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レビュー総評点:
31
”進化と創造”論争の歴史的経緯や、著者が関わった裁判の裏話は大変興味深かった。しかし科学史以上の価値があるかというと疑問だ。 不満は非常に多い。細かいところではダーウィンがNOMAを実践していたかのように述べているが、自伝でダーウィンは宗教を「理性のある人間があんなもの信じるなんて」と痛烈に批判しているのだ。また宗教と科学が未分化であった時代の先人たちの奮闘は称賛に値するが、それを紹介されても現代に応用するのは困難だろう。 フランシス・コリンズのような宗教的科学者はドーキンスが批判する神を「我々の神ではない」と退け、グールドに好意的だ。だがグールドの述べる宗教こそコリンズらが擁護する宗教ではない。科学の領域に立ち入らない宗教は人生哲学か倫理学そのものだろう。MOMAは、単にそういう考えがあると述べるだけでは中身のないファッション、あるいは現状維持の事なかれ主義だし、徹底すればあとに残るのは「科学と宗教」ではなく「科学と哲学」だ。コリンズらは宗教と科学は両立可能であるという耳ざわりの良い声明に、表面的に同意しているにすぎない。 スティーブン・ピンカーに依ればグールドは神経科学や認知科学が人間を機械と取り替えようとしていると嘆いたそうだ。グールドは現代のアルフレッド・ウォレスになりたかったのかも知れない。彼の内面がわずかに見えたような気がする。後半四分の一は新妻昭夫氏の長大な、大変優れた解説がある。ここではドーキンスとグールドだけでなく、もう一人の知の巨人E.O.ウィルソンの宗教観にも触れている。ここだけでも900円分くらいの価値はある。(いとみみず / 2009-01-01)
"断続平衡説"の提唱者グールドの遺作となってしまった作品。アメリカで根強いキリスト教原理主義者による「創造論」に対する闘士としても著名なグールドが、科学と宗教の関係について論じたもの。科学万能を主張するのでは無く、科学と宗教との間に越えられない一線がある点を土台にしている点にグールドの人柄が窺える。 本書の中心概念は「NOMA(Non-Overlapping Magisteria)原理」と言うもので、平たく言えば、科学と宗教のような二律背反に見える概念が、別の領域として両立し得るという考え方である。尚、マジステリウム(Magisteria)とはカトリック用語で、"教えの権限の範囲"と言う程の意味の由。本書を書くに当たって、カトリックの専門用語を基本概念に使用する辺り、グールドの練達した書き手ぶりを示している。グールドが主張する所は、「科学と宗教は別個のマジステリウム」だと言う点である。そして、さりげなく「科学的な結論と聖書の解釈との間に矛盾があるように見えたら、聖書の注釈を再考した方が良い」と付け加えるのを忘れない。先達であるダーウィンとハクスリーに関する挿話は、NOMAの本質に迫って感動的である。グールド自身は無宗教なのだが、宗教の価値自身は尊敬しているのだ。そして、「十全な人生観を構築するためには、科学と宗教という2つのマジステリウムへの洞察を統合する」事が必要だと述べる。この時点で邦題に対する回答は出ており、「共存できるか ?」ではなく「いかにして共存するか ?」が真の命題となる。ここでやっと、現在のアメリカの多くの州で進化論が教えられていない点に対する批判に入るが、現教皇パウロ二世は進化論を認めているのである。グールドはアメリカの現状を、一部の原理主義者が科学のマジステリウムに介入しているからだと指摘するが、NOMA理論により、これを科学vs宗教(原理主義者)の闘争とは見做さない。両者の対話が必要だと言う。以下、科学のマジステリウムの心理面をダーウィンを例に取って詳説する。最後に上記の対話法について「和協主義」を中心に情熱を込めて語る。 科学にとって永遠の課題とも言える宗教との共存を論じた本が遺作になるとは運命的なものを感じる。グールドの科学観・人生観が味わえる心に残る良書。 (紫陽花 / 2007-11-17)
ドーキンスの「神は妄想である」を読んだ人には是非読んでもらいたい一冊です。 「神は妄想である」の論調は宗教との全面対決を全力で打ち出したものなので、その情報だけをインプットするといささか思考に柔軟性が欠けてしまうように思います。 色々な側面から宗教と科学をとらえられるようになるためにも、この本の中庸案というのは非常に興味深いものでしょう。 中庸と言っても、決して生物学者であるグールドが宗教に日和っているわけではないのでご安心を。大人な対応という感じです。 グールドさん、亡くなられていたんですね…。 恥ずかしながら本書を手に取るまで知りませんでした。 生物学史上の偉人の最後の作品という点からも価値があると思います。(ダニエル / 2008-04-21)
「なんとかしよう」ともがくグールドが痛々しい。神と科学の共存という泥沼問題は、共存不能という(生物界にはよく見られる)居心地の悪い状態を許容せず、なんとか両者を共存させてさっぱりしたいという本能的欲望に起因している。この欲望が将来なくなるとは思えず、泥沼はこの先も延々と続くことだろう。(Krokodil Gena / 2008-10-12)
日本人は宗教・信仰に関心を持つことは少ない。ただ、正月には神社仏閣に初詣には行き、困ったときには神頼みや願い事をするし、冠婚葬祭には仏式等を当たり前のように受け入れる。また、子供の時から、主に親から躾として礼儀作法やマナーを比較的厳しく教え込まれる。このため、規律正しく礼儀正しいことや親切・迷惑をかけないことが美徳として、宗教・信仰抜きに、ある程度社会全体が円滑に機能するように保たれていると思う。加えて、大自然に対して、畏敬の念を健全に持ち、石ころから仏像・自然そのものに「八百万の神」や霊的・スピリチュアルなものをなんの疑いも持たず感じることさえできる。 こういった日本にいると信じがたいことであるが、キリスト教文化圏特に米国の一部原理主義者の中には、聖書の記述を寓話ではなく真実であると信じ、「進化論」を拒否し地球の年齢が高々1万年の歴史しかないとする一派が存在する。さらに、この活動家は、政治的手段でもって教育にも介入してきた。こうした中、古生物学者であるグールドは、科学の教義と宗教の教義は、互いに交わらないようにできるはずであるとの主張を、NOMA原理(Non-Overlapping Magisteria=非重複教導権の原理)と呼んで、神と科学は共存できるはずだと主張していることが本書の骨子である。 「神は妄想である」とする同じ現代進化生物学者ドーキンスからは、「中途半端な妥協である」と批判されるものの、個人的にはそこまで敵対的戦闘態勢にならなくても、グールドの言うNOMA=「棲み分け」もアリかなと思う。こういった読後感であり、グールドの他の本も読みたくなった。 (ねぼすけ2004 / 2009-05-22)
長年科学に携わってきた著者が、科学と宗教の共存可能性について述べた本。 本書における著者のメッセージは、以下に集約される。 「宗教と科学の共存は可能であり、それぞれの範囲を適度に守りながら棲み分けることが重要である。」 過去の歴史の中で起こった科学と宗教に関する大小様々な事例を紐解きながら、この2つが対立してきたという考え方は間違いに過ぎないと述べる。 科学は自身の範囲を安易に拡大すべきではないし、宗教は自然の現象に道徳的な真実を見出すべきではない。自然の事実性と人間の道徳性は互いに不可侵ではあるが、双方に対する尊敬と建設的な話し合いによってこそ、幸せな関係を築く事が出来る。 そう、著者は指摘する。 著者のスタンスは一貫しており、ドーキンスらの思想との対比という点からも、面白く読めた。 豊富な事例とその明快な語り口によって、散々言いつくされてきたはずの神と科学に関するテーマにおいても、読者を全く飽きさせないと感じた。 一点だけ気になった事を書くと、本書ではグールドは宗教と道徳を同一視してしまっている感がある。 進化論を否定する考え方が宗教の多数派ではありえないと著者が述べているのと同じく、宗教は科学と棲み分けて人類を導いていく道徳の中のほんの一部に過ぎない。その点に少し違和感を感じた。(yack / 2010-02-06)
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