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No.1-1 ▼
ノスタルジア [DVD] / レビュー総評点:116
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ASIN:B00006S25R / 売上順位:19401
ジェネオン エンタテインメント(2002-11-22)オレーグ・ヤンコフスキー/脚本:アンドレイ・タルコフスキー ¥ 3,525(中古:¥ 3,514)
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レビュー総評点:
116
ノスタルジアという映画自体は素晴らしい。
最高に美しいラストシーンだけでなく、浴場のシーンの青などは神憑り的に綺麗だ。 が・・、このDVDはいただけない。それらの美しさが台無しである。 タルコフスキーも泣いていると思う。 本来★5つだが画質音質で★-2個。 是非とも収録をやり直して頂きたい。(fine / 2003-01-02)
「鏡」が魂の解放だとすると、「ノスタルジア」は魂の拡大だと思います。自伝的映画なので3作目の「サクリファイス」までシリーズ映画なのです。この映画では、当時宗教が禁止されていたソビエトから、宗教と信仰の国イタリアに出て、そして、自由という今までなかった世界に、自分の価値感の徹底的な破壊と再生の息吹を感じたのでしょう。たぶんその死と誕生が、祖国に置いてきた母や家族へのノスタルジア(望郷)に繋がっていったのです。それがエンドカットのイタリアの廃墟の中のロシアの実家の風景なのです。ちなみに、この監督のテーマは常に「愛」です。それも妻だったり、母だったり、家族への愛です。そして常に望郷です。ソラリスでも同じようなエンドカットがありますな。彼の映画「ストーカー」に、もしタルコフスキーが出たら、彼の表層願望は偉大な芸術家であること、でも、深層願望は、家族との愛ですね。さて、この映画の冒頭でも、「鏡」で見られたように、言葉というものがいかに表現という行為に対して不十分であるかかということを言っています、例えば詩といった芸術を別の外国語に翻訳するのは意味がなく、ただ国境を無くせば良いのだといっています。つまり、別の言語に翻訳すると魂は死に、たとえ、言葉は違っても芸術家同士(感じることができる人同士)が会えば、それで良いのだと。これは、アンドレイがドミニコを訪れたときに女性通訳を通して話しかけますが、ことごとく失敗し、その後、アンドレがドミニコに直接話しかけると、、、なんのことはない、受け入れられるということでも明らかです。言葉に惑わされず、感じることで、その先には画像に散りばめられた記号「1+1=1」や台詞「一滴の水にもう一滴を垂らすと大きな一滴になる。」「感じること信じることで一つに交わり合う。」の意味すること、、世界が救える、という宗教的な示唆が生まれてきます。焼身自殺したドミニコと、その遺志を継いだアンドレは、死という犠牲(サクリファイス)で大きな一滴になり世界救済へと向かうのでしょう。言語の違い、政治体制の違いを超えて、、ということなのでしょうね。カンヌ映画祭で創造大賞を取っていますが、個人的には「鏡」の方が断然好きです。。。なぜかな、、?、、なんとなく匂いがね。。この映画はなんとなく西側の匂いが入っているからかな。。「鏡」の鋭さと瑞々しさが無い気がします。好きですけどね。(amaterasulover / 2008-04-03)
映画が芸術であるということに対する最も有効な証拠として提出足りうる傑作。水 雨 風 火といった 我々の身の回りにあるものが このような「表情」を見せることが出来るということだけでも驚き。余りにも多くの人が眠りに誘われたことを告白するが それが「退屈だったから」という理由では語られない稀有な作品。眠りを伴う催眠術のような映画かなあ。本当に綺麗。(くにたち蟄居日記 / 2003-11-07)
内的必然性から生まれる独自性
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タルコフスキーが言っていることで興味深いのは、
「映画においては、説明は必要ではないのだ。そうではなく、直接的に感情に作用を及ぼさなくてはならないのだ。こうして呼び覚される感情こそが思考を前進させるのである」という言葉。 タルコフスキーの書いたものを読むと、実に内省的、宗教的な、本物の芸術家の声を聴くような深さと、それゆえの深刻さとを感じる。 それは時に悲劇的にも思われ、彼の精神の内部に関わるのはとても重苦しいような、敬遠したいような気持ちにも襲われるかも知れない。 「ノスタルジア」という映画の語源は、ロシアでは、病に近い望郷の念を言うようで、タルコフスキーによれば「死に至る病」となるようである。 この映画と「惑星ソラリス」や「ストーカー」、この3本が最も印象にあるのだが、そのどれもがその--ノスタルジア--を語っているように思う。 それは彼の言うように、説明されえない、時にあまりに個人的、内宇宙的な、世界への宗教的な想いであったり、修行僧の懺悔のような告白のようであったりする。 「ノスタルジア」の、観客まで息苦しくなってくるような緊迫した長い凝視を要求する映像で描かれる、登場人物の世界を救済するという個人的な儀式・・。 模倣しようとすればきっと恥ずかしくなる、その驚くべき映像の内的必然性から生まれる独自性。 彼の最後の作品の題名が、彼の内面の内へも外へも、彼の精神の運動のすべてを言い表わしているような気がする。 それは「サクリファイス」、犠牲という言葉である。 タルコフスキーを想うと、むかしむかし、西洋の厳格な修行僧が同時に求道的な芸術家であったような時代の、そういう時代に存在したかのような男のシルエットが浮かんでくる。(sow-seed / 2008-03-12)
一番美しいラストシーンを持つ映画は何かと尋ねられたら、僕は真っ先にこの映画を挙げる。
無人島に一つだけ映画を持っていくとしたら何を持っていくかと尋ねられたら、僕は真っ先にこの映画を挙げる。 言葉では言い尽くせないような素晴らしさを持った作品は、と尋ねられたら、僕は真っ先にこの映画を挙げる・・・ 深い緑の上でゆっくりと流れる霧。そこで交される、男と女の血の通わない会話。母の記憶が女(=マリア?)のイメージと交錯し、"狂人"と呼ばれる男と、密かな契約を結ぶ。悪化していく病に死の予感を感じ、ふと故郷の夢が蘇る。異国の地で一層強くなる、「過去」へのノスタルジア。 水溜りにゆっくりと羽が舞い、一冊の詩集が燃やされる。 自分は何を考えるべきなのか、どう行動するべきか・・・ 果てしない、静かな自問自答のなかで苦悩しつつも、おそらく、ラストで、主人公は答えとなるものを見つけたのだと僕は思う。 永遠とは、停止した時間ではない。永遠は常に、流れ続けるのだ。 「1滴の水に1滴の水を加えても、数滴ではない。一滴だ・・・」 過去と夢想の、永遠の融合。 限りなく厳かで、豊かな感動に満ちていて、それでいてどこか哀しさも感じます。 「歓喜の歌」が皮肉っぽい使われ方や、ロシアの民謡(戦場に行ったきり帰って来ない息子を悼む歌だそうです)が効果的に使われていることからも分かるように、タルコフスキーは大変音楽(あるいは音)に対して敏感です。 タルコフスキー映画は大変「無音」が美しいと思います(特に『鏡』以降)。「静寂」と言う「音」。「音」自身が美しい。あまりこのことを指摘する人は 少ないようですが、タルコフスキーは「映像」と同じぐらい「音」に対して配慮していたと思います。映画とは映像と音のみで構成されているにも関わらず、「音」に関心のない監督が多すぎです。タルコフスキーはその意味で、映画史上唯一の、「音」の芸術家であったと思います(でもブレッソンも負けてない)。 彼の映画を見るとき、映像に目を凝らすばかりでなく、「音」にも耳を澄ませてみてください。そのあまりの豊かさに、改めて愕然とするはずです。 武満徹が「彼の映画は音楽を改めて使う必要が無い。それは映画自身が既に音楽的だからだ」と言ったのは、文字通りの意味と共に、こういうところにも因るのだと、僕は思っています。(旅芸人の記録 / 2002-12-19)
首都高速を未来都市としたり(惑星ソラリス)、どっかの田舎を“ここがゾーンだ!”と言い切ったり(ストーカー)、私はタルコフスキーというのは実にB級魂を持った監督なのではないかと思っているのですが、でもとにかく出来上がった映像は例外なく美しい!本当に絵画が動いているような息を呑む描写の連続技で全てが傑作ですよね!実はタルコフスキーは私にはどの映画も例外なく見てる間は微妙に退屈なのですが、見終わるとまたもう一度見たくなるという中毒性があってDVDでいつでも見れるのが本当に有り難い。あのカットをほとんど割らないでじっくり描かれる濃密な画が眠気を誘いますが、それが本当に癖になります。勿論食い入るように見てるファンもいるでしょうから、ちょっと不真面目な鑑賞の仕方かもしれませんけど。でもそんな私でもどっぷり酔いしれるのがこの“ノスタルジア”です。溜息の連続です。まぁ比較的時間が短いということもありますが・・・。(わいじょん / 2007-06-11)
もの思いに耽りながら歩いていると、
ふと昔のことを思い出し、振り返った子供の目と、 その時その子が言った言葉。 一連のフラッシュバックを絶妙のリズムと流れで描いてみせるシーンが 映画を見ていない時でも甦ることがあります(病気かもしれませんので今度医者に診てもらいます)。 タルコフスキーは時々鬱陶しくなる位説明的になることがあって、 作品によって私にはちょっと苦手なものもあるんですが、 「ノスタルジア」は映像の力で見せ切ってしまう凄さがあります。 羽が落ちてくるところなんか、もうあんたこりゃまた・・・・ 大真面目に、人類の財産と言っては大げさでしょうか・・・・・ 千年後にも残っているような、残っていて欲しい映画なんです。(わん / 2006-01-04)
これは、正直言って買うべきかどうか難しいDVDです。
画質がかなり悪いです。 シーンによって違いますが、 色焼けがあって、全体的に黄色くなっています。 ただ、まだ見たことが無い人は、ビデオをレンタルするか、 これを買うしか選択の余地はないのですが。 僕個人は、今まで何度か見ているので、失望しました。 それで、この映画ですが、今回見て思ったのですが、 タルコフスキーの描く空間というのは複雑ですね。 広く言ってしまうと既視感だと思うのですが、 最後のシーンでも、イタリアの教会の中庭に ロシアの風景があって、その下の水たまりが 湖になっている、という具合です。 もともと、彼の映画には回想シーンが多いのですが、 全編を通して、男性から女性、人から人への行動と認識が 過去から未来へと重層的に重なっているような、 不思議な印象を受けました。 あと、ドミチアナ・ジョルダーノは美しいです。(lucky_dog / 2003-12-23)
80年代は東西冷戦が最も緊張した時期であり、誰もが核戦争の危機を感じていた。タルコフスキーは、あたかも天から人間の所業を憂える神のような視点をもつ狂人と、病的なほど微細で繊細な感性をもち、国々を放浪し、「自分だけの美なんていらない」と嘆く詩人の二人を、自身の分身として登場させ、狂人には焼身自殺を、詩人には世界を救う儀式の後の病死を与え、自身の死をみつめたのだ。この極限の映像美を刻まれた巨大な詩篇といえるフィルムを是非多くの人に堪能して貰いたいと思います。(ブンチャカさん / 2005-01-12)
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ソビエトというイメージからはかけ離れた
こってりとしたイタリアならではの色彩が満載の映像。 ストーリーや映像のそれぞれが何を象徴しているのか? といったことはほぼ分からないが、亡命作家を蝕む ノスタルジア・死に至る病の重さは伝わってくる。 ラストシーンでは、ごった煮のような色彩が霧の中に 埋もれていって、モノクロ作品のように変化していく。 その中で降り始める雪には心底感動してしまった。 わたしはこの作品を1989年のフランスの地方都市の 名画座で鑑賞しましたが、大学生で満席になっており 映画館は不思議な熱気に満ちていました。(マストロヤンニ / 2009-12-28)
大学生の頃、映画館で見た。圧倒された。物語を追うのではなく、まさに映像に魅せられた。言葉もなく、不可解な映像に見入ってしまった。まさにそんな感じ。
先日、DVDを発見し、きっちり見ようと体調を見極めつつ、本日見た。改めて詩的な映像のために駆使されている様々な技巧に驚く。まあ、72年という時代に「惑星ソラリス」を作った人だから、それも出来る。横に移動していくパンショットの中で、さっき映っていた人々が再び、別の場所に登場する驚き。現場は必死だったんだろうけれど、映像は静謐。 望郷、愛情、葛藤、そんな言葉にすると単純なものを映像にするとこうなるんだなぁ、と初めて思った映画。今見直してやはり、そうだったんだな、と思う。しかしそこには執念のような努力と技術があったことが今では判る。 耽美、という言葉がこの映画には似合っている。(chiro128 / 2007-07-31)
初めてタルコフスキー映画を観たのですが
長廻しが何とも心地よかったです。雨の長廻しは ある種、瞑想的な音楽を聴かされているようで 全く飽きず、1時間でも見ていたいという気持ちに させられましたし(極端?)温泉の長廻しもしかりでした。 ドミニクの演説で人が幾何学的に配置され動かないのにも センスを感じるし、三島の檄を彷彿してしまいました。 星を1つ削ったのは画質が悪いということだそうで、 私はこのDVDが初めてですので、どのように悪いのか わかりかねますが、残念に思ったからです。 抽象画とか長廻しが好きな人は是非。(hal / 2003-08-03)
20年前になりますがガンセンターでレジデントをやっていました
スタッフのドクターでタルコフスキーのファンがいました すすめられて映画館で見ました タルコフスキーの作品の中でも一番の美しさだと思います DVDでふたたび見ることができて幸せです (lookfar / 2007-01-09)
世界を救うために焼身自殺をするドメニコは,その自殺の前の遺言のような演説のなかで言う。「自分のなかのAQUA(水)を信じろ!」。「これ以上,水をケガしてはいけない」。
タルコフスキー作品におなじみの「水」であるが,本作では他の諸作品にも増して,これでもか,というくらいに「水」が登場する。まるで「水」こそが映画の真の主人公であるかのように。霧,雨,雨漏り,温泉,水たまり,泉etc。映像のみならず,音を通じて,タルコフスキーの「水」は見るものの魂深くにしみとおってくる気がする。 宇宙や生命や自然の実相を深く悟ったその刹那の驚愕を「水!」の一言で表現した古代ギリシアの哲学者タレスを思い出した。(「火」の哲学者ヘラクレイトスとともに。)タルコフスキーは,映像と音とを通じて,生命の根源を悟らせようとしているのだろうか。 作品から湧き出してくる「美」や「聖性」のかげに隠れがちだが,忘れてはいけないのは「笑い」だ。『ノスタルジア』では他の作品たち以上に,ユーモアの精神がたたえられている。「悲劇的自然が滅び去るのを見ながら,なおそれを笑う力を持つこと,これこそが神的である」。こう書き記したニーチェは哄笑にあこがれる冷笑家であったが,タルコフスキーにおいてユーモアはかれの祈りに対して,質料が形相に対するような関係にあるように思われる。ユーモアは哄笑よりも,もちろん冷笑や嘲笑よりも,ずっと神的ではないだろうか。(あべまりあ / 2006-11-27) レビュー数 22 [残りも全部見る][amazonでレビューを書く] 平均点:4.5 この商品をリストに入れている人:
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