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レビュー総評点:
59
パラドックスというと、すぐに思い浮かぶのは「アキレスと亀」などで知られるゼノンの逆説や、「全てのクレタ人は嘘つきである」というエウブリデスの論理などである。本書ではそれらの論理学的に有名なものに加え、無限や心、暗号理論、全知であることによる矛盾など、非常に多岐にわたる内容で構成されていて、論理学の説明に終始した本とは違い、気楽に読めてなおかつ興味深い例が満載である。 特に解説が詳しいのは、コンピュータで有限時間内に解くことができるか否かなどの議論で一躍有名になったNP完全問題について。迷路課題を例に取り、なぜNP完全問題の一般解を導出するのは難しいのか、そして解決の暁にはどんなことが可能になるのかなどを興味深く語っている。訳も非常に上手く、流れるように読み進められるのも良い。 扱っているテーマや例証など、その内容はどれも面白く、この点ではまったく問題がない。しかし、特に本書後半ではその傾向が顕著なのだが、扱っている問題に対する反証の仕方が、論点がずれているものが多く、これは少々注意する必要がある(例えばトムソンのランプやサールの中国語の部屋に対する反論例)。また、後半の心の理論やゲーム理論(囚人のジレンマ)などは、原著執筆時(1988年)に比べて格段に進歩しているため、今では一応の回答が提示されている部分もあることを付記しておく。(ぶれぐま / 2009-02-03)
実を言うと、あまり期待せずに数学方面の関心と著者名だけで買った本である。それだけの本だったが、読んでびっくり、凄く面白いぞ! いやいや、まずは懐疑主義的なネタが豊富なのも面白い。なにせ著者は『大暴露』『大疑惑』『大秘密』の3部作で、カッパーフィールドの「自由の女神消し」や、TMのマントラが16種類しかないことや、とにかくかなりいろいろ暴露してきた経歴の持ち主でもあるから、デバンカーとして一級だということは理解していたが、まさか誤謬の解説や論理学、哲学方面でも、これほど面白い本を書いていたとは驚きである。本当に良書。 単純にパラドックスを羅列し、解説するだけのものではなく、「知識とは何か?」という問題、認識論について現代の哲学者がどういった議論をしているかの紹介などもツボを押さえており、随所には超常現象のビリーバーによくある誤謬への皮肉もふんだん。 懐疑論的おすすめ本としても、ただの読みものとしても、教養のためにも、ひまつぶしのためにも、非常にお勧めできる愉快な一冊である。(ワカシム / 2007-05-13)
論理とは何か,情報とは何か,わかるとはどういうことか,有名な逆説を多数あげながら,考えさせ,教えてくれる一冊。 逆説とはいうが,さまざまな論理的問題の有名どころ(中国語の部屋,NP完全,オッカムのカミソリ,機能と演繹,カテゴリーとは,矛盾とは,などなど)が次々に取り上げられる。一つ一つが身近で具体的なので,計算機科学や情報論,論理学をかじってみたが,わけわからんので挫折した,そんな読者には,そういうことだったのか,と問題の芯がつかめるだろう。 どこから読んでもエキサイティング。(特に科学における)認識論の入門書としてもお勧め。ただしコンピュータの原理についての初歩的な理解を前提としているところはあった。(しじみがい / 2004-10-24)
ウソをつかれたとする。「あたしってウソつきだから」と開き直られたら、こう返答されてはいかが。「ということは、その発言もウソかい。だとしたら、その発言はホントのことを言ってることになるよね」 ここには逆説の種が生まれている(たぶん険悪な雰囲気も)。 正しそうに思えるけどじつは正しくなかったり、辻褄が合ってそうだけどじつは矛盾をはらんでいたりといった論理(逆説=パラドックス)の数々が紹介されている(ちなみにレビューのタイトルも逆説です)。 本のタイトルから、逆説がただズラーッと羅列されているのかといったら、そうでもない。ページを超え章を超え、ある逆説が何度も登場したりもするし、各章でテーマに沿った話の展開もある。 また逆説の説明以外にも、哲学や論理学に通じる話が多い。実在論とはなにか(ブラックホールの内側のように観測不可能であっても、そこにはそれが存在すると認める論)。「AはBである」ことを知るには、①「AがBである」と思うこと、②「AがBである」と信じる根拠があること、③実際に「AがBであること」などが必要、といった話などなど。 こんな感じだから、理論上の話がほとんど。読めば読むほど現実社会の諸問題から遠ざかり、もうひとつ世界をゆらゆらさまようことになる。つまりは現実逃避に最適。想像の世界を行ったり来たりするのが好きな人は、読むこと自体が目的達成となる。この感覚は数学にのめり込んでいるときと似ている。(漆原次郎 / 2005-08-01)
知るということの意味は何か、私がここに存在していることを証明できるか。そんな疑問から始まり、帰納的な証明、演繹的な証明、NP完全問題、全てを知る全知について、それぞれに逆説(パラドクス)という毒を仕込む。結局は逆説を使って、物事を知ることの困難さを紐解いていく過程を見せつけられ、認知論の楽しさに触れることになる。 例えば論理学の教科書には「命題とその対偶の真偽は一致する」とある。「すべてのカラスは黒い」という命題を証明するのは大変だ。世界中のカラスを探しまわる必要がある。無理だ! ではその対偶「すべての黒くないものはカラスではない」を確認することは可能か。確認する対象物の数がもっと多くなるだけだ。 「あなたはこの文を信じていない」この文章を信じることができるだろうか。信じるなら信じないことを信じることになる。信じないならこの文章は正しいから信じても良い? 全知の存在がいて、相手のことも全て予測でき、かつ合理的判断をするとする。では、この全知の存在は互いに自動車で向かい合わせに衝突するチキンレースに勝てるだろうか。無謀な相手が突っ込んでくることを知る全知の存在は、これを避け、レースに負けることになる。全知が故に負ける逆説である。 PCを利用する我々は、どんなに高速なCPUと大量のメモリを積んでも望む速度が得られない問題があることを知っている。これも認知の難しさの一例である。(じゃが〜 / 2009-05-25)
はっきり言って、本質を面白がってはいないのだと思う。ただ救いは、読んでいる間だけは楽しめる。何度読んでも楽しめるのが問題なんだ^^ まあ、教師でもないし個人的な楽しみとしておけることが救い。無人島に持っていくべき本のリストには必ずあげるべきだろう。(ギャモン / 2005-04-12)
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平均点:4.5
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