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「生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)」 とその関連商品
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生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
ASIN:4061498916講談社(2007-05-18) 福岡 伸一 売上順位:200 ¥ 777(中古:¥ 210) これを買った人はこれも買ったよ![一覧で見る] |
レビュー総評点:-86
「生物と無生物のあいだ」についての深い考察は無い |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
著者は分子生物学者です。分子生物学の視点から述べているということを念頭に置いておく必要があります。
一言で言うなら、著者は、「生命とは動的平衡である」と定義しています。 それを、「生命とは自己複製を行うシステムである」という著者とは別のひとつの定義に対抗するものとして、提示しています。 よって、「ウィルスは自己複製を行うが、生物ではない」と本書の最初の方で言っています。 ここで言う「動的平衡」とは、生物も当然分子レベルでのパーツの構成物ですが、その分子レベルでみれば、絶えず分子は入れ替わっている(食べたものが吸収されて生物の構成物となり、排泄等により生物の対外へ出て行く)という意味で「動的」であり、同時に「動的」でありながら、常にある個体としての生物を形作り、その中でその個体を生かすために協働している秩序のある状態という意味で「平衡(均衡)」ということです。 (著者は分子生物学の方ですから、分子的に動的平衡という事ですね) 簡単に言えば、帯に書いてある「生命とはなにか?」という問いに合う部分はこれだけです。 また、この主張自体は大昔にされているものです。 本書の他の部分は、 3分の1くらいは著者の叙情的な追想といったものです。 残りの3分の2は、著者の研究に関連してくる部分での分子生物学の歴史、といったものです。 DNAの話など、高校の生物レベルの内容+裏話で本書のかなりの部分が割かれてしまっています。本書を手に取る多くの人が既知の内容だと思うので、寧ろなかなか本題(生命とは何か?)に入らない感じでイライラすることでしょう。 周囲の風景描写や著者の知人などについての記述も、本書を手に取る人の目的に合わず、読み飛ばしたくなると思います。 著者自身に興味があるか、または、分子生物学にまつわるエピソードを読みたい方には良いと思います。 しかし、生物・無生物についての理系的な深い分析を期待される方には物足りないでしょう。 (名前はまだ無い。/2007-07-31) 著者の研究者時代の追想、DNAの発見を巡るもろもろの出来事が半分ほどを占める。
裏話的なことや研究者としての日常は、その手の知識をほとんど持っていない私にはそこそこ面白く読めたが、『生物と無生物のあいだ』というタイトルから期待したものは書かれていなかった。 もちろん著者の定義はでてくるのだが、なるほどね。という以上のものではなかった。 「うまいタイトルつけてもらってよかったね」という印象。 (ねじ/2008-11-03) 新書のベストセラーは珍しく有りませんが、
科学ネタでのベストセラーは珍しい、と思っていたら案の定です。 (生物学の)啓蒙書かと思いがちですが、 本書には「私(=著者)は〜にいた時、〜をした」といった記述が多々。 芸能人やスポーツ選手でもない方が、新書で自伝を出版する人は珍しいでしょう。 殆どが著者を含めた研究者のゴシップ(良く言えば「人間ドラマ」)で、 たまに見かける生物学記述は、 特に「生物と無生物のあいだ」に関するものではなく、 分子生物学一般に関するものです。 「生物学」ではなく、「生物学の研究者とは」を知るにはお薦めの一殺かもしれません。 (natalie_imbruglia/2007-08-22) 多くのレビューによって絶賛されている作品ですので、
蛇足を承知で書かせていただきます。 私は宇宙物理の研究者ですが、 以前からこの分野には興味を持っていました、 入門書・専門書をいろいろ読んだのですが、 細胞からDNAに掛けての物理的位置関係と相対的機能(要は基本です) が良くわかりませんでした。 妻は分子生物学の研究者なので、いろいろと教えてもらえるのですが、 それでもよくわかりません。 ところが、この本は入門書として完璧です。 よくわからなかった事を、すべて見事に説明してくれています。 その上、分子生物学を考える上では避けて通れない倫理的問題にも 触れてくれています。 そして、強調したいのは、作者の水際立った文章力です。 本来は難しいことを、実に優しい(易しい)日本語で、 実にわかりやすく、そして非常にテンポ良く書かれているので、 読み始めたら止まりません。私も実質、出張の移動中に読みきりました。 「動的平衡」をキーワードに福岡流分子生物学の世界を満喫してください。 後世に残る名著でしょう。 (Dr. Gonzo/2008-04-27) 既に書いてあるレビューとだぶるのですが・・・。読み物としては結構という点で多くの感想に同意します。他方、肝心な科学的記載に疑問があります。花粉でブラウン運動が見れる、というのは誤りです。おそらくは花粉に付着あるいは中から染み出た微細な油の粒子がゆらゆらしているのがブラウン運動です。花粉そのものの様に大きな粒子はブラウン運動しません。物理の基本です。このような初歩的な誤りに気づかない著者が「生物と無生物のあいだ」を説明できるのでしょうか?
(なにわ/2007-08-19)
この本の賛否が分かれているのはわかる気がする。
帯に大書きされている「極上の科学ミステリー」という内容を期待すると、「そうかな」と思う読者が多いに違いない。私はこの本の科学的精度を論じる知識を持たないが、批判的な方々のレビューを読むと、なるほど、科学者にしては不用意な記述もあるのかなと思う。 しかし、結論から言えば、私はこの本を好ましく読んだ。 以前に読んだ立花隆・利根川進著『精神と物質 分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか』に印象が似ている。この本も「科学ミステリー」というより、「科学者という生き方」に興味をそそられたが、『生物と無生物の間』もそうだ。 分子生物学者の目に映る都市と自然、日常生活のすぐ隣にあるDNAの世界。また、野口英世やオズワルド・エイブリーといった「偉大なる先駆者」たちの功績と人柄も、この本からうかがい知ることができる。 科学者が書いたエッセイとして、読んで損はない本ではないだろうか。 (heartland/2007-09-07) ランキングで売れていたのであまり期待せずよんでみました。
どなたかも書かれていましたが、非常に美しくかつわかりやすい名文です。 科学者の心と、詩人の心がバランスした心に届く文章は、あのカーソンの 『センスオブワンダー』を彷彿とさせます。 科学的知見の概説というと、ともすれば硬質になるか、舌足らずの中途半端 なものになりがち。 「かすかな口づけ」「研究の質感」「街の通奏低音」「一回性の折り紙」・・・ これらの言葉に表れる感受性が、本書に概説を超えた魅力を与えています。 生命という現象への驚きと畏怖の念、それを文章で喚起する難しい仕事を 本書は見事に達成しています。 個人的には「あとがき」が特におすすめです。 (白頭/2007-06-30) 結論から言えば、読むに耐えません。
著者は、21世紀の寺田寅彦を目指されているのでしょうか。 理系と文系をつなぐべく、「科学読み物」として、特に「読み物」の部分を強調して書かれています。 しかし私には、「もう牛を食べても安心か」(文春新書)で紹介された「動的平衡」を、 本書では文学的表現を織り交ぜ、水増しして(字数を稼いで)、 構成してようにしか読めませんでした。なかなか本論に到達しないので、イライラします。 「動的平衡」ならば、「もう牛を食べても安心か」(文春新書)の 「記憶は信号の流路パターンである」(p140〜144)を参考にした方が早いでしょう。 (ひろぴー/2007-08-15) これは物理屋が読んでも面白い分子生物学の本です。シュレディンガーの名著「生命とは何か」でクリック/ウィルキンズ(物理屋さん)が啓発されて生物学に転向してDNA構造解明に貢献した(※)のは有名な話ですが、本書も日本においてそういう役割を果たしそうな予感がします。本書は「生物と無生物を分けるものとは何か?」という本質的な問いに完全解を与えている訳ではありませんが、上記のシュレディンガーの本と同様、重要な指針を与えていると確信します。時間軸を強く意識した統計物理学(非平衡論、自己組織化)・複雑ネットワーク(縮退度)の観点で「生命」(動的平衡)を捉え直すとどうだろう、と思うとワクワクしました。(同時に『生物=機械』的な最先端技術に疑問を感じます。クローン人間なんて、あんなやり方では無理だろうな...) この本を読み終えると確実にモノの見方が変わります。
本書には所々に科学史・人物伝が織り交ぜられており(裏話も豊富で、上記(※)の裏話もあり)、「科学研究の営みの生々しさ/人間臭さ」も伝わってきます。(生命科学における「縁の下の力持ち」達にもスポットライトがあてられます) 福岡先生御自身の体験談も読み応えアリ。知的興奮を覚えます。一冊読み通すと「研究者的態度・科学魂」(寺田寅彦)も身に付きそうです。『研究の質感』とは何か、も教えてくれた本書は★5つでも足りません! (ゴルゴ十三/2007-05-20) 本のオリジナリティも低いが内容の科学的記述もひどいものだ。ブラウン運動について花粉を持ち出すとは高等学校の物理のレベル以下だ。花粉のような大きな粒子はが水分子の運動で動かされるわけがない。動的平衡も古びた説であって現代生物学をわずかなりとも知る人間にはあたりまえのことである。この程度の知識の持ち主が大学で自然科学を講じているのもお笑い種だが、その本が「科学書」として高い評価を受けているとは、日本の理科教育、自然科学教養の低下もここまで来たか、と嘆息を禁じえない。「科学立国日本」の没落を象徴する現象だ。
(かるる/2007-08-19)
結局、何も書いていないのと同じ ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この本のタイトルについて何らかの示唆が得られると思ったら大間違いである。プロローグにおいて著者は、大学に入り立ての頃の生物学の講義で、生命とは何か皆さんは定義できますか?という教師の問いかけに期待したが、結局は生命がもついくつかの特徴を列挙するうちに講義日程が終わってしまったと述べているが、著者はこの本においてその教師とほとんど同じことを繰り返している。著者はただ単に、生命がもつ特徴を列挙することに加え、それらをいかにして科学者たち(および自分自身)が記述してきたかも述べているに過ぎない。
しかも、出だしからマンハッタンがどうのこうのと余計な記述で始まり、ずっとそのまま終わりまで余計な記述にページを割いているものだから、この小さな文庫本で述べられている内容は非常に中途半端なものである。中途半端な記述の例はたくさん挙げることができるが、ここでは一つだけ、これで本書の内容がいかに中途半端か分かるだろうものを挙げよう。著者はウイルスについての記述にたったの7ページを使い、ウイルス発見の経緯と一般的な性質を述べ、たったのそれだけで「私は、ウイルスを生物であるとは定義しない」と断じてしまっている。この本のタイトルは『生物と無生物のあいだ』であり、それを探るために非常に重要な位置づけとなるはずのウイルスをなぜそこまでぞんざいに扱えるのか、私には理解できない。余計なことは省いてタイトルに沿った肝心なことをきちんと述べるか、もしくはタイトルを内容に沿ったものに変更するか、どちらかにしていただきたかった。 この本で主張されている内容を端的に知りたければ、プロローグを読めばそれで良い。本文を読めば、科学的な研究の裏側について何らかの事を知ることができるかもしれないが、それだけである。生物がもつ特徴についてもDNA研究史についてもこれまでさんざん言われ続けてきたことが述べられているだけで、何ら目新しいことはない。プロローグの全文をここに掲載してしまって、これ以上の内容は何もないですよと言ってしまいたい衝動に駆られるが、それはできないので、ここでプロローグ中の一文を紹介しよう。「分子生物学的な生命観に立つと、生命体とはミクロなパーツからなる精巧なプラモデル、すなわち分子機械に過ぎないと言える」さて、この文が唯物論的だと反感を覚えるのではなく、きちんと論理的にこの文の誤りを指摘できる人は、この本から得られるものは本当に全く何もないと考えて良いだろう。そうでない人は、生物というものを考えるための入門書として読んでみるのもよいかもしれない。害になるほどの誤った解釈や記述は少ない(多くはないという意味)。一応、著者の名誉のために添えておくと、先の文は一つの仮定として記されているものであり、そのすぐ後に著者自身によって否定されている。 (たこのすけ/2007-08-07) ウィルスやプリオンについて書かれていると思い何気なく読んだのだが、予想をはるかに超える「おもしろい本」だった。それは知的好奇心を満たした面白さでもあったのだが、この作者特有の情感漂う書き口にあった。一種のリリシズムといってもいいと思う。
一流の自然科学者は、その発想の豊かさからか、すばらしい文学の担い手ともなりうる。湯川秀樹しかりアインシュタインもそうだった。 本来、文を綴るということは、どの世界であれ「書かずにはいられない思い」を持った者にのみ許される行為なのだろう。作者の「思い」は、ここに蕩々とあふれ出している。 『あとがき』はこの書の白眉だ。美しい世界を読ませてもらった。 (nekkochi99/2007-07-10) 螺旋形をしているDNAの構造発見過程の人間関係等の紆余曲折辺りまでは、面白かったが、章を追うごとにそれぞれの論点が生物・無生物とどういう係わりを持ってくるのか、生物と無生物の差はどこにあるのか、だんだんずれてきている。
プロットの進め方はサイモン・シンの手法によく似ている、というより彼をパクっている。しかし、完全にパクりきれていないから、話がすべて中途半端なままに終わってしまっている。 一応最後まで読んだが、読後感が悪く、いっこうに内容が残っていないのだ。「科学者にしては文章が旨い」「余りにも面白くて、ページを繰る手がもどかしい」云々の賛辞が腰巻を飾るが、茂木、ばなな、最相、みんな最後まで読んでいるんだろうか。 (ヒデボン/2007-11-22) 科学者が書いたにしては、日常の愚痴が・・・
モット タイトルどおりの 生命と何か、無生物との間の ことを科学的に書いてほしい。 (ジェフファンtama/2008-12-12) 前半はDNA発見(遺伝子として認識)についての話。
214件のレビューうち参考になった順で15件までを表示しています。後半は生命を動的平衡状態としてとらえる著者の論の展開に。 とはいえ、少しでも細胞生物学や分子生物学を知った人が読むには物足りない。 初歩的な話ばかりだ。 誰にでも理解が出来るような表現で書かれており、説明に繰り返しが多い。 学者業界裏話と、著者の思い出話、情景描写などを無駄に感じた。 生物学の面白さを一般化するための良書だと思うが、 残念ながらタイトルや宣伝文句から期待するような生命論となっていないのは確か。 したがって文系頭の方や高校・大学ぐらいの年齢の方が読めば面白く感じるはず。 (グウェンフイバル/2008-01-20) [16件以降をamazonで見る][amazonでレビューを書く] 平均点:4.0 はてブコレクション数: |
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できそこないの男たち (光文社新書)
ASIN:4334034748光文社(2008-10-17) 福岡伸一 売上順位:177 ¥ 861(中古:¥ 450) これを買った人はこれも買ったよ![一覧で見る] |
レビュー総評点:-171
小説としては素晴らしいが。 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
前半は本人の研究者としてのエピソードも交えながら、SRYの特定に至るノンフィクション科学小説といったノリだ。流れるように進むエピソードは魅力的で、小説かに転身した方がいいと思わせるほど素晴らしい。
後半の3割程度は性の生物学的な議論に移る。素晴らしい前半とうってかわってここのデキは良くない。科学的な論述のはずかポエム的な表現とまじって不正確な印象を与える。出典不明なため確認できないが間違った記述もある。たとえばmtDNAの共通祖先とY染色体の共通祖先は倍近く時代が異なるはずで、同時代ではありえない。 オスとメスの存在は配偶子の非対称的な軍拡競争の結果と考えられており、同時に誕生したはずで、メスがオスを作ったという表現は不正確だろう。「オスは少数でも役割を果たせる」といいつつ、なぜ実際には少数ではないかを説明していないが、これはフィッシャーの原理と言って進化生物学では極めて重要な(しかもかなりシンプルな)理論だ。説明を飛ばすべきではなかったと思う。男性が短命な至近因をテストステロン暴露で説明するのはごく普通だが、ではそもそもなぜ男性だけがそういう目に会うのかという進化因には触れていない。 フィッシャーの原理やテストステロン暴露の進化的な意義を説明するとなると(福岡氏が好んでいない)自然選択にどうしても触れざるを得ないからではないだろうか。しかし進化因に触れていないために「たまたまY染色体を持ったから男性が短命なのだ」というような説明になっていない説明でお茶を濁すはめになっている。実際の進化理論はそんなに単純ではない。性の進化の研究に生涯を捧げてきた先人たちの努力を無視しているのはいただけない。 福岡氏は通俗的な説明(ドーキンスの比喩表現や話題の脱線、竹内久美子など)を誤解を招くといって度々批判してきた。後半で彼が行っている性の説明はそれ以上に通俗的かつ不正確で、いくら新書とはいえ残念なレベルだ。 (いとみみず/2008-10-20) 非常に興味深い題材を扱いながら、読後感は決してよくない。科学に弱い読者へのサービスのつもりなのかもしれないが、たとえ話が回りくどく、反って話の筋を見えにくくしている部分がある。また、最終章は本題と直接関係のないゴシップ記事が延々と続く。絵に描いたような蛇足といえ、この本全体の信頼性を疑わせることになった。もっと自然で客観的な文章を心がければよい本になったと思えるだけに残念である。
(amadeo/2008-10-25)
既知のテーマだが |
女が基本形で男は女から作られる、とか、男は女よりも弱い、とか、正直かなり前から言われていることなので、そういう意味での新鮮さはない。
女からも「できそこないの男と言われてもねえ、だからっていまさら何なのよ」と言われるのがおちだろう。 でも、そもそもどういうふうにして女から男が作られるのか、というDNAレベルでの科学的なロジックを素人でも追うことが出来るようにわかりやすく記述されているので、そういう意味での知的好奇心は満たされる。 最後のエピローグで「科学はHOWは語れてもWHYは語れない」という禁を破って「射精感」と「加速覚」との関連性の指摘をするところなど、これはまあ、ちょっと詩的に冒険しすぎか、という気がしないでもないが、ご愛嬌ということで。。。 (冬の暖かな鎌倉の海岸で/2009-01-05) 前作までが推理小説のような構成 詩的な文体で面白かったので期待して買ったのだが…。そこまで卑下しなくていいんじゃない。ってのが第一感想で読後感はよくない。
男が持久力で女に比べ劣ってるのは、昔から言われてることなので今さら声を大にして言う事でもないし、男が遺伝子の運び屋と言うならそれもそれでいいだろう。けどねぇ〜。 養老孟司さん(だったと思う)は 男は文化を作り女は命を作るって言ったし 北野武さんは男は楽しめるパーツが沢山あるって言った。そういえば土屋賢二さんもそんな事言ってた。こういう事がこの本から伝わってこないのである。 男として生まれてきた以上、福岡さんが言うような事を気に止めていてもしょうがない。だったら男は男である理由を自分で見つけていかねばならない。だから 男はつらいヨ なのだと思う。 (出たとこ勝負師/2009-01-03) 生物の性決定に関わる遺伝子の特定についての激しい研究ドラマと、そこからの発見に関連して、生物
の基本仕様が「女」であるとかの分子生物学おもしろ話し。 基本的には、興味深く、おもしろく読めると思います。 おもしろく読める、とは思うのですが・・・ 以下、あくまで個人的な見解です。 かなり危ういという印象。もしかしたら、得難たかったサイエンス・ライターの現在進行形の「劣化」を、私た ちは目の当たりにしているのかも知れません。 『もう牛を食べても安心か』、『プリオン説はほんとうか?』の頃は、具体的な研究のアウトプットの基礎とな る理屈(物的に構造化された相互関係の探求)について、実験の設計や実験そのものの技術的な可能 性評価、および実験結果の評価に、どう適用していくのか確実ではない部分が多いようにも思われ、激し く保留ながらも、好印象でした。 大ベストセラーである『生物と無生物のあいだ』で、ずいぶん余計な記述が増加したなと思いました。 そして本書。 人によって、かえってそれが好ましい場合もあるのかもしれないけれど、ところどころ挿入される「文学的」な 接ぎ穂や比喩を削除したら、分量的には 1/3 くらいに収まるのでは?挿入される接ぎ穂や比喩が「文学 的」だ、といった具合にメインの記載内容から“浮いている”ように思える点で、すでにかなり厳しいかと。 勘所のDNAを百科事典に喩えている部分は、ものすごく冗長だし、さすがにド文系な読者にとっても、こん な比喩はいらないのでは? どうにも、かなり微妙な読後感。 さらに追記すれば、生物学的な事実について判断はできないけれども、そうした事実を、社会的な言説 レベルで、どう解釈するかは別問題。“浮いている”ように思える「文学的」な接ぎ穂や比喩は、その意味 でも、かなりの危うさを感じます。 私の方がバカなんであって、現在進行形の「劣化」なんつーもんは杞憂に終わることを、マジで祈り中。 (kogonil_35/2008-11-04) 前半は、男性化を決定づけるSRY遺伝子の発見に至るまでの研究の発展史。
初期の精子の研究、X染色体・Y染色体の発見、男性化決定遺伝子と誤認された ZFY遺伝子について等ですが、意識的にミステリー調で書かれており、 内容の深さとともに、分子生物学の知的スリルを存分に味わえます。 (遺伝情報については、本の文字で例えており煩雑な化学式は出てきません) 後半は、胎内発生における男性と女性の違い、昆虫(アリマキ)世界での 男性の地位等々を考察していきます。生物学的には女性が基本仕様であり 男性はY染色体という女性のX染色体より5分の一しか情報のない「くじ」 を引いたために基本仕様から外れた、とユーモラスに語っていますが、 多分、著者の科学精神に裏付けられた本心なのでしょう。 面白い作品です。どなたにでもお薦めできます。 (至高の豚/2008-10-18) 話題の著者の話題の本。
確かに、文句なしの面白さだ。 生命の基本仕様は女性であり、男性はそこから逸脱したものだという証明。 人間以外の、不思議な生物たちの話。 そして、その結論に至るまでの研究者たちの人間ドラマ。 とにかく、扱っているテーマが面白くて、ぐいぐい引き込まれてしまう一冊だ。 ただ正直言って、著者の「こだわり」の文章は、決して「読みやすい」わけではない。 たとえば、DNAを百科事典にたとえたり、ある詩に男女の関係性を託したりなど、なんとも詩的な比喩によって話が進められていく。 それはとっても文学の香りがする名文なのだが、だからといって読みやすい/わかりやすいものではなかったりするのだ。 人によってはむしろ、ちょっと鼻に付いたりするかも・・・。 単に生命科学のことを知りたいのなら、もっともっとわかりやすい本はたくさんある気がする。 でも、それなりにすらすら読めて科学知識も同時に得られるのだから、得がたい一冊ではあるかと思います。 (チャックモール/2008-12-09) 基本的に文章が上手い。それは間違いない。
それで難しそうなことを書いているので分かった気になる。知った気になる。この知的好奇心満たされ感。非常に良いです。 この本の2/3くらいまではまさに、そんな感じ。 その後は少し、推測っぽくてテンション下がります。 読みやすくて面白い科学読み物。 (にっくねーむ/2008-10-23) 高校の「生物」レベルで、自分にとってはあまり新しい知見はありませんでしたが、漠然と思っていたことを明確に整理してくれているという意味はありました。
「人間は女がモトで、男は女があとから加工されてできあがった」ということは既に、多田富雄氏が書いている、または「女は存在、男は現象」とも言っており、名言とされます。そういう意味でもこの本は「新しさ」はありません。でも、この本ではその辺を詳しく、受精から発生の過程を追うことで明瞭に描き出します。 Y染色体の中のどの部分が性差を決定し、男を作るのか、に関するゲノム研究の(競争の)歴史が振り返られます。SRY遺伝子という真犯人が見いだされる過程はなかなかにスリリングな展開です。 特に印象に残るのは、発生過程で女性器の元であるミュラー管の出口の〈割れ目〉が一旦出来た後..、なるほどー!と思いました。男に乳首があるのも頷けます。 生命は基本的に雌であり、遺伝子のミキシングによる多様性の確保をなすために、使い走りの遺伝子の運び屋として雄を作ったに過ぎない、と。無理に改造したもんだから、男は弱い(寿命が短い、病気になりやすい)のだ、というわけです。非常に説得力がある。ドーキンスの「遺伝子の乗り物」説とも符合します。 そんな男がなぜ社会的に支配権を握ったのか、に関する仮説も面白いです。使い走りで生殖だけで用済みだった男に他の使い道(食料確保など)があることに気づいた女が、そういう奉仕をさせることになったというわけですが、そこに〈余剰〉が発生し、それが蓄積され、交換価値を持ち、権力の元となったと言うのです。面白い見解です。人間は生物の一種ではあるが、それを越えた次元にまで進化した、と言えるのかも知れませんが、いやそれも含めてあくまでも生物的バリエーションだと言うべきなのかも。 (ask/2008-12-02) 福岡さんの書物はほとんど読んできました。前作「生物と無生物のあいだ」には大変感銘しただけに、次なる書物には大いなる期待を抱いていましたが、これはいけない。読後感がきわめてよろしくない。
私はレビューを60以上書いてきましたが、基本的に「面白かった書物」にしかレビューを書いていません。読んだ本の大半はレビューを書く気持ちにならない。例外的に一つだけ徹底的に批判したレビューを書きましたが、これは版が改まっても内容の改善が見られなかったからです。今回はあえて批判させていただきます。 とはいえ、福岡さんの新作はあいかわらず素晴らしい文章力であり、前半は「性」に関する最新レビューであり、優れて啓蒙的であると思います。SRYの発見当時、福岡さんと同様に発見者の講演を聴いたことがあるだけに今でも往時の興奮を思い出してしましました。1920年当時、精子発生とその染色体数の確定に顕微鏡だけを用いて奮闘した女性科学者の話は、組織固定の開発の歴史を併せて語り興味が尽きませんでした。 ところが後半のマサチューセッツ子供病院の研究者夫婦のゴシップエピソードがどうしてもなじめない。福岡さんも現役の研究者なのだから、研究については「成果」だけで語って欲しかった。ずいぶん低俗であり「女性性の優位性」を語るにはひどく的外れな印象しか残さない。どうしたんだ福岡伸一? まれに見るサイエンス・ライターだと思っていただけに、今回の書物は残念です。選んだテーマが悪かったのでしょうか?「オスとメスの話」になると多くのライターがきまって筆が滑るような気がしてなりません。でもやはり次作には期待したいと思います。力のある人だから。 (moma/2008-11-15) ある意味性教育なのかも知れない。性教育でもかなりの「そもそも論」で、そもそも性とは何か、むしろ、オスとは何かが話題である。性差の発現のメカニズムの発見史をなぞった解説。動物によって様々な性差の発現。オスの病気に対する弱さ。Y染色体の特異な分布(チンギスハンのY)。男性発現の遺伝子研究で一世を風靡したハーバードの研究者の栄光と没落。など、面白い話がつまっている。著者は専門知識に裏打ちされた文学的才能で、良書を沢山出版しているが、本書でも、大変面白い科学読み物となっている。まあ、性の問題は生物学的にも文学的にも面白い話題だしね。「男なんて、所詮、ママから他の娘に遺伝子を運ぶメッセンジャーに過ぎない」なんて表現は、文学的な生物学者にしかできない。
ただ、本書は何となく読者におもねった、というか、面白く書こうとしているのが透けて見えるようで、少し不満が残った。『プリオン説は本当か』などは、自分の書きたいことが溢れ出ていて、読んでいて爽快感があっただが。その辺は、本書が連載をまとめたものであることを考えれば仕方ないのかも知れない。 性とは何かの勉強をいくらしたって恋の病には効かないのではあろうが、それでも、冷静になる一助になるかも知れない。恋に焦がれるすべての男女にもお勧め。 (shibchin/2008-11-13) あいかわらず、素晴らしい文章です。
いちばん好きなところを挙げるならエピローグの、この辺。 「私たちにとっての媒体とは何か。それは、時間である、と私は思う。……つまり時間とは生命そのもののことである。生命の律動が時間を作り出しているにもかかわらず、私たちは時間の実在を知覚することができない。」 「時間の存在を、時間の流れを知るたったひとつの行為がある。時間を追い越せばよい。巡航する時間を一瞬でも、追い越すことができれば、その瞬間、私たちは時間の存在を知ることができる。時間の風圧を感じることができる。それが加速覚に他ならない。」 しかし、凡ミスを指摘させて頂きたい。 「加速覚は身体のどこで検出されているのか。それはなお明らかでない。」 「聴覚は、鼓膜に連結された小骨の先にある三半規管が振動を感受することによる。」 ここは「間違い」。 三半規管こそが、「回転加速度」を感知する部位。 「直線加速度」を感知する部位として「卵形嚢」「球形嚢」という場所がある。はず。 聴覚は三半規管ではなくて、「蝸牛」と呼ばれるカタツムリの殻状の所で感知している。 あと、 「煩雑になるのでその名前を挙げることはしなかったが、細胞にはいちいちその発見者にちなんだ名前がつかれている。医学部に入ると初年度の解剖学の時間にそれらを丸暗記させられる。」(P.159) とあるが、解剖学の講義は3年次、早くて2年次から始まるのが現在の医学部のカリキュラム。 でも、「凡ミス」はあるとしても、良い本であることは間違いないです。 同じことを書いたとして、ここまで美しく書ける著者は他に居ないと思うから。 (辻/2008-11-20)
少々“できそこない”になってしまったかもしれません ||||||||
『生物と無生物のあいだ』が本当に面白かったので、期待感一杯でしたが、
全14件のレビューを表示しています。残念、本作は並みの出来という感想です。 “できそこないの男”というタイトルも興味を惹きますし、相変わらずの読ませる文章は、 さすがと思いますが・・・うーん、この物足りなさはどこからくるのでしょう。 少々、エンタテイメントに走りすぎたのか、あるいは、くどくなりすぎたのか。 福岡氏が“読ませる”ことをかなり意識して書いたように感じます。 面白く読ませようと、努力してくださったのかもしれませんが、演出過多でしょうか。 サイエンスを、素人にわかりやすく、ドラマチックに読ませてくれる方なので、 次回作にまたぜひ期待したいと思います。 (きょうパパ/2008-12-24) [amazonでレビューを見る][amazonでレビューを書く] 平均点:3.5 はてブコレクション数: |
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時間はどこで生まれるのか (集英社新書)
ASIN:4087203735集英社(2006-12) 橋元 淳一郎 売上順位:12168 ¥ 693(中古:¥ 206) これを買った人はこれも買ったよ![一覧で見る] |
レビュー総評点:-92
物理学を基にして時間を扱い、果てはハイデガーや唯識論にまで話を伸ばそうとしている1冊。
だけど、要所要所で「門外漢なので」という言葉を免罪符としつつ、稚拙な読解とそれに対する見解を列挙して、新しい論を提唱しているといった姿勢で構えている。 だけど、よくよく読めばその新論は論拠に乏しく、仮定や推測を重ねているだけの、科学の皮を被った非科学メルヒェンみたいなものである。 (ぐすまるきし/2007-05-17)
哲学界に関する大いなる誤解 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
科学哲学の人気分野として「時空の哲学」というものがある.これはまさしく著者が「あまり聞いたことがない」と言っているもので,最新の科学的知見から時間や空間の本性を探求する学問である.英米ではこの手の本はいっぱいある(日本では内井惣七氏の『空間の謎・時間の謎』がある).
それに,マクタガートの時間論は著者が述べているような単純なものではない.そして,科学的知見は必ずしも「絶対的な真実」ではないのだから,科学的知見から離れた純哲学的な時間論も重要であり,それらは決して著者が言うような「稚拙」なものではない. 一方,著者自身の見解を述べる6章7章はこれといった説得力のある論証がないものであり,著者は哲学的な訓練を受けていないのだから仕方ないが,かなり不満が残るものであった. たぶん,いいたいことは,たとえば札のシリアルナンバーが仮に6桁だとして,自分の手にした札のシリアルナンバーが111111であったらわれわれは「珍しい番号が当たった!100万分の1の確率だ」というけれど,実はこれは番号のそろったものを「めずらしい(価値のあるもの)」とわれわれが認識するからで,「145724」のような番号でも実はその並びは100万分の1であることには変わりはない,それゆえ,エントロピーが増大する(すなわち,秩序がなくなる)ようにみえるのは,意識の働きだ(つまりなにを「秩序のある状態」というかは主観的)ということなのだと思う. しかし,そうであるにしても,「こういうの(札の例で言うと同じ番号がそろう)を『秩序がある』と仮定したときに,なぜか自然界における閉鎖系ではわれわれが『秩序が崩壊する』と感じるような現象しか観測できない」のが問題なのではないだろうか.そしてその問題は秩序がある・なしの判断は主観の問題だといったところで何も解決されていないに等しい. (御猫大明神/2007-01-07) 理解しよう、理解しようとは思っているのですが、 文章に頭がついていかないのか、それとも、思ったほどやさしく書かれていないのか、 読めば読むほど???となってしまいます。 もう少し仕事が忙しくなくなったら集中して読んでみたいです。 〜ながら読みは厳禁です。←私の小さな灰色の脳みそにはムリでした。 (きのぴ/2007-02-21) イギリスの哲学者マクタガートのA,B,C三系列の時間分類を縦糸とし、相対性理論、量子力学のなかで現れる時間性あるいはエントロピー増大の法則といった知見を横糸として紡ぎながら、ついには「時間の起源」に迫ろうという物語である。
時間のルーツをたどる旅を記述したとも言える本書の内容のうち、時間生成前の導入部は私のような凡人にとって非常に啓発的で興味深いものであった。特に「量子力学的世界では時間を含めた物理量が存在しない」とか、「相対性理論上、時間と空間の関係はちょうど実数と虚数の関係にあたる」などの個所には、無知をさらけ出すようで恥ずかしいが、感心させられた。 ただし、この本のクライマックスである時間生成の段になると、話がだんだんに怪しくなってくる印象を強く持った。すなわち、「自然選択の圧力が、機械から自由意志を持つ存在へと、生命を進化させた。」だとか「生きる意志は進化の過程の中から生まれた」などの記述はフィクションというより著者のメルヘンではないかと思わせるものであった。本書がせっかく「時間の起源」という魅力的な主題に迫っているので、もう少し論を熟成させてから、われわれ凡人に示してほしかった、少し残念な気がする。 (フクロウ探検隊/2007-09-04) この文字数でこれだけの内容を語れるとは・・驚きです。
前半は、後半著者が語る時間創造論を理解するのに必要な 物理学および哲学の基礎概念などについて明快に解説。 特に相対性理論のツボをわずか数ページで一定レベルまで解説している のには感心しました。 私は量子系の波束の収束(波動関数)に関して多宇宙論的解釈を 支持していますので、著者とは反対の立場となりますが それでも、「そういった考え方もあるなー」と思わせる 一定の説得力のある持論が展開されてます。 いずれにしても、宇宙(実在)を織りなす重要な構成要素として 「生命の意志」を捉えることには異論がありません。 多宇宙の存在を証明するために量子コンピュータの基礎理論を 構築した(といわれている)あのデイビッド・ドイッチェでさえ、 同じことを言ってますものね・・。 実在の本質に迫るには、物理学、哲学(認識論)、生物学(進化論)、数学など さまざまな角度からアプローチする必要がありそうです。 サラっと読めて、そのくせ、かなり考えさせられる一冊でした。 とてもおもしろかったです! (くあんたむ/2008-01-26) 「時間とは何か」という問いに、これまでありとあらゆる人智が挑んできた。
ある人は哲学の徒として。またある人は物理学の徒として。 本書はこれまですれ違ってきたこれら二つの学問を架橋し、「時間はどこから生まれてくるのか」ということを探求した意欲作・・・になるはずなのだが。 筆者によれば、そもそも量子の世界、つまりミクロの世界には空間も時間も存在しないわけで、時間というのは我々の主観的事実として初めて現れる。ではその主観としての時間はどこで生まれるのか?本書はそれを、万物を支配するエントロピー増大の法則の不可逆性から、無秩序への移行にあらがう生物の「意志」の存在を見出す。 どうも筆者の導き出したこの「意志」の存在という結論、一言で言うなら「意外とふつうやな・・・」といったところだろうか。 僕のような物理科学の門外漢(高校の時19点をたたき出し、そうそうにその道をあきらめました)からすれば、筆者がだしたこの「マクロ世界における時間の生成の秘密」よりも(つまり筆者自身による哲学と物理学を融合した思索よりも)、「ミクロ世界における時空の不在」という、物理学者にとってはきわめて常識的な事実のほうが遙かに魅力的に見えてしまったわけだ。 本書の構成は、20世紀の相対論と量子論の誕生によって「ミクロ世界における時空の不在」が証明されたことをまず論じて、その次にエントロピー増大の法則から「マクロ世界における時空の生成の秘密」を論じているのだけれど、なんなんだろ・・・この感覚。 前半ほどやたらむずかしく、後半に行くほど簡単になっていくという不思議な本である。 例えるならば、前菜の方がメインディッシュよりおいしそうに見えたんだけど、すぐ引っ込められちゃった、という感じ?要するに、量子物理学に明るくない僕のような素人向けに出版される新書であるならば、「ミクロ世界における時空の不在」→「マクロ世界における時空の生成の秘密」という構成よりも、「マクロ世界における時空の生成の秘密」→「ミクロ世界における時空の不在」という構成にしたほうが、よりおもしろくなっていたと思うんだが・・・。 でもそれだと単なる量子物理学における時間論の入門書になって、タイトルも大幅に変更しなければならないだろうし、それだと筆者が別段書きたくない本になってしまうんだろうけれど。 (倒錯委員長/2008-03-03) 途中までは何とか読んだが、やはり物理、数学、哲学などの素養のないものには難解で理解できなかったのが現実である。時間と言うタイトルに惹かれて購入してみたもののミクロの世界では時間と言う観念がないと言うのがまず理解できない。グラフや数式が出てくるとさらに解らない。注釈が多くで面倒になってくる。理系の素養がないのを残念に思う。
(シンジロウ/2008-02-24)
なぜだろう。1冊読み終えて、頭に残っていたのはファインマン図形くらいだった。時空は実数と虚数だと言うけれど、その根拠、それが意味するものがわからない。時間のグラフに出てくる「非因果的領域」とは何なのか。このグラフで筆者は何を言おうとしたのか。この本全体で何を主張したかったのだろう。各節で述べていることはある程度なるほどと読んでも、全体像が見えてこなかった。読む側の問題と言われれば、それまでだけれど。
(まも/2007-08-04)
物理学で習う知識をずらずらと総動員して、時間を考えるというお話。
2章では相対論、3章では量子力学、4章では素粒子論、 5・6章では熱力学、統計力学 あぁ、なるほど、時間という概念がそこには意味がなかったり、 あったとしても、絶対的なものではないことが、言われてみれば 確かにそうだ、と、一般教養的な物理学の復習のお話が続く。 流石、カリスマ予備校講師だけある。 そして7章で、時間を生み出す原因は、 秩序を維持しようとする意思によるものである、 ・・・と言う話にもって行くのだが、どうも議論が弱すぎる。 なぜならば、お互い相互に関係しあうことで、秩序が生まれるという 非線形科学の視点が、完全に抜け落ちているからだ。 あぁ、要素還元主義の限界、ある意味では 現代物理学の限界かと、 個人的に感じた。よって、☆4つ。 (taka-_-aki/2008-07-17) 素人ながらも物理学には興味を持っています。世界の真理に近づくためには書かせない学問で、思考実験というものは自分の頭を非常に刺激するので好きな学問になっているのかな。物理学の中で、時間という単語がもつ意味合いを再確認したくて購入、通読
読んでみると、相対性理論、量子論、反粒子、エントロピー増大の法則など現在の物理学で欠かせない分野の中で時間がどのような意味合いを持つかを記載し、人間(観測者、生命)から見たときの時間の意味合いを再確認して、筆者の考えを終章に導きだしている。物理学からのアプローチと人間中心の時間へのアプローチをうまく組み合わせてあった非常に面白かった。内容として自分にとっては難しい内容も多々ありましたが、「主観的時間」「反秩序への抵抗が意志」「マクロでしか意味を持たない観測値」「不可逆過程」など面白いものも多々ありました。もう少し説明のほしいところもあると感じましたが、自分が無学故なのでその分野の書籍を読むきっかけにもなりそうです。 時間について漠然と物理学的な側面、人間的な側面から興味のある方は一度読んでみることを勧めます。自分の興味がある分野をはっきりと認識できることができるかもしれません。 (sickboy/2008-05-24) 時間論である。物理で修士を出た作家で、哲学的な時間論を批判している。しかし、結局、哲学に絡み取られている。純粋に物理の視点からすれば、時間と言うパラメータが現象の説明に便利だと割り切れるのだと、私は思う。そして、その「時間」を定義しているのは、時間が出てくるすべての方程式なのだ。数学の点や直線などと同じだと思えば良いのだ。
本書でも、主観的時間とか物理的時間とか出て来るが、物理的時間については、これくらいドライに述べてから、その先に進めば良いのにと思う。結局のところ、熱力学的時間に話を持って行っている。その上で、生物は秩序をもたらす云々で、主観的時間に話を持って行こうとしている。うーん、これはなんだかよく分からなかった。議論に無理があるんじゃないかなあ。 時間論なんて哲学のつもりでも物理の到達点を理解しないといけないという著者の主張は確かにその通りなのだが、結論は哲学者を納得させるものにはならなかったようだ。 (shibchin/2008-02-07) 「時間とは何なのか」ではなく「時間はどこで生まれるのか」というタイトルからして斬新で
す。時間は「在る」ものではない「生まれる」ものだということを暗示していて。時間に関す る新しい理論の展開が期待されます。そしてその期待は裏切られませんでした。 結論に至るまでに「時空は時間を実数、空間を虚数とした複素数で表される」「万有引力は なぜ『引力』でないといけないのか?」「『多次元並行宇宙理論』の真偽は?」「タイムマ シンは可能か?」などの面白い話題が展開され、本題の時間論とともに知的興奮をおおいに 掻き立てられました。そして、本書の示す「時間」の姿には人生観が変わるほどの衝撃を受 けました。時間がこんなものだったなんて、あんな風に生まれるなんて。もう呆然とするし かありません。 言うまでもないことですが、本書で時間の本質のすべてが明らかになるわけではありませ ん。ホンのとば口が示されるだけです。分からないことの方が多く、それらも含めて時間の 全体像が明らかになるのはいつのことでしょうか? あるいは永遠に明らかにならないかも 知れず、あるいはその方が人間にとっては幸せかもしれません。 (じっちゃん/2007-03-09) 実生活に全く役に立たない知識ですが、好奇心が満たされる感覚をしっかり味わえます。満足感は相当なものです。値段を考えれば絶対に割安。オススメです。
高校生程度の知識で読めるよう、理屈も文章も平易な形です。時間論という未経験の分野を知る良い機会ですよ。 (シモヌ/2007-05-20) 時間という切り口から、「相対論」「量子論」「エントロピー増大の法則」をわかりやすく解説する。まず、このあたりのわかりやすさが秀逸。
さらには「生命」「意思」といった、哲学と科学の境界領域へと話が進んでいく。もちろんここまでくると証明も定説も無く、これからの科学の進展を待つしかないのであるが、その方向性の一つの形を提示しているところがSF的に面白い。 この本を取っ掛かりとして哲学的な思索にふけるのもよいかもしれない。 時間の方向性と意思の関係についてのお話からは、小林泰三さんの「酔歩する男」という短編小説(SF?ホラー?)を連想した。主張するところはちょっと違うような気はするけれど。 ともかく、この世の不思議さには本当に途方にくれてしまう。 (冬の暖かな鎌倉の海岸で/2007-01-08) 現代物理を踏襲した上での哲学的解釈を試みています。平易な文と図で構成されているが、相対論、量子論をたしなんだことがないと読みこなすのは難しいかもしれない。しかし、もしあなたが「時間とは何か」という素朴な疑問をおもちなら、本書は1つの解を示してくれるにちがいない。
31件のレビューうち参考になった順で15件までを表示しています。本編を読んだあとでは、付録にかかれている「並行宇宙は存在しない」というのも説得力があります。知的好奇心をくすぐられ続け、最後に満足感が残りました。 (ねこまた/2006-12-18) [16件以降をamazonで見る][amazonでレビューを書く] 平均点:4.0 はてブコレクション数: |
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生命と食 (岩波ブックレット)
ASIN:400009436X岩波書店(2008-08) 福岡 伸一 売上順位:5879 ¥ 504(中古:¥ 1,000) これを買った人はこれも買ったよ![一覧で見る] |
レビュー総評点:-26
やや感情的な内容で、気になります。学者がその肩書き付きで発言する際には、専門外のことに口出しすることは、もう少し慎重に行うべきではないでしょうか。
たとえば著者は食品添加物を否定していますが、食品添加物の使用によって食品の安全性が飛躍的に増大したことについてまるっきり評価しないのは、フェアな態度ではないでしょう。今でも発展途上国に行くと、安心して生水を飲んだり生ものを食べたりはできません。著者の否定する食品添加物や、コールドチェーンが存在していないからです。 なにもかも昔が良いというのは、科学者のとる態度ではありません。文明の良いところも、良い部分は良いと認めるべきです。 帯に書かれた最相葉月の推薦文も、的はずれで感情的。なんだかあちこちで誤解を生みそうです。 考え方はともあれ、これは講演録を起こして加筆した本なので、著者の以前の本を読まれた方が読んでも目新しい発見はないでしょう。 この本は、前作が売れすぎたせいで、急に増えたオファーをこなすために書かれた、やっつけ仕事と見て間違いありません。 福岡伸一の本を読んだことのない方なら、『プリオン説はほんとうか?―タンパク質病原体説をめぐるミステリー (講談社ブルーバックス)』をまず読むと良いでしょう。良書です。 しかし、学者としての彼の説は、専門家の間では、賛否半々であることも頭に入れておいてください。 (みたか/2008-08-22) ゆくりなく、思いつくまま語ることをお許し戴きたい。
全2件のレビューを表示しています。ルドルフ=シェーンハイマーの「動的平衡論」を核として、既存の科学知識をもとに著者なりの立場から、前著『生物と無生物のあいだ』で省略された部分、とくに「生命」にとって「食」のもつ意味が、本書ではさらに吟味・敷衍される。そもそも、「食物」とは従来、「生体のエネルギー源」としてとらえられることが多かったが、「動的平衡論」の立場からすると、それは単に「エネルギー源」であるのみならず、「生体の構成要素」また「流れを形造る物質」としての意味をもち、かつその振る舞いは、生命現象そのものの本質をなすことになる。 クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)を俎上に乗せ、人間にとっての「食のあり方」、自然の一部としての「人間のあり方」について、著者なりの審美感に基づいた「動的平衡モデル」が語られる。ここでの「動的平衡」は単一の生物個体だけに関するものではもはやなく、地球環境および食物連鎖をも視野に入れた「‘動物・植物・鉱物等の間を生々流転する’人間をふくむ自然というダイナミズム」に関する言及と言ってもよいかもしれない。 本書および前著を通じて生物の世界を俯瞰すると、地球上のあらゆる動物や魚類、昆虫、さらには植物や細菌でさえ、この地球以外のどこにも住むことが不可能であることを別の言葉で言い替えているようにもみえてくる。一見、なんの意味もないような、たとえば南海の目立たない海草が、同じ地球上の遠く離れた島に住む哺乳類にとって意味がないとはけっして言えず、むしろ、たった一つの生物種でさえ、それがいなくなることで生存をおびやかされる別の生物種が多数存在することが推測される。それが、生物個体内の分子の振る舞いのレベルから言えることになる。そしてもはや、われわれは、今後もずっと、地球上の様々な生物種とともにこの地球で生きていくことしかできないような気もしてくる。 「動的平衡状態にある流れ」を本質とする生物体として、自己をみようとした時、われわれは、どのようにして己というものを理解し、また自己の人間としての尊厳を守ることができるのだろうか?さしあたりは、生物種として、現象として、また意識という形而上学的部分をも有する存在として。これは嗜好をふくむ微妙なテーマであり、生命の意味を探る試みであるとともに、各人の審美感をめぐる明確な好みの問題をも内包している。そしてたしかに、本書中の記載は、講演それ自体としては真摯に行われたものではあろうが、見方によっては個人的な審美感の押し売りになってしまう危険性を孕んでもいる。私は著者の、時にある種のイデオロギーを連想させる言説に必ずしも与するものではないが、しかし、本書はそもそも論文でも教科書でもなく、生命につき回顧的、個人史的に考察が試みられた一般書籍『生物と無生物のあいだ』の補遺としての、『食』をめぐる著者の考察および提言である。独創的な考えを述べるに当たっては、個人的なスタイルをとることは不可避であったろう。それに、およそ人は、極めて私的に語る方法でしか、「生命なるもの」の本質に迫ることはできないのではなかろうか? 人間による生命や人間、また食生活をふくむ生活文化のとらえ方には、その時代の科学技術と知識のレベルにより、各時代ごとに異なったあり方が許されるものと私は思う。そうではあるが、その時代の科学と文化を背景として、人間が人間らしくあり続け、かつ人間の尊厳が守られ続けるために、人間自身が、その時代の科学技術・知識の意義とその文化に於ける位置づけを明瞭に認識し、咀嚼した上で、その時点で十分に理解していなければならないことがある。その中で、もっとも中枢を占めるテーマが、ほかならぬ「生命とは何か」という問いであることは、本書の述べるところでもある。私見によれば、この著者の持論は、現代最高の生命概念の理解に迫っていることは疑いえない。そして、それらをも参考にしつつ、できれば私たち自身も、自分にとってふさわしい「自己の生命観」「食生活の倫理」を探求すること、探求し続けることが望ましく、それが食物連鎖をも踏まえた生命環境の調和と保持、ひいては文化に於けるそれに役立つのではないか、と述べることは凡庸にすぎるであろうか。 私はその方面の専門家ではなく、おそらくこれは著者もご存知にちがいないが、「エントロピー S」は断熱系が仮定されないと、現象変化の方向を予測できないことが、たしか言われているから、恒温動物の生体内変化を評価する物理量としては、「ギブスの自由エネルギー G」およびその「mol数nによる偏微分 μ≡∂G/∂n」(1mol 当りのG)である「化学ポテンシャル μ」が、変温動物に対しては、「ヘルムホルツの自由エネルギー F」が、より適した指標であるだろう。しかし、著者の言いたいことは、たいへんよくわかる気がする。 (Largo/2008-08-26) [amazonでレビューを見る][amazonでレビューを書く] 平均点:3.0 はてブコレクション数:この商品をリストに入れている人:
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もう牛を食べても安心か (文春新書)
ASIN:4166604163文藝春秋(2004-12) 福岡 伸一 売上順位:16398 ¥ 756(中古:¥ 309) これを買った人はこれも買ったよ![一覧で見る]所属カテゴリ:
家庭医学・健康 医学 農学 食品添加物・食品汚染 本 難病 病気の知識 食事と健康 暮らし・健康・子育て 科学・テクノロジー 新書・文庫 畜産・獣医学 その他の神経難病 科学・テクノロジー 全般 |
レビュー総評点:233
分子生物学の研究者による警世の書。
本書が採り上げているのは羊のスクレイピーや牛のBSE、食人の習慣を持つ部族の脳海綿症の研究史である。筆者は我々の個々の身体を全地球的な分子の流れの「よどみ」と呼び、次に食物の消化を「情報の破壊」と定義し、我々が食物から必要な分子を吸収する為には、その前段階としてその食物が本来構成していた生物(米とか牛とか豚とか)に関する情報を徹底的に破壊しなければならないと指摘する。というのも、他の生物に関する情報が残留したまま我々の内部に流入した場合、我々の身体の生成プロセスにエラーが発生する(=病気になる)事があるからである。このエラー発生リスクは食物が種として近い程高まる。よって最も危険なのは「とも食い」である。 次に筆者はBSE研究史の詳細な解説から、実は現在でもBSEの原因は特定されていない事を示し、この未だ解明されない病原体から我々を守るには、今のところ全頭検査が最も有効であると指摘する。現在アメリカ産牛肉輸入再開に関して用いられている各種の知見や統計そのものが、かなりの部分推測に依存し(だって病原体が何だか確定していないんだぞ)、さらに現在のアメリカのBSE対策はかなり甘いものであるから、仮に輸入を解禁したら日本でのBSE拡散リスクは上昇するであろうし、これは牛丼を食べなければ良いという問題ではなく(BSE感染者の血液を輸血されて感染した事例がある為)、消費者個人では防ぎきれないものであると論じる。 単純にBSE問題の現状を知って震え上がる為にも使えるし、ヴァレラのオートポイエーシス論と通底する身体観を分子生物学から論じたものとして、身体論や倫理学などの哲学の議論にも非常に有益な材料を提供してくれる本である。 (498円/2005-02-17)
世界観がひっくり返される本 ||||
人間は何故、タンパク質を摂取し続けなければ
ならないのか? 食物を消化するとは、どんな意味をもった行為 なのか? これらの問いへのアプローチがスリリング!! そして、生物とはタンパク質の循環・流れの 中にある「淀み」である、という考え方が 紹介されています。 本書で書かれていることが、「本当」であるか 否かは判断できないのですが、 考え方、物の見方としては、 かなり衝撃的で、世界観がひっくり返される といっても過言ではありません。 (マストロヤンニ/2008-04-02) なんか日本でも「犠牲者」が出たらしいので参考書になるかと思って読み始めたのだけれども、いい意味で裏切られた。この本、革命的な生命観についての非常にわかりやすい解説書でもあるではないか。いや、人間と自然に対する見方がだいぶ変わってしまったという点で、私にとってはそっちの方が重要だった。この新たな観点からすれば、「狂牛病」は「自然が開始したリベンジ」に他ならなかったのである。
著者は、シェーンハイマーというアメリカの科学者による生命の「動的平衡」という理論をその成立事情もこみで紹介する。それは、生体を構成する分子はたえず分解されつつ食物として摂取される分子と置き換わっているのであって、私たちの身体は常に変化しながら何とか一定の状態を保っているにすぎない、という認識だ。「流れ」の生命観。私たちの「記憶」もまた同じであるらしい(第五章)。 もちろん、本題の「BSE」についても科学的に緻密で政策提言的な議論を行っている。また「プリオン」を「発見」したノーベル賞受賞者についての伝記的な紹介文(その学説の問題も適確に指摘)なども含めて、全体に文章がとてもいい。著者は地道な実験にいそしむ科学者であるらしいが、才気あふれるジャーナリストでもある。すばらしい作品の登場に感激した。 (ソコツ/2005-02-06) ~タイトルだけ見ると、ジャーナリスティックで時に扇情的な本なのかな、というふうに先入観を持ってしまいますが、広く目配りがきいていて、難しい科学的概念なども面白く読ませる、非常に良質な新書です。
「もう牛を食べても安心か」という問いに対し、著者は疫学と分子生物学に基づくこれまでの狂牛病研究の成果を丁寧に紹介して、答えています。 狂牛病~~が報じられるときに使われる「プリオン」とは何なのか?「菌」ではなく「ウィルス」でもない「タンパク質」が病原であるという仮説に、科学者たちがいかにしてたどりついたのか(そしてなぜ、いまだに根本的には解決されていないのか)。その説明は簡明で分かりやすく、知的興奮を感じます。 科学的な説明が中心であるとはいえ、その記述に偏重することなく~~、狂牛病がどのように発生し、どのように研究されてきたか、という歴史の紹介、あるいは「分子レベルで生物の身体を見たらどうなるか」を論じたシェーンハイマーの「動的平衡」の概念が紹介されたりと、一般向けの新書らしくさまざまな話題が提供されて、最後までとても面白く読めました。 2005年3月、アメリカから国務長官が来日して、牛肉の輸入再開が取り~~沙汰されていますが、基本的な知識と視点を身につけるのに良い本です。お勧めします。~ (izagon/2005-03-21) BSEはプリオンが原因だとばかり思ってましたが、正確な病原体は分かってないとは(!)
プリオンとは状況証拠だけで物証のない容疑者で、犯人だとは限らない。ひょっとすると真犯人が作り出す副産物かもしれない。となると、若い牛から異常プリオンが見つからないから検査の対象外にするとか、プリオンが集中する特定危険部位を除けば安全という論理は… 牛肉が安心かどうか気になって読んでみましたが、タンパク質の分子から地球環境まで、この世界は万物が流転していることを改めて考えさせてくれる読み物でした。 (/)
書いてあるからといって事実とは限らない |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
福岡氏の本書はBSE問題というタイムリーなテーマを扱っており,あまり聞き慣れないシェーンハイマーに触れていて新鮮な関心を呼んだようです。
しかしシェーンハイマーに関する記述には多くの不具合・誤謬があります(十カ所以上)。おそらく二次資料に頼ったためであろうと思われます。 誤りを一つを挙げれば,シェーンハイマーは一度も自分の説を「動的平衡」と呼んだことはないのです(最晩年に他の研究者を引用して使っただけです)。彼が重視したのは生体内で起っている物質代謝の「動的な状態」であって,「動的平衡」ではありません。もちろん「動的な状態」の局面には「動的平衡」も含まれるでしょうが,勝手に事実を捏造してシェーンハイマーが「動的な平衡という名前を付けた」としてはいけないでしょう。さらに福岡氏は,先般の朝日新聞で同じことを真しやかに述べ,加えてデカルトの機械論と対峙させて論じていたのには驚いてしまいました。 シェーンハイマーは戦前の実験生化学者であり,その研究成果は歴史的脈絡で批判的に捉えなければ誤解を招くことになるでしょう。彼の実験はタンパク合成・分解とアミノ酸代謝を混合して測定していたもので,その結果を全てそのまま無条件に認めることは出来ないのです。シェンハイマーの功績は,当時全く不明だった生体内部の物質代謝の実態解明に光を当て,真実の一端を示したことでしょう。 当たり前のことですが,本に書いてあるからといって全て真実とは限らないのです。 (地上の星屑/2005-11-20) 「もう牛を食べても安心か」という問いに対しては、この本は、「大丈夫かどうかわからない、つまり安心ではない」と答えているだけですが、その問に対して答える過程で、「生きているとはどういうことか」「人間とは何か」という深淵な問いに答えてしまっている驚異の本です。福岡先生は、「生きているとはどういうことか」という問いには、「タンパク質の動的平衡状態そのものが"生きている"ということと同義であるp.69」と回答し、「人間とは何か」という問いに対しては、「分子のレベル、原紙のレベルでは、私たちの身体は数時間のうちに入れ換わっており、「実体」と呼べるものは何も無い。そこにあるのは流れだけなのである。P.56」「記憶とは、一言で言えば、ある特別な体験に際して、脳の神経細胞ネットワークの中を駆けめぐった電気信号の流路のパターンが保持されたものだということだ。p.140」と答え、人間とは「分子・原子と電気信号の流れ」なのだと説明されています。福岡先生は、その「流れ」を壊すとして、遺伝子組み換え、臓器移植を批判しています。これだけ科学的かつ根本的な「遺伝子組み換え」に対する反論は拝見したことがありません。遺伝子組み換え反対運動家は研究者を「悪魔」と罵るのではなく、こういう本を読んで冷静に科学的に説得力を持った意見を言って欲しいです。また、これだけ体系だった無神論的生命論も希だと思います。内田樹先生の「私家版・ユダヤ文化論」の注で引用文献とされていたので読みましたが、思わぬ衝撃本に巡り会ってしまいました。キリスト教徒で遺伝仕組み換え賛成の私としては、人に勧めるのは気が進みませんが、やはり多くの人に読んでもらいたい本です。
(パッション太郎/2006-12-27)
本書にあるように、現段階ではまだBSEが本当に異常型プリオンタンパク質によるものなのか疑問が残る点もある。それ以上に重要なのが、著者が述べているように、本来行政や政治から独立して科学的判断を示さなければならない食品安全委員会がアメリカ産牛肉の輸入再開の露払い的役割を担っていることだ。我々にはもっとこういった情報が大きく報じられて良いはずだ。また、これまでアミノ酸レベルで消化吸収が行われると思っていたのが、実は原子・分子レベルまで分解されて消化吸収が行われているということが大きな驚きだった。しかも、それはシェーンハイマーによって1930年代に明らかになっていたというのだ。
本書は様々な意味で現代の食のあり方や、政府の対応といったことに疑問を投げかけている。多くの層の人に読んでいただきたい作品である。 (dragonyuzunan/2006-02-04) 「ほんとうに頭がいい人は、難しいことをわかりやすく説明できる」という実例のような、そしてわかりやすいだけじゃなく、日本語の表現としてもブリリアントな筆致に思わず惚れそうになる本。
読書中、この通俗的な書名からは予想もしていなかったのに、真に科学的な思考は哲学に近接するのだなあ、と思わずギリシャ思想に思いを致す叙述が頻発。 そしてもちろん、人間の健康に関する緊急課題であるタイトル内容も、じつに平明に解き明かされています。ノンフィクションでここまでスリリングとエレガントが共存している書物は実に貴重。 さあ、どうぞこの値段で、明晰な日本語による「牛をめぐる冒険」を! (Mmc/2005-03-20) まずこの本を読む前に著者の「生物と無生物のあいだ」を読まれることをお勧めします。
本書内でも触れられている「動的平衡」やその発見の歴史などがより詳しく書かれているので、 より良い理解を得られることでしょう。 さて、本書ですがタイトルは著者の希望通りだったかどうかは疑問です。 当時の政治的懸念事項であった狂牛病をタイトルにつけることによって 売り上げを伸ばそうとした出版社側の憶測を感じます。 本書は確かに狂牛病をテーマにした本ですが、 その内容は分子生物学を学ぶにあたって避けては通れない、 政治的・倫理的な問題を実にうまく提起しています。 狂牛病発生までの過程をドキュメンタリー的に追跡することによって、 人間が犯してきたおろかな間違いや判断を指摘しています。 もちろん著者の意見が読者の賛同を得られるかどうかはわかりませんが、 私は納得・賛同します。 今日、どうして狂牛病が人類に脅威を及ぼすような世界になったのか?を 著者のわかりやすく、テンポの良い日本語を通して考えてみてください。 (Dr. Gonzo/2008-04-27) ~「食べる」とは、どういうことなのか。私たちの欲求の一つである食の大切さをロジカルに、そして分かり易く、説明してくれている。また、研究における問題点、情報公開における問題点など、私たちが無意識に信じてしまうという行為に警鐘を鳴らしている。専門的な知識を持った人も、持っていない人も、食への意識の仕方、情報氾濫時代における自分自身の振る~~舞い方、について理解を深める事ができる。~
(KOUHAKU/2005-01-11)
本書の言う生命の動的平衡論は、「生命とは何ぞや」という
根源的な問いに一石を投じるものです。 生命というものに分子レベルで言う物質的な裏付けは、 何もないと言っているのですから。 しかし、それもマクロ的な議論に終わっているため、物足りなさを感じます。 私としては、細胞・分子レベルのミクロな仕組みの解説に、 もっと紙数を費やして欲しく思いました。 この辺も含めて、本書全体に通ずる情緒的なところは気になります。 特にシェーンハイマー礼賛とプルシナー批判は露骨です。 その勢いで最後にアメリカ牛肉の輸入解禁批判を論じるものですから、 感情的な結論との印象が拭えません。 「今のリスクを考えれば、まだ牛を食べたら危険だ」という議論は、 毎年その影響で多数の死者が出ている、自家用車とタバコの販売は 即刻中止すべきという議論にも行き着くはずです。 批判すべき点は多いですが、いろいろと考えさせる本ではあるので、星は4つです。 (kentmild/2005-02-27) 関心を持ち、購入したものの、長い長い間放置してあった。先日、ちょっと時間の空きができたときに覗いてみたら、止まらなくなった。読ませる。 ただ、私が積ん読してしまった原因でもあるが、タイトルが悪い。しかも内容とマッチしていない。もちろん狂牛病の話なんだけれど、著者の熱意は明らかに、狂牛病を論じるための土俵作りの方に向けられている。その意味ではバランスの悪い本。 しかしシェーンハイマーにもとづく生命論は面白かった。「肉体」とは、分子のレベルでは「数日間のうちに入れ替わっており、『実体』と呼べるものは何もない。そこにあるのは流れだけ」(p56)で、「たまたまそこに密度が高まっている、分子のゆるい『淀み』でしかない」(p61)。こういう話は初めて聞いたわけではないけれど、この著者の語り口は魅力的。次回作は、シェーンハイマーに依拠した生命論の全面展開をお願いしたい。 狂牛病対策についても、著者の論点は単なる全頭検査ウンヌンよりも、シェーンハイマー的自然観にもとづく文明そのものの方向転換を求めているよ |


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