業とは、・・・蓄積された情報のインフラ、利害に左右されない事実を伝え考えられる言葉を専門に扱ってきた人々の集団であるということ以外に何ものでもない、他にはない特殊な企業であるという認識を強くしました。先行きは暗い、でしょうけれども、テレビ、ネットにはない蓄積と編集力で、例えばワシントン・ポストのような硬派な政治専門の新聞を少部数でも成り立つように立ち上げるとか、とにかく少部数でも役に立つものが多種あるようにすることはできないのか、そういうことも含めて新聞各社、世界一新聞をよく読む国民全体が真剣に検討し直して欲しい、そのきっかけができたことを予感させるような一書ですね。(鈴屋飯依比古 / 2007-05-05)
もと毎日新聞社幹部が新聞の患部をあばく、という本ですな。
要するに「部数至上主義」が新聞をだめにした、ということなんだけれども、この手の論法は非常に分かりやすい。「視聴率至上主義がテレビをだめにした」とか、「利益至上主義がエンロンをだめにした」とか、「株価至上主義がライブドアをだめにした」、とかね。 便利なんだけれども、これらの論法を使用する場合には、ではどのような原理で新聞を/テレビを/XXを、、、/運営したらよいかということを明確にしないとならないと思う。その辺がちと弱いが、全体的には読める一冊である。 思うに、新聞を支えるべき基本的態度(「主義」といってもよいが)は、アマチュアリズムなのだと思う。『知識人とは何か』でサイードは、知識人はアマチュアでなければならない、と言っていた。アマチュアリズムこそが健全な批判的姿勢を支えるものである、というような趣旨だったと思う。 新聞って、小学生も社会の時間に作ったりするけど、基本的には資本投資をあまり必要とせずに誰でも始められる事業であるはず。サイードの言うアマチュアとは意味は違うが、まあそんな意味でのアマチュア的な事業でもある。ばかばかでかい輪転機を買って、分単位で朝刊の締め切りを遅くするのにしのぎを削ったり、ばかばかテレビ局に投資して「ケイレツ」を作ってみたり、記者クラブにいりびたってフリーランスの記者たちを情報から締め出す、なんてことはあまり新聞の素地にそぐわないはずであるし、読者の求めていることでもない。「こんなん書いてみましたけど、どうでしょう?」みたいな記事がないとやっぱりおもしろくないわけで、そういうのが欲しいよね。 Yahoo の井上社長が著者に対し、「おたくのごみ箱行きになった記事を全部Yahoo に下さい、ユーザーはそういうのを求めている」と言ったらしいが、そのとおりなのかもしれない。(唐沢 大 / 2007-10-24)
私は普段余りテレビを見ません。そのためニュースの多くをラジオや新聞から得ています。しかしテレビを見ない私も最近視覚的なニュースを得る事が出来ます。それはインターネットによるものです。パソコンの画面を開くと受動的でなく能動的にニュースが飛び込んでくる。その中で自分の興味のあるジャンルを選んでニュースを読む。時間的にもタイムリーなインターネットの出現は新聞業界の常識を根底から覆すものだと思います。本書には新聞業界の古い体質がたくさん紹介されています。きっとこのままでは新聞業界の近い将来はないものと感じました。(平和 / 2008-02-18)
現在の新聞購読者のうち8割は長期購読者で、残り2割が拡張員の持ってくる拡販用の景品を求めて各社を移動しています。浮気な読者をつなぎ止める景品の費用を長期購読者が負担しているようないびつな構図は、まるで携帯電話の機種変更のよう。しかし、こうでもしないと部数が減り続けるという悪循環の中に新聞業界は置かれています。
こんないっぱいいっぱいの状況に「消費税率アップ」や「再販制度見直し」の大波が押し寄せてきたら、業界は大混乱になることは間違いありません。 経営危機に陥る新聞社が続出し、業界に再編の嵐が吹き荒れます。毎日新聞や産経新聞も例外ではなく、何らかの形で朝日新聞、読売新聞の大手2社に吸収されたとしても、大規模な新聞離れが起きることは間違いない、と著者は予言します。 私自身、去年の今ごろは新聞を毎朝出勤前に読んでいましたが、今は読む習慣がなくなりました。週末になって、たまった新聞の山に風通しをすることもあるのですが、それも少なくなってきました。 新聞を読まなくても困らないのです。 30年間も新聞を読む習慣を続けてきました。最初は、何か必修科目を放り出したままにしているような後ろめたさを感じた時期もありましたが、今はそれもなくなりました。 自身の実例を見ても、新聞離れは深刻です。さあ、どうなる新聞業界!! テレビ業界も新聞業界も多数のメディア企業がしのぎをけずり、多様な言論が保証されていることが望ましい。そう主張する著者は、今のうちにやっておくべき方策をいくつも提言していました。 社内改革に頓挫し、一敗地にまみれた著者です。 敗残の将が後輩に繰り言を述べているだけに終わるのか、それとも、本書が著者の復活の狼煙となるのか。 いずれにしても、一読に値する内容の濃い一書でした。(くろやぎ / 2007-07-23)
新聞の売上に匹敵する広告収入が収益を生み、
個別配達を可能にしている販売店網は リベートによって利益を減少させている。 このビジネスモデルは、発行部数至上主義によって 発展してきた。 ところが新聞は、読者の読みたいものではなくなり 自ら破綻へと向かっているというのが著者の指摘です。 著者は、新聞社が生き残るために必要な変化を 提案しています。著者の新聞への愛情は感じますが、 新聞がメディアの主役である必要性は社会は 感じていないような気がします。(あにも / 2007-11-13)
高度経済成長の最中、新聞社間の販売競争の混沌の中に無理に収束を見出そうとした結果、TV・ラジオ
を包括する新聞社主導のネットワークの形成を許す形となってしまった。 再販制度の庇護の下、「偏向報道」は些か過激すぎるが、各社各局とも「幾許かの思想の偏り」こそが アイデンティティの発露かのように錯覚し、傍目から見て寒々しい内輪もめに興じている隙に、国税・公取 による規制緩和によって、タイムスリップしてしまったかのように窮地に追い込まれているのが現状。 「編集と販売は車の両輪」販売店主に呪文のように繰り返されてきた文言は幻想に過ぎない。 新聞(メディア)とITの融合が標榜されて久しいが、著者が最終章でも指摘している通り、国内外いずれも 一筋縄には事は進んでいない。果たして、人間の「読み書き・考察・推考」という行為は、横書きの文章を 読む行為から実践できるのか、確かに疑問も多く残る。 筆者が編集畑出身ということもあってか、今一つ販売店主の葛藤・紆余曲折の様子が記されていない。 無論販売店関係者の泣き言、怨み節は聞くに堪えないが、もう一歩踏み込んだ現状分析と半分になる 販売店の展望を今少しシュミレートして欲しかった。(brand-new / 2007-05-08)
毎日新聞で役員を務めた著者が、経営の観点から新聞社を語る。
広告収入なくして成り立たない現状が部数至上主義を生み出した点など 現場も経営も知る者が書くことには説得力がある。 テレビ局支配の過程もわかりやすく、「電波利権」(池田信夫)と併読されると なお良い。 その一方で、新聞の本質的な問題として避けることのできない 記者クラブや再販制度における特殊指定の問題への言及が十分でない。 新聞社について語るなら、経営(販売)と紙面の両方が密接にリンクして 問題を生み出している点から目をそむけてはならない。 著者の提案する、合併による読売・朝日と並ぶ第三勢力の形成は、 その大枠が新聞を再生する特効薬とは思えないが(単なる寡占になる恐れもある)、 合併に当たっての内部的な改革案には、現在の各新聞で出来そうなものもある。 だがそれが実行できるかどうか、実に絶望的であるのが現状だけれども。 (dejima2001 / 2007-03-30)
祖父の時代から延々と某新聞を取り続けていたが、10年程前に新聞遅配が続くので流石にあきれて止めたいと言うと、販売店と一緒に怖い方も付いて来て、契約時の景品を全部返せと騒ぐ。新聞本社まで出向き実情を訴えても販売はあずかり知らぬの一点張りでCSも何も無い。官僚的体質にあきれ果て、二度と某新聞は購読していない。本書を読んで判ったのは、新聞社には「経営」が存在しないということだ。それで「記者上がり」が経営者になったりする訳だと納得した。本書には「実売部数」と「発行部数」のカラクリ等が書かれているが、最大のタブーには触れられていない。正義感面している著者も「新聞人」の枠は守っており、この国のマスコミの限界を示していよう。手足でも良いからと某社の販売部門に就職したT君は今、どういう思いでいるのだろう。(絹のつぶやき / 2007-04-19)
海外に住む私は、過去4年間、日本の新聞もテレビもほとんど見ていないが、今日インターネット上の情報の充実によって日本についての情報収集に困ることはほとんどない。新聞の危機を誰よりも強く感じて、この本を手にとった。しかし、個人的には本書の力点の置き方は期待はずれであった。日本の新聞が抱える問題は、(1) IT化に伴うビジネスモデルの危機、(2) 記事の質の問題、(3) 再販に代表される制度的問題と多岐にわたるが、出版された2007年時点で多く読者が最も関心を抱いているのは、間違いなく(1)ではなかろうか。本書は、制度的な問題の細部にこだわるあまり、(1)や(2)の点についての分析が浅い点が残念であった。
一方、今の新聞業界の裏側を知りたいという読者には好著であろう。著者は、毎日新聞社の元常務取締役であり実務的な点については詳細に書かれているし、情報の集めにくい特殊な業界についての情報をまとめたという点では一定の価値のある本だと思う。 (Willy / 2008-03-30)
新聞社のビジネスモデルがいかに制度疲労を起こして破綻寸前(押し紙、拡張団、部数至上主義など)になっているかということを説明しています。
テレビと新聞の密接な関係についても米国と比較しつつ解説しています。これらのことはマスメディアに多少興味を持っている人なら知っていることで目新しさはありません。 筆者は新聞人であるので、マスメディアの役割、特に新聞の役割について過大な期待を持っているようですが、どうも「俺たちが啓蒙してやるんだ」と上から一般大衆を見ている旧来のマスコミ人の域を出ていないなという印象を受けます。消費者は、ニュースや映画など、見たいコンテンツを見たい時間に見たい場所で消費したいのであって、別にテレビじゃなければダメだとか、ましてや新聞じゃないとなんて考えてません。 それなのに、新聞の経営(というよりも毎日新聞の経営)について多くの紙幅を割いているのは、滑稽ですらあります。ということで本来は☆2つですが、マスコミ人が自分の業界を彼らなりの方法で自己批判しているという点でプラス☆1です。(ハム太郎 / 2007-12-12)
元新聞社役員の著者が、自分の居た業界の問題を明らかにしました。
新聞業界という閉鎖的な業界からの告発と見ると画期的と言えます。 議員・政党・公共庁舎庁から一般企業に至るまで、ことある毎に情報 開示や構造改革を煽る張本人は、非上場であることを盾に自社の経 営情報など全く開示されていない実態を目の当たりにしました。広告 費の根拠となる発行部数、即ち、読売1千万部、朝日8百万部の信憑 性、読者に配達させず販売店に留まる残紙の実態は社長でも知らな いのだと。再販制度や記者クラブという前代の規制制度に守られて、 改革の緒もない業界。更に、謝礼品に消える、売上げの4割にも達す る販促費、本社が黙認する暴力団が絡む販売活動などなど。問題大 ありの業界です。いみじくも著者が指摘するように新聞業界は自己改 革のできない業界であることは間違いなさそうです。(according to the conservative / 2007-04-22)
毎日新聞の元社員の「業界内部告発本」、とでも言うべきか。
新聞業界にいる人ならみな知っていることかも知れないが、そうではない人間にとっては、非常に驚き、かつあきれさせる内容だ。 部数の詐称に近いことが平然と行われていることには、怒りを通り越して「こんな世界の住人にメディアを名乗らせていいのか」という恐れを抱かせる。 著者は業界の問題点をあぶりだすだけではなく、今後どうすればいいのかという試案までを提示する。 とはいえ、こういった試案からは、著者自身も新聞業界しか見えていないといった視野の狭さを感じなくもない。 だが、その提言は真摯で、傾聴に値するだろう。 それでも、本書を読み終えての正直な感想は、 「新聞メディアが復活する日は二度と来ないのではないか」 ということだった。 おそらく、著者の意図とは裏腹に・・・。(チャックモール / 2007-05-14)
私は平日1時間半ほど新聞に目を通すが、惰性で読んでいる面がかなり強く、新聞が無くなっても困ることはないだろう。むしろ新聞のみに頼ることの方が危険だと言うことを、インターネットの普及とともに強く意識し出した次第である。
本書は、放送業界についても全五章のうちの一章を割いていて、新聞のみならず、既得権益を死守しようとする既存のメディアの問題点をあぶり出している。10年前だったら、本書が指摘するこれらの問題点にもっと怒りが湧いてきたはずなのだが、このご時世になっても今まで通りのビジネス展開を図ろうとする既存のメディアには、もはや憐憫の情しか湧いてこない。(江口哲学 / 2007-09-16)
「新聞って(いろんな意味で)なんかヘンだよなあ」と漠然と感じる疑問を明らかにしてくれる本です。
のみならず「テレビって(いろんな意味で)なんかヘンだよなあ」という疑問にも、答えてくれます。 この本を通し、新聞やテレビってアナクロニズムの権化みたいに思えてきました。(あぶはち / 2007-04-15) レビュー数 31 [残りも全部見る][amazonでレビューを書く] 平均点:4.0 |
同時購入商品を以下に表示します


これを買った人はこれも買ったよ![