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No.1-1
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モッタイナイで地球は緑になる / レビュー総評点:49
『モッタイナイで地球は緑になる』で画像検索
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ASIN:4907818564 / 売上順位:258535
木楽舎(2005-06)
翻訳:福岡 伸一/原著:Wangari Maathai/ワンガリ マータイ
¥ 1,500(中古:¥ 181)
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レビュー総評点:
49
継続は力なり
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著者のワンガリ・マータイ氏が2004年にノベール平和賞受賞したケニア人女性であるということは知っていましたが、 本書を読むまで彼女が一体何をし、ノーベル賞を受賞したのかを知りませんでした。 本書には彼女が行った植林活動・GBM(グリーンベルト運動)の創立時から現在までの30年間の活動が記載されています。 成功させることが難しかった植林活動を成功に導くことができたのはGBMが植林活動だけを目的にしたではなく、 まずは貧しい農民の生活向上を目的とした点、また女性の地位向上を目指した点にあります。 このことから彼女が上げた功績は植林活動だけにとどまりません。彼女がノーベル平和賞を受賞するのにふさわしい、いえ、それ以上の人物であるということが本書を読めば理解できると思います。 ただ、私は学校の課題のために選んだのですが・・・翻訳であるからなのか若干読みにくい気がします。なので☆四つ。 でも読んでよかったと思える本です!!( / 2005-07-08)
2004年にノーベル平和賞を受賞したケニア共和国環境副大臣、ワンガリ・マータイさんの『モッタイナイ』を訴える本です。 すでに世界共通語として使われている『モッタイナイ』ですがその本質を知っている日本人がどれくらいいるでしょうか。言葉の意味はわかっていても平和で物があふれかえっている日本ではなんだか忘れ去られた言葉のように思えます。 その忘れられた日本語を見つけたのが他ならぬワンガリ・マータイさんです。 日本人が忘れていた『モッタイナイ精神』をよみがえらせてくれたのです。 『グリーンベルト運動(GBM)』、貧困、政治腐敗など私たちが身近に感じられないことも多いけれどもこれを読めばあなたもきっと世界が近くに見えてくるはずです。(hik@ri / 2006-07-11)
2004年にノーベル平和賞を受賞したケニアのワンガリ・マータイさんがお書きになった本です。訳者が「生物と無生物の間」の福岡伸一ハカセです。主には、彼女が行ったグリーンベルト運動に関することについて書かれたものです。グリーンベルト運動とは、植樹運動なのですが、ケニアでは、土壌の侵食や森林伐採などで農民達は食糧さえもままならない貧困に瀕している状態でした。マータイさんは、木を植えることが、砂漠化の侵攻を食い止め、エネルギー源となる薪を得るために必要であること、苗木を育てることで収入を得られることなどを女性達に広げてゆき、大きく発展してゆきました。当然、こういった動きが大規模化するほどに政府の干渉は強くなっていったようです。グリーンベルト運動は、植樹だけにとどまらず、民主化を求める動きや女性の人権や地位向上を求める活動になってゆきました。その影響はアフリカ中に広がりを見せ、全世界に影響を与えています。一人の女性が植えた一本の苗木がすべての出発点でした。森林や自然環境を大切にする、愛する気持ちは人は必ず持っているものなのではないでしょうか。グリーンベルト運動が多くの人のその琴線に触れた活動であったのだと思います。身近なところから、グリーンベルトを広げてゆきたいと思います。もったいない、という言葉をご存知になったのかと思っていましたら、来日した時に知ったということでした。(街道を行く / 2008-09-19)
日本では、太陽光発電、低公害自動車等に注目がいきがちですが、著者は自生種の木を植え育ててきた功績がたたえられノーベル平和賞を受賞されました。 グリーンベルト運動の活動内容や、植樹運動をする時のアドバイスが経験から書かれていて、参考になります。 学校や市町村等で、自生種の植樹運動をする時には、読んでみることをお勧めします。 訳者の翻訳が良く、自然な日本語で訳されているので読みやすかったです。 (地球に感謝 / 2009-03-08)
レビュー数 4
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平均点:5.0
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No.1-2
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救命センターからの手紙―ドクター・ファイルから (集英社文庫) / レビュー総評点:35
『救命センターからの手紙―ドクター・ファイルから 』で画像検索
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ASIN:408747304X / 売上順位:235377
集英社(2001-03)
浜辺 祐一
¥ 480(中古:¥ 1)
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レビュー総評点:
35
24時間救命救急とかERといえば、ドキュメンタリーやドラマが流行り、「なんか大変そうだけどER勤務ってカッコイイ」と受け止めている人が多いことでしょう。でも、この本は実際のER勤務医である著者の経験談として、せっかく救命しても植物人間にしてしまったことへの空しさや患者の家族から怒鳴られる無念さ等の話が溢れています。救命救急だからこそ起こる悲しい厳しい現実の裏側が、苦悩の生の声が、心を打ちます。医師というより一人の苦悩多き人間=浜辺医師の魅力にどんどん引きずり込まれ、これが本当のERの現場だとわかる一冊です。( / 2004-10-07)
浜辺ドクター2作目のエッセイです。内容を認められて、めでたく日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しました。 今回も、舞台は同じ下町の都立病院の救命センター。前作ではナースが狂言廻し役をつとめていましたが、今回は、新米医師が進行役をつとめています。各話のボリュームも増え、たとえたら徳用袋スタイルだった前作に対し、今回は箱詰めの高級菓子スタイルです。面白さはアップしていますが、ネタに対するスタンスは変わっていません。相変わらず、浜辺医長は、新米医師を怒鳴ったり、ナースをからかったりして楽しそうですが、心の中はいつも晴れません。(勤務が一段落して、窓の外を眺めると、いつも雨降りです。)患者に冷酷な告知をしたり、植物人間を作りだしたり、家族の絆をこわしたり、つくづく医者って罪深い存在だなあと思い、なんで、こんな因果な商売を選んだんだろうと思いにふけりながら、でも、やっぱり今の仕事が向いているし、好きなんだなと納得しているかのようです。気を取り戻して、仕事、仕事・・・。そんな浜辺ドクターのところへ、今度はどんな患者が運ばれてくるんでしょうか?それは、本書でのお楽しみに。(内容は保証。本書に比肩しうるのは、かの傑作マンガ「おたんこナース」くらいです。) (風流亭無芸居士 / 2004-01-03)
医者の書く読み物は幾つか読んできたが、その中ではこの本はイマイチ。 医者や看護婦の本音の部分が分かるといえば分かるが、 読み物としては面白さに欠ける。 医者として医療現場やそこで働く人間を読者に伝えたい熱さは分かるが、 その後に続くだからどうするべきかとか、どうしてほしいのか という医師の思いがイマイチ見当たらない。 書いた当時はこれはこれでセンセーショナルだったろうが、 こうした医者の書いた本が多く出回る昨今では、 それ程印象には残らない本だった。(sutton / 2009-01-11)
少し前に書かれたものであるが、非常に今の医療業界の問題点を浮き彫りにしている。看護師のありかた、医者のあり方、患者・家族のあり方についての一つの答えがあるような気がする。これから医療へ進む人には是非読んでほしい本です。また患者・家族の絆についても触れられており、一つのドキュメンタリーとしても面白い本です。(niagara / 2003-03-14)
本屋で何気なく手にとった一冊の本・・・それがこの本でした。救命センターに勤務する一人の医師が、読者にあてて書く手紙形式になっています。大都会の中で、生と死の狭間で揺れ動く人間の極限の姿を、医師の立場から冷静に且つひょうひょうと訴えかけている・・という感じでサラッと読めます。人間の命の尊さ、はかなさが、そこはかとなく嫌味なく伝わってくる一冊です。(天女 / 2007-01-15)
レビュー数 8
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平均点:4.5
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No.1-3
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そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫) / レビュー総評点:376
『そして殺人者は野に放たれる 』で画像検索
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ASIN:4101300518 / 売上順位:11329
新潮社(2006-10)
日垣 隆
¥ 500(中古:¥ 1)
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レビュー総評点:
376

心神喪失規定暴走国家日本
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題名から勝手に「ある事ない事を書いて人々を必要以上に不安に陥れる本」と想像し読む気が起きなかった本である、 しかし、ある折、この本を薦められたので手にとって読んでみた。非常によく調べられ書かれている。おそらくこの本を書いた後様々な嫌がらせなどを受けたのではないだろうか。 この本で描かれている、刑法39条の超拡大解釈には、殆ど一般の人がおかしいと感じているはずである。 作者が法律に精通している(法学部卒)だけあってその筆は作者の憤りを感じるものの、冷静である。 だいたい人を殺したとき、普通の精神状態であるほうがおかしい。(平然と人を殺せるのが殺人鬼である)興奮状態にあるのが通常なのである。 精神鑑定により、不起訴にするケースは他国でもある、しかし日本の問題はその後の受け皿がない、という事である。 その点もよく調べている。 弁護士は殆どの重大事件で精神鑑定を求め、それが、精神科医や弁護士(人権団体)を経済的に潤しているというは納得いかない、 39条はまさしく「精神障害者」を人として認めていない差別的条文以外のなにものでもない。 何年も前になるが、知り合いが、通り魔的犯行で性的暴行と肉体的(及び精神的)傷害を負った。しかし、新聞に容疑者の名前は出なかったし、結局責任能力なしで不起訴になったと聞く。 彼女は命を取りとめたもののその時の治療代もでず、人生を大きく狂わされた。 その犯人は今も普通に街中を歩いているかもしれない。そういう人がいつ大切なものを奪うかもしれないと考えると不安になる。 私の大学の先生はそういった不安をもつ人たち(私を含め)を「擬似被害者」と言い、39条の必要性を説いていた。 しかし、やはり納得いかない。 39条を摘要するなら、それに伴った受け入れ施設が必要である。この本を読んでそういった考えが深まった。 (Tochitli / 2007-03-22)
読むべき本
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刑法第39条「心神喪失者の行為は罰しない。心神耗弱者の行為はその刑を減軽する。」にスポットをあてた本。 著者の主な主張は、 (1)殺人など重大な行為を犯した者であっても、精神病の疑いがあれば、検察が「起訴前鑑定」を行い起訴を見合わせてしまうことが多い(殺人者の4割が不起訴ななる)。それは、起訴した事件が無罪になれば検察官自身の出世にひびくから。 (2)鑑定は、被疑者の過去の時点の状態をさかのぼって推定するもの。絶対的な判定はできない。さらに、鑑定人によっては、常に心身喪失や心身耗弱の鑑定をする。 (3)裁判官も、極めて安直に刑法第39条を適用し、無罪にしたり減刑したりする傾向にある。 (4)刑法第39条に該当し、無罪や減刑になった者に対する医療上の対策ができていない。 (5)その結果、心身喪失を偽装している疑いの濃い者であっても無罪になり、極めて短期間病院に入院したあと、世間に戻ってくるケースがある。 10年がかりで執筆したというだけあって、さまざまな事件、文献等にしっかりとあたった上で書いたことが伝わってくる。もちろん読んで楽しい本ではなく、著者自身が書いているように、事件の記述などはむしろ読むのが苦痛な部分もある。 しかし、著者の主張をどう判断するかはともかくとして、極めて重要なテーマであり、まず読んでみて考えてみることが大事だと思った。(mfhty / 2006-12-23)
いつ自分が犯罪の被害者になってもおかしくはないが、薄ら寒い現状が控えていることに愕然とした。 加害者が心身の異常を持ち出せば、なし崩し的に責任が回避されてよいものか? またそれを暗黙のうちに認める、もしくは正しく目を向けない現代社会(法曹界・医学界・マスコミ等)の無責任さ。 本書が一石となり、少しでも状況が改善されていくことを望んでやまない。(もみくろ / 2007-11-13)
一番怖いのは、刑法39条により無実となった殺人者が 電車で私のとなりに座っているかもしれないということではなく、 精神障害者の犯罪をマスコミが報道しないことにある。 他の方のレビューにあるように、著者はやや感情的になりすぎである。 自分の身内に精神障害者がおり、殺人事件の被害者であるということがそうさせているのだろうが、 それが免罪符とはならない。 もう少し、落ち着いて事実を淡々と書いて積み上げていくほうがより説得力を持つものになったと思う。 ところで、私自身は、パニック障害をわずらい、もう15年である。 パニック発作時に起こした犯罪は、心神耗弱に当たるのか、気になって仕方がなかった。 というのも、私の場合、乗り物に乗っているときに発作に襲われることが多い。 「自分ではどうしようもできない」状況のときに多い。 例えば、高速道路での渋滞時や飛行機に乗っているときなどである。 こういうとき、「飛行機から降りなければ、死んでしまう」という気持ちになり、 降りたくて降りたくて仕方がない、 降りるためにはなんでもするという気になる。 私の15年に及ぶパニック障害歴の中で、 発作時に人を傷つけるような たとえば飛行機に乗っているときに ハイジャックしてでも、降りたいとまではならない。 矛先は自分に向かうばかりであるが、 これがいつ、ハイジャックしてでも降りなければという気になり 刃傷沙汰を起こしたとしても不思議ではない。 それに、渋滞時の発作でひどいときには、車をぶつけても前に行きたいと思うことは、正直言ってある。 一番怖いのは、自分が刑法39条のお世話になるかもしれないということである。 今、マスコミはパニック障害に好意的である。 カミングアウトしている有名人も多い。 ただ、パニック障害者が発作時に大量殺人を起こした場合に、どうなるだろう。 ひょっとして、マスコミが報じないだけで、 もう怒っているやも知れぬ。 なんとも怖い話である。(46歳の地図 / 2009-11-28)
非常に辛辣な言葉で書かれている。 あえて辛辣に書かれているのだが、反感は全く覚えない。 ということは、現在の刑法がいかに私の感覚からかけ離れたものになっているか、ということである。
刑法第39条。 心神喪失または心神耗弱の場合には無罪、または刑の軽減がなされる。 この条文があるがために、例えば意図的に覚せい剤を使用し、または意図的に酒による酩酊状態に陥って殺人を犯した場合でも、刑の軽減がなされる。 心神耗弱状態だからだ。 「自分で」覚せい剤を使用して、人を殺しても刑が「軽減」されるのだ。 故に自ら覚せい剤を使用し、連続殺人を犯しても刑の軽減がなされ、死刑にはならず、無期懲役と言う十数年で社会復帰出来るシステムとなっている。 そして、殺人者は同じ過ちを繰り返す。 また、著者は精神鑑定不要論も展開している。 いちいちごもっともである。 殺人を犯して取り押さえられた犯人の医療費が我々の税金でまかなわれ、被害者の医療費は全て自己負担という摩訶不思議なシステムが、この近代国家、法治国家日本に存在している(john / 2007-11-21)
レビュー数 25
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平均点:4.0
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No.1-4
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9・11ジェネレーション―米国留学中の女子高生が学んだ「戦争」 (集英社新書) / レビュー総評点:70
『9・11ジェネレーション―米国留学中の女子高生が学んだ「戦争」 』で画像検索
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ASIN:408720233X / 売上順位:137809
集英社(2004-03)
岡崎 玲子
¥ 693(中古:¥ 1)
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レビュー総評点:
70
アメリカのプレップスクールへ留学していた高校生からみた9.11後のアメリカ。実際に現地にいたこと、そして政治的でない高校という立場にいた仲間がいたこと、高校としてかなり優れた教育を行われていた場所であったことなど恵まれた環境から生まれた素直な本だと思う。 アメリカ政府に対する対応、そして反応の変化など実体験にもとづいた言葉は、アメリカも決して団結していたわけではなく、その中に当然葛藤や反発があったことを意識させる。高校生の体験が元にはなっているが政治的打算のない一人の人の言葉として読む価値があると思う。 だが欲を言うならば、彼女の中の目指すべき世界をもう少し語ってもらいたかった。現行の情勢に対する懐疑的視線は納得できる点が多くあったが、よい本だと感じたからこそその先を期待したい。(おぎはら / 2004-05-28)
新聞報道やテレビ報道を見ながら同時代(今、現在)を意識することになりがちな情報化社会に生きるわたしたちにとって、つぎつぎとメディアが報じていく<事実>から逃れることはなかなか難しく、同時にそうであってはならないと思いつつ「高みの見物(観客)」となって、退屈な日常の中で<事実(たち)>の多くは、ただただ無意識に忘却されていってしまう。 しかし、「911」のようにテレビの同時生中継で「身体がえぐられていくような感覚」とともに「忘却できなくなった<事実>」がいくつか存在し、悩まされている。おそらく、忘却できないのは、その<事実>が「わたしにとって何なのか?」という問いに及んでいるからのように思える。『解』を求めて、「キャスター」「記者」「ジャーナリスト」「専門家」「政治家」「市民運動家」「宗教者」などなど、多くの言葉を貪り求めた。しかし、わたしに届く<言葉>は現れなかった。 旅先で偶然求めたこの著書に釘付けになった。政府高官が名づけた、この著作のタイトルに掲げられた世代の命名に、レマルクやフィッツジェラルドを持ち出して、静かな抵抗とその不条理に異議申し立てをしていることにも肯首した。ようやく出会った<言葉>がそこにはあった。 著者とは30歳以上も離れた世代だが、この類稀な才能が紡いだ同時代の記録と問題提起に唸ってしまった。同時に、この表現をおそらく育んだであろう、アメリカという場のダイナミズムにも。(pongpongland / 2004-03-22)
著者の前著をタイトルだけ知っていた。英語堪能なお嬢さんの米国異文化体験記なのだろう、と勝手に思っていたが、本書を読んでその先入観を大きく覆された。 911に始まる今の国際情勢について、マスコミや政府が出す情報に矛盾やいかがわしさを感じて多くの類書を読んできた。この本は、巷にあふれる911本の中でも最高レベルのものである。なんと言っても、911事件のそのとき、米国市民はどういう感覚に襲われたか、彼岸にいてはわからないことを教えてくれた。米国政府の狂気のような行動に市民が異議を唱えない理由がなんとなくわかる気がした。本書の魅力はまた、本書の舞台であるチョート校で鍛えられた筆者の論考の確かさである。論拠をしっかり示して、誰にでもわかるように説く。データ主導でやる、というこのあたりまえの方法を巷の識者・評論家・マスコミ・はては総理大臣ですらまともにできていない。世の先生方・マスコミ・総理大臣には猛省をお願いしたい。 驚いたことは、これほどのチョート校ですら、テロ報復戦争を推進する意見が多いことである。深く検討しないといけないのであろうが、今の私の理解は、どちらか一方だけが悪いのではなく、どちらにも言い分があり、絶対悪はない、である。私自身、ネオコンの方々を「悪魔だ」と決め付けて考えてしまいがちであるが、それではイスラム世界を絶対悪と決め付ける彼らの主張と変わらない。ここは一歩引いて、多様な観点から冷静に考えなければならない。非常に大切なことを本書から学んだ。 才能に恵まれた著者にはぜひ日本を背負う人物になってもらいたい。くれぐれも無事でいられることを望む。チョート校にいる感覚で米国の街中で論争してしまうと生命を危険にさらしかねません。ご自愛を。(やなぎのきー / 2004-05-16)
著者はアメリカにて、私は日本にて、ともに同じ瞬間を共有していたとは思えない…。あの忘れてはならない9・11、あの時私はCNNをたまたま観ていた。そして彼女は学校で…。そして何を考えたか…私はここまで考えられなかった、彼女が想いをめぐらせたようには。本当に同い年なのであろうか?またしても彼女にやられたり…。現代の若者よ、彼女の本を読みなさい。そして何かしら感銘を受けるはずです。(rika0605 / 2004-03-26)
私は911を同世代がどう感じたか知りたかった。 書店ですぐさま手に取ったのは著者の年齢が最も重要だったからで、事件前、事件中、事件後を米国内で体験していることからも興味を持った。 彼女の事件に対する観察態度や事実に対する冷静さはアメリカの教育も深く原因していると感じるが、中でも事件当時の記述は生々しい。アメリカの状況が事件以後急変していくと、アメリカの生徒も政府の強硬論を後押ししていき、彼女の疎外感は私が日本にいて感じたものに近くなっていく。彼女は日本とアメリカを両方生きているのだと感じさせられた。日本にもアメリカにも開かれた態度が貫かれている。読み勧めていくうちに読者はそのことに納得していくだろう。 その意味でも、日本語で書かれ、日本人が読むことができる本書は見逃せない。(soushiroushi / 2004-09-08)
レビュー数 11
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平均点:4.5
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No.1-5
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憲法九条を世界遺産に (集英社新書) / レビュー総評点:-80
『憲法九条を世界遺産に 』で画像検索
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ASIN:4087203530 / 売上順位:36003
集英社(2006-08-12)
著:中沢 新一/太田 光
¥ 693(中古:¥ 1)
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レビュー総評点:
-80
薄い本だが非常に語り方、物の言い方、使われる表現、コメディアンならではの太田氏の独自の視点が面白いと感じた。あくまでお笑い芸人として政治にアプローチしたいと彼は言うが、同じことを芸術と政治の対比でも説明している。するとお笑い芸人とは一種の芸術家なのだなぁと気づかされる。そうすると所々芸術的なまでにキラリと光る表現や発想が散見されるのも納得できる。 取り上げられる話題も他の9条関係の本ではまず見られないようなものが多く(まず宮沢賢治の話から始まるという時点で珍しい)他に類のない個性的な本に仕上がっている。だから単なる「話としては」非常に「面白い」。よくも悪くも雑談的というか、太田氏個人の話が多く私的な匂いのある本だった。太田氏個人の話というのは例えば自分がお笑い芸人として政治にどう対していきたいか、という話や、武士を笑いものにして徹底的に茶化す、自分はそんな役をこの時代のこの日本で担いたい、といった自分個人の意志表明、自分の独自の美意識の話、これが中心になっていると感じた。それは何度も言うように聞いていて非常に面白いが、それで改憲の是非を決定できるかというとそういう緻密さや論理性は十分には備えてなく見えた。思えば論理的にどこまでもお硬く真っ向から憲法を論じるのは学者などには適任でもコメディアンに最適な仕事とは言いがたい。方針としてはこれでよかったのかもしれない。太田氏自身そう考えている節があり難しい言葉ばかりで憲法を論じるインテリを批判している箇所もある。 この意味でもとことん本書は物事の是非や善悪、白黒から遠く離れたところにある。意図的にずれて、ずれたところからものを言っている。私は所々本書を褒めたが物事の是非、善悪という観点だけで見れば本書は穴だらけだと思う。そもそも不合理な物言い、あまりに美学的な話が多すぎる。例えば憲法九条は偶然に奇跡のように突然変異で出来上がった珍品であると言う。だから大事にしよう、だから世界遺産として守っていこう。何故なら珍しいから。太田氏の9条を世界遺産に、という論の核はこんなものであると思う。あるいは73頁で言われるように「僕らお笑いの人間は面白いかつまらないかを判断基準にしてます」「お笑いの基準で言えば9条を持っている日本の方が絶対面白いと思う」こういう9条擁護もされる。こういう物言いは「面白い」と思う。だがそれで改憲を断固拒否され、まともな自衛も出来ないとするのはしかもそういう面白さと理想論に、コロされたくない多くの人達を無条件に巻き込むというのは、到底納得のいくものではないとも思う。9条の存在が現実的な自衛に関して非常な問題を起こす事は彼らも認めている。認めているなら、尚更「面白い」だの「美しい」だの「珍しい」だのという理由でそういう危険、生命の危険にまで全国民を強制的に曝すという事、そんな主張を自分達がしているという事にはもっと自覚的になる必要がある。その意味では太田氏の話は面白くはあっても、政治的道徳的観点からはやはり説得力や正当性に難がある。 加えて別の反論も出来る。私は一貫して太田氏の話は話としては非常に面白いと褒めてきたが褒めない事も出来る。9条があった方が面白いと確信できると太田氏は断言し、私もいくらか頷くところもあるが、これに「全く面白くないよ」と言う事は容易い。彼らは別の箇所では9条のように素敵な遺産、理想を守るためにはコロされる覚悟もしなければならないなどと言ってしまっているが、9条を守るためにそんな目に遭うのが全く面白くないと言う人は少なくないだろう。そういう観点から言えば、9条を持つ日本は面白くすらないとも言える。 ただやっぱり読んでいると太田氏らは物事の是非をあまり真面目に問題にしていない。彼らが本書でやっている事は護憲が絶対的に正しいのだという事を説得的に論証するようなものではなく真面目さや絶対主義、意見の多数性をなくした一色の流れに対する冷や水と受け取るのが一番正しそうかもしれない。その是非はともかくとして(その是非は冷や水を浴びせる対象によると思う)それをしようとする動機やそれをする意味くらいはそれなりに分かる。(Moral Minority / 2009-10-13)
コンキチ&ナターシャの絵本ナビ
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中沢新一という胡散臭い左翼思想家の言う、インド人はけんかはしない 決して殴り合いはしないという嘘、私がインド旅行した時なんて、うんざり するほどけんかを見たし、だいたいインドで殺人事件がないなんて話聞いた こともない、そして一番頭にくるのが宮沢賢治が天皇を中心とした国体主義に 傾倒していったことが作品の平和主義的な感性と相容れないという発想・・・ 私は賢治の作品は全作読んでいますが初期の作品の中には平和主義的な 未熟な部分もありましたが彼を語るときむしろ正義や「グスコーブドリの伝記」 にあるような自らの犠牲によって民衆を助けるという、彼が持っていた思想と 重なる作品の方がはるかに多いのです。宮沢賢治を平和憲法の手先のように 扱うことが許せないと感じました、この本は単に憲法を題材にした左翼漫才に すぎないくだらない作品だと感じました、大田光という稀有な才能もなぜか 平和という言葉には目が曇るのだということを実感した本でした。 (コンキチ&ナターシャの絵本ナビ / 2007-01-25)
世界遺産‥つまり、現代では役に立たない、ってこと?
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中沢新一ってこんなイイカゲンな人だとは思わなかった、というのが偽らざるところ。 「仏教の修道僧」っていう言い方があるかどうか知らないが、それと「修道院」と一緒にしていて、 修道院の修道僧は労働もしないで思索にふけっている。‥なんて平気で言っている。 チベットの修道僧はどうだか知らないが、修道院はカトリックだし、修道僧は自給自足で、労働に 従事している、はずだ。昔の「汚れなき悪戯」でもそうだった。ワタシ、間違ってます? 中沢さんは「宗教学に志した」そうだが‥、ホントかね。 また、「武士」と「山伏し」「野伏し」とを一緒くたにブシとして、今様を謡ったりする芸人の仲間‥と 言っているのも随分乱暴な話だ。 その頃は後代よりもっと「武士」と単に刀で武装した「野伏せり」とは峻別されていたはず。 「いいものというのは、たいがい合作でできたものだ‥」というのも学者にあるまじき、乱暴さだ。 太田光は芸人だし、面白いことをいうのは使命だからいいけど、学者がそれにのってイイカゲンな放談を していてはいけないのじゃないかな。 それより逆に、太田の方がよっぽど鋭いことを言っているのに気がつく。 中沢さんは「九条を守り戦争に巻き込まれた時、犠牲が発生するかもしれないが、僕は犠牲を受け入れたい。 覚悟をもって価値というものを守りたい」と仰っているが、勢いで言っているだけでしょうね、きっと。 つまり、まとめれば突込みどころが満載のイイカゲンな言いっ放しの本だとしか、言いようがない。 売れる理由がわからない。 (やじうま / 2006-10-30)
憲法とは、政府に託した権力を乱用させないための規範のはずだ。拡大され続ける憲法解釈を見ていると、日本の政治家には憲法遵守の意志が欠けているとしか思えない。改憲をして、より都合の良い憲法をこのような政治家たちに与えるのは非常に不安だ。 その一方で、憲法が晒されている現実に、護憲派が具体的な対応を取れていないのを見ると、世の中が改憲の方向に向かうのも当然のように思われる。 そこでこの本である。護憲派からの、護憲のための具体的な提案がなされているのかと思い手に取ったが、憲法制定以来、語り継がれてきた、現行憲法の素晴らし理念を述べるに留まり、日々変わり行く現実に対する提案はなかった。 今、護憲派の人々が求めているのは、現行憲法を使用し続けることの方が改憲するより良い、ことをバックアップできる理論であり具体的な提案であると思う。 9条を堅持することの方が改憲するより安全保障上有利なのか?両氏が語る覚悟だけでは、護憲派ですらついていけない。 しかしながら、愛国心などを国民に強要するようなトンチンカンな政治家たちがのさばる時代に、突飛なタイトルで注目を集め、憲法改正の議論を深めるきっかけを作った点は評価したい。 いや、やっぱり護憲には「覚悟」が最も必要なのだろう。 (BOB / 2006-11-22)
憲法改正が現実味を帯びてきたにもかかわらず、共産党や社民党の旧態依然の護憲論はべつにして、左翼・革新の言論人から説得力のある護憲論があまり聞かれない。そんなタイミングで出てきた「憲法九条を世界遺産に」という対論に興味を持った。宗教学の領域を超えた戦後派知識人の旗手・中沢新一と時代に対する鋭い感性からさまざまな発言をしている太田光の護憲論とは?。残念ながら期待はずれだった。憲法九条は理念的にも、平和思想としても素晴らしいと思う。世界を見渡してもこれだけ徹底した憲法はないだろう。私も10年くらいまでは護憲論だった。しかし、憲法解釈を時代に応じて融通無碍に変えていくことに疑問を感じるし、現実に海外派兵まで行なっている現状に、それでいいのかと危機感を抱いている。したがって、いまでは九条については際限のない「解釈改憲」に歯止めを掛けるためにも改正すべきと考えるようになった。その一方で、ほんとうにそれでいいのかと自問することもあり、その意味でも説得力のある護憲論を聞きたいと願っていた。両氏の意見はあまりにも理念的、観念的で現実と乖離していると感じられた。どんなに理念が素晴らしくとも、この国の安全保障、世界に対する国際貢献をどう考えるのか、この2つの問題を触れることなく護憲・改憲を論じても説得力を持ち得ない。「日本の憲法は矛盾を抱えており、迷いがあって当然」「国家の本性にあうように論理的整合性をつけてしまうと、別な形の暴力が発生すると確信する」他国から攻められた時、多少の犠牲を我慢してもこの憲法は守るべき価値をもつ」と言われても納得しかねる。護憲論がより説得力を持つには、安全保障と国際貢献への独自の戦略と施策をもつ必要があると思われる。(ゲバジジ / 2006-10-26)
レビュー数 87
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平均点:2.5
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