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生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
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ASIN:4061498916
講談社(2007-05-18)
福岡 伸一
売上順位:316
¥ 777(中古:¥ 72)

レビュー総評点:-234総評点-200以下の炎上商品
「生物と無生物のあいだ」についての深い考察は無い |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
著者は分子生物学者です。分子生物学の視点から述べているということを念頭に置いておく必要があります。

一言で言うなら、著者は、「生命とは動的平衡である」と定義しています。
それを、「生命とは自己複製を行うシステムである」という著者とは別のひとつの定義に対抗するものとして、提示しています。
よって、「ウィルスは自己複製を行うが、生物ではない」と本書の最初の方で言っています。

ここで言う「動的平衡」とは、生物も当然分子レベルでのパーツの構成物ですが、その分子レベルでみれば、絶えず分子は入れ替わっている(食べたものが吸収されて生物の構成物となり、排泄等により生物の対外へ出て行く)という意味で「動的」であり、同時に「動的」でありながら、常にある個体としての生物を形作り、その中でその個体を生かすために協働している秩序のある状態という意味で「平衡(均衡)」ということです。
(著者は分子生物学の方ですから、分子的に動的平衡という事ですね)

簡単に言えば、帯に書いてある「生命とはなにか?」という問いに合う部分はこれだけです。
また、この主張自体は大昔にされているものです。

本書の他の部分は、
3分の1くらいは著者の叙情的な追想といったものです。
残りの3分の2は、著者の研究に関連してくる部分での分子生物学の歴史、といったものです。
DNAの話など、高校の生物レベルの内容+裏話で本書のかなりの部分が割かれてしまっています。本書を手に取る多くの人が既知の内容だと思うので、寧ろなかなか本題(生命とは何か?)に入らない感じでイライラすることでしょう。
周囲の風景描写や著者の知人などについての記述も、本書を手に取る人の目的に合わず、読み飛ばしたくなると思います。

著者自身に興味があるか、または、分子生物学にまつわるエピソードを読みたい方には良いと思います。
しかし、生物・無生物についての理系的な深い分析を期待される方には物足りないでしょう。 (名前はまだ無い。/2007-07-31)
科学者という生き方 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
 この本の賛否が分かれているのはわかる気がする。
 帯に大書きされている「極上の科学ミステリー」という内容を期待すると、「そうかな」と思う読者が多いに違いない。私はこの本の科学的精度を論じる知識を持たないが、批判的な方々のレビューを読むと、なるほど、科学者にしては不用意な記述もあるのかなと思う。
 しかし、結論から言えば、私はこの本を好ましく読んだ。
 以前に読んだ立花隆・利根川進著『精神と物質 分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか』に印象が似ている。この本も「科学ミステリー」というより、「科学者という生き方」に興味をそそられたが、『生物と無生物の間』もそうだ。
 分子生物学者の目に映る都市と自然、日常生活のすぐ隣にあるDNAの世界。また、野口英世やオズワルド・エイブリーといった「偉大なる先駆者」たちの功績と人柄も、この本からうかがい知ることができる。
 科学者が書いたエッセイとして、読んで損はない本ではないだろうか。 (heartland/2007-09-07)
前半はDNA発見(遺伝子として認識)についての話。
後半は生命を動的平衡状態としてとらえる著者の論の展開に。
とはいえ、少しでも細胞生物学や分子生物学を知った人が読むには物足りない。
初歩的な話ばかりだ。
誰にでも理解が出来るような表現で書かれており、説明に繰り返しが多い。
学者業界裏話と、著者の思い出話、情景描写などを無駄に感じた。
生物学の面白さを一般化するための良書だと思うが、
残念ながらタイトルや宣伝文句から期待するような生命論となっていないのは確か。

したがって文系頭の方や高校・大学ぐらいの年齢の方が読めば面白く感じるはず。 (グウェンフイバル/2008-01-20)
著者の科学的教養に疑問 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
既に書いてあるレビューとだぶるのですが・・・。読み物としては結構という点で多くの感想に同意します。他方、肝心な科学的記載に疑問があります。花粉でブラウン運動が見れる、というのは誤りです。おそらくは花粉に付着あるいは中から染み出た微細な油の粒子がゆらゆらしているのがブラウン運動です。花粉そのものの様に大きな粒子はブラウン運動しません。物理の基本です。このような初歩的な誤りに気づかない著者が「生物と無生物のあいだ」を説明できるのでしょうか? (なにわ/2007-08-19)
蛇足を承知で、、、 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
多くのレビューによって絶賛されている作品ですので、
蛇足を承知で書かせていただきます。

私は宇宙物理の研究者ですが、
以前からこの分野には興味を持っていました、
入門書・専門書をいろいろ読んだのですが、
細胞からDNAに掛けての物理的位置関係と相対的機能(要は基本です)
が良くわかりませんでした。
妻は分子生物学の研究者なので、いろいろと教えてもらえるのですが、
それでもよくわかりません。

ところが、この本は入門書として完璧です。
よくわからなかった事を、すべて見事に説明してくれています。
その上、分子生物学を考える上では避けて通れない倫理的問題にも
触れてくれています。

そして、強調したいのは、作者の水際立った文章力です。
本来は難しいことを、実に優しい(易しい)日本語で、
実にわかりやすく、そして非常にテンポ良く書かれているので、
読み始めたら止まりません。私も実質、出張の移動中に読みきりました。
「動的平衡」をキーワードに福岡流分子生物学の世界を満喫してください。
後世に残る名著でしょう。

(Dr. Gonzo/2008-04-27)
啓蒙書ではなく自伝 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
新書のベストセラーは珍しく有りませんが、
科学ネタでのベストセラーは珍しい、と思っていたら案の定です。

(生物学の)啓蒙書かと思いがちですが、
本書には「私(=著者)は〜にいた時、〜をした」といった記述が多々。
芸能人やスポーツ選手でもない方が、新書で自伝を出版する人は珍しいでしょう。

殆どが著者を含めた研究者のゴシップ(良く言えば「人間ドラマ」)で、
たまに見かける生物学記述は、
特に「生物と無生物のあいだ」に関するものではなく、
分子生物学一般に関するものです。

「生物学」ではなく、「生物学の研究者とは」を知るにはお薦めの一殺かもしれません。 (natalie_imbruglia/2007-08-22)
大量の土砂(新書)に、ごく僅しか含まれないダイヤの原石 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ランキングで売れていたのであまり期待せずよんでみました。
どなたかも書かれていましたが、非常に美しくかつわかりやすい名文です。
科学者の心と、詩人の心がバランスした心に届く文章は、あのカーソンの
『センスオブワンダー』を彷彿とさせます。

科学的知見の概説というと、ともすれば硬質になるか、舌足らずの中途半端
なものになりがち。

「かすかな口づけ」「研究の質感」「街の通奏低音」「一回性の折り紙」・・・
これらの言葉に表れる感受性が、本書に概説を超えた魅力を与えています。
生命という現象への驚きと畏怖の念、それを文章で喚起する難しい仕事を
本書は見事に達成しています。
個人的には「あとがき」が特におすすめです。 (白頭/2007-06-30)
「思い」がなくてはかけないもの。 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウィルスやプリオンについて書かれていると思い何気なく読んだのだが、予想をはるかに超える「おもしろい本」だった。それは知的好奇心を満たした面白さでもあったのだが、この作者特有の情感漂う書き口にあった。一種のリリシズムといってもいいと思う。
一流の自然科学者は、その発想の豊かさからか、すばらしい文学の担い手ともなりうる。湯川秀樹しかりアインシュタインもそうだった。
本来、文を綴るということは、どの世界であれ「書かずにはいられない思い」を持った者にのみ許される行為なのだろう。作者の「思い」は、ここに蕩々とあふれ出している。
『あとがき』はこの書の白眉だ。美しい世界を読ませてもらった。 (nekkochi99/2007-07-10)
結局、何も書いていないのと同じ ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
 この本のタイトルについて何らかの示唆が得られると思ったら大間違いである。プロローグにおいて著者は、大学に入り立ての頃の生物学の講義で、生命とは何か皆さんは定義できますか?という教師の問いかけに期待したが、結局は生命がもついくつかの特徴を列挙するうちに講義日程が終わってしまったと述べているが、著者はこの本においてその教師とほとんど同じことを繰り返している。著者はただ単に、生命がもつ特徴を列挙することに加え、それらをいかにして科学者たち(および自分自身)が記述してきたかも述べているに過ぎない。
 しかも、出だしからマンハッタンがどうのこうのと余計な記述で始まり、ずっとそのまま終わりまで余計な記述にページを割いているものだから、この小さな文庫本で述べられている内容は非常に中途半端なものである。中途半端な記述の例はたくさん挙げることができるが、ここでは一つだけ、これで本書の内容がいかに中途半端か分かるだろうものを挙げよう。著者はウイルスについての記述にたったの7ページを使い、ウイルス発見の経緯と一般的な性質を述べ、たったのそれだけで「私は、ウイルスを生物であるとは定義しない」と断じてしまっている。この本のタイトルは『生物と無生物のあいだ』であり、それを探るために非常に重要な位置づけとなるはずのウイルスをなぜそこまでぞんざいに扱えるのか、私には理解できない。余計なことは省いてタイトルに沿った肝心なことをきちんと述べるか、もしくはタイトルを内容に沿ったものに変更するか、どちらかにしていただきたかった。
 この本で主張されている内容を端的に知りたければ、プロローグを読めばそれで良い。本文を読めば、科学的な研究の裏側について何らかの事を知ることができるかもしれないが、それだけである。生物がもつ特徴についてもDNA研究史についてもこれまでさんざん言われ続けてきたことが述べられているだけで、何ら目新しいことはない。プロローグの全文をここに掲載してしまって、これ以上の内容は何もないですよと言ってしまいたい衝動に駆られるが、それはできないので、ここでプロローグ中の一文を紹介しよう。「分子生物学的な生命観に立つと、生命体とはミクロなパーツからなる精巧なプラモデル、すなわち分子機械に過ぎないと言える」さて、この文が唯物論的だと反感を覚えるのではなく、きちんと論理的にこの文の誤りを指摘できる人は、この本から得られるものは本当に全く何もないと考えて良いだろう。そうでない人は、生物というものを考えるための入門書として読んでみるのもよいかもしれない。害になるほどの誤った解釈や記述は少ない(多くはないという意味)。一応、著者の名誉のために添えておくと、先の文は一つの仮定として記されているものであり、そのすぐ後に著者自身によって否定されている。 (たこのすけ/2007-08-07)
なかなか面白いが不十分な一冊 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
分子生物学の専門家が書いた本として、面白く興味深い内容。ウィルスやDNAなどについてわかりやすく説明している点が評価できる。
しかし、「生物と無生物のあいだ」を知りたい読者にとっては、不満の残る本である。 (sora101/2007-09-30)
皆さん高い評価をされているので… ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高い評価が並んでいるので、マイナスポイントを。文体ばかり張り切って、凝って、何やらドラマチックに書かれていますが、内容があまり有りません。研究の話は、現代の生物学の進展からすれば遠い昔話であり、おもしろいエピソードのほかに得るものは少ないとの印象です。連載読み物としては面白いものだったのでしょうが、新書としてこれほど高く評価される作品とは思えません。内容で勝負すべきでした。「生物と無生物のあいだ」については特に本質的な事は何も述べられていません。全体の構成も終わり方も決してよくありません。一般的な新書に見られる生真面目な書き方に対する挑戦としては、価値があるかもしれません。このような作品を大々的に宣伝して数を売らんとする出版社の姿勢にも疑問を感じます。もっと他にすばらしい新書は沢山あります。 (すあま/2007-07-20)
話が中途半端 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
 螺旋形をしているDNAの構造発見過程の人間関係等の紆余曲折辺りまでは、面白かったが、章を追うごとにそれぞれの論点が生物・無生物とどういう係わりを持ってくるのか、生物と無生物の差はどこにあるのか、だんだんずれてきている。
 プロットの進め方はサイモン・シンの手法によく似ている、というより彼をパクっている。しかし、完全にパクりきれていないから、話がすべて中途半端なままに終わってしまっている。
一応最後まで読んだが、読後感が悪く、いっこうに内容が残っていないのだ。「科学者にしては文章が旨い」「余りにも面白くて、ページを繰る手がもどかしい」云々の賛辞が腰巻を飾るが、茂木、ばなな、最相、みんな最後まで読んでいるんだろうか。 (ヒデボン/2007-11-22)
カルル ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
本のオリジナリティも低いが内容の科学的記述もひどいものだ。ブラウン運動について花粉を持ち出すとは高等学校の物理のレベル以下だ。花粉のような大きな粒子はが水分子の運動で動かされるわけがない。動的平衡も古びた説であって現代生物学をわずかなりとも知る人間にはあたりまえのことである。この程度の知識の持ち主が大学で自然科学を講じているのもお笑い種だが、その本が「科学書」として高い評価を受けているとは、日本の理科教育、自然科学教養の低下もここまで来たか、と嘆息を禁じえない。「科学立国日本」の没落を象徴する現象だ。 (かるる/2007-08-19)
評価が分かれているのは何故? |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ぱっくり評価が割れてます。僕にはつまらなかった。「二重らせん」「ロザリンド・フランクリン」「遠い落日」などを読んでいたからかも知れません。でも既に文庫本になっているこれらの本を読んでいたらつまらなくなる本に何の価値があるのでしょうか。気のせいでしょうか「賞賛」のコメントの文章に似たものが多いように思います。何か嫌な気持ちです。 (ほたる/2007-08-16)
21世紀の寺田寅彦? |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
結論から言えば、読むに耐えません。
著者は、21世紀の寺田寅彦を目指されているのでしょうか。
理系と文系をつなぐべく、「科学読み物」として、特に「読み物」の部分を強調して書かれています。
しかし私には、「もう牛を食べても安心か」(文春新書)で紹介された「動的平衡」を、
本書では文学的表現を織り交ぜ、水増しして(字数を稼いで)、
構成してようにしか読めませんでした。なかなか本論に到達しないので、イライラします。
「動的平衡」ならば、「もう牛を食べても安心か」(文春新書)の
「記憶は信号の流路パターンである」(p140〜144)を参考にした方が早いでしょう。 (ひろぴー/2007-08-15)
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w:10 h:17 288page
できそこないの男たち (光文社新書)
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ASIN:4334034748
光文社(2008-10-17)
福岡伸一
売上順位:1159
¥ 861(中古:¥ 498)

レビュー総評点:-9
分子生物学者などの生命研究者が物理学者の方法論を鵜呑みにし、DNA、遺伝子、染色体 レベルの議論盛んだが、古き方法論からの憶測による話を面白くお書きになるのは勝手です。しかし、多種の方法論を考えながら、宇宙自体がある種の生命体であると考える物理学者は、正に古き還元主義的方法論を無意識に根底に持つ、生物学者の生命観は誤りであると思うものが多い。宇宙は多様な宇宙の姿をたった4〜5%だけしか我々に見せてはくれないが、それだけでも十分に謎だらけだ。宇宙に匹敵するほど複雑である生命は宇宙の一部だが、DNA 、遺伝子、染色体レベル、の物質世界からの諸知見と、受精卵から胎児に卵の分割が進行し、胎児の初期は哺乳類の全てメスであることを(これは、遥か昔から知られていることで)を短絡的に結びつけ、下らない間違った考察をするのは勝手ですが、本に著すとなると話は違う。メスをオスに変える原因物質を発見したとしても、メスが本来でオスはメスになりそびれた存在であるならば、何故、正常な人類において、男児が女児より多く生まれるのか?著者の立場から論ずること出来ますか?貴方の説が正しいのなら有性生殖をする生物はすでに地球上から消滅している。Y染色体は必要だから存在する。そこに悲劇を見るのは人による。そのことは専門家でなくとも知っています!それで「できそこないの男たち」の内容のような思い込みをアンプリファイして面白がっているが、人間を生物学的観点から見れば、生理学的には女性が男性よりも強靭に出来ていることも皆さん知っている。男性ホルモンが男性の寿命を短縮している・・・だから女性のほうが長寿である。女性のほうが平均寿命男性より長いことは統計学的に事実だが。遺伝子、染色体Yの事も知っている。著者は何が言いたいの?“できそこないの男たち”が存在しなかったら貴方も存在しなかった。Y染色体の本当の存在の意味は誰も知らない、この本で述べられし事は単なる貴方の現象論でしょ。Y染色体が存在したから文明が発生したんじゃないんでしょうか。Y染色体は不安定を創り出せるんじゃないの?それが男性の存在だと思いますが。そして、人類は生物の掟として滅びていくのがDESTINY だと思います。脳の新皮質、前頭葉を持った悲劇を知らずに・・・ウマシカは前頭葉の働きを良くするという無駄本に夢中だ。人間は動物の仲間で脳の視床下部の情動を満足させることなく前頭葉ばかり酷使するほうが人類を早く駄目にする。実際、とくに日本の男の生理学的機能は低下が進んでいる。その原因は地球規模での考察が必要でしょう。脳だけでは済まない問題です。その問題のほうが貴方の本の情報より重要なのです。無駄本書いて遊ぶ暇があるのなら、初心に戻って畑で植物の生殖のご研究に戻られたら如何でしょう。人間を論ずるなら、生物学、分子生物学(これ全て現象論でしょ)だけでは不可能です。生物の本質は非線形性と・・・です。古き微分・積分型思考法では理解不可です!著者は勉強不足であることを本出すことにより自己証明しただけで、この本の情報の価値はlittle。 a も付かない。考察する場の領域が狭すぎる。
(Dr.Shigeharu Mutoh/2009-04-23)
女が基本形で男は女から作られる、とか、男は女よりも弱い、とか、正直かなり前から言われていることなので、そういう意味での新鮮さはない。
女からも「できそこないの男と言われてもねえ、だからっていまさら何なのよ」と言われるのがおちだろう。
でも、そもそもどういうふうにして女から男が作られるのか、というDNAレベルでの科学的なロジックを素人でも追うことが出来るようにわかりやすく記述されているので、そういう意味での知的好奇心は満たされる。
最後のエピローグで「科学はHOWは語れてもWHYは語れない」という禁を破って「射精感」と「加速覚」との関連性の指摘をするところなど、これはまあ、ちょっと詩的に冒険しすぎか、という気がしないでもないが、ご愛嬌ということで。。。 (冬の暖かな鎌倉の海岸で/2009-01-05)
小説としては素晴らしいが。 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
前半は本人の研究者としてのエピソードも交えながら、SRYの特定に至るノンフィクション科学小説といったノリだ。流れるように進むエピソードは魅力的で、小説かに転身した方がいいと思わせるほど素晴らしい。

後半の3割程度は性の生物学的な議論に移る。素晴らしい前半とうってかわってここのデキは良くない。科学的な論述のはずかポエム的な表現とまじって不正確な印象を与える。出典不明なため確認できないが間違った記述もある。たとえばmtDNAの共通祖先とY染色体の共通祖先は倍近く時代が異なるはずで、同時代ではありえない。

オスとメスの存在は配偶子の非対称的な軍拡競争の結果と考えられており、同時に誕生したはずで、メスがオスを作ったという表現は不正確だろう。「オスは少数でも役割を果たせる」といいつつ、なぜ実際には少数ではないかを説明していないが、これはフィッシャーの原理と言って進化生物学では極めて重要な(しかもかなりシンプルな)理論だ。説明を飛ばすべきではなかったと思う。男性が短命な至近因をテストステロン暴露で説明するのはごく普通だが、ではそもそもなぜ男性だけがそういう目に会うのかという進化因には触れていない。

フィッシャーの原理やテストステロン暴露の進化的な意義を説明するとなると(福岡氏が好んでいない)自然選択にどうしても触れざるを得ないからではないだろうか。しかし進化因に触れていないために「たまたまY染色体を持ったから男性が短命なのだ」というような説明になっていない説明でお茶を濁すはめになっている。実際の進化理論はそんなに単純ではない。性の進化の研究に生涯を捧げてきた先人たちの努力を無視しているのはいただけない。

福岡氏は通俗的な説明(ドーキンスの比喩表現や話題の脱線、竹内久美子など)を誤解を招くといって度々批判してきた。後半で彼が行っている性の説明はそれ以上に通俗的かつ不正確で、いくら新書とはいえ残念なレベルだ。 (いとみみず/2008-10-20)
前著『生物と無生物のあいだ』には、脳天をぶち抜かれるような衝撃を
受けました。重要な遺伝子をノックアウトしたマウスに何も起こらなかった
生命の動的平衡の不思議。そしてエピローグで語られる、人知れず孵化
していたチョウと、傷つけたトカゲの卵の、切ないようなエピソード。
1年以上前に読んだ本なのに、まざまざと思い出すことができます。
このような本にはめったにめぐり合うことが出来ません。

今回の『男たち』の話も実に興味深いです。
特に、アリマキを通して語られる「メスは太くて強い縦糸であり、
オスは、そのメスの系譜を時々橋渡しする、細い横糸の役割を
果たしているに過ぎない」事実..
アリマキが暖かい間は単為生殖で、冬が近づくと初めてオスを
つくるのは、何とも不思議で、生命のデフォルトがメスである
ことがよくわかりました。

福岡伸一..研究者として高い能力と、それをわかりやすく詩的に
語る能力を併せ持つ、稀有な生物学者です。生物学者には
文章力の高い人が総じて多いですが、福岡の文章力は
抜きん出ています。無駄がなく、それでいて読んでいると
想像力がふくらむ文章。お手本としたいような文章です。

前著の『生物と..』を読んで、二番煎じではと若干危惧して
いましたが、これは本物です。本物とわかったところで、
『プリオン説..』を注文しよう〜っと。 (錆びたろう/2009-03-20)
この本を読めば、なぜ男が報われないのかわかる。

男は一所懸命働く。そいでもって土日昼寝なんぞしていると、嫁さんから「もっと子供の面倒みてよ」とどやされる。「なんでかな〜、僕、まじめに生きてるのに、ちょっとの息抜きも許されないのかよ」と思う。

そんな想いの男性諸君!この本を読み給え。なぜ男がかくも弱いのか、哀しい存在なのかがわかる。

人間のデフォルトスタンダード(基本仕様)は女だった。アダムの肋骨の一本をとってイブを作り給うたなんてのは真っ赤なウソ。

なんせ男は女性に奉仕するために生きている。奉仕して奉仕して、女性より8年ほど早く死に、女性はその後幸せなおひとりさまを楽しむ。

思わず笑ってしまったのは、ひとつを除くすべての死因で男は女を上回る。脳、心臓、癌、はては自殺まで男は女の3倍くらいの割合でぽこぽこ死ぬ。そして除かれたひとつとは何か?女性の死因で唯一男より多いのは、老衰。これ、すなわち天寿の全う。

女性よ、男を哀れみ給え。かくもはかなき蜻蛉の如き人生なれば。

ま、そんな内容が少しクールで詩のごとく綺麗で、それでいて透徹した文体で描かれる。僕はこの本を読んで世の中の仕組みがわかった気がする。
(韓国の龍/2009-02-11)
才子 才に倒れる |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
非常に興味深い題材を扱いながら、読後感は決してよくない。科学に弱い読者へのサービスのつもりなのかもしれないが、たとえ話が回りくどく、反って話の筋を見えにくくしている部分がある。また、最終章は本題と直接関係のないゴシップ記事が延々と続く。絵に描いたような蛇足といえ、この本全体の信頼性を疑わせることになった。もっと自然で客観的な文章を心がければよい本になったと思えるだけに残念である。 (amadeo/2008-10-25)
著者の緩急がついた文章を 読者が受け止められるか否かで
本書の評価は分かれるだろう

私自身も章によって評価が分かれる
理解でき、面白いと思った章は以下
 第1、2、6、7、8、11章

さらに気に入ったのが、生物学者としての領域をはみ出した内容である
このプロローグとエピローグ
 「科学の世界の公用語は英語ではない。XXである。」(P20)
 「私がもし五感の全てを失ったとしても、なお私はXXを
  感じることができるだろう」(P282)

XXの部分はネタバレになるので、あえて伏せた
興味のある方は、本書を手にとっていただきたい


男であるがゆえに、楽しめた部分が多いかもしれない.. (よこはま こうたろう/2009-05-12)
性決定遺伝子の発見にいたる科学的過程そのものを、それにかかわる研究者たちの姿とからめながら描いている点が興味深い。著者の静かではあるが、説得力ある文章スタイルが冴える。この点は、「生物と無生物のあいだ」を彷彿とさせる。生物を男性たらしめる遺伝子の体に対する具体的作用が細かに語られている点も興味深い。
では、なぜ5つ星でなく4つ星かというと、テーマの広さや深さにおいて「生物と無生物のあいだ」よりは劣るからだ。また第10章「ハーバードの星」は、ゴシップ的色彩が強く、本書のテーマからは逸れている。この章のために、本書全体が一貫性を欠く印象となってしまっている。 (Izolde/2009-04-06)
オトコの人、科学者、の中には不満を持つ方がいらっしゃるのでしょうね・・
でもわたくしはすご〜く面白かったです。コーフンした!!

オトコとオンナの違いに関しては、幼少期から成人、そしてオバサンになっても不思議なことだらけ。
「ええ〜!そうだったのか・・」
「オトコの人は自虐的に書くのが好きなのかも〜」
という風に楽しめました。

エピローグの「ちょっと、それはないんじゃないの〜!?」というくだりも、
逆にいろいろ考えさせられて面白かったです。
「違うぞ〜 私の場合は・・」とか、
「現代のオンナも、子孫を残すことより社会的行動の方が楽しいのよ!」とか。

福岡伸一さんの個性があふれてます。
私はこういうシニカルで耽美派な男性も、好きです☆ (Hanako/2009-03-02)
結構、難しいであろうことが分かりやすく書いてある。と言うより、分かったような気にさせるから不思議だ。分かりやすいだけだと信憑性に不安を覚えがちだが、博士号をとった人が自分の言葉で書いているから説得力もある。デイビッド・ペイジの誤りなんんかは、読んでいて『なんでそんなことに気が付かないの』って気になるが、たぶん『ネイチャー』を読んでもチンプンカンプンなんだろうな。

しかしながら、その反面、蛇足が多いのがちょっと気になる。特に、ナダルととヴィジャクの凋落を『できそこないの男』と結びつける辺りは少し興ざめした。もう少し、学術的寄りでも読者はついていくと思うのだが。。。

まぁ、新書だから仕方ないのかもしれない。 (凱晴/2009-02-22)
杞憂であれと祈念中:再 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生物の性決定に関わる遺伝子の特定についての激しい研究ドラマと、そこからの発見に関連して、生物
の基本仕様が「女」であるとかの分子生物学おもしろ話し。

基本的には、興味深く、おもしろく読めると思います。
おもしろく読める、とは思うのですが・・・
以下、あくまで個人的な見解です。

かなり危ういという印象。もしかしたら、得難たかったサイエンス・ライターの現在進行形の「劣化」を、私た
ちは目の当たりにしているのかも知れません。

『もう牛を食べても安心か』、『プリオン説はほんとうか?』の頃は、具体的な研究のアウトプットの基礎とな
る理屈(物的に構造化された相互関係の探求)について、実験の設計や実験そのものの技術的な可能
性評価、および実験結果の評価に、どう適用していくのか確実ではない部分が多いようにも思われ、激し
く保留ながらも、好印象でした。

大ベストセラーである『生物と無生物のあいだ』で、ずいぶん余計な記述が増加したなと思いました。
そして本書。
人によって、かえってそれが好ましい場合もあるのかもしれないけれど、ところどころ挿入される「文学的」な
接ぎ穂や比喩を削除したら、分量的には 1/3 くらいに収まるのでは?挿入される接ぎ穂や比喩が「文学
的」だ、といった具合にメインの記載内容から“浮いている”ように思える点で、すでにかなり厳しいかと。
勘所のDNAを百科事典に喩えている部分は、ものすごく冗長だし、さすがにド文系な読者にとっても、こん
な比喩はいらないのでは?
どうにも、かなり微妙な読後感。

さらに追記すれば、生物学的な事実について判断はできないけれども、そうした事実を、社会的な言説
レベルで、どう解釈するかは別問題。“浮いている”ように思える「文学的」な接ぎ穂や比喩は、その意味
でも、かなりの危うさを感じます。

私の方がバカなんであって、現在進行形の「劣化」なんつーもんは杞憂に終わることを、マジで祈り中。 (kogonil_35/2008-11-04)
聖書ではアダムのあばら骨からイヴが作られるが、実際には女性が先で男性が女性から作られた。

本来はどちらが先に作られたかと言うだけのことで、後から作られたから「できそこない」とは限らない。先に出来たと思っていたら実は後から出来ていた悔しさからくる僻み根性がこの題名に現れているように感じる。

しかし、発生の途中で全ての胎児の足の付け根に割れ目ができ、それが男性遺伝子(Y遺伝子)を持っているものだけ閉じ合わされると言うのは驚いた。(そうか私も昔は女だったのか)

しかし、有性生殖が始まる前は、生物は全て単為生殖だったのだから、これをメスであったと言うのは、誤りとは言えないが、厳密にはこれは中性であって、有性生殖が始まったときに初めてメスとオスが生まれたのだと言うべきではないか。著者の言い方はまたもや一方的な感情(悔しさ)が入っているのだ。

さらに、最初に有性生殖を行ったのは単細胞生物の筈だ。「接合」と呼ばれる。この場合はメスもオスも同じ形をしており性差はない。ただ単細胞同士で遺伝子の交換をしているらしい。

植物にもメスとオスがある種類がある。銀杏などがそうだ。実のなる木とならない木がある。このような場合にはY染色体はどうなっているのだろう。

また、魚や鳥には途中で性が変わるものがあると聞いた。種名は失念した。

ウミガメは孵化する時の温度によって性が決まる。この場合もY染色体がどうなっているのか気になる。

本書で取り上げられているチャイロコメノゴミムシダマシという小さな甲虫はX染色体とY染色体を持ち、人類と同じようにこれらがメスかオスかを決める。しかもY染色体はX染色体よりも遥かに小さい。

これは私にはショックだった。「そんなに昔からY染色体は小さかったのか?」

進化の点では、甲虫は人類の遥かな先祖だろう。すると、Y染色体はオスができた時点から小さかったのか?そうだとすると、オスが絶滅するのは遥かに先であろう。何も心配する必要はなかった!

しかしそうすると、銀杏やウミガメのY染色体も小さいのか?成長の過程で性転換する動物の染色体はどうなっているのか?疑問は次々に湧いてくるが、この本にその回答はない。

単為生殖と有性生殖を繰り返すアリマキの性染色体については触れている。大変興味深い。

ジンギスカンの子孫が1600万人いる、と言う話には笑ってしまう。男系相続の怪しさが白日の下に晒される。著者は明確に指摘していないが言いたいことは明白だ。

最後の「快感説」には疑問を持つ。

我々が女性を愛し、尊敬し、一緒に住みたいと思う理由がもし「快感」だけならば、女性を選択する必要はなくなる。誰でもその時には略同じ快感を与えてくれるだろう。しかし、我々はそれだけでは満足できないのだ。だから、延々と理想の女性を探し求めるのではないか?男が「命を捧げるべき女を探す」のは「快感」だけでは説明できない。それはもっと根源的なものに突き動かされているからだと思う。

生物の宿命は子どもを育てることだろう。その時にライオンのようにオスが知らん振りをしてメスだけで子どもを育てるよりも、オスも子育てを手伝った方が子どもの生存率が高くなることは明らかだ。するとオスがメスの子育てを手伝うのは進化の法則に適っていることになる。

しかもその時、オスとメスが異なった特長を持ち、異なった強さを持っていた方が、環境に対する変化への適応範囲が広くなるだろう。つまりそのような種が生き残るだろう。

男は決して出来損ないではない、男は男の特長を持って女と子どもを守ればよいのだと私は思う。

触れなかったが、本書で触れている、Y染色体の旅路も興味深い。日本人のルーツが分かる。 (らんる/2009-02-05)
レビューアー自身は生物学にはあまり造詣は深くありませんが,
性決定遺伝子のことを手軽に勉強するには良い本でした.
特に,SRY 遺伝子の発見秘話など,アメリカの学会の裏話が
散りばめられているところが,もう少しマジメな啓蒙書と比較
したときの「買い」でしょう.

但し,前作「生物と無生物のあいだ」と比較し,作品全体としての
流れがツギハギっぽい印象を受けました.
前半の悶々としたところは「アリマキ」の章でスッキリしますが,
エピローグでまた悶々,といった感じです.

あと,アメリカの学会での熾烈な研究競争の対岸で,筆者自身,
自分の研究環境に限界を感じているのでは,と思わせる記述が...
この本を読んだ若き理系の卵たちが,
「研究っておもしろそう,いつか自分も一発当ててやろう」と思うか
「研究っておもしろそう,でもこんな世界御免こうむりたい」と思うかは
その人次第だと思います.
(KM/2009-01-12)
生物学的なオスとメスについて、その謎に迫った過去の研究者達の努力と悲哀を交えて書かれており、科学の面白さを知ることができる。100年以上も前に、匠の技でY染色体を「見る」ことに成功した学者、「性」を決定付ける遺伝子を発見したという世紀の大ニュースが「誤認逮捕」と判明する過程、世界的に有名な心臓外科医の栄光と挫折、などなど読み応えあり。
また、中盤の発生の過程の解説で、「デフォルト」のメスが「カスタマイズ」されてオスになっていくメカニズムは神がかりにさえ思えた。本書の薦めにあるとおり、自分のイチモツを万感の思いをもって観察してしまった。

いきものってすごいわ。 (SHIN/2009-05-10)
本書には、あなたが期待している
疑問への回答は書かれていない。

男は過去に囚われる。
センチメンタルだったり、ブルースが似合うのも男の弱さから
発生するものであり。
たとえ短命でも、「それが生き様というものだよ、フッ」
と自虐的に笑えるのもまた、男の強さである。


男は濃い味が好き。 お酒の豆知識。

P.194
ワインには高濃度のカリウムイオンが含まれる。

カリウムも塩の一種である。
だからワインを飲みながら料理を食べると、
口がカリウムイオンに慣らされて、
塩に対する閾値が高くなる。

つまり、より塩味が利いた「インパクト」のある料理でないと
おいしいと感じなくなる。

ワイン愛好家のグルメ案内は信用ならないかもしれない。
彼らが推薦する究極の味は、単に"濃い味付けの食べ物"
である確率が高いのだから。 (ウェブ担当/2009-04-14)
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時間はどこで生まれるのか (集英社新書)
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集英社(2006-12)
橋元 淳一郎
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レビュー総評点:-87
哲学界に関する大いなる誤解 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
科学哲学の人気分野として「時空の哲学」というものがある.これはまさしく著者が「あまり聞いたことがない」と言っているもので,最新の科学的知見から時間や空間の本性を探求する学問である.英米ではこの手の本はいっぱいある(日本では内井惣七氏の『空間の謎・時間の謎』がある).

それに,マクタガートの時間論は著者が述べているような単純なものではない.そして,科学的知見は必ずしも「絶対的な真実」ではないのだから,科学的知見から離れた純哲学的な時間論も重要であり,それらは決して著者が言うような「稚拙」なものではない.

一方,著者自身の見解を述べる6章7章はこれといった説得力のある論証がないものであり,著者は哲学的な訓練を受けていないのだから仕方ないが,かなり不満が残るものであった.

たぶん,いいたいことは,たとえば札のシリアルナンバーが仮に6桁だとして,自分の手にした札のシリアルナンバーが111111であったらわれわれは「珍しい番号が当たった!100万分の1の確率だ」というけれど,実はこれは番号のそろったものを「めずらしい(価値のあるもの)」とわれわれが認識するからで,「145724」のような番号でも実はその並びは100万分の1であることには変わりはない,それゆえ,エントロピーが増大する(すなわち,秩序がなくなる)ようにみえるのは,意識の働きだ(つまりなにを「秩序のある状態」というかは主観的)ということなのだと思う.

しかし,そうであるにしても,「こういうの(札の例で言うと同じ番号がそろう)を『秩序がある』と仮定したときに,なぜか自然界における閉鎖系ではわれわれが『秩序が崩壊する』と感じるような現象しか観測できない」のが問題なのではないだろうか.そしてその問題は秩序がある・なしの判断は主観の問題だといったところで何も解決されていないに等しい.

さらに,量子力学において,観測による不可逆性を熱力学的現象として処理しようとするが,これはすでにノー型実験を説明できないという致命的な欠点がとっくの昔に指摘されている.

以上のことはすこし調べればわかるはずのことである.全体的にあまりに勉強不足で,それでよく恥ずかしげもなく本が出せるな,と思う.山本義隆という事例がある以上,予備校講師というのはいいわけにはならない. (御猫大明神/2007-01-07)
非科学メルヒェン。 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
物理学を基にして時間を扱い、果てはハイデガーや唯識論にまで話を伸ばそうとしている1冊。
だけど、要所要所で「門外漢なので」という言葉を免罪符としつつ、稚拙な読解とそれに対する見解を列挙して、新しい論を提唱しているといった姿勢で構えている。
だけど、よくよく読めばその新論は論拠に乏しく、仮定や推測を重ねているだけの、科学の皮を被った非科学メルヒェンみたいなものである。 (ぐすまるきし/2007-05-17)
すみません、チンプンカンプンです ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

理解しよう、理解しようとは思っているのですが、
文章に頭がついていかないのか、それとも、思ったほどやさしく書かれていないのか、
読めば読むほど???となってしまいます。

もう少し仕事が忙しくなくなったら集中して読んでみたいです。
〜ながら読みは厳禁です。←私の小さな灰色の脳みそにはムリでした。

(きのぴ/2007-02-21)
素人ながらも物理学には興味を持っています。世界の真理に近づくためには書かせない学問で、思考実験というものは自分の頭を非常に刺激するので好きな学問になっているのかな。物理学の中で、時間という単語がもつ意味合いを再確認したくて購入、通読
読んでみると、相対性理論、量子論、反粒子、エントロピー増大の法則など現在の物理学で欠かせない分野の中で時間がどのような意味合いを持つかを記載し、人間(観測者、生命)から見たときの時間の意味合いを再確認して、筆者の考えを終章に導きだしている。物理学からのアプローチと人間中心の時間へのアプローチをうまく組み合わせてあった非常に面白かった。内容として自分にとっては難しい内容も多々ありましたが、「主観的時間」「反秩序への抵抗が意志」「マクロでしか意味を持たない観測値」「不可逆過程」など面白いものも多々ありました。もう少し説明のほしいところもあると感じましたが、自分が無学故なのでその分野の書籍を読むきっかけにもなりそうです。
時間について漠然と物理学的な側面、人間的な側面から興味のある方は一度読んでみることを勧めます。自分の興味がある分野をはっきりと認識できることができるかもしれません。
(sickboy/2008-05-24)
「時間とは何か」という問いに、これまでありとあらゆる人智が挑んできた。
ある人は哲学の徒として。またある人は物理学の徒として。
本書はこれまですれ違ってきたこれら二つの学問を架橋し、「時間はどこから生まれてくるのか」ということを探求した意欲作・・・になるはずなのだが。

筆者によれば、そもそも量子の世界、つまりミクロの世界には空間も時間も存在しないわけで、時間というのは我々の主観的事実として初めて現れる。ではその主観としての時間はどこで生まれるのか?本書はそれを、万物を支配するエントロピー増大の法則の不可逆性から、無秩序への移行にあらがう生物の「意志」の存在を見出す。

どうも筆者の導き出したこの「意志」の存在という結論、一言で言うなら「意外とふつうやな・・・」といったところだろうか。

僕のような物理科学の門外漢(高校の時19点をたたき出し、そうそうにその道をあきらめました)からすれば、筆者がだしたこの「マクロ世界における時間の生成の秘密」よりも(つまり筆者自身による哲学と物理学を融合した思索よりも)、「ミクロ世界における時空の不在」という、物理学者にとってはきわめて常識的な事実のほうが遙かに魅力的に見えてしまったわけだ。

本書の構成は、20世紀の相対論と量子論の誕生によって「ミクロ世界における時空の不在」が証明されたことをまず論じて、その次にエントロピー増大の法則から「マクロ世界における時空の生成の秘密」を論じているのだけれど、なんなんだろ・・・この感覚。

前半ほどやたらむずかしく、後半に行くほど簡単になっていくという不思議な本である。
例えるならば、前菜の方がメインディッシュよりおいしそうに見えたんだけど、すぐ引っ込められちゃった、という感じ?要するに、量子物理学に明るくない僕のような素人向けに出版される新書であるならば、「ミクロ世界における時空の不在」→「マクロ世界における時空の生成の秘密」という構成よりも、「マクロ世界における時空の生成の秘密」→「ミクロ世界における時空の不在」という構成にしたほうが、よりおもしろくなっていたと思うんだが・・・。

でもそれだと単なる量子物理学における時間論の入門書になって、タイトルも大幅に変更しなければならないだろうし、それだと筆者が別段書きたくない本になってしまうんだろうけれど。 (倒錯委員長/2008-03-03)
もう少し論を熟成させる必要がある ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イギリスの哲学者マクタガートのA,B,C三系列の時間分類を縦糸とし、相対性理論、量子力学のなかで現れる時間性あるいはエントロピー増大の法則といった知見を横糸として紡ぎながら、ついには「時間の起源」に迫ろうという物語である。

時間のルーツをたどる旅を記述したとも言える本書の内容のうち、時間生成前の導入部は私のような凡人にとって非常に啓発的で興味深いものであった。特に「量子力学的世界では時間を含めた物理量が存在しない」とか、「相対性理論上、時間と空間の関係はちょうど実数と虚数の関係にあたる」などの個所には、無知をさらけ出すようで恥ずかしいが、感心させられた。
ただし、この本のクライマックスである時間生成の段になると、話がだんだんに怪しくなってくる印象を強く持った。すなわち、「自然選択の圧力が、機械から自由意志を持つ存在へと、生命を進化させた。」だとか「生きる意志は進化の過程の中から生まれた」などの記述はフィクションというより著者のメルヘンではないかと思わせるものであった。本書がせっかく「時間の起源」という魅力的な主題に迫っているので、もう少し論を熟成させてから、われわれ凡人に示してほしかった、少し残念な気がする。
(フクロウ探検隊/2007-09-04)
この文字数でこれだけの内容を語れるとは・・驚きです。

前半は、後半著者が語る時間創造論を理解するのに必要な
物理学および哲学の基礎概念などについて明快に解説。
特に相対性理論のツボをわずか数ページで一定レベルまで解説している
のには感心しました。

私は量子系の波束の収束(波動関数)に関して多宇宙論的解釈を
支持していますので、著者とは反対の立場となりますが
それでも、「そういった考え方もあるなー」と思わせる
一定の説得力のある持論が展開されてます。

いずれにしても、宇宙(実在)を織りなす重要な構成要素として
「生命の意志」を捉えることには異論がありません。
多宇宙の存在を証明するために量子コンピュータの基礎理論を
構築した(といわれている)あのデイビッド・ドイッチェでさえ、
同じことを言ってますものね・・。
実在の本質に迫るには、物理学、哲学(認識論)、生物学(進化論)、数学など
さまざまな角度からアプローチする必要がありそうです。

サラっと読めて、そのくせ、かなり考えさせられる一冊でした。
とてもおもしろかったです!

(くあんたむ/2008-01-26)
途中までは何とか読んだが、やはり物理、数学、哲学などの素養のないものには難解で理解できなかったのが現実である。時間と言うタイトルに惹かれて購入してみたもののミクロの世界では時間と言う観念がないと言うのがまず理解できない。グラフや数式が出てくるとさらに解らない。注釈が多くで面倒になってくる。理系の素養がないのを残念に思う。 (シンジロウ/2008-02-24)
もう少し易しく書けなかったか |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
なぜだろう。1冊読み終えて、頭に残っていたのはファインマン図形くらいだった。時空は実数と虚数だと言うけれど、その根拠、それが意味するものがわからない。時間のグラフに出てくる「非因果的領域」とは何なのか。このグラフで筆者は何を言おうとしたのか。この本全体で何を主張したかったのだろう。各節で述べていることはある程度なるほどと読んでも、全体像が見えてこなかった。読む側の問題と言われれば、それまでだけれど。 (まも/2007-08-04)
物理学で習う知識をずらずらと総動員して、時間を考えるというお話。
2章では相対論、3章では量子力学、4章では素粒子論、
5・6章では熱力学、統計力学
あぁ、なるほど、時間という概念がそこには意味がなかったり、
あったとしても、絶対的なものではないことが、言われてみれば
確かにそうだ、と、一般教養的な物理学の復習のお話が続く。
流石、カリスマ予備校講師だけある。

そして7章で、時間を生み出す原因は、
秩序を維持しようとする意思によるものである、
・・・と言う話にもって行くのだが、どうも議論が弱すぎる。

なぜならば、お互い相互に関係しあうことで、秩序が生まれるという
非線形科学の視点が、完全に抜け落ちているからだ。
あぁ、要素還元主義の限界、ある意味では 現代物理学の限界かと、
個人的に感じた。よって、☆4つ。 (taka-_-aki/2008-07-17)
時間論である。物理で修士を出た作家で、哲学的な時間論を批判している。しかし、結局、哲学に絡み取られている。純粋に物理の視点からすれば、時間と言うパラメータが現象の説明に便利だと割り切れるのだと、私は思う。そして、その「時間」を定義しているのは、時間が出てくるすべての方程式なのだ。数学の点や直線などと同じだと思えば良いのだ。

本書でも、主観的時間とか物理的時間とか出て来るが、物理的時間については、これくらいドライに述べてから、その先に進めば良いのにと思う。結局のところ、熱力学的時間に話を持って行っている。その上で、生物は秩序をもたらす云々で、主観的時間に話を持って行こうとしている。うーん、これはなんだかよく分からなかった。議論に無理があるんじゃないかなあ。

時間論なんて哲学のつもりでも物理の到達点を理解しないといけないという著者の主張は確かにその通りなのだが、結論は哲学者を納得させるものにはならなかったようだ。 (shibchin/2008-02-07)
震撼させられた |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「時間とは何なのか」ではなく「時間はどこで生まれるのか」というタイトルからして斬新で
す。時間は「在る」ものではない「生まれる」ものだということを暗示していて。時間に関す
る新しい理論の展開が期待されます。そしてその期待は裏切られませんでした。

結論に至るまでに「時空は時間を実数、空間を虚数とした複素数で表される」「万有引力は
なぜ『引力』でないといけないのか?」「『多次元並行宇宙理論』の真偽は?」「タイムマ
シンは可能か?」などの面白い話題が展開され、本題の時間論とともに知的興奮をおおいに
掻き立てられました。そして、本書の示す「時間」の姿には人生観が変わるほどの衝撃を受
けました。時間がこんなものだったなんて、あんな風に生まれるなんて。もう呆然とするし
かありません。

言うまでもないことですが、本書で時間の本質のすべてが明らかになるわけではありませ
ん。ホンのとば口が示されるだけです。分からないことの方が多く、それらも含めて時間の
全体像が明らかになるのはいつのことでしょうか? あるいは永遠に明らかにならないかも
知れず、あるいはその方が人間にとっては幸せかもしれません。 (じっちゃん/2007-03-09)
時間論未経験者は必読! ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
実生活に全く役に立たない知識ですが、好奇心が満たされる感覚をしっかり味わえます。満足感は相当なものです。値段を考えれば絶対に割安。オススメです。

高校生程度の知識で読めるよう、理屈も文章も平易な形です。時間論という未経験の分野を知る良い機会ですよ。 (シモヌ/2007-05-20)
SFのような面白さ ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
時間という切り口から、「相対論」「量子論」「エントロピー増大の法則」をわかりやすく解説する。まず、このあたりのわかりやすさが秀逸。
さらには「生命」「意思」といった、哲学と科学の境界領域へと話が進んでいく。もちろんここまでくると証明も定説も無く、これからの科学の進展を待つしかないのであるが、その方向性の一つの形を提示しているところがSF的に面白い。
この本を取っ掛かりとして哲学的な思索にふけるのもよいかもしれない。
時間の方向性と意思の関係についてのお話からは、小林泰三さんの「酔歩する男」という短編小説(SF?ホラー?)を連想した。主張するところはちょっと違うような気はするけれど。
ともかく、この世の不思議さには本当に途方にくれてしまう。 (冬の暖かな鎌倉の海岸で/2007-01-08)
知的好奇心をくすぐられる一冊 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現代物理を踏襲した上での哲学的解釈を試みています。平易な文と図で構成されているが、相対論、量子論をたしなんだことがないと読みこなすのは難しいかもしれない。しかし、もしあなたが「時間とは何か」という素朴な疑問をおもちなら、本書は1つの解を示してくれるにちがいない。

本編を読んだあとでは、付録にかかれている「並行宇宙は存在しない」というのも説得力があります。知的好奇心をくすぐられ続け、最後に満足感が残りました。 (ねこまた/2006-12-18)
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自然科学再入門
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動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか
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木楽舎(2009-02-17)
福岡伸一
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レビュー総評点:-32
“生きている”とは?生物理解への第一歩・・・これは熱平衡から遠く離れることが基本で生物は明らかに典型的な非線形非平衡系である。これは、I. プリゴジーヌによる開放系熱力学における「散逸構造」の発見によってもたらされた“生物”理解への科学的発端であろう。これは、数学的にも物理的にも難解な議論であり、以上のことが各分野の共通認識になった頃は一般向けの書物は少ない。この話題を含み、さらに現代文化の話題にまで議論が及ぶ総括的な、各分野の研究者によって著されたものが「<ヒューマンサイエンス>全5巻、編集:石井威望・小林登・清水博・村上陽一郎:中山書店(1984)」である。その中の1巻「ミクロコスモスへの挑戦」、3巻「生命現象のダイナミズム」(これらは入手可能)は非常に分かり易い、これが本著に関連する。以上は口上。では、この著書「動的平衡:生命はなぜそこに宿るのか」が以上の基本的概念を正しく反映させた分子生物学者としての著書か?成程、2009年の一般啓蒙書ですから多少の逸脱はパフォーマンスとしていい。話題も今日的なものを選び、読者に合わせることを忘れない。レビューを読めば読者がこれを読む気持ちはよく分かる。で・・・なぜ生命はそこに宿るの?何処に書かれているの〜教えてほしい〜論理が逆なんですな・・・。生命現象に関する要素還元主義以外の方法論は言葉だけの議論であって、いまだに存在しない(数学化不可能による)。この本が取り上げた話題は新しいが、議論は諸種の既存の知識の切り貼り。世に啓蒙書とよばれるもの多々ある。その内容の秀逸さのRange の幅は広い。この本が著者によるパフォーマンスとおもえば著者はよきパフォーマーであろう。 しかし、著者は非平衡熱力・統計力学の論文読めますかな?生物系の研究者には無理でしょう?勿論人によりますが・・・。
最後に一言加えるなら、若き読者が生まれる前に発行された書「パラダイム・ブック」(私の拙いレビューあり)でもお読みになれば、還元論ではない包括論的な立場から物質、生命、意識という存在領域全体を、それぞれの領域におけるパラダイム・シフトを概観でき、とくに生命科学を目指す人、既に学生の人は、今の方法論(要素還元主義)では生命は理解できないことを知るだろう。また、著者が分子生物学者と言うなら、著者の大大先輩である、日本における分子生物学の成立に関わった”柴田篤弘”氏の著書でも読んでみたらいい。彼の考察した領域があまりにも広大であることに驚くだろう。
(Dr.Shigeharu Mutoh/2009-04-24)
ミクロの世界に生命のダイナミズムを見る ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
 生命現象とは何なのか。分子生物学者である著者は、それに対してこう答える。
 生命とは、機械論的なパーツの集合体ではなく、タンパク質の絶え間ない合成と分解のサイクル、その流れがもたらす効果のことである。あるいは、こういうふうに言うこともできるだろう。生命とは、動的な平衡状態にあるシステムであると。

 本書は、著者のこの考えを中心テーマとして、以下の八つの章から構成されています。
◆第1章 脳にかけられた「バイアス」・・・・・・人はなぜ「錯誤」するか
◆第2章 汝とは「汝の食べた物」である・・・・・・「消化」とは情報の解体
◆第3章 ダイエットの科学・・・・・・分子生物学が示す「太らない食べ方」
◆第4章 その食品を食べますか?・・・・・・部分しか見ない者たちの危険
◆第5章 生命は時計仕掛けか?・・・・・・ES細胞の不思議
◆第6章 ヒトと病原体の戦い・・・・・・イタチごっこは終わらない
◆第7章 ミトコンドリア・ミステリー・・・・・・母系だけで継承されるエネルギー産出の源
◆第8章 生命は分子の「淀み」・・・・・・シェーンハイマーは何を示唆したか

 子どもの頃は一年は長かったのに、大人になると一年があっという間に過ぎるように感じるのはなぜか。この問いに対して、「体内時計」の観点から合理的な説明を加える箇所が、第1章の途中にあります。ここにまず、「なるほど。確かにそれは言えてるかも」と、頷かされましたね。論理的で明快な著者の思考は、説得力が強いです。ほかにも、「コラーゲン添加食品の空虚」だとか、「現代人の栄養失調」だとか、思わず納得。

 本書で一番感動したのは、第8章の中、ライアル・ワトソンの近著『エレファントム』の美しいシーンを紹介した件り。陸上で最も大きな生き物と、海で最も大きな生き物が向かい合うところ。生命の神秘、生命の不思議に触れ得た思い。胸が熱くなりました。 (東の風/2009-02-27)
物理屋に言わせれば「動的平衡」じゃなくて「定常状態」が本書の主題 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
本書は『ソトコト』誌の連載とダイナースカード会員誌で執筆した文章を再編集・加筆し成書化したものです。「生物と無生物のあいだ」「プリオン説はほんとうか?―タンパク質病原体説をめぐるミステリー」などの同著者の著作と重複する話題も多少ありますが、概ね楽しめました。これらの本より肩の力を抜いて読めるエッセイ集と思えば良いでしょう。執筆の経緯から明らかなように各章の独立性は高いですが、「生命とは絶え間ない流れの中にある 動的なもの("淀み") である → 可変的であり永続的なシステムである」「生命を構成するシステム全体は、部分(パーツ)の単なる総和にあらず」という主題で貫かれています。個人的には消化の話題(太らない食べ方 etc.)は興味深かったです。薬・サプリメントとの付き合い方も参考になります。(「クローン牛は食べても良いか?」という話題にも触れると面白かったかも。読者の皆さんはどう思います?) 本書を読むと「超人類へ! バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会」のような話題にも一家言を持つようになります。

ただ物理屋としては著者の言葉遣いに違和感を感じます。著者が「動的平衡("流れ"の中で変わりつつも一定の状態を保つモノ)」と呼んでいる概念は、物理的には「定常状態」と呼ぶべきモノだと思います。(Wikipediaなどで「定常状態」「動的平衡」を御参照下さい。業界が違うと言葉遣いも違うのかな?) 著者の言わんとする処を 物理屋が厳密に言い直せば「生命とは 短時間的には定常状態に近い 非線型・非平衡開放システム」となるでしょう。(これは、ホーリズム的な視点・複雑系科学の視点に馴染みがあれば、特に新奇ではありません) (ゴルゴ十三/2009-02-19)
自然への畏敬の念 ||||||||||||||
福岡さんの著作を読んでいつも感じるのは、自然への畏敬の念、ということである。
例えば、「生命現象はすべて機械論的に説明可能だと考えた」デカルトの思想の延長線上に存在している現代の生命科学に対して、「そんな単純な話ではないのでは?」、と異を唱える。例えば最近話題のES細胞についても、「生命部品の商品化」という文脈で捉え、必ずしも全面的な支持表明はしない。もちろん福岡さんは、医療技術の発達により救われる人がいることに対し、「救われる必要が無い」とか言っているわけではない。「生命って、そんな単純なものじゃない、もっと複雑で微妙な現象なんだ」、と言いたいのではないか?と思ったりする。
だから、ソトコトというロハス雑誌に連載したりしているのだと思う。ロハス思想の根本には自然への畏敬の念があると思うのである。
福岡さんに対し「哲学する分子生物学者」という帯の文句は言いえて妙というところか。 (冬の暖かな鎌倉の海岸で/2009-03-04)
少し緩めのエッセイ集 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
著者がこれまでの著作で述べてきたことをまとめたような内容で、繰り返しの部分が多い。 生物学のエッセイというよりは生物哲学のエッセイに近い。

タイトルの動的平衡の概念はあちこちで出てくる。しかし例えば個体の恒常性と生態系の恒常性は別のメカニズムで維持されているわけで、どれもこれも動的平衡で説明するのは乱暴すぎではないだろうか。生物の様々な現象が「動的平衡とみなせる」のは確かだとしても、それが正確には何を意味しているのかを説明できなければ。

動的平衡概念について不完全燃焼に感じるが、それ以外にも怪しい記述が多い。ライオンとヒョウを亜種に分類するのは無茶だろう。生態的、形態的、生物学的に、どの定義でも別種だ。妊性の存在と種の分類の説明が逆になってしまっている。
GM作物に関して、著者はゴールデンライスに懐疑的で、「日本人が食べたがらないものをわざわざ買ってやるのか?」と述べているが、実際には現地で生産され消費されている普通米をゴールデンライスに変えようと提案されている。日本人が買ってやる必要はないし、日本人が食べたがらないことと実際の安全性は別の問題だろう。事実誤認や論点のすり替えがあちこちに見られるのが大変不満だ。 (いとみみず/2009-02-23)
 福岡伸一の本を読むのは3冊目である。

 彼の一連の著作の魅力は生物学を哲学として一般的な読者に解説出来る その話術にあると思う。読んでいて分かりやすいし また 表現が柔らかく 詩情が漂う部分もある 実に読ませる。

 但し 一般的な読者の一人として そういう話術に陶然としながらも ある意味では気をつけなくてはいけないような部分もあると感じる。

 例えば 遺伝子組み換え作物に関して 著者は「バイオテクノロジー企業の強欲」と断定している部分がある。
 説明は明快であるし なにより「米国のバイオテクノノジ―企業が強欲でないわけがない」という直感もあり 読んでいて心地よさも感じる。但し農薬や遺伝子組み換え作物を全て根絶した場合に 果たして 地球は 巨大な人口を養えるだけのサステイナブルな農業生産が可能なのかという視点はあるべきではないかと思う。
 この点に関しては 僕自身に知見がないので 判断は出来ないが 例えばロハスという運動が 本当に世界の大きなうねりになるとしたら 世界の飢餓・貧困問題を扱う「射程距離」がそれに備わらないといけないはずだ。個人的にはロハスという考え方には魅力を感じているだけに 大いにそういう課題に取り組むべきだと思う。

 繰り返すが 福岡の著作は読んでいて心地よさがある。今後ももっと読みたい。それだけに十分自分なりの批判的な視点も確保しておかないといけないと考える次第だ。生物がかように面白いと感じるのは 著者と三木成夫という方のお陰である。


  (くにたち蟄居日記/2009-04-22)
どんな分野であれ、細分化した最先端の研究は、素人にはわかりにくいものである。
そして、その学問が私たちにとって、どんな意味があるのかを語れる学者は少ない。
著作に際し、多くの研究者が、その優秀さにもかかわらず、先輩や同僚研究者の眼を必要以上に意識してしまう。
結果的にその著作は一般読者には難解なものとなってしまう。

この本で、著者は「研究のエッセンスをどれくらい一般読者に提供できるか」を試みているようだ。そして、それは文科系の読者からみると十分に成功している。知的好奇心を強く刺激する好著だと思う。

「生命とは何か」というテーマで、エッセンスを大掴みにしてみせるのは、一流でないとできないことである。



(三太郎/2009-03-06)
何の気なしに買ったら大当たりの本だった。よい出会いを得たという感じ。
話題は、カールポパー由来の要素還元論の限界を生物学的に解説した本。
パーツパーツをもれなく組み合わせても全体にならない。全体+アルファ
である。時間が流れているのだから、という主張はクリティカルシンキン
グにかぶれた、中途半端なビジネスマンにこそ得てほしい視点である。

自分で絶えず壊しては再生し、壊しては再構成しながら、細胞は動的平衡
を保っている。だからこそ、人は「いつでも新しい自分になれるんだ」と
いうメッセージをも読み取れる。

知的興奮を得ると共に、自分の仕事の仕方、勉強の仕方が大きく変わる可
能性を秘めている。『ヒトデはクモよりなぜ強い〜21世紀はリーダー無き
組織が勝つ〜』と併せて読むと、次世代の経営像すらも見えてくる。

事業経営者である私としては、出会えて良かった本である。 (ラブミステイク/2009-02-22)
「生物と無生物のあいだ」は人に勧められて読んだ。なるほどというお勉強感覚はあったが、私にはこの本のほうが楽しく読めた。雑誌連載をまとめたものということで「動的な平衡」とは、こういうことという記述が何回も出てくるが、これぐらいたたみかけるように言ってくれるほうが、理系でない私には安心感がある。科学的にはちょっと無理があるこじつけ的なところもあるが、心に効くエッセーとして読み応えがある。生物の無常と人間の無常観がうまくリンクしているからではないだろうか。変化しているようで一定。ミクロ的には変化しているけど、マクロ的には変化していない。
最後の第8章は非常にロマンチック!ライアル・ワトソンが「エレファントム」で書いた象の話のところに若冲の「象鯨図屏風」の写真が入っているのが、素晴らしくセンスがいい。この若冲の絵でなぜ「象」と「鯨」なのか・・・・・・昨年発見されたとき、新聞にカラー図版が出て非常に不思議だった。もしかしたら、象の話を知っていて描いた?いや時代が違う…などと、新たな好奇心を刺激する。
生きるということがどういうことなのか、科学的に納得させてくれる本。 (雑読クラブ/2009-06-14)
ベストセラー『生物と無生物の間』の著者・福岡伸一が雑誌上で連載していた「生物哲学」に関するエッセイ集。

本書を通して描かれるのは、分子生物学的な観点から見た「生命の諸行無常」。
著者によると、生命は、自己の細胞の破壊と再生を繰り返し、食事によって得られた外部の分子群と置き換える作業を行う(しかし、エントロピー増大を回避できないとき、個体の死が訪れる)『動的平衡』なシステムであるという。

今の私たちの体は、大きな分子群の対流の中の「ある一瞬の淀み」でしかない。明日になれば、また古い細胞が破壊され、食事によって得られた分子によって、細胞が置き換わって行く。

文字通り、万物が流転する生命のダイナミズムを知ったとき、少し世界を見る目が変わるんじゃないだろうか?
少なくとも、世にはびこるダイエットやアンチエイジングの陳腐さが分かる。 (ヴィヴ/2009-03-22)
3月18日の衛星放送での宮崎哲弥番組への出演ではじめて知り、何度も録画を見直してみてから本を手にとったため、読み進むに大変役立った。
さて、本のほうでは言葉遣いにしばしば若者に媚びるところがあり、「真逆」などとは学者さんが使わなくてもいいのにと思う。理系だからかどうか、全体的に人に読ませる文章としては上手くはない。こういう人はあまり感傷的になったり、サービスしたつもりで変なことを書かないほうが良い。
この人は、サイエンスの側から辿っていったら結局ホーリスティックな自然の仕組みを見たということで(TV出演ではそれを「文楽の人形の糸のよう」と表現している)、それは意外にも伝統的な東洋的自然観とよく似ていた、ということを言っていて、しかも60年も前にユダヤ人研究者がすでに証明していたのに無視されている!と無知なる大衆に呼びかけた。
無知なる私は飛びつきそうになった。これか、これが長らく求めていた真実だったのかもしれないではないか。実際すべての問題がこれで解けそうな気がしてしまうのだ。
そして、科学的な説明をほとんど理解できないまま、「臓器移植はムダ」「太りたくなければGI値の低いものを食べよ」「感染症を避けるためには『遠い食べ物』を食べよ」「食品添加物は摂るな」「ロハスな生活をしろ」…というご託宣に従って生きてしまいそうな気がするのだ。
本来、この人の書くものは一部のインテリに向けたもので、結論に至るまでの細かな科学的説明を理解し得る人だけが、「ご託宣」を聞く権利がある。けれど、そうでない者が結論のところだけに飛びついたら?
TV出演では彼は「死ぬのは怖くない。実際そうなってみたらどうかわかりませんが。」と言っていた。さて今後彼は「化ける」のだろうか。 (パブロン中毒/2009-03-26)
【動的平衡】生命が違って見える

「読んだら世界がちがってみえる」
本の帯にあるこのキャッチコピーのとおりだった。

この本を読むと、生命に対する見方、考え方が変わると思う。
「変わった」と感じた人の多くは、生命を機械のように見ていたことに気づいたはずだ。

生命を構成する細胞は、日々、壊れ、その一方で作り出されている。
どの一瞬も「まったく同じ」という時点はなく、1人の人間においても、今日の身体と明日の身体で、構成している細胞は異なっているということだ。
ただし、1人の人間が、別の人間になるのではなく、そこには永続性がある。

著者の福岡伸一氏は、こう説明する。
「可変的でありながら、サスティナブル(永続性)がある」。
その状態が「動的平衡」だ。

私が最も面白かったのは、時間の考え方に関する説明だった。
幼い頃、1年は、とても長いと感じていた。
ところが、大人になると、1年がとても短く、あっという間に過ぎるように感じる。
「大人は、人生を積み重ねてきたから、1年を短く感じる」と考えてしまいそうだが、
福岡氏によると、これは間違い。
その理由に関する、分子生物学的な説明は、これまで聞いたことのないものだった。
説得力もあり、「なるほど」を思わされる。

この本では、生命というテーマを基点に、「遺伝子組み換え食品」「サプリメント」「ES細胞」「病気と病原体」などの話題が取り上げられる。これらの話題を通して、再び、生命について考えさせられる。

生命について考えることは、「生き方」について考えることだと思う。
(由香里/2009-06-14)
 相変わらず,平易でリズミカルな言葉遣い。雑誌の
連載をベースにしていることもあってか,チャプター
ごとに起承転結が用意されています。目下,「読ませ
る理系」の筆頭株です。

 理系出身の方には気になる文体なのかも知れません
が,硬い言葉は論文だけで十分です。

 ただし,すべてのチャプターが「動的平衡」という
キーワードに向けられているわけではなく,行きつ戻
りつしながら結論に辿り着く構成になっているので,
明確にメッセージを打ち出していた『生物と無生物の
あいだ』ほどの爽快感は味わえません。

 軸の置き方に若干の不満を残しつつ,星4つ。 (K/2009-05-06)
分子生物学者の著者がこの間の著作に共通するテーマをタイトルとした著書。
決定版ともいえるし、焼き直しともいえるが、構成上の工夫もあり、抵抗無く読めた。専門的知識が皆無の超文系の私でも愉しんで読めるのも良い。

均衡のとれたレビューは他の方に任せて以下私的感想。
 構成上、冒頭に米国における産業と研究のかかわりが紹介されるエピソードが置かれており、これが全体の伏線のように思えた。
 話全般は、形而上学的な捉え方が先行する「遺伝子工学」や「先端医療」に対して弁証法的捉え方の復権を主張している(多分)のだが、それは遺伝子研究などが決して生命複製などの華やかな、投資家からみて魅力的な方向に進むことを意味しない。
 つまり「産学共同」の研究体制は形而上学的に生命複製の可能性を無理にでも突き進むしかない、無理でも可能であるという前提に立って走り続けるしかない、真理の探究から外れた、自縄自縛に陥っていることを示唆して、現在の研究体制の問題点をも指摘しているように読めた。 (柴犬太郎/2009-03-04)
「動的平衡」は前著でも議論されており,決して新しい話ではない。また,連載ものの編集版なので,動的平衡を一貫して論じているというよりは,エッセー集というイメージが強い。それでも,この本には一気に読ませる魅力がある。高校時代,あれほど嫌いだった生物がこれほど面白く読めるというのは著者のセンスと爽やかな文体によるものが多い。

ある仏教の入門書に,「一秒前の川は今の川と同じではないが,川は川に違いない。世の中全てが常に変化している。」と「無常」を説明した箇所があったが,福岡氏も命についてほとんど同じような説明をしている。さらに,生命現象についてデカルトに始まる機械論の系譜からではなく,最近広まりつつあるホリスティック医学的な観点から説明している点が普通の科学者らしくなく興味深い。今後は,1つの生物内の議論を超え,ガイア理論的生物学に発展していきそうだ。 (田園パパ/2009-04-28)
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一研究者として、人生の幅を広げる読書12
 
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もう牛を食べても安心か (文春新書)
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文藝春秋(2004-12)
福岡 伸一
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¥ 756(中古:¥ 220)

レビュー総評点:155
人間は何故、タンパク質を摂取し続けなければ

ならないのか?

食物を消化するとは、どんな意味をもった行為

なのか?

これらの問いへのアプローチがスリリング!!

そして、生物とはタンパク質の循環・流れの

中にある「淀み」である、という考え方が

紹介されています。

本書で書かれていることが、「本当」であるか

否かは判断できないのですが、

考え方、物の見方としては、

かなり衝撃的で、世界観がひっくり返される

といっても過言ではありません。

(マストロヤンニ/2008-04-02)
書いてあるからといって事実とは限らない ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
 福岡氏の本書はBSE問題というタイムリーなテーマを扱っており,あまり聞き慣れないシェーンハイマーに触れていて新鮮な関心を呼んだようです。
 しかしシェーンハイマーに関する記述には多くの不具合・誤謬があります(十カ所以上)。おそらく二次資料に頼ったためであろうと思われます。
 誤りを一つを挙げれば,シェーンハイマーは一度も自分の説を「動的平衡」と呼んだことはないのです(最晩年に他の研究者を引用して使っただけです)。彼が重視したのは生体内で起っている物質代謝の「動的な状態」であって,「動的平衡」ではありません。もちろん「動的な状態」の局面には「動的平衡」も含まれるでしょうが,勝手に事実を捏造してシェーンハイマーが「動的な平衡という名前を付けた」としてはいけないでしょう。さらに福岡氏は,先般の朝日新聞で同じことを真しやかに述べ,加えてデカルトの機械論と対峙させて論じていたのには驚いてしまいました。
 シェーンハイマーは戦前の実験生化学者であり,その研究成果は歴史的脈絡で批判的に捉えなければ誤解を招くことになるでしょう。彼の実験はタンパク合成・分解とアミノ酸代謝を混合して測定していたもので,その結果を全てそのまま無条件に認めることは出来ないのです。シェンハイマーの功績は,当時全く不明だった生体内部の物質代謝の実態解明に光を当て,真実の一端を示したことでしょう。
 当たり前のことですが,本に書いてあるからといって全て真実とは限らないのです。 (地上の星屑/2005-11-20)
~タイトルだけ見ると、ジャーナリスティックで時に扇情的な本なのかな、というふうに先入観を持ってしまいますが、広く目配りがきいていて、難しい科学的概念なども面白く読ませる、非常に良質な新書です。
「もう牛を食べても安心か」という問いに対し、著者は疫学と分子生物学に基づくこれまでの狂牛病研究の成果を丁寧に紹介して、答えています。
狂牛病~~が報じられるときに使われる「プリオン」とは何なのか?「菌」ではなく「ウィルス」でもない「タンパク質」が病原であるという仮説に、科学者たちがいかにしてたどりついたのか(そしてなぜ、いまだに根本的には解決されていないのか)。その説明は簡明で分かりやすく、知的興奮を感じます。
科学的な説明が中心であるとはいえ、その記述に偏重することなく~~、狂牛病がどのように発生し、どのように研究されてきたか、という歴史の紹介、あるいは「分子レベルで生物の身体を見たらどうなるか」を論じたシェーンハイマーの「動的平衡」の概念が紹介されたりと、一般向けの新書らしくさまざまな話題が提供されて、最後までとても面白く読めました。
2005年3月、アメリカから国務長官が来日して、牛肉の輸入再開が取り~~沙汰されていますが、基本的な知識と視点を身につけるのに良い本です。お勧めします。~ (izagon/2005-03-21)
「もう牛を食べても安心か」という問いに対しては、この本は、「大丈夫かどうかわからない、つまり安心ではない」と答えているだけですが、その問に対して答える過程で、「生きているとはどういうことか」「人間とは何か」という深淵な問いに答えてしまっている驚異の本です。福岡先生は、「生きているとはどういうことか」という問いには、「タンパク質の動的平衡状態そのものが"生きている"ということと同義であるp.69」と回答し、「人間とは何か」という問いに対しては、「分子のレベル、原紙のレベルでは、私たちの身体は数時間のうちに入れ換わっており、「実体」と呼べるものは何も無い。そこにあるのは流れだけなのである。P.56」「記憶とは、一言で言えば、ある特別な体験に際して、脳の神経細胞ネットワークの中を駆けめぐった電気信号の流路のパターンが保持されたものだということだ。p.140」と答え、人間とは「分子・原子と電気信号の流れ」なのだと説明されています。福岡先生は、その「流れ」を壊すとして、遺伝子組み換え、臓器移植を批判しています。これだけ科学的かつ根本的な「遺伝子組み換え」に対する反論は拝見したことがありません。遺伝子組み換え反対運動家は研究者を「悪魔」と罵るのではなく、こういう本を読んで冷静に科学的に説得力を持った意見を言って欲しいです。また、これだけ体系だった無神論的生命論も希だと思います。内田樹先生の「私家版・ユダヤ文化論」の注で引用文献とされていたので読みましたが、思わぬ衝撃本に巡り会ってしまいました。キリスト教徒で遺伝仕組み換え賛成の私としては、人に勧めるのは気が進みませんが、やはり多くの人に読んでもらいたい本です。 (パッション太郎/2006-12-27)
安心より安全を |||||||||||||||||
BSEはプリオンが原因だとばかり思ってましたが、正確な病原体は分かってないとは(!)
プリオンとは状況証拠だけで物証のない容疑者で、犯人だとは限らない。ひょっとすると真犯人が作り出す副産物かもしれない。となると、若い牛から異常プリオンが見つからないから検査の対象外にするとか、プリオンが集中する特定危険部位を除けば安全という論理は…
牛肉が安心かどうか気になって読んでみましたが、タンパク質の分子から地球環境まで、この世界は万物が流転していることを改めて考えさせてくれる読み物でした。 (/)
なんか日本でも「犠牲者」が出たらしいので参考書になるかと思って読み始めたのだけれども、いい意味で裏切られた。この本、革命的な生命観についての非常にわかりやすい解説書でもあるではないか。いや、人間と自然に対する見方がだいぶ変わってしまったという点で、私にとってはそっちの方が重要だった。この新たな観点からすれば、「狂牛病」は「自然が開始したリベンジ」に他ならなかったのである。
著者は、シェーンハイマーというアメリカの科学者による生命の「動的平衡」という理論をその成立事情もこみで紹介する。それは、生体を構成する分子はたえず分解されつつ食物として摂取される分子と置き換わっているのであって、私たちの身体は常に変化しながら何とか一定の状態を保っているにすぎない、という認識だ。「流れ」の生命観。私たちの「記憶」もまた同じであるらしい(第五章)。
もちろん、本題の「BSE」についても科学的に緻密で政策提言的な議論を行っている。また「プリオン」を「発見」したノーベル賞受賞者についての伝記的な紹介文(その学説の問題も適確に指摘)なども含めて、全体に文章がとてもいい。著者は地道な実験にいそしむ科学者であるらしいが、才気あふれるジャーナリストでもある。すばらしい作品の登場に感激した。 (ソコツ/2005-02-06)
もう一度認識を新たに ||||||||||||||||||
本書にあるように、現段階ではまだBSEが本当に異常型プリオンタンパク質によるものなのか疑問が残る点もある。それ以上に重要なのが、著者が述べているように、本来行政や政治から独立して科学的判断を示さなければならない食品安全委員会がアメリカ産牛肉の輸入再開の露払い的役割を担っていることだ。我々にはもっとこういった情報が大きく報じられて良いはずだ。また、これまでアミノ酸レベルで消化吸収が行われると思っていたのが、実は原子・分子レベルまで分解されて消化吸収が行われているということが大きな驚きだった。しかも、それはシェーンハイマーによって1930年代に明らかになっていたというのだ。
 本書は様々な意味で現代の食のあり方や、政府の対応といったことに疑問を投げかけている。多くの層の人に読んでいただきたい作品である。 (dragonyuzunan/2006-02-04)
~「食べる」とは、どういうことなのか。私たちの欲求の一つである食の大切さをロジカルに、そして分かり易く、説明してくれている。また、研究における問題点、情報公開における問題点など、私たちが無意識に信じてしまうという行為に警鐘を鳴らしている。専門的な知識を持った人も、持っていない人も、食への意識の仕方、情報氾濫時代における自分自身の振る~~舞い方、について理解を深める事ができる。~ (KOUHAKU/2005-01-11)
「ほんとうに頭がいい人は、難しいことをわかりやすく説明できる」という実例のような、そしてわかりやすいだけじゃなく、日本語の表現としてもブリリアントな筆致に思わず惚れそうになる本。
読書中、この通俗的な書名からは予想もしていなかったのに、真に科学的な思考は哲学に近接するのだなあ、と思わずギリシャ思想に思いを致す叙述が頻発。
そしてもちろん、人間の健康に関する緊急課題であるタイトル内容も、じつに平明に解き明かされています。ノンフィクションでここまでスリリングとエレガントが共存している書物は実に貴重。
さあ、どうぞこの値段で、明晰な日本語による「牛をめぐる冒険」を! (Mmc/2005-03-20)
まだ牛を食べたら危険だ |||||||||||||||||||||||||||||||||
本書の言う生命の動的平衡論は、「生命とは何ぞや」という
根源的な問いに一石を投じるものです。
生命というものに分子レベルで言う物質的な裏付けは、
何もないと言っているのですから。
しかし、それもマクロ的な議論に終わっているため、物足りなさを感じます。
私としては、細胞・分子レベルのミクロな仕組みの解説に、
もっと紙数を費やして欲しく思いました。
この辺も含めて、本書全体に通ずる情緒的なところは気になります。
特にシェーンハイマー礼賛とプルシナー批判は露骨です。
その勢いで最後にアメリカ牛肉の輸入解禁批判を論じるものですから、
感情的な結論との印象が拭えません。
「今のリスクを考えれば、まだ牛を食べたら危険だ」という議論は、
毎年その影響で多数の死者が出ている、自家用車とタバコの販売は
即刻中止すべきという議論にも行き着くはずです。
批判すべき点は多いですが、いろいろと考えさせる本ではあるので、星は4つです。 (kentmild/2005-02-27)
関心を持ち、購入したものの、長い長い間放置してあった。先日、ちょっと時間の空きができたときに覗いてみたら、止まらなくなった。読ませる。
 ただ、私が積ん読してしまった原因でもあるが、タイトルが悪い。しかも内容とマッチしていない。もちろん狂牛病の話なんだけれど、著者の熱意は明らかに、狂牛病を論じるための土俵作りの方に向けられている。その意味ではバランスの悪い本。
 しかしシェーンハイマーにもとづく生命論は面白かった。「肉体」とは、分子のレベルでは「数日間のうちに入れ替わっており、『実体』と呼べるものは何もない。そこにあるのは流れだけ」(p56)で、「たまたまそこに密度が高まっている、分子のゆるい『淀み』でしかない」(p61)。こういう話は初めて聞いたわけではないけれど、この著者の語り口は魅力的。次回作は、シェーンハイマーに依拠した生命論の全面展開をお願いしたい。
 狂牛病対策についても、著者の論点は単なる全頭検査ウンヌンよりも、シェーンハイマー的自然観にもとづく文明そのものの方向転換を求めているように思う。その意味でも、タイトルをはるかにはみ出す内容となっている。
 個人的には、全頭検査の維持に賛成です。自動車やタバコはどうなんだと難癖つけるような論法は、端的に問題の性質を履き違えているか、意図的なものだとしか思えない。  (モワノンプリュ/2005-06-20)
私は幼い頃、教科書のダブルスタンダードに悩んだ。同じ科学の教科書だ。もうちょっと子供向けの文書だったが、大体次のようなことが書いてあった。

・細胞は生き物の最小単位で、膜で包まれていて真ん中には核があります。

・すべての物質は元素からできており、これ以上分けることができないものです。

どっちが一番小さいんだよ!世界の中で一番小さいのはどっちなんだよ!と幼い私は悩んで教科書を何度か読み返した。すると文書の中で、「生き物の最小単位」と「物質」とが違うことに気付き、「じゃあ細胞は元素から出来ているんだな」と科学の先生に噛み付いたが科学の先生はうまく説明してくれなかった記憶がある。そして教科書や参考書を調べまわっても、細胞と元素との関係を記した記述はなかった。

時は数十年経ち、私の中では「細胞は元素で出来ているはず、焼いたらこげるし人間は水で出来ているというからH, O, Cあたりでできているんちゃうやろか」というレベルの推測のままこの本を読んだ。
過去の私の持っていた認識について、もっと衝撃的なことが書いてあった。

「代謝回転は、細胞レベルではなく、その細胞を構成している分子のレベルで絶え間なく生起し続けているのだ」

確かに細胞は分裂して増殖していき古くなったら死ぬ。でもその細胞自体が常に作り替えられている!
このショッキングな事実は、化学の授業で習った同位体を元に僅か数ページで平易に解説されてしまった。

高校までならってきた物理、化学の知識を借りて読むとなおさらおもしろい本であり、敢えて言えばこのような平易かつ分かりやすい教科書があれば自分が理系の道を捨てることはなかったのではないかと思う。

ただ、シェーンハイマーの個人的な生い立ちにまでページを割く必要があったのかが疑問なので4つ★。 (ビヨーク大好き/2009-01-04)
まずこの本を読む前に著者の「生物と無生物のあいだ」を読まれることをお勧めします。
本書内でも触れられている「動的平衡」やその発見の歴史などがより詳しく書かれているので、
より良い理解を得られることでしょう。

さて、本書ですがタイトルは著者の希望通りだったかどうかは疑問です。
当時の政治的懸念事項であった狂牛病をタイトルにつけることによって
売り上げを伸ばそうとした出版社側の憶測を感じます。

本書は確かに狂牛病をテーマにした本ですが、
その内容は分子生物学を学ぶにあたって避けては通れない、
政治的・倫理的な問題を実にうまく提起しています。
狂牛病発生までの過程をドキュメンタリー的に追跡することによって、
人間が犯してきたおろかな間違いや判断を指摘しています。
もちろん著者の意見が読者の賛同を得られるかどうかはわかりませんが、
私は納得・賛同します。

今日、どうして狂牛病が人類に脅威を及ぼすような世界になったのか?を
著者のわかりやすく、テンポの良い日本語を通して考えてみてください。
(Dr. Gonzo/2008-04-27)
2004年最大級のトンデモ本 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
著者の主張を帰納するとこうなる
「不確実性を持ったリスクは、その不確実性が排除されるまで受け入れるべきではない」

しかし、この主張が誤りなのは自明とすら言える。
1.不確実性を排除することは現実問題として不可能である
  例:タバコを吸うことでガンになる確率は高まるが、完全には定量化できていない。
2.われわれは不確実性のなかを実際に生きている。
  例:タバコを吸うとガンになるかもしれないが、ならないかもしれない。
3.われわれは不確実性に対し、政治的ないし、よりベターな方法として統計的手法に
  よって折り合っている。
  例:喫煙可能年齢が20才という年齢設定は極めて政治的である。統計的な例では
    自動車保険を上げることができる。

こんな理科の基本中の基本を無視した人間が、リチャード・ドーキンスの著作、「虹の解体」の翻訳者であることに私は非常に失望を感じた。 (レビュア/2005-05-01)
狂牛病だけの話ではないところが、評価の分かれ目だ。
著者の言う「動的平衡論」は、俗耳には入りにくい生命観であり、これに触れておくことは、世界観を広げることになろう。要は、「固定的な実体は、ない」ということを、化学の言葉で説明している。
なお、「動的平衡論」が端的に知られるのが、「記憶は信号の流路パターンである」(p140〜144)という章である。

しかし、下の「書いてあるからといって事実とは限らない」というレビューを読み、「動的平衡論」の科学的価値については、保留しておくのがよさそうだ。 (ひろぴー/2006-10-20)
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生命と食 (岩波ブックレット)
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岩波書店(2008-08)
福岡 伸一
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¥ 504(中古:¥ 440)

所属カテゴリ:
文学・評論
レビュー総評点:-36
講演をおこしたものです |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
 やや感情的な内容で、気になります。学者がその肩書き付きで発言する際には、専門外のことに口出しすることは、もう少し慎重に行うべきではないでしょうか。
 たとえば著者は食品添加物を否定していますが、食品添加物の使用によって食品の安全性が飛躍的に増大したことについてまるっきり評価しないのは、フェアな態度ではないでしょう。今でも発展途上国に行くと、安心して生水を飲んだり生ものを食べたりはできません。著者の否定する食品添加物や、コールドチェーンが存在していないからです。
 なにもかも昔が良いというのは、科学者のとる態度ではありません。文明の良いところも、良い部分は良いと認めるべきです。
 帯に書かれた最相葉月の推薦文も、的はずれで感情的。なんだかあちこちで誤解を生みそうです。

 考え方はともあれ、これは講演録を起こして加筆した本なので、著者の以前の本を読まれた方が読んでも目新しい発見はないでしょう。
 この本は、前作が売れすぎたせいで、急に増えたオファーをこなすために書かれた、やっつけ仕事と見て間違いありません。

 福岡伸一の本を読んだことのない方なら、『プリオン説はほんとうか?―タンパク質病原体説をめぐるミステリー (講談社ブルーバックス)』をまず読むと良いでしょう。良書です。
 しかし、学者としての彼の説は、専門家の間では、賛否半々であることも頭に入れておいてください。 (みたか/2008-08-22)
個人的にのみ生命は語りうる |||||||||||||||||||||||||||||
 ゆくりなく、思いつくまま語ることをお許し戴きたい。

 ルドルフ=シェーンハイマーの「動的平衡論」を核として、既存の科学知識をもとに著者なりの立場から、前著『生物と無生物のあいだ』で省略された部分、とくに「生命」にとって「食」のもつ意味が、本書ではさらに吟味・敷衍される。そもそも、「食物」とは従来、「生体のエネルギー源」としてとらえられることが多かったが、「動的平衡論」の立場からすると、それは単に「エネルギー源」であるのみならず、「生体の構成要素」また「流れを形造る物質」としての意味をもち、かつその振る舞いは、生命現象そのものの本質をなすことになる。

 クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)を俎上に乗せ、人間にとっての「食のあり方」、自然の一部としての「人間のあり方」について、著者なりの審美感に基づいた「動的平衡モデル」が語られる。ここでの「動的平衡」は単一の生物個体だけに関するものではもはやなく、地球環境および食物連鎖をも視野に入れた「‘動物・植物・鉱物等の間を生々流転する’人間をふくむ自然というダイナミズム」に関する言及と言ってもよいかもしれない。


 本書および前著を通じて生物の世界を俯瞰すると、地球上のあらゆる動物や魚類、昆虫、さらには植物や細菌でさえ、この地球以外のどこにも住むことが不可能であることを別の言葉で言い替えているようにもみえてくる。一見、なんの意味もないような、たとえば南海の目立たない海草が、同じ地球上の遠く離れた島に住む哺乳類にとって意味がないとはけっして言えず、むしろ、たった一つの生物種でさえ、それがいなくなることで生存をおびやかされる別の生物種が多数存在することが推測される。それが、生物個体内の分子の振る舞いのレベルから言えることになる。そしてもはや、われわれは、今後もずっと、地球上の様々な生物種とともにこの地球で生きていくことしかできないような気もしてくる。

 「動的平衡状態にある流れ」を本質とする生物体として、自己をみようとした時、われわれは、どのようにして己というものを理解し、また自己の人間としての尊厳を守ることができるのだろうか?さしあたりは、生物種として、現象として、また意識という形而上学的部分をも有する存在として。これは嗜好をふくむ微妙なテーマであり、生命の意味を探る試みであるとともに、各人の審美感をめぐる明確な好みの問題をも内包している。そしてたしかに、本書中の記載は、講演それ自体としては真摯に行われたものではあろうが、見方によっては個人的な審美感の押し売りになってしまう危険性を孕んでもいる。私は著者の、時にある種のイデオロギーを連想させる言説に必ずしも与するものではないが、しかし、本書はそもそも論文でも教科書でもなく、生命につき回顧的、個人史的に考察が試みられた一般書籍『生物と無生物のあいだ』の補遺としての、『食』をめぐる著者の考察および提言である。独創的な考えを述べるに当たっては、個人的なスタイルをとることは不可避であったろう。それに、およそ人は、極めて私的に語る方法でしか、「生命なるもの」の本質に迫ることはできないのではなかろうか?


 人間による生命や人間、また食生活をふくむ生活文化のとらえ方には、その時代の科学技術と知識のレベルにより、各時代ごとに異なったあり方が許されるものと私は思う。そうではあるが、その時代の科学と文化を背景として、人間が人間らしくあり続け、かつ人間の尊厳が守られ続けるために、人間自身が、その時代の科学技術・知識の意義とその文化に於ける位置づけを明瞭に認識し、咀嚼した上で、その時点で十分に理解していなければならないことがある。その中で、もっとも中枢を占めるテーマが、ほかならぬ「生命とは何か」という問いであることは、本書の述べるところでもある。私見によれば、この著者の持論は、現代最高の生命概念の理解に迫っていることは疑いえない。そして、それらをも参考にしつつ、できれば私たち自身も、自分にとってふさわしい「自己の生命観」「食生活の倫理」を探求すること、探求し続けることが望ましく、それが食物連鎖をも踏まえた生命環境の調和と保持、ひいては文化に於けるそれに役立つのではないか、と述べることは凡庸にすぎるであろうか。

 私はその方面の専門家ではなく、おそらくこれは著者もご存知にちがいないが、「エントロピー S」は断熱系が仮定されないと、現象変化の方向を予測できないことが、たしか言われているから、恒温動物の生体内変化を評価する物理量としては、「ギブスの自由エネルギー G」およびその「mol数nによる偏微分 μ≡∂G/∂n」(1mol 当りのG)である「化学ポテンシャル μ」が、変温動物に対しては、「ヘルムホルツの自由エネルギー F」が、より適した指標であるだろう。しかし、著者の言いたいことは、たいへんよくわかる気がする。 (Largo/2008-08-26)
福岡さんの本がベストセラーになっているのは知っていましたが、
初めて読んだのがこのブックレットでした。
なので、比較のしようがないし、こういった意見に対する
他の専門書などを私は読んだことがありません。

ただ、ご本人も「賛否両論はあります」と仰っていました。

私も「これがすべてだ!」と断定できるわけではありませんが、
読んでおいてよかった、と思いました。
生物学者だそうですが、日本語自体もとても分かりやすく、
どちらかといえば詩的な印象すら受けました。
そのくらい、日本語自体が美しく、読んでいて楽でした。

牛乳、ホルスタイン、狂牛病(あえて著者はBSEではなく、
狂牛病と言っています。その理由は著書で)、
ファーストフードに添加物。

その全部を否定しようとは思いませんし、
ここに書かれていることが100%本当かどうか私には
証明する手段がありませんが、
それでもなお、知っておいてよかった、と思い、
ホルスタイン母子の悲哀に胸が痛くなりました。 (vega/2009-04-28)
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プリオン説はほんとうか?―タンパク質病原体説をめぐるミステリー (ブルーバックス)
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講談社(2005-11)
福岡 伸一
売上順位:29356
¥ 945(中古:¥ 457)

レビュー総評点:197
プリオン仮説の検証 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
 狂牛病(BSE)が社会的問題となっているいま、政治的思惑とは別に、
伝達性スポンジ状脳症を引き起こすものが何であるのか、いまいちど
真摯に考察してみる必要があろう。本書は、論理明快に書かれており、
問題のありかや歴史的経緯を、門外漢にもわかりやすく描き出している。
専門は違うが、同様の材料を扱っている者として、実験手法に対する
議論も順当であると感じられた。原典が明記されているもののうち、
二報の原著論文にあたってみたところ、曲解はなく、ごく細かい点を
除き、適切に引用されていた。トンデモ本の類いのセンセーショナリズム
とは一線を画している。むしろ、同一のデータを前にしても、立場に
よって全く異なる解釈が可能であるという、科学のおもしろさを伝えて
くれる書であり、ブルーバックスの名に恥じない好著である。これから
科学を志す若い人に薦めたい。 (千代郎/2006-02-16)
 BSEのリスクがCJD感染ではなくその発症の確率にするとすると、その結果を人々が知るのは今から十年も二十年も先であり、それもよく判らないかたちになるだろう。インフルエンザの数時間からエイズの十年までこれまでの感染症のタイムスケールを超えた一、二世代もかかるこの問題に真にどれだけのリスクがあるかは、事後的にしか判らない、ということはこれは通常の管理の問題を超えているということである。他方でCJDへの感染は立証済みと言ってよい。煽ればいいものではないが、リスクをゼロに極限することができない以上、安全を確認している時間だけでもリスクの存在を前提に治療方法の探究を急ぐべきだろう。
 本書はノーベル医学生理学賞受賞者スタンリー・プルシナーへの評価と異議申し立ての両方を虚心坦懐に公平に論述しているが、著者が支持しようとしているウイルス核酸説の立証はこれからだ。同カールトン・ガイジュセックの魅力溢れる顔写真も載っている。個人的には後者の評伝や業績についてもっと知りたいと思う。狂牛病についても類書は最近増えてきたが、本書のように膨大な科学的専門知を簡潔に分かり易くまとめたものは今までにない。前著の『もう牛を食べても安心か』(文春新書)以上の画期的労作である。 (鈴屋飯依比古/2006-05-12)
例えば、これまでブルーバックスを数十冊あるいはそれ以上読んできた人でも、科学者であれ非科学者であれ、あるいは研究者であれ非研究者であれ、誰にとっても「精密さを失わない分かりやすさ」を持つ良書である。ぎりぎりまで専門的な最新の知見をフォローしながらこれほど分かりやすく書けるというのは、啓蒙書としてのブルーバックスの見本であるといえるだろう。とりわけ、これまで「プリオン(説)」というキーワードがタイトルに入った本をかなり読んだ人にお勧めしたい。 (永澤 護/2006-10-13)
良質な入門書 ||||||||||||||||||
Blue backsは科学の入門書として極めて優れたシリーズであり、このシリーズの読者層がいる日本はまだ棄てた物ではない。本書は、科学的検証の入門書として、この難しいプリオン仮説を平易に説き、かつ疑問点を丹念に検証しており、とても興味深い、面白い本であった。大切なことは、何が正しいかを性急に明らかにするのではなく、真実を知るには時間がかかるという事であり、真実とすることの難しさを感じることだろう。マスコミもこれくらいの慎重さをもって、調べて、事実と感情を区別して報道してもらいたい。 (ボウモア/2006-12-10)
福岡先生の「生物と無生物のあいだ」を読んで感激した後、遅ればせながらこの本を手に取りました。本書を読み通すと「星の王子さま」の有名なせりふ
"On ne voit bien qu'avec le coeur. L'essentiel est invisible pour les yeux."(物事は心でしか見ることができない。 大切なことは目には見えない)
を思い出しました。科学者が実験の生データに接するとき、その科学者の心のありようで結果の読み方が変わりうる訳です。(科学って、けっこう"人間臭い"のです) 同じデータでもプルシナーの心眼(プリオン説)から見るのと、福岡先生の心眼(レセプター仮説)から見るのとではエライ違いであって、科学の心得のある人が虚心坦懐にデータを見れば福岡先生の主張の方がよりシンプルで分かりやすいと思うことでしょう。(ここで「オッカムの剃刀」を思い出して下さい。1つ実験結果が出てはアドホックな説明を要する仮説ほど、棄却されるべきなのです) 勿論「科学は自己修正過程」(Carl Sagan)なので、最終結論は先になるとは思いますが。
個人的感想ですが、たんぱく質の形状(folding)を決める原理がクリアになれば、プリオン説の滑稽さに気付けるかも、とも思いました。タンパク質の形状を決めるのは、全エネルギー極小化(平衡状態)という要素の他に、そのタンパク質が合成されるまでの履歴(時間軸)/kineticsも重要な因子な筈であって、その観点からプルシナーの実験(異常型プリオンタンパク質と正常型プリオンタンパク質を混合して、何とかして全て"異常型"だけに変える)を眺めると、何だか滑稽です(←そういう努力も必要ですが、報われなくても当然)。ほか、物理屋の私が読んでも、色んな意味で「頭の体操」になりました。科学者の卵にも一読を薦めます、論文を鵜呑みしない練習になります(笑)。 (ゴルゴ十三/2007-05-27)
狂牛病はプリオンが原因であるという説はほとんど一般常識となっている。著者はプリオン説によってノーベル賞を受賞したプルシナーの主張が必ずしも完璧なものではないことを周到な論旨で示していく。その過程は凡庸な推理小説よりも何倍も面白い。これまでプリオンはウイルスよりも小さいタンパク性の感染粒子であるから熱処理など様々な殺菌処理にも強い抵抗性を示すのであるなどという説明を聞かされて、何か腑に落ちないものを感じていたのだが、本書を読んで頭の中が非常に整理された気がする。プルーバックスという、ある程度確立された科学をやさしく解説することを主眼にしているシリーズで、どちらに転ぶかわからない医学・生命科学の最先端の議論が紹介されることも新鮮である。 (カボちゃん/2005-12-01)
 相関関係と因果関係を都合のいいようにごちゃまぜにして論理展開する政治家やコンサルタントの話を聞いていれば直感でウソを見破れると自信をもっていましたが、実は自分では高い精度で理解していると思っていた科学的なテーマで大きな勘違いをしていたうえに理解の仕方もいい加減だったことに気がついて、赤面させられました。
 何年か前に狂牛病の原因としてプリオン関連の初期の報道を読んだとき、自分なりにわかった気になってしまい、その後の進展を吸収する心の窓が完全に閉じてしまっていたのです。
 「蛋白質の二次的立体構造上、物理的に鏡像体が発生可能で、その量が一定レベルを越えれば、自己触媒によって増殖し、化学的には機能しないので病変となる。まあ、ありえそうなことかな。」というのが浅はかな認識でした。
 本書では、現役の科学者が、実験的な事実とまざまな理論的可能性を順をおって紹介し、わかっていることと確定できないことを峻別して正確に論述してくれます。専門家の業界外の我々に、これほどややこしい問題をこのボリュームで教えてくれる力量に感謝です。
 頭はもっと使わないといけません。
(jimmy/2007-09-10)
最近、科学が怪しい。光触媒でも怪しい部分が存在する。プリオン説も鵜呑みにするのは危険だ。著者の論旨は明確でプリオン説の妥当性・問題点を明らかにする。

・異常型プリオンタンパク質では病気を発症できない。つまり病原体はまだ特定できていないと言うことである。異常型プリオンタンパク質について現段階で確実にいえることはマーカであること。
・異常型プリオンタンパク質の濃度と感染症の間に正の比例関係が成り立っていない。臓器によっては負の比例関係がある。

少なくとも以上のことを解決できなければ、異常型プリオンタンパク質を病原体と認めることはできない。
プリオン説を認めれば、異常型プリオンタンパク質が通ったり集積する部位のみを危険部位として取り除けば、BSE対策として十分だと言う論旨が成立する。つまり河豚毒と同じ扱いが可能だと言うことである。しかし、プリオンを病原体と認められない現状では、プリオン説によって免罪符を与えることはできない。

(さるサル/2006-01-25)
面白い異論 |||||||||||||||
研究とは、いくつかの材料(実験データ)から目的の料理(成果)に向かって調理していくのと似ていると僕は思っています。本書を読むと、なるほどこういう調理もあるのか・・・と思うこともあります。しかし、自説の展開の為に、今までの研究者の成果(材料)を敢えて書かないでいる箇所があります。例えば、プルシナーらが異常プリオンタンパク質多量体説を唱えるのを空理空論と述べていますが、電子顕微鏡の観測から異常プリオンタンパク質が3量体ベースでアミロイドを作っているのでは?という論文が出版されています。

初学者には、小野寺節『脳とプリオン』や立石潤『プリオンとプリオン病』がオススメかもしれません。

本書のような異論は面白い。でも、もっといろんなお話があるということもこの本を読んだ後に学んで頂けると嬉しいかな。 (てんてる/2005-12-17)
狂牛病の原因として、誰もが聞いたことのある「プリオン」。しかし、それは、説明力のある仮説にすぎない。この「プリオン仮説」の妥当性を、本書は、科学的、論理的思考によって再考察している。プリオン仮説の有利な部分、不利な部分を客観的に述べた上で、筆者の「レセプター仮説」による代案が示される。本書を読んだ後は、いかなる態度が科学的なのかということが実感できると思う。 (リングイスト/2007-10-29)
なかなか決定力が・・・ |||||||||||||||||||
著者の「もう牛を食べても安心か」(文春新書)を読んだときは非常に感銘を受けただけに、本書にも大きく期待した。「もう牛〜」が科学的な事柄のみならず、食品安全委員会のあり方や全頭検査状況にも目を向けていたのに対し、本作はブルーバックから出版ということもあったのだろうが、ほとんどが科学的な事柄で占められてしまった。まあそれはそれで良いことなのだが、プルシナーのプリオン説に対する反論まで行かず、’アンチプリオン説の可能性’に留まってしまったのは少し残念だ。まだ研究が進まないのだろうが、もう一歩踏み込んでみて欲しかった。非常に興味ある分野であり、鋭い切り口で展開する研究者である著者を注目しているだけに少し残念である。今後の研究と著書に期待したい。 (dragonyuzunan/2006-02-04)
 この本は狂牛病の不安を取り除いたり、牛を食べられない不満を解決する本ではありません。伝染性海綿状脳症の病原体研究をプリオン反対派の立場で説明したものです。論文とはこのように読むものだ、ということがよくわかります。簡単な一般的な解説とデータを提示した後、反論を主張するという形式になっています。クイズのようでとても面白いです。スポンジになりそうな私の脳を訓練してくれました。ただしプルシナーに対する悪口が多く、単純に科学的反論に徹していれば気分よく読めるのに、幾分不愉快です。
 以上、個人に対する非難が要改善だが、お勧めです。また、公平を期すため、プリオン説の解説書も読んであげてください(プリオン病の謎に挑む 岩波科学ライブラリー93)。 (関英夫/2006-05-26)
「もう牛を食べても安心か?」で絶賛された福岡伸一氏の最新作。同じ狂牛病問題をテーマにしながら、本書では、ノーベル賞を受賞したタンパク質病原体説「プリオン説」の謎に正面から挑んでいる。それにしても福岡氏の筆力は凄い。専門性が高いテーマでありながら、あたかも第一級のミステリー小説を読んでいるかのような知的興奮が味わえる。なし崩し的に輸入解禁が認められそうな米国産牛肉の狂牛病問題に一石を投じる作品。個人的にも、多くの方に読んでもらいたい2005年ナンバー1作品である。 (美浜三郎/2005-11-25)
冷静に ||||||||||||||||||||||||||||||||||
 プルシナ−説の核心であるprotein-only hypothesis(以下「タンパク質説」)の疑問点を紹介した本。こういう本が出るべきであった。一般の方にもわかりやすく、疑問点を提示している。その意義は大である。タイトルが扇情的な割に(こういうタイトルは編集部の意向でしょう)内容はきちんとしている。タンパク質説の疑問点は2つあり、1つはプリオンに種が存在すること。もう1つは化学的に変性させたプリオンを接種しても発症に成功した例がないということ。このことがきちんと書かれている。
 しかし、著者の依拠するウイルス説にも致命傷がある。何と言っても、遺伝子の影もかけらも見つかっていないのだ。だからプルシナーはノーベル賞を貰えたのだ。この点はきちんと書くべきであろう。その点はぼかした言い方で、フェアではない。
 いずれにせよ、プリオン論争がこれだけ紛糾したのはプルシナ−の独特の濃いキャラクターによるところが大きい。科学以前に感情的な議論になってしまったのは遺憾であった。本書は反プルシナ−の立場であるが、感情的に攻撃しすぎ。これではプルシナ−と変わらないではないですか。この点で大減点。
 プルシナ−が死なない限り、プリオンに関する冷静な議論はできないのね、というのが率直な感想でした。 (isayamabushiko/2005-12-10)
 久しぶりに、読書を堪能しました。それは、本書の著者が頭脳明晰
で、事の客観的理解がきちんとでき、かつそのことを説得力をもって的
確に表現する力を持っているからだと思います。昨春読んだ『もう牛を
を食べても安心か』(以下「前書」)では、動物蛋白質の再生産をめぐ
るシェーンハイマーの知見が鮮やかすぎて目を奪われ、肝心の書名の問
いの答えが記銘されませんでした。本書に全頭検査の緩和と特定部位の
除去は、安全という面からは不合理と明記してあるのを見て、やっとホ
ッとしました。
 それで、あなたはプリオン説をどう思うかと問われたら、迷うことな
くこれを疑う著者に軍配を上げます。それは、プリオン説の真偽以前
に、前書、本書を通じて伺える著者の基本的態度、すなわち自然と人間
の共生を軸に、食物連鎖や生態系に人為的な操作を加えることに警告を
発する著者の態度に共感を覚えるからです。昔から言うじゃありません
か。毒食わば皿まで食えと。著者を支持します。 (野原ひろし/2006-01-23)
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爆笑問題のニッポンの教養 生物が生物である理由 分子生物学 (爆笑問題のニッポンの教養 11)
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講談社(2008-01-11)
太田 光
売上順位:56868
¥ 798(中古:¥ 398)

レビュー総評点:18
番組自体が30分程度で本当に初歩的なものに見えそうですが、太田さんの話が上手いと言うか的確に本質を露にしようとしています。非常に深いです。前の人が書いているように私も、「生物と無生物のあいだ」を読んで大変理解に苦しみました。ですが、この本のおかげで著者が何を主張したかったのか改めて知ることができました☆ (板さん/2008-09-26)
理系の知識がない私にとって『生物と無生物のあいだ』を読みこなすのは大変でした。
分子も原子もゲノムもDNAも細胞も遺伝子もよく分からない状態でしたので…
そのような私にとって、本書は生物の分子レベルで起きていることが分かりやすく書かれていたので大変有難かったです。

著者の福岡さんの一言一言が、科学的に裏打ちされたものであるのはもちろんですが、同時に哲学的な響きを持つ普遍的な箴言のように感じるのは、恐らく私だけではないでしょう。

『生物と無生物のあいだ』が難しいなぁ…と少し疎遠になっている人の入門書になり得るかと思います。
(ryoutinn2001/2008-07-31)
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ロハスの思考 (ソトコト新書)
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木楽舎(2006-06-01)
福岡 伸一
売上順位:44199
¥ 800(中古:¥ 363)

レビュー総評点:-95
LOHAS的思考が書かれているようには思えませんでした。

LOHASは純粋にマーケティング用語です。それ以上でもそれ以下でもありません。

この本で得られる科学的知識は基本を押さえていていいと思いますが、それが「思考」にまで発展できる内容なのかどうかは疑問です。著者の若干感傷的な文章も読みにくさを感じさせます。

LOHAS層は「スローライフ」層や「グリーン・コンシューマー」層とは異なる消費層です。LOHASはいわゆる「自然に還れ」的な思考とは根本的に異なります。

科学の基礎知識は得られても、著者が何をLOHASと考えているのかよくつかめない本です。 (ギャルソン-Fu/2009-01-06)
困ったもんだ ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
狂牛病に関する刺激的な仮説や、先頃出た『生物と無生物のあいだ』で
多くの一般読者を魅了した(むろん自分も魅了されたひとり)気鋭の生物学者によるロハス論。
「ロハスの基礎知識」では広範な論点がコンパクトにまとめられ、
批判的にではあるが、ロンボルグにまで言及されており、目配りも利いている。
しかしここではある種のインテリが陥りやすい典型的な陥穽が現れている。
科学者としての誠実さ緻密さは疑い得ないだけに、困ったもんだとしか言えない。
この手のコスモポリタン・エリート(対談で出てくる坂本龍一などもその典型だが)
のロハス志向に特有なのが、地球資源の有限性は云々するくせに、
限られた資源をいかに配分すべきかを考える思考であるところの
経済学やリスク論に対する恐るべき無理解である。
狂牛病の全頭検査の是非についても心情的にはともかく(自分も心情的には…)
冷静に考えれば、強硬に全頭検査を主張するのは横暴と言うしかない。
また「はじめに」で「直感が導きやすい誤謬を見なおすために」勉強しよう、
とあり、これには諸手を上げて賛成できるのだが、後の方では、
専門家の知見に対して素人の直観を擁護しているのは疑問である。
一種のシステム論的全体論である動的平衡論に基づく「時間性」の倫理が語られるが、
これも「ある種のインテリ」には心地良く響くだろう。
内田樹なども哲学的な文脈から「時間性」を抽出し奇妙な社会評論を繰り広げているが、
相互の影響関係でもあるのだろうか。
確かに環境も時間性も生命の連続性も大切だが、
もっと切迫した貧困と死にさらされている人々のことも忘れて欲しくない。 (セカい共和国屁/2007-07-05)
本書はロハスの基本のキを教えてくれる本。
ロハスはひとつの生き方でありひとつの思想です。
感覚だけではわからない部分もたくさんあります。
きちんと勉強して納得しないといけないものです。

毎日の生活の質を高めていけるよう、まずは本書から取りかかってみましょう。 (のいのい/2007-10-07)
日本では、学校で理科の授業こそあるものの、
科学的なモノの見方や科学と哲学の境界、科学史についての理解が
不十分であるとしばしば指摘される。
この本ではまず「はじめに」において、なぜ勉強をしなければいけないか、
なぜ数学を学ぶのか、なぜ直感に頼ることが危険なのかを明快に述べている。
本編においても、生物関連のトピックを中心におきつつ、クローンや狂牛病、
地球温暖化仮説といった科学と政治とにまたがる問題を意欲的に取り上げている。
そしてまた、生命とは何かという点にもジワジワと侵入している。
唯一残念なのはタイトル、ロハスという単語を見て
「健康と持続可能性に配慮したライフスタイル」を連想する人は少ないだろう。
ここは編集上の問題であろうが、カタカナ外来語でなく日本語で勝負して欲しかった。
全編に渡って、福岡教授の主張、あるいは科学哲学観が感じられる内容であり、
福岡伸一ファンは間違いなく「買い」でしょう。
(はますた。/2007-12-24)
We must take care of ourselves ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「完全に中立な専門家などいない」
「専門家は職業であり、彼らはそのテクノロジーが広まることで糊口をしのいでいる。
だから常に彼らはある選択肢に関して、リスク対ベネフィットの説明に一定の省略を行い、
何らかのインセンティブを設けて、そのテクノロジーを受け入れる方向に誘導する。」
「専門家がもし素人に対して、なんらかの優位性があるとすれば、それはそのテクノロジーの"危うさ"に気がついている、ということだ。」

「私たちは操作の延長線上に解答はないことを知るのである」 (沈思黙考/2007-03-19)
これは出版社の責任だと思うが、誤字脱字の類が多い。
でも、文脈から理解できるし別にいいじゃん。
と、おおらかな気持ちになりますね、ロハスは!
また、雑誌に連載していたときには載っていたのであろう写真や図がすべて省略されているのもロハス的発想なんですかね。

それはさておき、加速する文明をどうすればよいのでしょうね。
自分は安全地帯にいて思い付きっぽいことを評論するのはかっこ悪いし、逆に悪人ぶるのも子供っぽいし。
まあ、せいぜい謙虚に生きていこう。
個人的にはヨーヨー・マさんとの対談が知的に面白かったかな。 (冬の暖かな鎌倉の海岸で/2008-07-01)
 「ソトコト新書」の第一巻である。「生物と無生物の間」という快著を書いた福岡がどのようなロハスを語るのかが楽しみで購入した。感想は二点である。

 一点目。「すべての物質は還元状態から酸化状態へと移行する」という 大きな括りは大変勉強になった。人間が物を食べることも体内で炭水化物を酸化していることであり 石油を燃やすことも酸化であるという話は実に面白い。
 地球温暖化、原油高騰、食糧危機という現代の三題噺を「酸化」という切り口で共通化させられるという点は 誠に考えさせられるものがある。福岡は それを説明した上で 酸化状態から還元状態へ「リサイクル」する 植物の光合成を取り上げ その循環こそが地球の本質であり 循環のバランスの悪化こそが 現在の病根であると指摘する。本書が書かれたのは2006年であり その後の原油高騰と太陽光発電ブームを見るにつけて 本書の先見性には感銘を受けた。

 二点目。但し 本書は散漫のそしりを免れない。
 狂牛病関係に紙面を割いているが 「ロハスの思考」という題名に対する狂牛病からのアプローチに説得性がなく 話が浮いてしまっている。
 これは雑誌「ソトコト」の連載を集めたという本書の成り立ちゆえ やむを得ない面もあろうかと思うが 上記一点目の「切れ味」が素晴らしかっただけに その後のゆるい展開がもったいない気がする。

 ロハスとは福岡が言いきっている通り マーケティングの言葉だ。ロハス関連商品の売れ行きが気になる人も多いと思う。それを割り切りながら 一体何が出来るのかということだと思う。結局 理想と現実の折り合いをつけることこそが 長続きする=sustainableな 運動であり思想であろうから。 (くにたち蟄居日記/2008-07-27)
ロハス(LOHAS)とは何か?
牛が環境や人に対してインパクトが強いのはなぜか?
ロハスな水とは?
携帯電話は安全か?
坂本龍一の考えるロハスとは

など、福岡伸一先生の幅広い知識と交流から「環境」と「健康」について考察しています。

ただ、本書は雑誌「ソトコト」に不定期連載されていたエッセイをまとめたものなので、読後感としてはちょっと中途半端(物足りない)かな・・・。本書を入り口に、ロハスについて考えるのがちょうどよいと思います。 (ムカイ/2007-12-15)
2006年初版の本ですが、気になって読んでみました。
当時狂牛病で騒がれていたのを思い出したのですが、最近のニュースでもありました。
(5/28)国産牛のBSE検査緩和、厚労・農水省検討 米産輸入対象拡大も
自殺者まで出したBSE騒動ですが、今では関連記事の扱いも小さくなり話題に上がることも少なくなりました。
そうしたなか、輸入拡大は徐々に始まろうとしています。

BSE騒動は変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の恐ろしさとともに、草食動物に肉を食べさせる人為操作のおぞましさが人々の恐怖感を刺激したと感じています。
日本で発生した狂牛病は感染ルートの特定が完全ではなかったと記憶していますが、時間が過ぎることで恐怖心と共に用心さも薄れているようです。
BSEのニュースを見ながらいろいろ考えていた頃の自分を思い出しました。

この本では最後に5人の方との対談があるのですが、この内容が2009年現在の状況をぴたりと言い当てているので吃驚してしまいます。
ロハスは自然の循環の中で生きることだという思考の立て方から導き出される答えは、何か大切なものを言い当てているのだと感じます。 (shouske0/2009-06-15)
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講談社(2002-12)
入不二 基義
売上順位:10629
¥ 819(中古:¥ 398)

レビュー総評点:177
そのつど&とりあえず |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
 過去から未来へと動く「今」に視点を置いたA系列の時間と,年表のように過去から未来までを一望に見下ろすB系列の時間とに時間を分けて,時間の本質はA系列にあってしかもA系列は矛盾するがゆえに,時間は実在しない,というのがマクダガートの時間論らしい。これを正確かつ明瞭に解説する本書の前半まではとてもエキサイティングに読めた。
 しかしマクダガードの議論の欠点を指摘し,著者の持論を展開する後半では,その興奮は持続しなかった。著者のきわめて緻密な議論にわたしの粗雑な頭が着いていかなかった,ということもあるだろう。だが,それ以上に,著者の説を構成する新語が気に入らないのだ。
 A系列とB系列が入れ子構造になっていることを説明する際に用いられる「時間のそのつど性」「時間のとりあえず性」,A系列はじつは系列でないことを説明する際の「成る」。
 
 時間の正体は関係性であるという発想には興味を惹かれるが,美しくない新語を駆使して緻密に記述された考えは,真理のもつであろうシンプルさや迫力に欠ける気がして,苦労して追い続ける意欲が持続しなかった。
 
 ほかのレビューアーは5つ星をつけているから,緻密な頭の人には最期まで面白いのかもしれない。値段を考えれば,前半だけでもおすすめできます。 (あべまりあ/2004-11-30)
かなりの良書! ||||||||||||||||||||||
筆者の説明は(おそらく大学の講義で、学生からの質問に答える中で形作られたものと思われる)痒いところに手が届くものであり、筆の運びも軽やかで大変読みやすい。
時間の哲学に関する本は数多く出ているが、そういったものを読む際の基礎的な考え方を身につけるための入門書として、本書は最適であると感じられる。
筆者の時間に関する視点も、大変スリリングで面白い。 (rattled9/2007-04-04)
マクタガートを真正面から攻略する |||||||||||||||||||||||||||||
「時間様相」と呼ばれる過去・現在・未来という時間は、その正確な定義もなく、それが本当に存在するのかどうかも疑問視されてきた。これは「マクタガートのパラドックス」として知られる難問であるが、本書は、日本でこの問題に本格的に取り組んだ最初の書物である。マクタガート自身の記述は簡潔で、しかも予想される異論を反駁するというスタイルなので、そもそも何がパラドックスの核心なのか、従来はよく分らなかった。テキストの細部の問題点を鋭く抉り出す本書によって、パラドックスの全貌はほとんど余すところなく明らかになる。そして考察はさらにその先へと進む。著者は、「矛盾」概念の熟考、時制性と無時制性との交替と連鎖、「とりあえず性」の隠蔽や抑圧という新しい視点から、「動く今」時の流れ」という時間論最大の謎へ肉薄する。大胆な構図によって時間の形而上学が素描される第5章は、日本の哲学者には稀な、本物の哲学する喜びに満ちている。 (お気に召すまま/2003-04-26)
時間論と言えばこの一冊!!!! |||||||||||||||||||||||||||||||
時間に関する本は何冊か読んだけど、この本が一番おもしろくて、わかりやすかったし、すごいと思った。流石に最後のほうは難しかったけど、途中までスラスラ読めたし、哲学の中で、時間がどんな風に問題になっているのかがよくわかる。読んで絶対損はない。哲学が好きな人は(笑)

時間について書かれた本で、どれを読むか迷っている人は、とりあえずこれを読めば大丈夫☆ (哲学する河童/2006-04-20)
著者の展開は実に分かりやすいですが、議論の内容そのものは低レベルなわけではありません。
ゼノンの「飛ぶ矢のパラドックス」から始まって、有名な時間論者をさらっとおさらいしてからマクタガートの論を解説し、さらにその論駁から、著者自身の時間論までを噛んで含めるように着実に進めて行きます。
誰にとっても身近な時間ですが、その正体は古代から現代に到るも、螺旋を描くように中心に迫るようでいて、誰もが納得行く哲学的帰結に到ったというわけではありません。実にやっかいなモノなのです。
本書はそんな時間論を考えるきっかけとしては適当な一冊。
難しいことを分かりやすく解説し、読者に考えさせるきっかけを与えるというのが哲学(解説)書のベストだと思うのですが、本書はその基準を充分に満たしていると思います。 (レグルス/2004-11-14)
時間を思考の対象にする |||||||||||||||||||
面白かったです。
マクタガートという哲学者は知りませんでしたが、
A系列、B系列、C系列という時間の性質についての解説が、
とてもわかりやすく書かれていたように思います。
彼の時間は実在しないという命題が、実は、
証明にあたってその主要な構成要素を前提にしてしまっている、
とのことです。時間は、思考の対象である前に、
思考の構成要素なのでしょうね。
だから、どのようにでも言えるかわりに、
解決しがたいのだ、と著者は考えているように、
僕には思われました。 (lucky_dog/2003-11-27)
考えれば考えるほどわからなくなる「時間」というもの。
それをわかりやすく説いているのが本書。

ただ、わかりやすいといっても後半は結構難しい。
筆者の新語もちょっととっつきにくく、混乱させられるかもしれない。

ただ、前半のマクダガードの議論とその欠点まではすらすら読める。そこまででやめても十分なぐらいの良書。 (θ/2007-02-23)
『相対主義の極北』でデビューした哲学者入不二基義氏が、その手法を時間論に取り入れて完成させた名著である。
 体裁としてはマクタガートの「時間の非実在性」という有名な論文を下敷きにして、それを解説・反駁しつつ入不二自らの時間論を描き出すという構成になっている。第一章では準備作業としてマクタガート以前の時間論(ゼノン、アリストテレス、アウグスティヌス、ナーガールジュナ、山田孝雄)が紹介され、第二章と第三章でマクタガートの時間非実在論が解説される。第四章ではマクタガートの証明が失敗に終わっていることが論証され、第五章において入不二自身による形而上学的時間論が語られる。
 図をふんだんに用いた入不二のマクタガート解説は丁寧で分かりやすく、これだけでも読む価値は充分にあるが、何と言っても本書の白眉は第五章の入不二時間論にある。過去と未来の区別がなくなってゆき、「時間は実在するか」という問いそのものが失効するスリリングな展開には思わず息を呑む。
 詳細なマクタガート解説の後ろに隠れてしまっているが、本書は全く新しい時間論の書であり、ハードカバーで出さなかったことが惜しまれるくらい充実した内容である。中島時間論とも野矢時間論とも違う独創的な入不二時間論の、現時点での到達点といっていい一冊である。 (Tod/2009-04-20)
連日、持続、くらし |||||||||||||||||||||
たしかショーペンハウエルとかいう哲学者が物事とか事象が変化しなければ、
時間は意味をなさないと発言していたようです
みかけの現象を記述するには言語や関数が必要ですが
時間は一見なにも感じないし見えない透明な
存在が証明できないもののように感じてしまいがちです
僕は続編が読みたいです
併せて「時間と自己」もお薦めです
僕は勉強不足でして稚拙なレビューで済みません
綺麗なレビューを読みたい方へ (老医/2008-04-13)
「時間」には
我々が実経験する「時間」
物理学的な「時間」
形而上学的「時間」がある。

形而上学的な「時間」についての良書であると思う。
途中からの自論が展開されるからこそ、作者の迷宮での奮闘振りが伝わってくる。

実は「物理学的時間」も素粒子論のミクロ世界になるとC時間が現実になるのか・・・?
因果律と「時間」の矛盾とかいろいろと考えながら読んで楽しませてもらいました。

(/)
驚くほどつまらない本。
作者の意図なのか、それとも書き方の癖かはっきりしないが、
文章の中に補注のための括弧が散見し見苦しい。
必要の無い括弧による意味補強も多々、
また、同じ語彙のしつこいくらいの反復によって、更に読むのが嫌になるという悪循環。
他の方のレビューと私の読後感が是ほど乖離していることも初めてだし、
読むのが苦痛だった本は久しいので驚いています。
(clarinet/2008-04-30)
面白かったです。
マクタガートという哲学者は知りませんでしたが、
A系列、B系列、C系列という時間の性質について、
わかりやすく解説されていました。
彼の時間は実在しないという主張が、
証明において、それ自身の主要な構成要素を
既に前提してしまっていると、著者は言います。
時間は思考の対象である前に、思考の構成部分なので、
それについて、どのようにでも言えるが、
解決できないのだ、ということになるのではないでしょうか。 (lucky_dog/2003-11-27)
12件のレビューを表示しています。
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