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ハイエク 知識社会の自由主義 (PHP新書) / レビュー総評点:24
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ASIN:456969991X / 売上順位:55500
PHP研究所(2008-08-19)池田 信夫 ¥ 735(中古:¥ 345)
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レビュー総評点:
24
情報ネットワーク時代におけるハイエク再考論―適切な入門書の登場!
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経済学部で経済学を学んだ学生のうちのどれだけがハイエクの名を知っているのだろうか。たとえば世界的ベストセラーの経済学教科書であるスティグリッツの『マクロ経済学』における第16章「経済体制」が論じられた箇所で、社会主義の実際的不可能論を強調したオーストリア学派の経済学者としてハイエクは紹介されている。体制としての社会主義に内在する問題として「情報収集・処理」の困難を指摘したハイエクの議論は、現存した社会主義諸国の崩壊を鑑みても重要な洞察であり、スティグリッツは実際のところ、ハイエクを「情報の経済学」の先駆者として評価しているわけである(こうしたスティグリッツによる評価は間違いではないが一面的である)。
本書は、グローバル資本主義やインターネット社会といわれる昨今において、かつては傍流の学者として軽視されてきたハイエクの思想と理論を平易に解説した良書である。学説史的な流れでハイエク論の変遷を位置づけているのも好印象だ(著者自身はハイエク研究者のあいだで議論が尽きない「ハイエクの転換問題」を意識しているのだろうか)。読み進めてみると実は単なるハイエク解説本ではなく、ハイエク周辺に関する該博な(著者の)知識に基づく現代社会との関係性についての示唆に富む諸考察も数多く盛り込まれ、新古典派経済学や社会主義に対する深い批判的論拠を提起したハイエクの意義にも積極的な再評価が与えられている。一読した限りではあるが、本書によってハイエクへの関心が高まる一契機になるのではなかろうか。 第4章「自律分散の思想」や第5章「合理主義への反逆」などは、後半のハイエク自由主義・自生的秩序論への架橋となる章であり、特に興味深かった。著者は、「価格メカニズムの優位性をもたらしているのは、新古典派的な資源配分の効率性ではなく、知識のコーディネーションの効率性なのである」(74頁)と述べて、ハイエクの「分知」論をいわば「人間知性の構造的限界=根源的無知」とあわせて、全知全能の合理的個人を想定する主流派経済学批判として援用しているが、「資源配分=情報伝達」と捉える新古典派の側からみれば、こうしたハイエクの主張を取り上げるのみでは不十分だろう。彼の「発見的手続きとしての競争」という論文にも言及がほしかった。「計画主義」よりは従来の「集産主義」という概念のほうが、ハイエクの真意をより的確に表明していると思われる。 とはいえ、第9章「21世紀のハイエク」の最後で述べられている、「情報ネットワークが社会のインフラになる知識社会のあり方を考えるうえでも、情報コストをゼロと仮定する新古典派経済学は何の役にも立たないが、ハイエクは多くの示唆を与えてくれる」(188頁)という著者自身の結論的総括には大筋において賛同したい。冷戦崩壊後、ハイエクを含むオーストリア学派の学説が注目を浴びるようになったが、彼らの議論の意義と問題点を体系的に研究する作業は始まったばかりといえるかもしれない。「好き嫌い」という次元を超えて真摯にハイエクを読み直すことも大切だろう。本書がそのための格好の手引きになることを切に願うとともに、池田氏による本格的なハイエク研究を待ちたい。 (TKMT / 2008-09-06)
格差社会にハイエクは無力
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ハイエクの生涯、その徹底した自由主義的主張、現在でも語り草となっている経済学の重鎮、ケインズとの論争まで詳細に記しているのは非常によい。全体としては非常に良書だと思うのだが、これほどまでに現代日本社会で『格差の拡大』が騒がれているときに、あろうことか池田氏は本書の中で『もし格差が広がっているのだとしても、一体どうしろというのだろうか』とまさかのブン投げ宣言をしている。これは非常によろしくない、と一個人の視点から思う。知識のある人間が困っている人間に対して『どうしようも出来ない』と言うのでは、一体なんのために学者になったのかわからないではないか。自ら得た知識で貧困にあえぐ人々を何とかしようと思わないのか? というわけで星は三つとしておく。現在日本で進行する新自由主義を批判的に見るための視点を養うもよし、単にハイエクに対しての理解を深めるために読むのもよし、と言う風に突き放して読めるならいいが、池田氏の主張が出すぎているのはやはりマイナスポイントであろう。(ママゾン太郎 / 2008-10-14)
ハイエクは日本でも名前だけは知られているが、実は殆ど読まれてもいないし、理解もされていない学者の一人であろう。またハイエクが理解されていないことは自由主義に関する基本的な理解も存在しないことを意味する。
本書は、ハイエクの広汎な業績をその思想面から誠実かつ正確にコンパクトに解説したものであり、さらにハイエク思想の現代的な意義にまで踏み込んだ内容となっている。 この本を丁寧に読んでから、ハイエク全集にあたることで、やや晦渋な印象のあるハイエクの著作も理解しやすくなると思われる。 現在、巷ではハイエクもフリードマンも読んだことのない人間がでたらめな”新自由主義”批判なるものを沢山書いているようだが、そういった噂話や陰口の類にだまされてはならない。 自由主義を論ずるためには、それをどのように考えるにせよ、まず自由主義とは何かを知ることから始める必要がある。 そのためにはハイエクを知らないでは済まされない。 この本は、ほんとうの自由主義とはなにかを知りたいと思っている人間にお勧めの一冊である。 (kyuuri / 2008-08-24)
池田氏の著作を初めて読みました。
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とりあえず図書館から借りて読んでみた、感想だけ。。
ハイエクとケインズを中心に哲学者の名前が出てくる。カントもマルクスもヒュームもポパーも。無理やりでウィトゲンシュタインも。はっきりいうと池田氏の西洋哲学の説明より、独自の保守思想を打ち立てた西部邁のケインズ・ハイエク・ウィトゲンシュタイン解釈の方がはるかに説得力がありおもしろかったね。 また著者は「ケインズは死にきった」と思いたいらしい。 30年代アメリカにおける財政出動、90年代日本における財政出動の有効性は著者が嫌っているR・クーが「陰と陽の経済学」において実証してますし、バブル崩壊後の日本の問題は生産性に限らず需要・供給側ともに問題があったと貞廣氏の「戦後日本のマクロ経済学」によって実証されているし、誰もが認識していることでしょう。ま、社会科学だしそこんとこは適当にってノリかな?しかしまぁ財政出動が効かないってどこの国の学者がいうんでしょうね。 で、ネットで自生的秩序が形成ってねぇ。。 現実社会に生きる人間たちにまともな秩序経験がなければ準現実社会のインターネットで育つのは自生的「無」秩序でしょうね。なので現実社会の秩序をまず考えたいところ。公共意識というかな。しかしインターネットという仮想空間のお話で「自生的秩序」が持ち出されるとはハイエクが生きていたらなんと言うでしょう。 結論 ってかハイエクをわざわざ持ち出すような中身か。仰々しい。そう思えてならない。(ぽこ / 2008-10-02)
ハイエクは読んでも、そんなにピンと来ていませんでした。
本書は、ハイエクの要点を示しているようで、 本書を読んでから、ハイエクを読み直してみると、 なんだそうだったんだと理解できました。 ひょっとしたら、昔読んだときには、あまり社会経験が無いころだったから分からなかったのかもしれません。(kaizen / 2009-09-17)
ハイエクに興味があって、読んでみました。
後半のインターネットとハイエク等の(著者の)言説については、非常に面白く読めました。 ただ、ハイエクを紹介するというよりは著者の持論を展開するのにハイエクを引用しているという事になるのでしょうか。(スケダチ / 2009-06-19)
最近、ハイエクという名前をよく耳にしますが、自由主義経済を主張した経済学者と
いうことぐらいしか知らず、どういう人なのかよくわかりません。 そこで、とりあえずどんな人かを知ろうと思ってこの本を読んでみました。 読んでみて思ったのは、やっぱりよくわからないということでした。 どうもその人となりというか、具体的なイメージが浮かんできません。 とりあえず、一般的なハイエクのイメージとしては、 強力な市場主義者で、反社会主義者であり、 ケインズと論争を繰り広げ、当時は敗北してしまったけれど、 後に、イギリスのサッチャー首相が彼の本を重用したり、 ノーベル経済学賞を受賞したりと、ハイエクは時代の主流となり、 その後の、グローバル資本主義への流れに先鞭をつけた人という感じです。 ハイエクの思想の根底には不確実性というものがあり、将来の市場の 動向は予想できないため、政府が余計な介入をして市場を混乱させる ことはやめて、市場の調整機能に任せるべきだと主張しているようです。 完全な知識に基づく完全な市場などありえないと説き、計画経済を否定し、 全てをコントロールできるという官僚の思い上がりを、徹底的に批判します。 各個人が断片的な知識を持って行動すると、あたかも社会が一つの計画に 従うような現象を、「社会的な心」として市場のメカニズムを捉えるのは、 アダム・スミスと同様の考えのようです。 ハイエクは、このような「知識の分業」という、今日のネットワーク社会を 予見したような考えを提示しており、現代における知的所有権の問題などに 対しても、参考になる部分が多いようです。 私の印象としては、ハイエクの思想は、アダム・スミスの思想の現代的展開 という感じに思えますが、どうなのでしょうか。 この本では、多数の学者や思想家の名前が出てきて、多種多様な概念にも触れて いますが、知らない人にはちょっとついていけないのではないかと思います。 文体は平易ですが、内容はそんなにすんなりとは理解できませんでした。 たぶんこの本は、ハイエクについての入門書というよりは、ある程度の知識の ある人が、全体の中でのハイエクの位置づけを認識するための、手がかりとなる ような類の本ではないかと思いました。 元々この本は、ハイエクの本を紹介する目的で書き始めたものが、どんどん内容 が膨らんでいったということのようですが、ハイエクの実像を掴むには、紹介 されているハイエクの著書を読むか、他のハイエク解説本などを読むなり する必要があるように思います。 著者の言うように、ハイエクの現代的意味を考えるための一助となる本なの ではないかと思います。(けるよ / 2009-05-10)
面白かったが、ハイエクについてはそんなに深く理解できなかった。
どちらかというと著者の主張の方が強かった。 ハイエクを中心においているが、“経済学”全般に対する著者の意見が主役である。(ちよすけ / 2009-03-17)
最近ハイエクの名前を聞く機会が多いわりに 彼に関して何も知らないことに気が付き 本書を読むきっかけを得た。大変勉強になった。
ハイエクが主張したという「計画経済への疑問」には大いに共感した。 僕も かつて ビジネススクールで二か月勉強した際に そこで扱われる「合理的人間」というモデルに非常に疑問を感じたことがある。完全に合理的な判断を人間ができるという大前提で展開される各種議論は 議論している人が特に合理的でない議論をしている点で 首を傾げたのだ。 スクールでの議論であるなら どのように「漂流」しても良いが 一国の経済を考える際にも基本的に同じ前提で考えるとしたらどうなるか。それには非常に慄然とする思いだ。まさにハイエクが主張した経済学の理論への疑問が 僕の かような不安を代弁してくれた思いである。 「新自由主義経済」という言葉の中の「自由」とは何を指すのか。僕らが不用意に使う「自由」とはどういう意味なのかをハイエクは迫ってきている。計画経済の否定が そのまま市場原理主義にはならない点が 本書を読んで強く実感した。市場原理主義と自由とは 一見似ているようで おそらくまったく違うものであろうという予感を覚えた。 僕はハイエク関係を読むのは本書が初めてなので 本書がどこまで厳密に正しいかはわからない。ただし 著者の無類の歯切れのよさは読んでいて心地よい。続けて二回読んでしまったほどだ。大変 「考えるヒント」になったことを最後に付け加えたい。 (くにたち蟄居日記 / 2008-10-05)
長らく日本においては忘れられた存在だったハイエクが日の目を見るようになって、しばらく経つ。だが、いまひとつその思想は理解されていないように思える。というのも、なぜかリベラル、保守本流といった異なった層から「新自由主義の始祖」的に批判されるケースが多いためだ。
今日の日本の状況は、まさにハイエクの予言どおりだ。進まぬ規制緩和、遅れる改革、そして凋落する一方の国力。少子化や格差は、みな構造改革の遅れが原因だ。ただ、改革して欲しくない人間が多いのも事実。要はそれによって既得権を奪われる人間たちだ。これこそ、リベラルと一部保守の共闘という摩訶不思議な現象が生じる理由でもある。 90年代、既得権者は痛みを嫌い、時代遅れのケインジアンになりすましてツケを次代に回した。それがかなわぬと見るや、共産主義や社民主義の死体まで引っ張り出して、改革を遅らせようとあがいている。ああいう醜い老人にだけはなりたくないものだと思う。 特に次代を担う2、30代は本書を読むべきだ。少なくとも、本書には「何でも反対!」するしかないご老人とは違い、ビジョンが見られる。それだけでも読む価値があるだろう。(毒ギョウザ / 2008-08-24)
ハイエクの決して経済学に納まらない思想や理論の学説史的変遷を縦糸とし、これに経済学者や哲学者との論争あるいは近代から現代までの経済事象、そして実際に採用された政策の成否などを横糸として絡めながら、その広範な業績の近未来を見据えての現代的意義を概説したものである。私のような一般人にとって、理解しやすく大変参考になる。
一般に「専門的な論文を読むときは、いきなり細かい話を読む前にサーベイ論文を読むといい。」と言われるが、本書も、ハイエクの思想についての素人向けサーベイとして格好の入門書と言えるのではないだろうか。 新古典派経済学や社会主義に対する深い批判的論拠を提起したハイエクの先見性への再評価に止まらず、広範なハイエク周辺の社会・思想・哲学的諸問題に関する、現代社会との関係性についての示唆に富む多くの考察を著者が行っているからだ。 また、ハイエクの二十一世紀的意義を「情報ネットワークが社会のインフラになる知識社会のあり方を考えるうえでも、情報コストをゼロと仮定する新古典派経済学は何の役にも立たないが、ハイエクは多くの示唆を与えてくれる」(P.188)とし、 「われわれは、ハイエクほど素朴に自生的秩序の勝利を信じることはできないが、おそらくそれが成立するよう努力する以外に選択肢はないだろう。」と著者は最後に総括している。私のようにどちらかと言うと、「自生的秩序」に懐疑的だった者にも、激しく同意を迫る、説得力のある内容となっている。 (フクロウ探検隊 / 2008-09-25)
第八章「自由な社会のルール」について、筆者の法制度の理解の底の浅さが出ていると思う。
筆者の言いたいことは分かるし、首肯もできるのだけど、法制度を語るのであれば、もう少し法制史を概観してからが良いのではないかという印象。(田中誠 / 2008-09-21)
本書は、ブログで話題の経済学者が、故人の業績を素人からガチガチのマル経の人までわかる様に咀嚼した好著である。メディアでは、今だに「小泉改革の規制緩和が格差を生んだ」などと根拠無いスローガン(実態は高齢化の進展による世代間格差の拡大だが。)を掲げた格差是正論者が跳梁跋扈している。こうした格差是正論議がなぜ時を経て度々世の中に出現するかについて、部族社会の成立からの導出している点は秀逸だ。一握りの優秀なリーダーが国をより良い方向に導くというハーヴェイロードの前提は、社会主義圏の崩壊を見るまでもなく失敗が明らかである。一旦葬り去られたケインジアン的政策が、オバマ次期米政権で復活すると予想される今こそ、この本のテーマに立ち返り、政府の膨張主義に対する健全な懐疑を養うべきであると思う。(パグポン / 2009-01-03)
まず、著者はハイエクと各経済学者との歴史的論争を分析し、ハイエクの思想を明らかにする。
・ハイエクは、ケインズの総需要管理政策による政府の市場への過度の介入は、長期的には 必ず失敗をもたらすと批判したが、ルーズベルトのとったニューディール政策が成功を 収めたため、ケインズ理論は大きな影響力をもつようになった。 ・フリードマンは中央銀行の通貨供給量の成長率を一定にするべきという「マネタリズム」 を唱えたが、ハイエクは通貨の発行も自由化し、民間が通貨を発行してもかまわないとした。 これは現在の電子マネーの走りとなっているとも言えるだろう。 そして、1980年以降の英米と日本の政策を振り返り、そこにハイエクの自由主義思想が 復活してきたことを検証する。 ・サッチャー、レーガンは金融政策ではマネタリズムの影響を受けながらも、産業政策では 大胆な規制緩和を行ない大きな成功を収めた。 ・日本では、特に小泉政権で、財政政策に頼らず、産業構造の改革により生産性を高めること が政策の中心となった。 ・現在では、ケインズの総需要管理政策とマネタリズムはその影響力を失い、ほとんどの国が 国営企業の民営化政策をとるようになっている。 そして現在のインターネット社会はどうなっているのだろうか。 ・インターネットの世界ではイノベーションを高めるため政府ができることはない。 ・日本の著作権法では検索エンジンも違法となるため、そのサーバーは海外に置かなければ ならない。 ・インターネット社会で政府がするべきことはは、参入の自由化を進めることだ。 ハイエクの自由主義はインターネット社会において、極めて重大な意味を持っていることに 気付かなければならないと思いました。 (至高の豚 / 2008-08-26)
本書はハイエクの生涯を通じて、ケインズ経済学との方法的な違い、
新古典派との違い、ポパーとの違いなどを描き、 現代のインターネット社会での自生的な秩序についても ハイエクをその先見者とする。 実際、ケインズは大恐慌時代に適合した経済政策をアジテーションした ポリティシャンであったが、ハイエクは学者であった。 またフリードマンはアメリカが生みだしたプラグマティスとであったが、 ハイエクはメンガーからのウィーンの知的伝統を受け継ぐ哲学者であった。 通常、ミクロ経済学では、 市場を論じるときに需要と供給があたかも公知の事実であるかのように描かれるが、 ハイエクの属するオーストリア学派の伝統では、 市場においてのみ価格メカニズムを通じて、 生産者のもつ生産知識と、購買者の感じる主観的な商品価値が明らかにされる。 この意味で、市場は分散的に存在する知識を交換、活用する最良の手段になる。 本書はこの点をはっきりとさせつつ、ハイエクの多様な主張をまとめている。 読んでいてあきず、経済学説、学説史をめぐる思索もできる良書だと感じた。 (蔵研也 / 2008-09-27) レビュー数 27 [残りも全部見る][amazonでレビューを書く] 平均点:4.0 |
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