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神は妄想である―宗教との決別
amazon詳細ページへ
ASIN:4152088265
早川書房(2007-05-25)
翻訳:垂水 雄二リチャード・ドーキンス
売上順位:14174
¥ 2,625(中古:¥ 1,958)

レビュー総評点:864総評点300以上の注目商品
レビュー、すごいですね。 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
他の方の書いたレビューを見てみると、感想が真っ二つに割れていますね。
見ているだけでもおもしろいのですが、私はこの本を読んでチョー感動!した派の視点から、
レビューを書いてみようと思います。


本書の前半の議論は、「神がいるかどうか証明する事はできない(と思われる)けど、
その蓋然性はどうなの?」というところから始まります。
しかし、ないものは無い、ということを証明するのは困難です。
そこで、本書ではイエス/ノーで議論するのではなく、「神はいるっぽいのか、いないっぽいのか」の話をします。
もちろんタイトルからもわかるように、本書の主張は「いないっぽい」ということなのですが。

ということで、前半の内容だけにとらわれてしまうと、
「痛快!」だとか、「くだらねー!」といった感想を持ち、それで終ってしまう可能性があります。
しかし、これには注意しなくてはなりません。
なぜなら、これがドーキンスのもっとも主張したいことではない(と思われる)からです。

本書のオビには「あのドーキンスがなぜここまでむきになるのか」とあります。
ドーキンスがこのような大著を上梓した意義というのは、まさにここにあるのです。


科学が何らかの現象を数学的に記述しただけのものであるとするなら、それは一見したところ無機質に見えるかもしれません。
しかし、それはとても深遠で、まだわからないことだらけだから、人はそれをもっと知りたいなと思う。
論理的に記述された、自然現象の数々。人はそれを眺めているだけでも感動できるし、
十分満たされた気持ちになります。こうして人は科学を知り、自然を知り、やがて人間のことを知るようになるわけです。

ユネスコ憲章にもありますが、人は自分以外の人間、つまり相手のことをよく知ることで、
憎しみの根源すらも絶つことができるのではないでしょうか。そういった意味で、
子供達には宗教を教えるよりも、科学を教えるほうが、相互理解の点においても、よいことなのではないか。
ドーキンスの主張を聞いていて、私はそう思ったのです。


しかし、宗教が存在することで、文化的な衝突の種がまかれてしまったり、科学への好奇心が阻まれてしまうという実態がある。
阻むどころか、それを知ろうとする事自体が許されないという現実。
科学者であり、ダーウィニストのドーキンスは、特に批判の矢面に立っていたに違いありません。
この世界を、どうしたらもうちょっと良くできるのか。ドーキンスは、この答えを本書に綴っています。

読むべし。名著です。 (nextlevel_man/2008-02-02)
 「利己的遺伝子」であまりにも有名なドーキンス。この本では、真っ向から神、宗教を取り上げる。進化や遺伝子という言葉で人間社会までも説明し続けてきた著者は、これまでもその説の中で神を否定する発言をしてきた。この本では、なぜここまでと思うほど執拗に、過激な言葉を使って宗教を否定する。なんだか著者の身の危険を心配してしまうほどの熱さをもった本である。

 解説にも触れられているが、この熱さは、昨今の宗教が表に現われた世界的な戦いの危惧も念頭にあるからだろう。内容としては「創造主なしでこの世界が説明できるか」といった著者の専門、進化生物学に関係したものからはじめ、更に踏み込んで宗教や徳の起源「神がなくても人は善を行えるのか」といった問題まで進化から説明していく。「神なしでも徳はある」、「徳も進化で説明できる」という姿勢は、マット・リドレー「徳の起源 他人をおもいやる遺伝子」 やダニエル・C.デネット 「自由は進化する 」 と共通である。
 取り上げられている反証のための例は主に一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)に関したものであるが、著者をはじめとする無神論者への罵倒などは、それこそスピノザの時代にもあったことなのだが、現代でもこれほどまでの「信じ方」があるのか、と思われるものがけっこうある。かなり最近のニュースなどもとりあげられている。一つの一神教が大勢を占めているところではそうなってしまうのか、とも感じる。 

 宗教に対してのかなり過激、執拗な書き方に、へきえきとする読者もでるとおもう。しかし最終章(第10章)を読むと、著者の言いたいことが少し冷静な形でみえてくる気がするので、とりあえず読み通せないようにおもったら、最終章にざっと目を通してみるとよいかもしれない。「巨大なブルカ」と題された最終章の最後の文章は、人間の今ある状況について、詩的とも言える厳しいが美しいイメージもくれるものだと思う。

 人間が世界を理解し、社会を、思考を拡大してきたことに宗教は大きな役割を荷ってきたことは否定できない。しかし、そろそろ「神」なして理解できるところは神から離れてもいいのではないか。本書を読んで感じたのはそういうことである。神を信じていても、「神に頼らないで」きちんと生きればそれに越したことはないのではないか、とも言えるかもしれない。自分を頼らなくても立派にやっていく子供を喜ばない親はない。(そうでない親は子離れできていない)。人間は、そろそろ親元を離れてもいいころなのか。神からの親離れ。邦題には「宗教との決別」と厳しい言葉になっているが、この本はそんなメッセージである。

 宗教家の冷静な反応を聞きたいと思う。
(patella/2007-08-28)
未読者の「レビュー」にコメント |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
■ alcyonejunさんのレビューについて

「宇宙が何なのか、生命とは、意識とは何なのか、まだ何もわかっていない
のです」というのは間違いです。少しは進化や天体について勉強してほしいも
のです。「<すべてが分かっている>というわけではない」は本当です。しかし、
「何もわかっていない」というのは完全に勉強不足によるものです。

「神が存在しないことを証明するのは不可能」というのも、ドーキンス自身が
述べていることです。だからと言って、「不在を証明するのが不可能だから、
存在する」という議論(というよりは論理の飛躍)と、「(妖精のように)
人間が過去に勝手にでっちあげた概念なのだから、そんなものは存在しないと
仮定してもいい」という議論が同程度に正しいわけではない(そして科学の
発展は後者の議論を後押ししている)ということは理解したほうがよいでしょう。

汎神論的な神については、ドーキンスは否定していません。しかし、1章の
ワインバーグの引用からもわかるように、「神」と言う言葉を一神教を信じる
人間が使う「神」と違う意味で使って混乱を招いて、無意味な議論に陥るという
のがこの本について議論している人にありがちなので、気をつけたほうがいいで
しょう。

1章を読まずに(あるいは、読むこともできずに)「タイトルが誤解を招く」と
いうのも不当な評価です。こういう人達のためにドーキンスはわざわざ1章で
丁寧に「神」の定義について確認しているのに、本をタイトルと勝手な思い込み
だけで判断する人にはやはり通じないのでしょうか。

■ アブラさんのレビューについて

「著者は科学万能主義や、アメリカ的な自由・平等主義に関しては何も疑問を呈さ
ずに絶対的な真実として語っています」とありますが、よく読んでください。そう
いった価値観については、絶対的な言明は注意深く避けるような書き方になってい
ます。

「しかし彼もまた(悪い意味で)アメリカ人である」という発言については一言だ
け。

ドーキンスはイギリス人です。
(Bob/2007-10-18)
 信仰だの宗教だのは、なぜ、破格の特別待遇なのだろう。信仰とさえいえば例外的に兵役をまのがれ(平和主義者というだけでは却下されるのに!)、教義だからという理由でさえあれば「同性愛者を殺せ!」というプリントのTシャツを着て登校する権利が認められてしまう。

 信教の自由というものは、それほど強力であって良いという正当な理由があるだろうか?
 答えは決まってる。ノーだ。

 ドーキンスは、信仰周辺の話題に対する社会全体の過剰な甘やかしや「尊重」は、実のところ「尊重」ではなく、非常に多くの人が、そうとは気がつかないまま、ただ腫れもの扱いしているだけなのではないかと考える。なぜ腫れ物扱いなのだろうか。それはつまり、その欺瞞性を指摘することが、厄介なことになることを薄々気がついているからではないのか。ならば、内心では、欺瞞性があることを無意識的に理解しているからこそ、信仰への疑義を自覚したり、声にすることを恐れているのではないか?もしそれが事実ならば、隠れ無神論者や、自覚していない潜在的な無神論者が大勢いるはずだ。

 どうしたらいい?ドーキンスは考える。

 せめて、各自が胸を張って無神論者であることを自認することで、苦悩している隠れ無神論者や、潜在的な無神論者が、苦しむことのない社会にしようではないか。それが可能な時代の空気になっているはずだ。

 そんなドーキンスの呼びかけは温かい。信仰と現実の折り合いがつかないことで、あなたが苦しむことはないんだ。信仰を捨てても、人は善良でいられるんだ。あなたには、誇り高く健全な無神論という選択肢もあるんだ、と。それはもはや、王の裸を指摘する無邪気な子供ではなく、理性的な大人が、勇気と覚悟をもって「王様は素っ裸だ!」と叫ぶ、誇り高い正直者の姿である。
 なんて生真面目で愚直で泥臭くて、不器用なやつなんだろう。

 だが、それがいい。

 知的勇気と知的誠実さ(それは事実への誠実さに他ならない)を建前だけにせず、真っ正直に歩む道のりは、生真面目で愚直でストイックな道なのだから。

 なお、本書において興味深く、意義のある議論はたくさんあるが、ひとつ挙げるならば、信仰が道徳の根拠であるという考えが、いかに醜悪でグロテスクか、そして、実は誰もそんなことは信じていないのだ、という論証である。これは見事で強力なので、一読の価値がある。
 そういうわけで、本書は、ただの有神論批判というよりも遥かに深みがあることを強調したい。客観的かつ冷静に読めば、知的好奇心を刺激する話題も多く、事実に誠実であることがどうことかを実感できる誇らしく美しい名著なのだ。 (ワカシム/2008-03-19)
ドーキンスが妄想だとターゲットとしている神とは、主にユダヤ教、キリスト教、
イスラム教といったアブラハム宗教の神です。彼はこの3大宗教を全篇にわたり
手厳しく批判を繰り広げています。あまりの手厳しさに対する読者の疑問のために
「なぜそんなに敵愾心を燃やすのか?」といった章まで用意されています。

批判の論調も科学者らしく論理的で隙がありません。意地悪で皮肉に満ちている
のは原本に忠実にという訳者の功績でしょう。

端から見ていてもアメリカのキリスト教原理主義にはイスラム教原理主義と同様に
困惑する事が多いのですが、こんな精神構造になっているのかと納得がいきました。
現在、アメリカの政治は票田としてのキリスト教会、資金源としてのユダヤ
ロービーストにがんじがらめになり、常識的な意思決定ができない状態にあるのでしょう。

本書がアメリカでアマゾンの売り上げトップ10に入り、730通の書評が集まっていることから、
多くのアメリカ知識人は頭では分かっているのではと期待してしまいます。
しかし、教義が物心ついたときから恐怖心を利用して刷り込まれるため、
無神論者になるとカミングアウトすると、私たちの想像を絶するほどの疎外感や
孤独感を味あわなければならないのでしょう。

現状打破に対する提案も盛り込まれており、クリスチャンでない私としては
至極真っ当なことを主張している感じる内容でした。
(Coffey man/2007-12-26)
信仰全体への宣戦布告。蒙を啓き豊かな歴史を目指すために |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
何かとお騒がせのドーキンス氏ですが、今回は生物学会ではなく、宗教全体を相手に回し、歯に衣着せぬ攻撃を繰り広げています。
もちろんこれは、彼が進化論を専門としているため、創造論などの教義と対立し攻撃を受けるからであり、すでに『悪魔に使える牧師』などで宗教批判を展開していました。
今回は邦訳で550ページになる大冊で、これでもかこれでもかと無神論の優位を主張し、相手がキリスト教、イスラム教に限らず、また原理主義だけを相手とせず中庸派、穏健派も含めて相手取っています。

その理由は<第8章 宗教のどこが悪いのか? なぜそんなに敵愾心を燃やすのか?>と<第9章 子供の虐待と、宗教からの逃走>に明言されています。
p448 「宗教上の信念は、それが宗教上の信念であるというだけの理由で尊重されなければならないという原則を受け入れているかぎり、私たちはオサマ・ビン・ラディンや自爆テロ犯が抱いている信念を尊重しないわけにはいかない。ではどうすればいいのか、といえば、こうして力説する必要もないほど自明なことだが、宗教上の信念というのものをフリーパスで尊重するという原則を放棄することである。それこそが、私がもてるかぎりの力をつくして、いわゆる「過激主義的な」信仰に対してだけでなく、信仰そのものに対して人々に警告を発する理由の一つなのである。」

もちろん、神の存在証明に対する反論や、道徳面からの宗教の必要性の有無など、宗教側からの攻撃(脅迫メールなどが掲載されていますが、信仰者からのものとは思えないほどグロテスクなものです)に対する緻密な反証にも多くのページが割かれており、最新の関係書籍からの引用も多いのでとても参考になります。
(この方面の引用では、バートランド・ラッセルのものは唸らされる秀逸ものがたくさんありました。アインシュタイン、カール・セーガンなどの言葉も深みがあり感動)

"アンチ・トンデモ"の最強版のような一冊ですし、信仰を持つ人々からすればはらわたが煮えくり返るようなところがあるでしょうが、ドーキンス氏はけっして人間否定でも科学万能主義でもなく、蒙を啓き限界を押し上げて、人間の歴史をより豊かにすること、そのために子供たちの精神を大事にすることを、心から願っているのだと思います。
(Tack/2007-10-24)
とてもエネルギッシュ |||||||||||||||||||||||||||||||||
神は妄想、世界一の無神論者王国の住人からみれば当たり前以前の常識を、科学界のスターにしてスポークスパースン、ドーキンスがここまでの字数を費やしてまで書かなければならないということが、欧米人を我々が多少なりとも理解しようとするときの困難さを象徴しているかのようだ。中東に民主主義を、なんて舌の音が乾かないうちに、いみじくもブッシュが「現代の十字軍、、」と洩らしたように、イラク戦争は継続中の宗教戦争なのだから、いまや日本人にとっても、神も宗教も人事ではない。普通、科学者はこの種の問題には、どんな角度からであろうと、触れることさえ嫌がるものだ。ドーキンスの蛮勇?いや、男気に拍手を送りたい。翻訳もいいのだろうが、読み物としても面白い。 (ゴン/2008-02-03)
筋金入りの科学原理主義者 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ドーキンスによる痛烈な宗教批判。ポストモダン哲学を批判したアラン・ソーカルの「知の欺瞞」のように、宗教的思想、特に科学を否定する立場を執拗に攻撃していくところは非常に小気味が良い(ポストモダン哲学に対しては、ドーキンス自身も「悪魔に仕える牧師」では同様の批判を展開している)。
宗教的な原理主義者を批判するドーキンス自身も無神論原理主義者ではないかと批判されているそうだが、ドーキンス自身はこれを明確に否定する。宗教的な原理主義では聖典のみを絶対的に信じ思考停止状態に陥っているのに対し、科学的アプローチでは反証するような証拠が出てくればいつでも思考を変えることができる、というのである。実際、本書の中でも100% 神は存在しない、といっているわけではない。科学的に見て限りなくその可能性が低い、といっているだけなのだ。つまりドーキンスが信じるのは無神論ではなく、証拠の積み重ねによる事実の探求のみだ。結局のところ彼は筋金入りの科学原理主義者といえるのではないだろうか。
(YS/2007-07-14)
おぞましい宗教の害悪 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
が全編に渡って語られる。そしてドーキンスの痛烈な宗教批判が今まで以上に熱烈に繰り返される。
ついつい一神教になじみのない私は宗教(や信仰)の暴走に顔をしかめてしまう。
でもそれに騙されてはいけない。対岸の火事と思ってはいけない。
ほとんどの部分で一神教批判が繰り返されるのでつい忘れてしまうが、
ドーキンスは「全ての超自然主義を攻撃している」のだ。

たしかに日本では政治活動を盛んに行う教団は某学会くらいしか思いつかないし、
我々の生活や価値観を縛るような宗教的戒律もほとんど無いが、
日本人の多くが無信仰的なのは、理性と熟慮によってそれを選択したからではないハズ。
迷信や伝統の影響を受け、漠然とした神の存在を信じている人は少なくないと思う。
もう一度そのような価値観、宗教観、合理的な物の考え方を見直すのに役立つ。

後半は子供に対する宗教教育の害について。
ここでも大人の立場から見ても、伝統や迷信とのつきあい方として考えさせられる物があるし、
子育てに一つの指針を与えてもくれると思う。

全体的に重い話題で気軽に読める物ではないが、今までドーキンスを読んだことのない人にもお勧めしたい。
(ちなみに生物学的な話題はほんの少しだけ) (げるやん/2007-05-28)
多くの良識ある人たちが、宗教家の鼻持ちならぬ傲慢さに我慢のならぬ思いをしながら、彼らの暴力主義を恐れて大声では言わずにいたことを、明快に暴いた一冊である。まずは、ドーキンス氏の勇気に拍手を送りたい。
しかし「神はほとんど確実に存在しない」という彼の言い方は少し奇妙である。怪獣が恐竜を模した想像上の動物である如く、神はヒトを模した想像上の動物であり、その種類も勝手にいくらでも創作できるという意味で無制限に多種多様であるから、一括してその存在の有無を論じても意味がないと思う。存在するという積極的根拠がなければ、存在しないと考えるのが妥当である。
問題は、神が存在するかしないかではなくて、宗教家がそういう想像上の動物を自分たちの手前勝手な主張の権威づけに用い、詐欺、脅迫、暴力の責任をそれに転嫁するところにあるのではなかろうか。ドーキンス氏は、イスラム教原理主義に匹敵する、キリスト教原理主義の恐ろしさを克明に描いている。このような話は日本ではあまり知られていないので、一読してみるのがよいであろう。 (場野量子/2007-09-10)
ドーキンスさん本気や! |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
読み始めて思った。ドーキンスさん本気やで。ドーキンスは本書で真っ向から宗教を否定している。

一割程読んだところでは、「いくら論破しても、原理主義者さんが、この本を読んで宗教から離脱することはないのに」と少々痛々しい思いであった。しかし、西欧社会で無神論者と名乗ることの社会的困難さを理解するにつけ、本書がそれらの人々を支援するために絶大な力を発揮することが分かって来た。ドーキンスは極めて冷静にかつ徹底的に宗教の罪を告発し、宗教への弁護を論破する。私のような無神論者に取っては胸のすく思いをするとともに、自分の認識が甘さに反省させられた。

原理主義者になる人の中には、不用意に信徒と論争を始めて、取り込まれる人も少なくない。教会側だって必死で、宗教の理論武装は半端ではない。こちらも、論争をする前にしっかりした理論武装をする必要があるのだ。そのバックグラウンドをしっかりと作ってくれる本としても極め重要だ。ほとんどの科学者は、宗教者との論争があまりに不毛なので、バカバカしくて放り出してしまう。いくら論破しても決して負けたと言わない、いわば、いくらゴールに蹴り込んでも入ったと認めない連中を相手にサッカーをやってるようなものだからだ。従って、こちら側の論拠をこのようにまとめた書は貴重で、しかも、ダーウィニズムをもっとも深く理解しているドーキンスの理論は強力な武器だ。もちろん、敵は決して負けたとは言わないだろう。しかし、観客にはどちらが勝ちかがはっきり分かる。そして、重要なのは、観客をあちら側に行かせないことなのである。

某大国の大統領の不用意な行動で原理主義が広がりつつある現代で、神でなく理性をよりどころに生きようとする人々の理論的支柱となる書である。強く推薦します。 (shibchin/2007-11-06)
実績的にも文句なしの世界的に著名な科学者が、まったく空気を読まずに神をフルボッコにする本。……という説明は不要なんだろうなぁ、けっこう売れてるみたいだし。

この本の目的は有神論者を無神論に転向させることではなくて(そういう人たちはそもそも本書を手に取りもしないだろう)、信仰を持つことが当たり前とされているような土地で虐げられている無神論者たちに対して強い味方がいることを知らしめることだ。ようするにアメリカとか、イスラム圏の国々に住む無神論者が読むととても勇気付けられる。なにしろ彼らは孤立しているので。でも日本でもよく読まれてるのは不思議だね。誰が読むんだろ。

ま、そんなに堅苦しい本じゃなくて、なにしろ「銀河ヒッチハイクガイド」の引用から始まってるんだから、(少なくとも日本では)肩の力を抜いて読めばいいんじゃないかな。
(ただただし/2008-03-26)
タイトルを見た瞬間に、スカっとそれまで頭を覆っていた黒雲が晴れたように感じ、脱教会を決意。日本人ではキリスト教徒でないと理解しずらい部分があるかもしれませんが、教会内の陰湿さを垣間見たことのある人、それによって精神に傷を負ったことのある人にとっては、救いの一冊、個人的な感想では、ああ、救われた、と正直に著者に感謝です。自分の理性を信じるように、迷妄に惑わされるな!恐怖に打ち勝って自分を信じること・・・
逆説的ですが、神は妄想である、と言い切るところに、もっと深い人間賛歌、人としての正直さがあります。

迷妄的に手に触れることのできない、神という概念を長年追いかけさせられて、誰もその実態を知らないし、知ったかぶりを続けるために誤魔化しながら生きつづけなければならない聖職者たちの欺瞞を見て見ぬふりをし続けていく「うそ」に疲れた人はどうぞ、お読みください。
彼らも自己にうそをついているがために、宗教の中は虚偽が横行して、それに気づいた人は、組織ぐるみで魔女狩りに合います。そのために人びとはお互いを監視しあう「愛と分かちあい、ゆるしあい」とは程遠い組織宗教の実態があります。たとえ教会を離れたとしても、宗教的な誤った思い込みを埋め込まれてしまって、精神の牢獄に長年、囚われ続けることになります。幻想をうちやぶり、個人個人が自己の気高さに目覚めてよい、と勇気をもって語っている一冊です。

(Rose/2008-10-06)
気になったこと |||||||||||||||||
宗教というトピックにドーキンス氏やアメリカ市民ほど危なっかしくない立場から自由に鑑賞できる(その分だけその重みに無自覚に喋れる)日本人として、彼の議論を「堪能」はできた。ただ、大方のレヴュアーの方が本書に好意的な見解を寄せている(私も部分的かつ心情的には同じ)が、宗教を議論する際には肯定派も否定派もできるだけこのような「熱狂」から距離を取っておくべきだと思うゆえ、あえて批判的な意見を述べさせてもらいたい。

(A)まず本書全体を通して感じた問題点として
進化論的観点から見た宗教発生学、とも言うべき「記述的」議論(第五章)と、宗教の弊害を批判する「価値判断」の議論(それ以降の章)とが食い違うのではないか。つまり宗教がミーム進化の上で十分起こりうる「副産物」であるという理解と、宗教そのものにメリットはない、という主張が重なり合わないのだ。更に言うならば、後者の価値判断の議論においても、ドーキンス氏の持ち出す状況証拠が否定的なものばかり(当然彼の主張としては必要な証拠であることには違いないが)である点が気になってくる。その宗教批判の根拠として持ち出すのが聖書の非道徳的な記述の「一部」や宗教教育の悲しむべき帰結の「一部」であり、そういった「弊害」が現代の世界で悲惨なものであるのは否定できないにしても、彼の言う「ミームの進化過程の中で生まれた」宗教にもなんらかの「人類が生き残っていくための方便」としての機能があるという見解はどのように正当化するのだろう。したがって宗教そのものを害悪として捉える(部分を全体と取り違える)錯誤にはまることなく、彼自身の土俵である進化論の枠に留まった上で「なぜそれが社会的利点を生み出しながら大きくなったと同時に、かつその一部の妄信的側面が肥大化して人間精神へ悪影響を持つようになったのか」を議論の俎上に載せ、宗教の限界と効用を同時に見据えながら現在の世界中の宗教的対立への処方箋を提示する必要があったのではないか。でない限り彼の議論は「毒には毒で制す」的な発想による劇薬効果以上のものにはなりえないのではないか、という気がする。その意味でドーキンス氏にもう少し持っていてもらいたかったのは、宗教社会学な観点である。
ドーキンス氏の方法はやはり現状のアメリカや世界中の宗教的対立がもたらした悲劇や見えない圧力への「倫理的身構え」であり、その意味でセンセーショナルな力を持つのは確かだとしても、宗教と付き合うことを政治的文脈ぬきで行なうことはできないものかというしこりを感じて読み終えた。

(B)個別の点で気になった点としては
・デザイン論証の無限遡及が神の存在証明を突き崩してしまうとされている(235)が、例えば自然界に見出される数学的配列をどう説明するか。巻貝における黄金比、天体運動の計量的パターン、虹のスペクトルといった、神の存在を土台にしなくとも単に我々が「美しい」と言って大丈夫(だと思える)現象が存在していることを、どう説明するのだろうか。ドーキンスはデザイン論証を人格化(キリスト教的文脈の中で)しすぎているのではないか。
・文学教育から宗教的教育をとり除くことが妥当だという主張(第九章)も、美的教養の点で果たして正解か、という疑問が残る(芸術と宗教と道徳の問題)。キルケゴールが考えたように、美的生き方が宗教的生き方を介在させて倫理的に高められうるとすれば、宗教もまた(子供教育における童話のようにやがて捨てられるべき一過性のものだとしても)「ひとまず」教育段階で取り入れてもいい題材ではないかという気もする。もちろんドーキンスが言うように子ども自身が成長してその妥当性を自身の頭で判断できないほどのドグマティックな教化は避けるべきだとしても。
(m/2008-12-28)
思考停止の装置は信仰以外にも・・・。 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ドーキンスが、くだくだと神の不存在について書いているのを多くの日本人は笑うのでしょうが、笑ってばかりもいられません。
日本人は、信仰の他にも沢山の思考停止の装置を持っているのですから。
根本敬は、「日本はヤンキーとファンシーで出来ている。」と言ったそうですが、最近はこれに「スピリチュアル」も加えた方が良さそうです。
反骨風の集団への依存、「かわいい」一点張りの価値基準、全ての事象は霊的なものと関係があるという最近のテレビ番組の流行。
日本にもドーキンスの様なドン・キホーテが必要なのかも知れません。 (デビルマン/2007-06-13)
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w:13 h:18 451page
悪魔に仕える牧師
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ASIN:4152085657
早川書房(2004-04-23)
翻訳:垂水 雄二リチャード・ドーキンス
売上順位:9252
¥ 2,520(中古:¥ 1,025)

レビュー総評点:172
良い意味でファン向けの1冊 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
 32本のエッセイを収録しているが、その殆どが初の邦訳であるのが嬉しい。
 前作「虹の解体」で反オカルトに乗り出したドーキンスだが、今作ではさらに歩を進めて明確な反宗教的姿勢を打ち出している。
 また、政治的な発言や私的な交遊についての言及が多く、これまでになくドーキンスの人柄や素顔が前面に出ている。
 ただし、各エッセイはそれぞれ個別の問題について述べているため、巧みに関連付けられて配置されているとはいえ、これまでの著作の様なテーマの一貫性には欠ける印象がある。
 ドーキンスの他の著作を未読の人が読んでも面白いことは間違いないが、本当にこの本を楽しみたければまず他の本から読むことを強くお薦めする。特に「盲目の時計職人」と「利己的な遺伝子」は必読である。それらは必ずあなたを魅了するだろう。その上で本書を読めば「あのドーキンスはこの問題についてどう考えているのか?」という新たな視座を手に入れることができ、より深く楽しむことが出来ると思う。そういう意味ではこの本はすでにドーキンスの魅力に取り憑かれたファン向けの本であると感じた。
 なお、収録されたエッセイは25年の間に様々なメディア上で発表されたものが中心だが、惜しくも収録できなかったものも多数あるとのことで、反響しだいでは続刊も期待できそう。進化や科学について扱った極上のエッセイ集として、終生良きライバルであった故スティーヴン・ジェイ・グールドのエッセイ・シリーズに替わって刊行し続けてほしい。 (のづち/2004-05-06)
 大半の本は、「面白くて一気に読んでしまう」か「面白くないので途中でやめてしまう」にわかれるのでしょうが、本書は「面白いのだけど、重荷とも感じられて、簡単に読み進められない」ものでした。結局、半年近くかかったことになります。
 エッセイと聞くと「軽妙な表現」と対で使われることが目立ちますが、ドーキンスのエッセイは彼の日常の生身の表現なのでしょうか。正確だけど簡易ではなく、偏向を戒めますが主張は明確であり、合理的証拠を尊びつつ感性にも訴えようとする文章の連なりに圧倒されてしまいます。一般読者向けに書かれた本(例えば「利己的な遺伝子」)も決して平易な表現とは思えませんが、かなりの推敲を加え理解を引き出すための努力がなされたものだのではないかと感じます。
 私も、若い頃に科学者になるのを夢見ていたころがありました。ある程度、科学的なものの見方をできているのではないかというわずかな自負はありましたが、たとえば宗教に対する考え方や、代替医療と呼ばれる領域に対する態度に確かな自信を持っているわけではないことに気づかされました。
 単に、特定分野の科学の専門家としてだけでなく、科学的な立場とはどういうことなのかを積極的に広めようとされる意欲は尊敬します。訳者あとがきで紹介されている、ドーキンスが推進している「ブライト運動」のことも勉強したいと思います。 (jimmy/2005-09-11)
ある分野で研究を長年続けていると、重箱をつつくようになりがちです。実験のこまかい方法や結果に難癖をつけてしまう。そういう自分に疑問を感じたときに、読む本ですね。
「人間の心にはふたつの病気がある」と本に書かれています。
なにだと思います?
それは:
「世代をこえて復讐心を伝えていく衝動」
「人々を個人としてみるのでなく、集団としてレッテルをはる傾向」なのだそうです。こういう広い科学的な視点を、いたるところで発見できます。
翻訳にはひとつリクエスト。すばらしい翻訳でしたが、原文から少し離れて、もうすこしわかりやすい表現にしていただきたいです。 (hawaiijoho/2005-08-09)
ドーキンスの著作はどれもそうなのですが、
本書でも科学と真剣に向き合うことの重要性を訴えています。
また似非科学に対する警鐘も鳴らしています。

自然科学を扱う学者の中には、
神の存在を証明するために科学を利用する人たちや、
人が他の生命と異なり、特殊な存在であることを証明するために、科学を利用する人たちや、
自分の主張を正当化するために、都合のいいところだけ科学を利用する人たちが、
結構います。

また、社会科学(経済学、社会学、心理学、教育学など)を扱う学者の多くは、
自然科学を無視していたり、自然科学に無知だったりします。

科学とは真実を手にする為の人類の壮大な挑戦の歴史であり、
これからもそうでなければなりません。

科学と名のつく学問を扱う人はドーキンスを見習うべきですし、
科学者としてのプライドを持つべきです。

ドーキンスと同じスタンスで科学と真剣に向き合っている以下の人たちの書籍もお薦めです。
・ダニエル・デネット(哲学者)
・スティーブン・ピンカー(進化心理学者)
・ハワード・ガードナー(認知心理学者)
・アントニオ・ダマシオ(脳科学者)
・マット・リドレー(サイエンスライター)
(seed&inspire/2006-01-22)
ドーキンスが研究していること、というよりもドーキンスが学問、真理、人間に対してどのようなスタンスを貫いているかが記された本。ポストモダンや似非科学、宗教を、真理を軽んじている、あるいは見損なっているものとして激しく糾弾する姿勢は科学者の模範として尊敬できます。 
でも本書の一番の読みどころは(個人的には)今は亡き論敵グールドやひたむきな研究者としての生を全うしたハミルトンへ捧げられた哀悼の辞でしょう。とても美しい言葉で綴られた、感動的な文章です。
学術的なものではなくてエッセイ集ですので読みやすいかとも思います。 (マクシ/2005-05-24)
ドーキンスは現在オックスフォード大学で科学を一般に広めるための活動に従事しているということです。

この本は彼の現在の活動ラインに沿って、科学的でないものへの徹底的な批判をしています。ポストモダンのフーコーやデリダなどのフランス哲学、オルターナティブと呼ばれる似非科学、本家本元のキリスト教、その他のニューサイエンスが槍玉にあがっています。
またポパーやクーンなどの著名な科学哲学者をも、物理学偏向の形而上学といった感じで認めないのは、ポパーが晩年、進化論を否定したりした体と思われます。ドーキンスにとっては、自己複製子とその選択的な増殖こそが、物理学以上に重要な科学的発見だといいたいのだと感じます。
その攻撃的な侮蔑には、名を成した科学者としては珍しいように思いますが、しかし、こういった執念や情熱があったからこそ彼の「利己的な遺伝子」というラディカルな書籍も出てきたのでしょう。科学者としてありたいと思う人はぜひとも読んでほしいエッセイ集です。

もう一つはグールドやハミルトンとの個人的な関係についてですが、これは進化生物学をある程度勉強していて、彼らの断続平衡説や包括適応度などの業績や考えについてある程度知る人には面白いでしょう。

あえて、批判を述べるなら、やはり全体の主題というものがなく、特にまとまりがないので、ドーキンスという人と業績を知っている人向けの本かなとは思います。 (蔵研也/2007-03-02)
ドーキンスがこれまでいろんなところに発表してきた文をまとめたもの。
読みどころはいろいろあるが、ひとつあげるとするなら、論敵であるグールドとのやりとりである。進化論の解釈や手法についてはときに激しく論じ合いながらも、お互いを認め合うかれらの態度にはすがすがしさを感じる。
ドーキンスファンはもちろんグールドファンにもぜひ読んでもらいたい本である。 (nikurou/2004-06-08)
 32本のエッセイを収録しているが、その殆どが初の邦訳であるのが嬉しい。
 前作「虹の解体」で反オカルトに乗り出したドーキンスだが、今作ではさらに歩を進めて明確な反宗教的姿勢を打ち出している。
 また、政治的な発言や私的な交遊についての言及が多く、これまでになくドーキンスの人柄や素顔が前面に出ている。
 ただし、各エッセイはそれぞれ個別の問題について述べているため、巧みに関連付けられて配置されているとはいえ、これまでの著作の様なテーマの一貫性には欠ける印象がある。
 ドーキンスの他の著作を未読の人が読んでも面白いことは間違いないが、本当にこの本を楽しみたければまず他の本から読むことを強くお薦めする。特に「盲目の時計職人」と「利己的な遺伝子」は必読である。それらは必ずあなたを魅了するだろう。その上で本書を読めば「あのドーキンスはこの問題についてどう考えているのか?」という新たな視座を手に入れることができ、より深く楽しむことが出来ると思う。そういう意味ではこの本はすでにドーキンスの魅力に取り憑かれたファン向けの本であると感じた。
 なお、収録されたエッセイは長い間に様々なメディア上で発表されたものが中心だが、惜しくも収録できなかったものも多数あるとのことで、反響しだいでは続刊も期待できそう。進化や科学について扱った極上のエッセイ集として、終生良きライバルであった故スティーヴン・ジェイ・グールドのエッセイ・シリーズに替わって刊行し続けてほしい。 (のづち/2004-05-06)
むずかしすぎてわからん |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイトルが面白そうだったので読んでみましたが、期待はずれでした。
エッセイ集には違いないのですが、専門家もしくは相当の科学書好き向けに編まれたエッセイ集であり、とても素人が興味半分で手にとって理解できる代物ではありません。訳文も直訳に近いのか、言い回しが大変にまわりくどくて閉口しました。
カバー見返しに「必読の啓蒙書」とありますが、啓蒙とはバカにわからせること。私のようなバカに「なぜ科学は神を必要としないのか」をわかりやすく教えてくれる本でないことだけは確かなようです。
内容はきっといいことがたくさん書いてあるんだと思いますが、私にとっては猫に小判、もったいない出費でした。 (丁三/2004-07-25)
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w:13 h:18 323page
神と科学は共存できるか?
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ASIN:4822245721
日経BP社(2007-10-18)
翻訳:新妻 昭夫スティーヴン・ジェイ・グールド
売上順位:93366
¥ 1,995(中古:¥ 1,300)

レビュー総評点:29
”進化と創造”論争の歴史的経緯や、著者が関わった裁判の裏話は大変興味深かった。しかし科学史以上の価値があるかというと疑問だ。

不満は非常に多い。細かいところではダーウィンがNOMAを実践していたかのように述べているが、自伝でダーウィンは宗教を「理性のある人間があんなもの信じるなんて」と痛烈に批判しているのだ。また宗教と科学が未分化であった時代の先人たちの奮闘は称賛に値するが、それを紹介されても現代に応用するのは困難だろう。

フランシス・コリンズのような宗教的科学者はドーキンスが批判する神を「我々の神ではない」と退け、グールドに好意的だ。だがグールドの述べる宗教こそコリンズらが擁護する宗教ではない。科学の領域に立ち入らない宗教は人生哲学か倫理学そのものだろう。MOMAは、単にそういう考えがあると述べるだけでは中身のないファッション、あるいは現状維持の事なかれ主義だし、徹底すればあとに残るのは「科学と宗教」ではなく「科学と哲学」だ。コリンズらは宗教と科学は両立可能であるという耳ざわりの良い声明に、表面的に同意しているにすぎない。

スティーブン・ピンカーに依ればグールドは神経科学や認知科学が人間を機械と取り替えようとしていると嘆いたそうだ。グールドは現代のアルフレッド・ウォレスになりたかったのかも知れない。彼の内面がわずかに見えたような気がする。後半四分の一は新妻昭夫氏の長大な、大変優れた解説がある。ここではドーキンスとグールドだけでなく、もう一人の知の巨人E.O.ウィルソンの宗教観にも触れている。ここだけでも900円分くらいの価値はある。 (いとみみず/2009-01-01)
「なんとかしよう」ともがくグールドが痛々しい。神と科学の共存という泥沼問題は、共存不能という(生物界にはよく見られる)居心地の悪い状態を許容せず、なんとか両者を共存させてさっぱりしたいという本能的欲望に起因している。この欲望が将来なくなるとは思えず、泥沼はこの先も延々と続くことだろう。 (Krokodil Gena/2008-10-12)
ドーキンスの「神は妄想である」を読んだ人には是非読んでもらいたい一冊です。

「神は妄想である」の論調は宗教との全面対決を全力で打ち出したものなので、その情報だけをインプットするといささか思考に柔軟性が欠けてしまうように思います。
色々な側面から宗教と科学をとらえられるようになるためにも、この本の中庸案というのは非常に興味深いものでしょう。
中庸と言っても、決して生物学者であるグールドが宗教に日和っているわけではないのでご安心を。大人な対応という感じです。

グールドさん、亡くなられていたんですね…。
恥ずかしながら本書を手に取るまで知りませんでした。
生物学史上の偉人の最後の作品という点からも価値があると思います。 (ダニエル/2008-04-21)
NOMA理論による科学と宗教の共存 ||||||||||||||||||||||||||||||||||
"断続平衡説"の提唱者グールドの遺作となってしまった作品。アメリカで根強いキリスト教原理主義者による「創造論」に対する闘士としても著名なグールドが、科学と宗教の関係について論じたもの。科学万能を主張するのでは無く、科学と宗教との間に越えられない一線がある点を土台にしている点にグールドの人柄が窺える。

本書の中心概念は「NOMA(Non-Overlapping Magisteria)原理」と言うもので、平たく言えば、科学と宗教のような二律背反に見える概念が、別の領域として両立し得るという考え方である。尚、マジステリウム(Magisteria)とはカトリック用語で、"教えの権限の範囲"と言う程の意味の由。本書を書くに当たって、カトリックの専門用語を基本概念に使用する辺り、グールドの練達した書き手ぶりを示している。グールドが主張する所は、「科学と宗教は別個のマジステリウム」だと言う点である。そして、さりげなく「科学的な結論と聖書の解釈との間に矛盾があるように見えたら、聖書の注釈を再考した方が良い」と付け加えるのを忘れない。先達であるダーウィンとハクスリーに関する挿話は、NOMAの本質に迫って感動的である。グールド自身は無宗教なのだが、宗教の価値自身は尊敬しているのだ。そして、「十全な人生観を構築するためには、科学と宗教という2つのマジステリウムへの洞察を統合する」事が必要だと述べる。この時点で邦題に対する回答は出ており、「共存できるか ?」ではなく「いかにして共存するか ?」が真の命題となる。ここでやっと、現在のアメリカの多くの州で進化論が教えられていない点に対する批判に入るが、現教皇パウロ二世は進化論を認めているのである。グールドはアメリカの現状を、一部の原理主義者が科学のマジステリウムに介入しているからだと指摘するが、NOMA理論により、これを科学vs宗教(原理主義者)の闘争とは見做さない。両者の対話が必要だと言う。以下、科学のマジステリウムの心理面をダーウィンを例に取って詳説する。最後に上記の対話法について「和協主義」を中心に情熱を込めて語る。

科学にとって永遠の課題とも言える宗教との共存を論じた本が遺作になるとは運命的なものを感じる。グールドの科学観・人生観が味わえる心に残る良書。
(紫陽花/2007-11-17)
日本人は宗教・信仰に関心を持つことは少ない。ただ、正月には神社仏閣に初詣には行き、困ったときには神頼みや願い事をするし、冠婚葬祭には仏式等を当たり前のように受け入れる。また、子供の時から、主に親から躾として礼儀作法やマナーを比較的厳しく教え込まれる。このため、規律正しく礼儀正しいことや親切・迷惑をかけないことが美徳として、宗教・信仰抜きに、ある程度社会全体が円滑に機能するように保たれていると思う。加えて、大自然に対して、畏敬の念を健全に持ち、石ころから仏像・自然そのものに「八百万の神」や霊的・スピリチュアルなものをなんの疑いも持たず感じることさえできる。

こういった日本にいると信じがたいことであるが、キリスト教文化圏特に米国の一部原理主義者の中には、聖書の記述を寓話ではなく真実であると信じ、「進化論」を拒否し地球の年齢が高々1万年の歴史しかないとする一派が存在する。さらに、この活動家は、政治的手段でもって教育にも介入してきた。こうした中、古生物学者であるグールドは、科学の教義と宗教の教義は、互いに交わらないようにできるはずであるとの主張を、NOMA原理(Non-Overlapping Magisteria=非重複教導権の原理)と呼んで、神と科学は共存できるはずだと主張していることが本書の骨子である。

「神は妄想である」とする同じ現代進化生物学者ドーキンスからは、「中途半端な妥協である」と批判されるものの、個人的にはそこまで敵対的戦闘態勢にならなくても、グールドの言うNOMA=「棲み分け」もアリかなと思う。こういった読後感であり、グールドの他の本も読みたくなった。
(ねぼすけ2004/2009-05-22)
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利己的な遺伝子 <増補新装版>
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ASIN:4314010037
紀伊國屋書店(2006-05-01)
翻訳:日高 敏隆翻訳:岸 由二翻訳:羽田 節子翻訳:垂水 雄二リチャード・ドーキンス
売上順位:39242
¥ 2,940(中古:¥ 2,352)

レビュー総評点:269

ダーウィン進化論の核心である自然淘汰の原理を、淘汰の単位は遺伝子であるという観点から、
具体的な生物行動を例にあげて徹底的に考察した渾身の大作である。
初版30周年を記念して出版された増補新装版であり巻末の補注が多く分厚い。

作者は、生物個体とは利己的な遺伝子に操作された「生存機械」であると言い切る。
その視点から、これでもかというほど具体的な生態例をとりあげ、
数式を使わずに利己的遺伝子論の有効性を丁寧に立証していく。
後半あたりになると少し込み入った話になるが、根気良く読んでいけば十分理解は出来る。
長いので集中力を維持するのが大変だがあせらずじっくり読むしかない。
ただ、原文が元々そういう性格なのか、訳に所々まずいところが見られ読みづらさを覚えた。

追加された章については、
12章は「囚人のジレンマ」を例に簡単なゲーム理論の紹介があり興味深い。
13章は同じ著者による「延長された表現型」の要約で、利己的遺伝子論の拡張部分である。

なお、「natural selection」の訳を「淘汰」としている点がまずいとの指摘があるが、
この点については訳者はあとがきで、「自然淘汰の過程で生き残る」という意味で使ったと
注意を促している。つまり、「Aが淘汰される」とは「Aが淘汰の結果の生き残る」という意味である。 (柿の種/2007-03-08)
文系にも |||||||||||||||||||||||
身近な例を挙げて遺伝子の性質を説明してくれているので、たいへんわかりやすいです。
生物の知識がない方でも大丈夫。
30年経っても内容が古びていないのは、普遍的な話が綴られているから。

この本の内容を友人に話したところ、生物にまったく興味がない人も興味を持ってくれました。
文系にもお勧めできる一冊です。 (真心/2006-11-08)
確かドーキンスだと思うが、別のところで
「進化論は誰でもちょっと努力すれば理解できるくらいシンプルだが、理解したことを他の誰かに話さずにいられない程度には難しい」
と言っていた。なるほどその通り、本書はすらすらと読めるほど簡単ではなく、
かみ砕いて理解しようとすれば何ヶ月もかかるが、そうしたくなるだけの面白さを持っている。
本書が述べていることは、進化論全般ではなく、
「自然淘汰が働く実質的な実体は種や個体ではなく遺伝子であること」と
「個体が利他的に振る舞っても、実はそれは表面的なもので、実質的に自分自身に利益があるのだ(利己的なのだ)」ということ。
進化論の概要を知らなくても読める程度にやさしく書かれてはいるが、さきに概説書などで進化論の概要を知っておく方が読みやすいだろう。

で、ハチの話。自然淘汰で説明できるというのは実は説明になっていない。
現生の生物は全て自然淘汰を受けて残っているわけだから。
なぜハチが(自分自身では子供を作らず、母の手助けに全人生を費やすかという)
きわめて強い利他性を発揮するかという問題には個別の解説が必要だ。
生物が持つ一つ一つの性質にはそうやって個別の説明が必要なのだ。
それを簡単に述べたのが本書の10章。
つまり、自分で子供を作るより母にもっと産ませる方が
(働きバチの中の遺伝子としては)より都合が良いのだ、と言うこと。
母の手伝いは利他的ではなく純利己的な行動なのだ。
人間の娘が母の家事の手伝いをしてお小遣いをもらう、のようなことよりももっと直接的に自己の利益になるのである。
そして同じように群れを作るハチでも、それぞれの生殖習慣によって働きバチの振る舞いが若干異なること、
また群れの中で(繁殖的な)主導権を握っているのは女王蜂ではなく実は働きバチなのだと言うことも明らかにしている。

利己的と言う言葉は大変誤解しやすく、読んでいても混乱することがある。
しかし他に適当な言葉はないし、しっかりと意味をつかむことが出来、理解できたときの喜びは何事にも代え難い。 (げるやん/2007-05-17)
普遍の進化論 |||||||||||||||||
中学生の頃だったか、高校生の頃だったか忘れてしまったけれど、一度読んで衝撃を受けた本の増補版ということで、思わず手にとってしまった。
当時は「遺伝子機械」という表現を真に受けて所詮人間なんて。。。と悩んでしまったが、30も過ぎて読むとひと味もふた味も違う。

端的に言ってしまえば、生物は意思を持って自己増殖行うように進化したわけではなく、ある環境において効率的に自己増殖が行えたから結果として生き残っているというある種の結果論的な進化論のように見受けられる。
しかし、同一種の遺伝子数が最大化することを前提とした上で、ゲーム理論によって生物の行動が予測できたり、遺伝子にとどまらず、自己複製子という定義に拡張しても理論が破綻しない点などから、長期に亘って存続可能なもの全てに対して適用できる普遍的な公理にも相当するのではないかと思う。


多くの示唆を含んでいて、それでいて数式を全く使わず読みやすく書かれている。
まさに名著である。 (Takahiro/2006-08-05)
本書は、30年前の出版され社会的に大きな反響を巻き起こしたが、今や古典的名著といっても過言ではあるまい。学生時代に本書を読んで大きな衝撃を受けたというひとも多い。そうしたひとりである友人に強く勧められたのが本書を手にしたきっかけである。

そもそもダーウィンの自然淘汰論も大きな社会的反響を呼び起こし、経済学や社会学などの発展にも大きな影響を与えた。その自然淘汰論が定着する過程でいくつかの論理的矛盾も疑問として浮上してきた。頻繁に観察される利他的、自己犠牲的な個体行動が「種の保存」「弱肉強食」という論理と矛盾するからである。著者を代表とする生物学者たちは、それまでの(自分を犠牲にしてグループ全体に奉仕するという)群淘汰という考え方を俗論として退け、生物個体は遺伝子の運搬手段という「生物機械論」を唱え、個別の遺伝子の自己複製の最大化ということこそ淘汰のメカニズムと説いた。

こうした考えは、生物を機械に例え、遺伝子(生殖)が利己的意思を持つという例示への誤解とともに強い抵抗感を持たれた。一方で、その推論は、統計学的なシミュレーションやゲーム理論を駆使した斬新なものだったし、「自己犠牲」「全体奉仕」という古臭い社会倫理に心地よい論理をくつがえすものだったから、若い世代からは強い共感と支持を得たに違いない。

30年経った今読んでみても斬新な考え方であり、個体の意志的行動にとらわれた考えかたがいかに錯覚であるかがよく理解できる。生物学の分野ばかりでなく、市場主義的な経済理論や種々の社会的規制や経済制度設計をめぐってもその考え方や手法がもたらすものは今日的な意義が大きい。 (ノーツオンザロック/2008-07-02)
30年経っても色あせない科学書は大変珍しい。本書の出版と同時に「科学者はどのようにして私たちの考え方を変えたか?」というドーキンスをテーマにした26人の科学者によるエッセイ集が出版されたが、そのことからも本書の影響力の大きさが伺える。

本書はしばしば時代遅れだ、古すぎるなどと批判される。確かに本書を読んだだけで進化生物学を理解したと考えるのは間違っているが、本書が時代遅れだという批判も同じくらい間違っている。というのも、本書が紹介している自然選択のメカニズム、種の保存論の誤り、血縁選択、互恵的利他主義、ESSと言った概念は現代的な進化生物学の中核をなしているためだ。現代的な理論物理学を学ぶにはニュートン力学の理解を避けて通れない。ニュートン力学が時代遅れだ(から学ぶ必要はない)などという批判が馬鹿げているのと同じように、進化生物学でそれらの概念が生き続けている限り、本書も素晴らしい入門書、概説書として生き続けるはずだ。

また本書は科学書であるだけでない。著者にはそのつもりはないかも知れないが、結果として哲学的な問いかけも行っている。生物の存在や進化に究極的な意図や目的はないこと、種の保存のためという論理はかなり大きく誤っていること、家族をいとおしいと思ったり手助けをしたくなる感情は当たり前なことではなくて、説明が必要な(そして説明されている)自然現象だと言うことなどだ。非生物学者の読者にとっても、決して答えが見つからないだろうと思われがちな深遠な疑問や、疑問にすら感じないような当たり前のことを、論理的に深く考えるきっかけを与えてくれるだろう。 (いとみみず/2008-11-04)
 遺伝子こそが生命の主体であることを示したあまりにも有名な生物学の古典。タイトルを見ただけで反感を持つ人も多いだろうが、神のみならず心をも生物の主体から引きずり下ろし、大きな生物学的パラダイムの転換をもたらした聖典である。
(Krokodil Gena/2008-10-05)
自然淘汰は遺伝子のレベルで行われていることを論証し、それによってこれまで説明がつかなかった利他的行為に説明を与えた本。

ただ注意が必要なのは、自然淘汰というのは「自らが生き残ろうとして主体的に子孫を多く残す」のではなく、「子孫を多く残すものが増えてしまった」だけである。
遺伝子もミームも、それ自身が主体的に「生き残ろう」としていたわけではない。


数学的に遺伝子の自然淘汰を書くと以下のようになるだろう。
ある遺伝子(A)の最初の個数をa、別の遺伝子(B)の最初の個数をbとする(遺伝子はこれしかないものと仮定する)
また、Aが次世代に残す遺伝子の個数の期待値をp、Bが次世代に残す遺伝子の個数の期待値をqとする。
すると、n世代後の、全遺伝子中にAが占める割合はap^n/(ap^n+bq^n)である。
p>qであるならば、nが十分大きいとき、ap^n/(ap^n+bq^n)=1 つまり全遺伝子がAになっているということだ。
逆にp<qであるならば、nが十分大きいとき、ap^n/(ap^n+bq^n)=0 つまりAはいなくなるということだ。

利他的行動は、少し単純化して以下のように考えることにしよう。
ある遺伝子(A)の最初の個数をa、別の遺伝子(B)の最初の個数をbとする(遺伝子はこれしかないものと仮定する)
A,Bともに、次世代に残す遺伝子の個数の期待値をrとする。
ただ、確率kで遺伝子3個が死ぬ事態が発生する。
そして、Aは上記事態が発生したとき、確率zで自己犠牲行動をとり、その遺伝子3個を助けるとしよう。(Bはいっさい自己犠牲行動をとらない)
このとき、1世代後の、Aの個数はa(rー3rk(1−z)ーrkz)=ar(1−3k+2kz)
Bの個体数はb(r−3rk)=br(1−3k)
よって、n世代後のAの占める割合はa(r−3rk+2rkz)^n/{a(r−3rk+2rkz)^n+b(r−3rk)^n}
r(1−3k+2kz)>r(1−3k)より、この値はnが十分大きいとき1。つまり全遺伝子がAになる。
よって、利他的行動は遺伝子レベルで見れば利己的である。



繰り返しになるが、遺伝子が作用するのは統計的に見てであり、個別の個体の行動を完全に左右してしまうわけではない。
実際、ドーキンスは「一方で遺伝子は人間の行動に統計的な影響力を行使すると考え、しかし他方で、その影響力を他の影響力によって変形させたり、克服したり、あるいは逆転したりできると信ずることは完璧に可能である」と述べている。

しかし、そう考えるとタイトルの『利己的な遺伝子』というのはミスリーディングだろう。
そこら辺に注意して読んでいただきたい。 (θ/2008-03-25)
自然界は多様で美しい。なぜかくも美しい自然が創られたのか。植物の花のひとつひとつの美しさ、昆虫の多様な世界、そして何よりも動物たちの多様な行動のレパートリー。魚の婚姻色、親鳥の偽傷行動(巣のありかを知らせないために親鳥が傷を負っているふりをして捕食者をだます)、犬や狼や鮎のなわばり行動、蜂の神風特攻隊……身近な犬・猫の行動の複雑さを想定してもよい。これらすべてを説明するのが「利己的な遺伝子」という原理。タイトルの「利己的な」という言葉に感情的に反発するのはやめよ。「遺伝子」という言葉に決定論的な反応をするのもやめよ。
ドーキンスは、この本でこうした想定される反応に明快に答えている。ドーキンスの二作目『延長された表現型』(最近、邦訳も復刊された)も読めば「世界は「利己的な遺伝子」が創る網の目構造」と読める。大英帝国の著者らしく、「大きな世界観を語るのが好きなのだ」。ポスト・ドーキンスの論を構築するには、この本を精読する以外からはできないと信じ、再読したが、索引の充実は便利。
この本をマスターすれば、議論上手になれる。相手の行動の裏も感じ取れる。「浮気する理由がわかる」というのは安直な理解。「利己的な遺伝子のせいで、自然はかくも美しく、世の中はかくも複雑、だから人は考え悩みつつ、生きることがかくも楽しいのだ」。



(サン・オヴ・アクア/2006-06-14)
内容は良いのだが ||||||||||||||||||||||||||
 ”natural selection”に対応する訳がまずいな、と思う箇所が幾つか見受けられたのが残念だ。これは日本語で言う”自然淘汰”に対する語であるが、そもそも”selection"と”淘汰”の意味は異なっているという事を訳者達は意識しているのだろうか。勿論翻訳の段階で”選択”よりも”淘汰”の方が適当だと判断すればそのように訳せばよいのだろうが、(今本が手元に無いので具体的に何頁かはわからないが)例えば「猫の鳴き声は淘汰されて云々・・・」という件があり、この日本語から普通に考えれば、「猫・・・鳴くよね・・・」という疑問が生まれて当然である。このように読者を無駄に混乱させる文章が幾つか見受けられるのは如何かと思う。
(じむ/2006-12-15)
買いですが。 ||||||||||||||||||
セルフィッシュ・ジーンなどキャッチーなフレーズ満載の啓蒙的色彩の強い一冊です。ほかのレヴューにもありましたが、竹内久美子の「そんなバカな!」で本書を知り手に取りました。ハヤカワ文庫やちくま文庫から頻繁に出ている科学ものと同様、素人にも馴染みやすくわかりやすいのですが、高齢化がますます進むこれからの社会で、いわゆる優生学まがいの施策を肯定する後ろ楯として本書のわかりやすさと、「そんなバカな!」にはない権威をまとったところとが援用されそうで少しこわくなったりもしました。杞憂でしょうが。なお、本書がすこし重いという方には,草思社がサイエンス・シリーズで出した一冊に同じ作者の「遺伝子の川」がありますので、そちらから。あるいは手っ取り早くちくま文庫の「ドーキンスvsグールド」なんかもあります。 (yoshioki6/2007-02-13)
なぜドーキンスの説は受け入れられる??? ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
誰も指摘しないのが非常におかしいのは、

「生殖能力を持たない(あるいは失った)個体の利他的行動は、ドーキンスの説をわざわざ引っ張り出さなくても説明できる」

ということである。

ミツバチの利他的行動はそれほど不思議ではない。それが生殖活動をしない個体によってなされるものだからだ。生殖活動をしない個体に限って現れる利他的行動は、その個体にとってなんら不利益になっていない。なぜならはじめから自分の子孫を残す気などさらさらないのだから。自分の子孫を残さない個体の生物学的な存在意義はないはずだ。ではなぜ自分の子孫を残さない個体が存在するのか。それは子孫を残す役割に特化した個体を守るためだ。働き蜂なら女王蜂を守るために存在する。「生殖活動を専門にする個体とその個体を守る個体を分けて役割分担する」のがミツバチの強みであるわけだ。生存本能の弱い働き蜂のような個体はなぜ淘汰されないのかと不思議に思う学者が多かったとドーキンスは言うが、そもそもこれは生殖しない個体に限って発現する利他的行動なのである。生存本能が弱ければ子孫を残せないから、結局淘汰されるんじゃないの? という指摘はそもそも成り立たないのである。

ミツバチのような利他的行動をうまく説明したのがドーキンスの考えだと言われる。この本の翻訳者も、ミツバチの行動は今までうまく説明できなかったがドーキンスによってうまく説明されたとあとがきに書いている。

しかしそもそも、生殖活動をしない個体が生殖活動を専門に請け負う個体を守る行動は、ダーウィンの普通の進化論の枠組みの中で、今述べたように十分説明できるものなのである。
そのような行動に対して支離滅裂な論理をこねくり回して妙な説明を付けるドーキンスが滑稽だ。
(luha/2006-10-15)
科学的な新知見があったわけでもなく、
この発見によって科学が進歩した
わけでもない。

新しい考え方の提案が、
とても刺激的で気になります。
読み応え十分です。 (あにも/2009-06-05)
最高傑作の面白さ |||||||||||||
 本書の増補新装版は第3版に相当し、第1版が1976年に刊行され、第2版が1989年に追記された後、初版30周年記念記念版として刊行された本である。したがって、大部分は30年以上前に執筆されたものであるが、その内容は現在でも燦然と輝いている。

 主張の核心は、「生物は自然淘汰によって進化してきた。進化してきたものは、絶滅せずに生き残ってきたのだから、なんであれ利己的なはずだ。淘汰の、したがって自己利益の基本単位は、種でも、集団でも、個体でもなく、遺伝子である。すなわち、遺伝子の目的が生きのびることという意味において、遺伝子は利己的と言える。」である。加えて、「生物自体は、我々人間も含め、遺伝子が住むための生存機械である」と主張する。刺激的な言葉であるが、この本を読めば、全く専門的知識がなくとも筆者の意図が、十分に楽しめて納得することがわかる。

 たとえば、自然淘汰は遺伝子単位であることを念頭におけば、”なぜ老いて死ぬのか”や”男女(雄雌)の性別はなぜあるのか”、”なぜ、親は子の世話をするのか”、”哺乳類や鳥類はなぜ子育てをするのか”、”どの種をとっても、なぜ出生数が調整されているのか”、”働きアリや働きバチはなぜひたすら女王の子孫のために働くのか”などの疑問でもさえ説明がつく。答えは全て、次世代に遺伝子をより多く残すことから説明されるのだが、詳細は本書を読めば理解できる。

 遺伝子淘汰に加えて、「進化的に安定な戦略」(ゲーム理論でいうナッシュ均衡と同じ)を生物がとることを念頭におけば、”自然界では、同種殺しや共食いはみられないのはなぜか”・”男女比はなぜ50:50なのか”・”動物界の繁殖システム、一夫一婦制・乱婚・ハーレム制はなぜあるのか”も興味のある説明である。これらの答えも本書に記載がある。

 いずれにせよ、ページをめくるたびに、一つ一つの事柄の説明のたびに、惹き込まれる。少なくとも、この2-3年間で読んだ本の中では、最高傑作の面白さである。
(ねぼすけ2004/2009-05-24)
 ビッグバンで生まれた素粒子が、原子となり、分子となり、、、ある時、自己を複製する形態となり、遺伝子として自然淘汰を繰り返し、時空を超えて私たちの中にも受け継がれてくる。。。もし、遺伝子が生き残るために、私たち人間を乗り物として進化させたのならば、、、私たちを生かすために感情を発展させ、思考を発展させたのならば、、、もし脳のクオリアが、その結果であるとするならば、、、、、環境破壊や世界規模の戦争の危機に、生き残るために、次にどのような進化を起こすのでしょう。。。もし遺伝子が利己的であり、そして賢ければ、全世界が滅んで遺伝子自体が消滅しないために、生き残るために、環境破壊や世界規模の戦争や紛争をとめることもあるのでしょうか? 
 心身二元論者であり、かつ唯脳論者でもある私にとって、とっても深いインスピレーションを与えてくれた一冊です。もちろん私の脳はドーキンスのミームに感染してます。。。
  (CHAM/2008-09-24)
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w:12 h:18 430page
虹の解体―いかにして科学は驚異への扉を開いたか
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ASIN:4152083417
早川書房(2001-03)
原著:Richard Dawkins翻訳:福岡 伸一リチャード ドーキンス
売上順位:7501
¥ 2,310(中古:¥ 1,500)

レビュー総評点:-14
科学は詩的である |||||||||||||||||||||
凄い本です。
こういう本を読まなきゃいけないね。
ただ、もの凄い小さなフォントでしかも430ページというボリューム(汗)
都合二ヶ月ほどかけて読みました。

普段、科学とかにあまり縁がないので、ここに書かれていることはすべて新鮮。
全編、トリビアの泉状態だな。

タイトルにある虹の話なんかも。
そっかぁ、虹というのはなんだか単にロマンチックなものとして認識していたけれど。
水滴や粒子、光の屈折だとか・・ホントに科学的に解体していくとむしろ詩的になってくるから不思議。

オカルト的な話や星座占いの類に関してもメスを入れている。
ここに書かれているような情報を持ちながら、さらに事故責任で楽しむ事が良いかも。

(ka-min/2005-12-06)
科学を理解すれば、自然の仕組みに感動する。 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
どの本でも期待を裏切ることがないドーキンスの待望の書籍が翻訳された。本書では、真理の美しさを歌いあげている。
世の中では、科学の名をかたった偽物が蔓延している。
しかし、我々が受ける義務教育では、そのような偽物を識別できるだけの常識が身に付かない。教養の無い大人に囲まれていては、真理を理解する喜びより、発見する楽しさも経験できない。正しいことよりも楽なことを望むので、占いに関心を持ち、嘘でも心に気持ちのいい表現を信じてしまう。本書は、そのようなごまかしを具体的に指摘して、真理というものの奥深さと面白さを解き明かしてくれる。本書ではBBCが非科学的な番組を放映している問題を指摘しているが、日本でも似たような状況だ。公共放送でも空飛ぶ円盤を取り上げたり、民法では非科学的な番組のスポンサーに大電機企業がついていたりする。日本語では神秘やロマンという表現で、自然の興味深い仕組みを表すことが多いが、やめてほしいものだ。嘘はどのように着飾っても、嘘でしかない。 本書を多くの人たちが読むことで、真理に近づける喜びを感じることができる人が増えていくことを願う。 本書の訳者あとがきにはがっかりする。訳者は、本書の良さをまだ十分理解できていないのでは無かろうか。 (おひるねおさる/2001-05-28)
読むべき人には届かない、残念 ||||||||||||||||||||||||||||||||||
ドーキンス一流の芸が光ってます。優雅な論理展開で読ませます。
でも、論理的であること、科学的であることは訓練が必要で、訓練できていない人は絶対この本読まない。逆に、訓練できている人にはいわずもがなな内容も多いのだけれど、読ませる芸はさすが。 (lionfan/2005-02-13)
占星術はデタラメだ! ||||||||||||||||||||||
科学関連のエッセイです。
占星術がいかにデタラメかを述べる文章がよかったです。
--------------------------------------------------------------------
占星術師の仕事は、ほとんど訓練や技術を必要としない。
だから、そのあたりの暇をもてあました若い記者に回されることになる。
一九九四年一〇月六日の《ガーディアン》紙で、
ジャーナリストのジャン・モワールは次のように述べた。
「ジャーナリストとして初めてやった仕事は、くだらない女性誌に星占いを書くことでした。
 あの作業は決まって新入社員がやらされます。
 つまらなくて簡単で、当時の私みたいなケツの青いやつにもできる仕事なんですよ」(p171)
-------------------------------------------------------------------- (ねぼすけ2004/2009-05-22)
本書は、ニュートンが陽の光をプリズムで7色に分光したとき、今日の科学の基礎が開かれた一方で、当時の詩人は、虹の持つ詩情を破壊したと非難した。本書は、科学が虹を解体しようが自然の驚異や美くしさが損なわれることはなく、むしろその自然の背景に潜む精巧さや素晴らしさがより理解できることにつながると主張した本である。実際、そのとおりだと思う。この点は、完全に筆者に同意する。

加えて、オカルト・エセ科学・迷信・超常現象などの社会に及ぼす悪影響を徹底的に批判し、科学の果たすべき役割を主張している。生じる確率とその期待値を計算すれば、神秘的な偶然もありうることと考えられるし、ガイア仮説もエコロジカルテロリストのでたらめだと主張できる。前作「利己的な遺伝子」・「盲目の時計職人」と違って、生物進化論に限定された話題でなく、広く科学技術全般に話題が広がっている点が、筆者の博識と天才文章化力をまざまざと見せつけられる。

一般的に、日本人は宗教・信仰と科学に対して全く対立せずに生活することができる。時には精神論・神頼みやジンクス・運命的な感覚を持つこともあれば、論理的・科学的に判断し行動することもできる。その上で、礼節や規律を重んじ、社会生活の上でも躾や美徳も身につけて行動できる。こういった、非科学的なことを排除する風土が日本には存在することそのものを素晴らしいと感じることができる本である。

読み切るのに時間はかかりますが、とても良い本です。 (/)
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平均点:4.0
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w:10 h:14 206page
ドーキンス VS グールド (ちくま学芸文庫)
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ASIN:4480088784
筑摩書房(2004-10-07)
翻訳:狩野 秀之キム・ステルレルニー
売上順位:48148
¥ 1,050(中古:¥ 638)

レビュー総評点:76
学説の冷静な比較が光る ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
遺伝子や進化をめぐる思想対立は苛烈だ。変えることのできない「人間の本性」が前景に躍り出るからである。セックスとジェンダー、性格、才能、学力などの、遺伝的「決定論」は我々の心に重くのしかかる。現代生物学の成果が、そうした主張の背景になっている。本書は、遺伝子淘汰説のドーキンスと、古生物学に立脚する「断続平衡説」の提唱者グールドの、それぞれの進化観の違いを明快に整理する。
多数派であるドーキンス陣営にも弱点はある。それは、遺伝子が生物個体の形態、生理、行動などを一義的・因果的に決定するわけではなく、遺伝子と個体の表現型との間には「一定の規則的な対応関係」が想定されるが、遺伝子がどのように個体という「乗り物を操作する」のか、その正確な関係は分らないからである(p161)。一方、カンブリア紀の動物の大発生や、大量絶滅が小進化に優越して進化の方向を規定したとするグールド説も、雄大だが実証されていない面がある。
両者の説には共通の土俵も多く、一方が真というよりは、むしろ相補的だと著者は考える。三十億年前にはバクテリアという生物が地球を支配したが、今も事態は変わらないとグールドは言う。現在の地球の生命の主人公は人間ではなくバクテリアであり、バクテリアは海中や土壌にあまねく遍在して、他のすべての生態系の根幹をなす。「進化」というとつい最先端の新しいものに目が行くが、これは重要な指摘だ。 (お気に召すまま/2004-10-24)
著者は生物哲学者で多元主義的遺伝子選択という立場をとっている。これは
グールドとドーキンスのちょうど中間に位置する。つまり著者は双方の顔を
たてる動機を持っており、中立的な第三者ではないことに注意が必要だと思
う。しばしば著者なりの解釈や意見がかいま見え、本人たちの主張と明確に
区別していない部分もある。

本書で明らかになるのは、両者はかなり異なる進化観や科学観を持っている
と言うことだ。そのうちいくつかは二人の立場の違いを反映しているだけで
実質的には対立していなかったり相補的であったりするのだが(例えば選択
と適応を強調するか偶然と非適応を強調するか等は力点の置き方の違いに過
ぎないといえるだろう)、根本的に対立する部分は多い。例えば大進化が小
進化とは別のメカニズムでなければ説明できないかどうかは非常に重要な論
点だ。

著者の議論の進めかたで何ヵ所か疑問に思ったのは説明が不十分なところが
目立つことだ。たとえば断続説の紹介ではドーキンスが冷たく扱っている以
上に重要だとして、長期の形態の安定をダーウィンフィンチを例に安定性選
択で説明しているが、これは従来のダーウィニズムの説明であり、グールド
が意図していた説明ではないだろう。種選択と転換パルスも詳細に踏み込ま
ず、いったいどこが従来のダーウィニズムの説明より重要なのか分からない。

(p83)では男女の行動や体格差が「どう見ても適応ではなく…祖先から受け継
いだ性差の痕跡だろう」とのべるが、体格の二型を維持する必要がなくなり
体格差がなくなること自体が適応ではないのか?著者はソーンヒルのレイプ
研究をコストを考慮しておらず馬鹿馬鹿しいと述べているが、実際にはソー
ンヒルかなりしつこくコストを検証している。明らかに読まずに批判してい
るか、読んだ上で歪めて伝えている。それにいずれも二人の論点とは別だ。

おそらくグールドの主張のまとめが不正確なのは、著者の責任というよりは
グールドがしばしば主張を二転三転させたりレトリックでごまかしていたた
めだろう。それを考慮しても、タイトルにそぐわず本書のまとめは十分とは
言えない。所々自分の意見を織り交ぜているのも不満だ。しかし両者の見解
に注視した書籍は意外と数が少ないため、論争の概観(進化生物学の論争全
体のほんの一部に過ぎないが)を掴むには役立つかも知れない。 (いとみみず/2008-10-09)
わかりやすく、読みやすい ||||||||||||||||||||||
 ドーキンスとグールドの互いの主張が共通する点・異なる点をコンパクトにまとめた小論であり、内容がわかりやすく文章も読みやすい。この二人の著書をあらかじめ読んでおけば、なお一層理解が深まるだろう。
 ときどきグールドを引き合いに出してダーウィニズムは間違っているなどと吹聴するトンデモ本があるが、この本を読めばドーキンスとグールドは進化の根本部分の理解に関してかなりの部分で共通していることがわかるだろう。 (itouk/2004-12-04)
二人とも正しい! ||||||||||||||||||||||||||||||||
 名著「利己的な遺伝子」のドーキンスと、これまた名著の「ワンダフルライフ」のグルードの作者の論争内容をまとめた一般向けの書物です。
 この本はどちらかの主張に偏ることなく冷静に双方の違いを解説しています。
 私の理解では、「利己的な遺伝子」では遺伝子が自分が広く、長い間存在しつづけるために宿主(動物)の行動は遺伝子によって制御されている。という考えです。
 例えば、ある動物が自分の子が危険にさらされているとき、助けて生き残れる可能性と、見殺しにしてその後、別に子供を産んで再び育て上げられる可能性と確率の高い方を選ぶはずだというのです(そういう行動をとらせる遺伝子が生き残る)。また「人間だけは理性により遺伝子の束縛を逃れることができる」というような内容のことを書いているのですが、ここを読み飛ばして「人間も遺伝子の奴隷なのだ!」とのたまうトンデモさんが世の中、多い気がします。
 (本書には説明はありませんが)「ワンダフルライフ」は、カンブリア時代の(進化上の)大爆発直後の地層であるバージェス頁岩から出てきた大量と奇妙な動物たちを通じて、生物の多様性(異質性)は、カンブリア時代が最大で、その後の進化はマイナーチェンジに過ぎないといった説(断続平衡説)を展開しています。
 ドーキンスは「動物の行動」を重要視しているのに対し、グルードは「体のデザイン」を重要視していると感じます。まぁ、詳しくは本書を見てみれば違いがよく分かります。いずれにしても二人ともふかーーーく考えているのが感じられます。
 最後に二人の大きな違いをもう一点。
 ドーキンスは無神論者で、科学原理主義者です。それに対しグルードは人間が生きていく上で、神を信じることを許容しています。「ワンダフルライフ」は映画「素晴らしき哉、人生!」からとったタイトルです(この映画、天使が出てくるそうです)。
 本書を読めば、「利己的な遺伝子」も「ワンダフルライフ」も両方等も読みたくなるはずです。是非お勧め! (いとうたかあき/2005-02-04)
ダーウィンが「種の起源」を発表してから1世紀以上。"遺伝子"の発見等、遺伝子工学進歩はあったものの、「(理論)進化論」は決定打が出ていない。本書は「利己的遺伝子」で有名なドーキンスと「断続平衡説」を唱えるグールドの説を各々公平に紹介して、現在の進化論の概況を説明しようというもの。

ドーキンスは上記の「利己的遺伝子」がベストセラーになり、他の本でも文才が評価されている。一方グールドも数々の遺伝をテーマにした一般向けエッセイ集や、専門誌における数々のエッセイの連載等、文才には定評がある。このためクドクド書いても仕方がないと思ったのであろう、本書では両者の説を淡々と平易に紹介する姿勢が貫かれており、好ましく感じた。

簡単に言うと、ドーキンスの説は自然淘汰と遺伝子(の変異)を重要視し、一方グールドは淘汰は必ずしも遺伝子のレベルだけで起こる訳ではなく、個体の性質の多くは淘汰では説明できないと言う。

両者の専門の違いもあるのだろう(ドーキンス=動物行動学, グールド=古生物学)。思った程には、両者の説には違いは無いのではないか。その時の地球(周囲)の状況によって、一方の方向に傾くのかもしれない。そういう感想を持った。それにしても、メンデルの遺伝の法則も遺伝子の存在も知らず、あの時代(宗教的弾圧下)に進化論を発表したダーウィンはやはり凄いと改めて思った。 (紫陽花/2006-09-19)
本書のテーマはタイトル通り、生物の進化に対して「利己的遺伝子説」を採るドーキンスと、「断続平衡説」を採るグールド、それぞれの特徴を説明しながら共通点と相違点を明らかにするというものである。

本文で著者自身の立場はどちらかというとドーキンス寄りとは書いてあるものの、グールドの考えも評価できる部分はきちんと評価するというとても客観的な姿勢で好感が持てる。

また、用語解説もついていて初心者にもわかりやすく、巻末の解説だけでも読み応え有り。

二人の著作を未読の人は、本書で対立点を理解してから読めばわかりやすいだろうし、既読の人は本書で上手に整理することができるように思う。

とにかく、進化や生物学に興味がある人であれば誰が読んでも面白いはず。良書。
(哲学する河童/2008-09-13)
ドーキンスは好きでたくさん読んだし、グールドも数冊読んでいる。それで、両者の違いはある程度認識していたし、ドーキンスのグールドに対す追悼文を読んでも論争してたんだなあとは思っていたが、双方は取り巻きを含めてかなりヒートアップしてたのね。

著者の言う通り、ドーキンスとグールドの立場はそれほど離れているわけではない。ほとんど同じなのだが、違う部分は専門家として譲れなかったのだろう。そりゃあそうだ。学問てそんなもんだわね。

私自身はドーキンスにも負けない現実主義者だから、ドーキンスの言い分が正しく思える。それでも、グールドの提供した視点は、それの反論を考えることで進化論に対する理解が深まる、重要なものだ。彼が間違えたところは、クリティカルな問題を含んだところばかりなのだ。この両者の論争が面白くなるわけだ。

私はこの論争の中で抜け落ちている見方が一つあるのではないかと考えている。それは、表現形の進化が地質学的時間で見ると極めて速いと言うことだ。これは、例えば犬の進化を考えれば分かる。犬は家畜化以降たかだか一万年で大きさや形があんなに変化した。地質記録をいくら見ても進化が一瞬で起こったように見えるのは当然だ。では、一般に進化は遅いと言われるのはなぜかと言うと、環境の変化速度が遅いからだ。つまり、一瞬で環境に適応した後は、生物は環境が変化する速度でしか進化しない。これが、進化の断続平衡の実態だと私は固く信じている。

本書でも進化は遅いことは自明なこととして議論をさばいている。人間の時間スケールでは確かに遅いのだが、地質学的時間の理解を生物学者は体得していないのだろう。

まあ、ドーキンスとグールドを別々に読んだ方が良いような本だが、ダイジェストなり理解の整理なりをするにはコンサイスで便利かもしれない。 (shibchin/2008-03-14)
進化論をめぐる議論について、ドーキンスとグールドの説を比較しながら
論じている。本書は、2人の違いや共通点について述べてはいるものの、
より大きな論点、すなわち「進化論」が生命の歴史を解き明かす上で、す
でに説得力があるとみなされている部分と、未だに解明されていない・説
明しえない部分について論じている。

当方は、遺伝や進化といった分野について高校生物程度の知識しかもちあ
わせていなかったが、本書末にまとめてある用語解説を参考にしながら、
スラスラと読み進めることができた。非常にわかりやすかった。

ドーキンスやグールドの説に関しては、本書以外に特に読んでいないため、
今のところ大枠の知識しかないが、興味深かった点をあげるとするならば
やはり彼らが生命の歴史をどのように捉えているかであると思う。

ドーキンスは、淘汰・適応といった用語を駆使しながら、進化が種の多様化
をもたらしたと述べる。これは、生命の誕生以後、種の系統樹が枝分かれし
ていく図に対応していて、私のこれまでもっていた「進化論」のイメージ通
りであった。
対して、グールドは、「進化論」に種が広がっていくイメージを単純に重ね
ることはしていない。化石の分析を通して「カンブリア紀」の比較的短期間
に、その後繁栄することになる動物の基本形態が完成していたことを主張す
る。さらに、この時代には現存する種に見られない系統が多く存在し、生物
の種としての異質性はかつてのほうが大きかったとする(淘汰による異質性
の減少)。この考え方は、進化について系統樹(生命の樹)のイメージをも
っていた私にとって、非常に興味深かった。表現力が追いつかず、言葉だけ
で説明するのは難しいが、系統樹のところどころに急激に太くなる部分があ
り(きっかけは大絶滅や環境の急激な変化)、その後淘汰によりいくつかの
種だけが残る、また急激に太くなる部分があり、その後淘汰により…という
ように長い歴史の中に大きな変革期があるというのだという。時間の経過と
ともに末広がりに広がっていく系統樹とは異なるタイプの進化を主張してい
る。

うまく説明できているとは思えないが、本書で私が「こういう考え方もある
のか」と素直に楽しかったのは以上の点である。少数派であるらしいグール
ドの進化観が本当にあっているのかどうかは別として、壮大な浪漫を感じた
のは間違いない。読み方としては邪道かもしれないが、進化について知りた
い人だけでなく、このような浪漫を感じたい人にもお勧めだと思う。 (梵太/2008-02-01)
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w:13 h:19 529page
盲目の時計職人
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ASIN:4152085576
早川書房(2004-03-24)
翻訳:日高 敏隆リチャード・ドーキンス
売上順位:103392
¥ 3,150(中古:¥ 2,490)

レビュー総評点:-159
説得される快感 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
名著「ブラインド・ウォッチメイカー」の改題新装版。
生物の持つ複雑で見事な適応を説明できる唯一の理論が自然淘汰説だけであることを実に解りやすく、実に丁寧に、実に説得力を持って示す手腕にはただただ舌を巻く。
なんとなく「自然淘汰って間違ってるんじゃないの?」と思っている人もこれを読めばたちまち熱狂的なネオ・ダーウィニストに転向するだろう(私がそうであった様に)。
神による創造や根強い人気を誇るラマルキズムを正面から粉砕し、それらが実際問題として間違っているだけでなく、そもそも論理的にありえないことを指摘したくだりは美文とあいまって圧巻。
旧版の帯には「ダーウィン進化論の理論的到達点」、ある本のコメントには「説得される快感を味わわせてくれる」とあったがこれらの言葉に嘘はない。 (のづち/2004-05-06)
ドーキンスは前著「利己的な遺伝子」と「延長された表現型」で、“個体”中心の進化観から“遺伝子”中心の進化観へのパラダイムシフトを提案してきました。しかしこれらの著書では読者が前提としてダーウィン進化論を受け入れていることが想定されているようで、門外漢にはよく理解されなかったのではないかと思います。

そこで、一般読者を対象に「ダーウィン進化論」そのものを解説する、という趣旨で書かれたのが本書です。生物の複雑な適応的デザインの進化はダーウィン的な累積淘汰でしか説明できないことを、圧倒的な説得力をもって解説していきます。原書出版から20年を経ても、今なお色あせない最高級のダーウィン進化論の入門書でしょう。とはいっても簡単ではないところがドーキンス流。相手が一般読者だからといって議論のレベルを落とすようなことはしません。

本書の魅力的な部分を挙げれば、なぜ進化論が理解されないのか?という疑問に答えているところです。人間の認知能力もまた進化の産物である以上、せいぜい(人間の寿命である)数十年というタイムスケールでおこる事象までしか直観的な理解が及ばない。だから生物進化という数百万年規模で起こる事象については、直観的に「起こりそうもない」と判断してしまうのだ、という議論です。(同様の主題は後の著書「虹の解体」でも展開されています。)また、創造論者に対する対決姿勢を鮮明に打ち出したのも本書が最初であること。グールドとの論争が、ダーウィン主義の枠組み内での建設的な議論であったことも良くわかる、などドーキンスファンにとっては歴史的な価値も高い名著です。

先日国立科学博物館の「ダーウィン展」を見に行ったところ、物販コーナーに本書がグールドの著作と並んで平積みにされており、思わず微笑んでしまいました。以前にも読んでいましたが、改めて読み返してみてその価値を再確認したところです。


(ali-shara/2008-05-24)
さすがDawkins ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ダーウィンの進化論に対してしばしばなされる批判として次のようなものがあります。猿に適当にタイプライターを叩かせて、それが偶然シェイクスピアの詩になるにはどれくらいの時間がかかるだろうか。その可能性はとてつもなく低いものなので、莫大な時間がかかるだろう。そのようにして考えると、自然淘汰では、たった46億年という時間では、人間のような恐ろしく複雑なものができあがるはずはない。進化というプロセスには、人間を作り出そうという(神の)意図があったのではないか、というのがそれです。Dawkinsはこの本の中で、cumulative selectionという概念を用いて、盲目の(blind)職人でも、腕時計(watch)のような構造物を作り出す(make)ことがある、という議論を展開しています。その議論の説得力と、読者を最後まで飽きさせない面白さには、「さすがDawkins」と思わざるを得ませんでした。 (エウレカ/2003-04-05)
前に『利己的な遺伝子』を読んだときのも思ったのですが,この人の文章ってちょっと冗長ですよね.たぶんなるべく誤解を招かないように慎重になっているからだと思うのですけど.

本書も,面白かったのですが,邦訳で500ページもある.たぶんその気になれば300ページくらいになるんじゃないかと思うのですが.

ところで,グールドの論敵であるドーキンスが,グールドの断続平衡説に対する世間の(創造論者の?)誤解を正そうとしている点はおもしろかった.しかも微妙に断続平衡論者に対するけん制も織り交ぜながら.

あと,中立進化説の意義についてこの本を読んでようやくわかってきたような気がする.形質が似ているふたつの種があって,その類似性は,収斂進化(別々に進化したのだけど結果的に形状が似てくる進化)のためなのか,類縁関係があるからなのかが判断できるということなんですね. (御猫大明神/2007-02-09)
「人間が生きる意味(存在意義、目的)」、「人類の目指す先」という壮大で極めて難解な問いに対して、”実は既にそれは解明されていて、それは・・・”と説明されている。
哲学書を読んでも明確な回答がえられなかったこの問いをあっさり生物学的視点から解決してしまっている。
社会人になってから、社会を知れば知るほど人間は利己的で偽善的であることを知らされてうんざりしていましたが、進化論を理解して少し楽になりました。
この著者による「利己的な遺伝子」をまだ読んでいませんが同じメッセージがよりまとまっているのではないかと予想しています。
この本自体は「利己的な遺伝子」に続く本として、反進化論を唱える人達への反論を軸に展開されており、進化論の説明自体はバラバラに散りばめられています。 (pouebo/2005-07-05)
古い |||||||||||||||||||||||||||||||||||
アメリカでは、いまだに進化論に反対するキリスト教信者などが根強く残っているのかもしれないが、日本では進化論に反対するように人間はほとんどいないと思うし、逆にそっちのほうの意見を聞きたいくらいである。
ちりばめられている生物学のエピソードについても、あまり面白いものはないと思った。
「遺伝子の乗り物」説を出したときほどの衝撃はもはやない!? (沈思黙考/2005-09-03)
ドーキンスに魅せられた方へ1 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
正否の立証材料に事欠くダーウィン進化論(突然変異と自然淘汰)は、
論理の問題として詰めざるを得ないのだが、こう考えれば上手くいくというオモテの議論(A⇒B)ばかりで、
これ以外では上手くいかないというウラの論理(notA⇒notB ⇔ B⇒A)が欠けているからいつまでも論争が続くのである。
「正しいと私が信じていないことは、決して口にしない」← 勇ましい発言である。
書く必要など全くないこうした信念ばかりが目立つ立論であるにも関わらず、著者がなぜこれ程支持されるのか?
ダーウィン進化論の馬脚を露わにした武谷三男氏の立論を御披露したい。
突然変異は可逆変化(←記憶されたい)であり、進化という不可逆性を担ってきたのは自然淘汰のはずである。
よく考えていただきたい。以上の論理的帰結として、我々進化の最前線にいる現生生物は、
初発の原生物の突然変異株の集合に当初から含まれていたことにならざるを得ないのである。
突然変異という可逆変化(元に戻れる変化)の許す範囲でしか自然淘汰が作用しない所以である。
初発の原生物の突然変異株の集合内で変異してきたにすぎない過程(=ダーウィン進化論)を、
「進化」と呼ぶことには、躊躇せざるを得ない・・・以上が、武谷三男氏の立論である。
初発の原生物の突然変異に人間が含まれると信じられる人に対しては、
ダーウィン進化論は説得力があるのかもしれないが、私は全く信じていない。 (沈思黙考/2005-09-02)
ドーキンスに魅せられた方へ2 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発生論の因果律にはあえて言及せず、恣意的かつ多様な構造の突然かつ共時的定立(遺伝子の表現型の多様性)を
謳った池田清彦氏の構造主義進化論の方が、私には突然変異よりもはるかに説得力があるのである。
個(遺伝子)が全体(生存機械)を規定する還元論の帰結は、ニュートン力学同様に決定論である。
ドーキンスのしたたかさは、決定論(=還元論=利己的な遺伝子)を非決定論にすり替えた手際の良さにある。
遺伝子に働くとされる自然淘汰を、自然界の「盲目(=無目的)の時計職人」と述べ、
無目的な自然淘汰(=非決定論)の結果が順次蓄積した「累積淘汰」を以って、
目的があったかのような精巧な生物体が現われたのだと論じているが、
目的を持った時計職人ならば、矛盾するのだという立論が全くなされていないのである。
はじめに非決定論ありき・・・ゲーデルの不完全性定理を履修すれば、非決定論など当たり前である。
論理の問題として詰めざるを得ない進化論においてこそ、信念の開陳よりも可謬性を自覚した諦観が求められるのである。
「利己的な遺伝子」なる決定論(=因果律)の破綻を認める時期がやって来たのだ! (鈴木純一/2009-06-09)
突然変異と自然選択(natural selection) だけで進化が起きること、つまり進化とはBlind watch maker(盲目で無目的な時計職人)なのだと説明するダーウィン進化論への入門。自然選択を累積淘汰(cumulative selection)という切り口で説明し、巷によくある反ダーウィン論に真っ向から反論。最も面白いのが、猿にタイプライターを叩かせてシェイクスピアの作品が生まれるのか?という典型的な反ダーウィン論に対して、それは莫大な時間のレンジで累積淘汰が進めば起きうるのだとバッサリ説明するところ。

本書はダーウィン進化論への入門書ではあるが、内容が簡単で簡潔だというわけでもない(やや冗長な部分もある)。じっくりダーウィン進化論を理解したい読書向け。 (seed&inspire/2006-05-06)
突然変異と自然淘汰の繰り返しで生命は進化してきた。このことを理路整然と説明している。

ライバルといわれているグールドも根底の理論は同じです。
ラマルクのいうような形質遺伝は遺伝学上ありません。
今のような複雑な器官が進化で出来るわけがないという意見も
「ないよりは少しでもあるほうがまし、それを何億年も繰り返している」というドーキンスの主張には反駁できません。

むしろ、進化論否定論者が、人という種が進化理論の外で存在する可能性があるという
明確な理論を出していないことを問題とすべきです。
インテリジェントデザインを信じているか、神を信じているか、いずれにせよ科学ではありません。

例えば「遺伝子神話の崩壊」という本が出ていますが、遺伝子と環境をひっくり返して同じ事を言っているだけです。
それで「崩壊」とはレベルが低いといわざるを得ません。
ドーキンスも「利己的な遺伝子」で遺伝子(GENE)と環境(MEME)と最初から言っているのですから、
話を30年前に戻しているだけです。

更にいえば、スチュアート・カウフマン「自己組織化と進化の論理」を足せば、進化理論は十分通用するものです。
(/)
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遺伝子の川 (サイエンス・マスターズ)
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ASIN:4794206720
草思社(1995-11)
原著:Richard Dawkins翻訳:垂水 雄二リチャード・ドーキンス
売上順位:86253
¥ 1,890(中古:¥ 166)

レビュー総評点:50
遺伝子に興味を持ってる人もそうでない人も、この本を読めば、まるでSF小説のような遺伝子の世界へ惹きつけられる事まちがいなし。私も、もうわくわくして早く早く次のページへと思ってしまったくらいです。
これを読んで、もっと深くドーキンスの遺伝子の世界を覗きたいと思った人には、前作の「利己的な遺伝子」もおすすめです。壮大なスケールで理論的に展開される遺伝子の話は目からうろこの1冊で、私はこの本を読んで人生観が変わったといってもいいくらいです。 (jimmy/2003-07-22)
 ドーキンスは、センセーションを巻き起こした著作「利己的な遺伝子」では、多くの動植物の目に見える事例をもちいて、たたみかけるように生命の本質が遺伝子の増殖/継続にあることを読者に納得させてくれました。
 今回は、そのおさらいからスタートし、他の学説との対比を明らかにし、最後には生命の行く末までうらなっています。最終章のメッセージは圧巻です。「生命を生む出す」爆発が、臨界点の階段を登って様を一気に語ってくれます。第1臨界点「自己複製子臨界点」を超えることで始まった地球上の生命が、単細胞、多細胞、組織、神経形成、集団形成・・・と進化を遂げ、今や第9臨界点「電波臨界点」の上で宇宙空間に情報を発信しているというイメージは鮮烈でした。
 しかし、その先の第1!0臨界点以降の話で、なぜかとても寂しい気持ちにさせられました。そうやって限りなく爆発していく様が生の実感からかけ離れすぎているからでしょう。私が実感を持てる臨界点の段差は前後数段しかないようです。その数段を別の角度で表現してくれると思われるドーキンスの他の著作も読み進んで行く予定です。 (/)
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平均点:5.0
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The God Delusion
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ASIN:0552774294
Black Swan(2007-05)
Richard Dawkins
売上順位:6070
¥ 1,290(中古:¥ 599)

所属カテゴリ:
Subjects Arts & Photography
レビュー総評点:34
The God Delusion ||||||||||||
Whatever our faith or belief in something, this book dispels and strengthens the convictions we held before. It is a book meant for the open-minded who appreciate varying views of what man holds as the most mysterious of all things (God). The views of different peoples, cultures and religions should be taken into consideration in whatever judgements we make on this.This is so because I had this fascinating insight into this subject from a story with the title The Verdict of Hades, found in the book "The Usurper and Other Stories. The God Delusion is a book to read. (mickie119/2006-12-18)
この本の良いところは、人々に科学の面白さを上手に教えることができる著者ならではの、なるべく正確に、しかも面白く、という能力と努力がよく現れているところにあるのでしょう。また、宗教について、おおよそ抽象的、たまにロマンティック、またはとくになにも考えをもたない人(たぶん多くの日本人)にとっては、この宗教批判の本が、逆説的に宗教理解に役立つのではないかと思います。
進化論が専門である著者リチャード ドーキンスは、ながらく欧米で無神論(atheism)を擁護する立場をとって旺盛な講演活動をしています。それは、科学を啓蒙する立場である彼にとっては必然だったのかも知れません。近年では他の代表的宗教批判者3人とグループをつくり、彼らの活動はここ2,3年とくに宗教が影響を及ぼしているアメリカで、反響を呼んでいます。ドーキンスのウェブサイトを見る限り、どちらかというとグループとそれに追随する人々は、イスラム批判に傾く傾向があるようです。ドーキンス自身はこの本でキリスト教もユダヤ教もイスラム教も満遍なく批判していますが。文化批評家のスラヴォイ ジジェクは、本人もatheistであると自分で言っていますが、政治的に右派に利用されやすいドーキンスのグループの活動には批判的な立場をとっています。
もし、あなたが、アメリカを旅行中に、あなたの宗教がなんであるかを聞かれたら、なんと答えますか?もし、あなたが、とくになにも信仰していなければ?
atheistと答えてはいけない、とアドバイスされた人はいませんか?懐疑(skeptic)、あるいは不可知(agnostic)、または「神様はいると思うが特定の宗教は信じていない」と答える人は?「文化的には仏教と儒教の影響を受けているがわからない」と答える人は?
この本のレビューを見ると、「日本は無神論の国で良かった」というようなものが散見されますが、それは本当はドーキンスが言うような無神論ではないと思います。うがった見方をすれば、「誰も信じていないから信じない」という一種の錯覚(delusion)だと思います。認知科学者のスティーブン ピンカーは日本人の宗教のようなものとして、conformism(権威主義)という言葉を与えています。
この本に影響されたからではありませんが、私自身は、atheistである、と答えています。「ある程度西洋の思想のことも理解した上で、そう答えることにしている。立場がはっきりしたほうが、あなたとも話がしやすいから」と補足しています。
ドーキンスがもっぱら批判の対象として挙げるのは、旧約聖書を共有している3つの一神教です。なぜならそれが彼のよく知っている事柄だからです。仏教については、「むしろ道徳の仕組みだろう」と、彼の知る宗教とは異なるものとしています。彼の、知っていることだけについて話す、自分の立場をはっきりさせる、という態度は、個人的には好きです。






(yelloworange/2008-11-24)
進化論を基礎とした議論 |||||||||||||||||||
この本を読むと「アメリカはキリスト教原理主義が根強く不自由な国だ」と思うかも知れない。
しかし、他人事だろうか?自衛隊派遣等で随分付き合わされている訳であるし、日本にも一部
原理主義が無い訳でもないだろう。

特に役に立つ章は「宗教なしに道徳観を持つ事が出来るか」について書かれている章だと思う。
著者の答えは「出来る」であるが、なぜかは一読して頂きたい。

ノーベル賞を受賞したアメリカの物理学者スティーヴン・ワインバーグ氏の言葉を引用している。
Religion is an insult to human dignity. With or without it, you'd have good people
doing good things and evil people doing evil things. But for good people to do evil things,
it takes religion.

宗教は信じる者と信じない者を別けるので、排他的な性格を帯び、折角利他的あるいは親社会的な
面があっても信者にしか教義を適用しない場合がある。更に、判断力が無い子供の時から洗脳されて
しまうと、異教徒に対する嫌悪感を持たせるという問題も指摘している。

著者の進化論を基礎とした議論には説得力がある。
この本を読むと、改めて我々日本人の遺伝子に宗教中立の面がある事に感謝したくなる。
それも著者が触れている通り、There's no one-to-one mapping b/w genes and units of anatomy.
という訳だ。社会と人体のアナロジーからすると、日本が歴史の流れの中で宗教との付き合い方を学び、
個々の宗教ではなく多様な宗教を受け入れてきた結果、現在の状況に辿り着いたと云ったところだろう。

使われている単語の難度が高いと思う。旧約聖書のDeuteronomy(申命記)、Leviticus(レビ記)、
バイオ関連のblastula(胞胚)、gastrula(原腸胚)、neurula(神経胚)といった名詞だけでなく
動詞も高度な単語が多用されているので、ボキャブラリ・ビルディングに最適と思う。
この本を読んだ後に英字新聞を読むと非常に簡単に感じるだろう。

(wontonwoo/2007-11-15)
Although diehard theologians seem minimally affected by this book according to the author, I would like to say congratulations on "The GOD Delusion" in success in denying the existence of GOD. However, whether or not the author has been successful in giving a meaningful basis for the life of ordinary people is yet to be answered. The problem with this kind of scientific thesis is that, if I borrow a paragraph from existing "psychical knowledge," "Science's thesis meets with no answering affirmation in the human heart--and in fact arouses the deepest antipathy." and this may be a reason why people need "God." The same psychical knowledge also says: “All religions are distortive. For that matter much of your science is distortive. Both arrive at approximations, at best, of reality. Religion has been the cause of much prejudice and cruelty, but the bomb over Hiroshima was not caused by the Catholic Saint Theresa showering down any roses. The distortions in science and religion have been truly disastrous.” Prof. Steven Weinberg is quoted by the author as saying (in Chapter 7/ p. 283) "Religion is an insult to human dignity. With or without it...." I agree with the opinion. However, if you take the research results of the late Prof. Ian Stevenson (1918-2007)on "reincarnation of human," then you can also say that "Darwinism is an insult to human dignity, because it says that ape is our distant ancestor!" (Non-Materialist/2008-08-12)
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祖先の物語 ~ドーキンスの生命史~ 下
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小学館(2006-08-31)
翻訳:垂水 雄二リチャード・ドーキンス
売上順位:98071
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レビュー総評点:30
生物進化の概説 ||||||||||||
ドーキンスはいうまでもなく、ヒトが単なる自然界の一構成員でしかないと言うことを前提にして、しかし、われわれにとって興味深い性質が、過去のどの点で分岐した生物群と関係が深いのかを語りながら、生命の起源への旅をする。

ちょっと恥ずかしい話ではあるが、私はこれまでの分子生物学的な知識から、漠然とカバとイルカはイヌ・ネコぐらいの大きさの共通祖先を持つのかと思っていたが、この本に明らかなようにおそらくそれは哺乳類の原型といっていいような形のトガリズミだったはずだ。

専門の生物学者でなければ、だれにでも分類学上の、あるいは日進月歩である分子生物学上の最新の知見を常にキャッチアップできるわけではない。この本はドーキンスの美しく理解しやすい文章で、生物学の中でも、われわれ一般人が興味を引くような進化の歴史を概説してくれる。ぜひとも科学の常識として読まれるべきである。 (蔵研也/2006-09-26)
 数多くの論戦を戦ってきたドーキンス。本巻でもそこかしこにその戦跡を見ることができます。
 例えば、社会的・人間的関係を破壊する人種差別を憎む余り「人種的差異に遺伝的意味はない」と断ずる生物学者ルォンティンを、却って真実に至る道を塞ぐとして批判(バッタの物語)。また、カンブリア紀「爆発」から主張される断続平衡説(故グールド他)を、自然選択の漸進的・累進的性格をないがしろにする点で聖書に生物学的意義を見出す創造論に似るとして退けています(カギムシの物語)。
 特に、ルォンティン批判に続けて、著者は文化的な性淘汰が遺伝学的には瑣末だが皮膚の色など外見的特徴に大きな差異をもたらしたのでは、と推察しています。このようなところに論争を超えた次元に活路を見出していく著者の積極的姿勢が感じられます。議論の封殺ではなく真実を以って人種差別の誤りを正そうとするのがドーキンスのやり方であり、また私もそれ以外に方法はないと思います。
 本書の生物学的知識およびドーキンス先生の啓蒙的姿勢について、とりわけ若い世代、大学生だけではなく中高生にも広く読まれることを願います。 (射手座/2006-11-06)
いやあ、下巻は苦戦した。登場する生物はどんどんなじみがなくなる。それを章立てで見てみると、
肺魚/シーラカンス/条鰭類/サメ類/ヤツメウナギ/ナメクジウオ/ホヤ類/ヒトデ/旧口動物/扁形動物/刺胞動物/有櫛動物/板形動物/カイメン類/襟鞭毛虫類/ドリップス/菌類/アメーバ動物/植物/古細菌/真正細菌
という具合だ。途中からドーセ虫やろ、と言いたくなる。それでも、少しでも面白くしようと、エピソードを持ってくるのはよく頑張っている。さすが、ドーキンス。

生命全体の祖先までたどり着いた後、かなり長いあとがきで、進化の本質について、ドーキンス節全開。この辺は好きだし、安心して読めた。グールドが提起した進化のテープの再現の可能性に付いて、平行進化を論拠に、進化の必然性を議論しているのは、なかなか説得的だった。具体的な生物が目に浮かばない部分は厳しかったが、最後が楽しく読めたのでよしとしましょう。 (shibchin/2008-03-10)
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