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「心にナイフをしのばせて」 とその関連商品
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心にナイフをしのばせて
ASIN:4163683607文藝春秋(2006-08) 奥野 修司 売上順位:36165 ¥ 1,650(中古:¥ 98) これを買った人はこれも買ったよ![一覧で見る] |
更生とは何なのだろう ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
少年犯罪史の中でも有名なこの「同級生首切り殺人事件」は、酒鬼薔薇事件が起きたときにマスコミなどにも取り上げられて、
加害者の少年が今では弁護士となり、地元の名士として暮らしていることも伝えられました。 それを知ったときには、「もしかしたら、人の役に立つ職業に就くことで過去の償いをしているのだろうか」とうっすら期待をしたものですが そんな自分の甘さをこの本を読んで痛感しました。現実はあまりにも残酷でした。 この本は、事件後の被害者の家族、特に妹さんの視点に立ち、 被害者家族がどれほど苦しみ、破壊されていったかを生々しく綴っています。 ショックから立ち直ることができず、娘をどんどん追い詰めてしまう母親 そんな親に反抗しながら、自分も呪縛から抜け出ることができない妹さん 読んでいて少し苛立ちすら感じたのですが、でも、もし自分の身に同じことが起きれば、やはり同じように心が壊れただろうと思いました。 苛立つほどに生々しい話だからこそ、リアルに感じ、共感することができました。 ここまで語ってくださったご家族の方にお礼を申し上げたいです。 一方の加害者は、国費で教育を受けて成功者となったが 被害者への謝罪の言葉は一度とてなく、賠償金もわずかな金額をを払ったのみでストップ、 それどころか困窮する被害者家族に金を貸し付けて恩を着せようとする。 それでも法的には何の問題もないし、多分この加害者は(法的に見れば)立派に「更生」した例なのでしょう。 なんだかやり切れない気持ちになりますが、では、加害者が自責の念で廃人にでもなっていれば満足かと問われれば、そういうわけでもない。 いったい更生とは何なのだろう、どうあったら一番良いのだろうと、いろいろ考えさせられました。 なお、著者は被害者家族の側に寄り添って書いていますので、当事者に対して公平な見方をしていないと感じる読者の方もいらっしゃるかもしれません。 私は、そういう立場で書かれた本だからこそ価値を感じて★5つ付けましたが、客観的なノンフィクションを好まれる方はその辺を割り引いてください。 (留吉/2006-09-15)
事実の重みと表現方法について |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
何の落ち度もない男の子が、同じ年ごろの少年に残虐な方法で殺されてしまう。その後、被害者家庭は崩壊し、心を病んでしまうほどに深い傷を残す(今もそれはつづいている)。
一方の加害者といえば、殺人者という過去を封印し、あまつさえ弁護士として土地の名士にすらなっている。そのくせ現在に至るまで被害者家族に対しては一言の謝罪もない。 これが「更生」なのか? 突きつけられる現実はあまりにも重い。 その事実を明らかにしたことで本書は価値をもつ。 しかし、被害者家族のモノローグという手法を選択したことには違和感を禁じえない。重い現実だからこそ、著者の想像は極力排して、事実を読者にストレートに伝えてほしかった。 日本の出版界では、本書のような形式の本は、ふつうタイトルの冠に「小説」という一語がつく。ノンフィクションと謳うのは、誤解を招かないだろうか。 (竹内正浩/2006-10-05) 衝撃的な本である。
少年のころに殺人を犯した者が、現在は「正義の味方のふりをしながら弁護士をして」おり、しかも被害者に対する慰謝料もろくに払わず、謝罪すらもしないという不条理な状況を可能にしている現行のシステムに対して衝撃を受けたが、それよりもなによりも、殺された子供の家族が辿った地獄とも言うべき日々が当事者たちの言葉として語られており、そのあまりにも過酷な運命に強い衝撃を受けた。殺人の被害者家族というものが、どのような深い悲しみと苦しみを受けるのかが克明に描かれており、圧倒的である。 だが、いくつか疑問に思うこともある。結局、この著者が取材を始めたことによって今まで封印していた昔の傷を無理やりこじ開けることになったのは否定できない。この事は、被害者の母親も妹もそのように語っているので、著者としても十分に悩み、逡巡した点であると思う。実際、加害者の現在の状況も、著者が関与しなければ知りえなかったはずであり、それによって憤怒に身を晒すこともなかったはずである。果たして本当に彼らにとって良かったのかどうか、判断は自明ではない。そういう後味の悪さがある。また、私はどうしてこの本のタイトルを「心にナイフをしのばせて」などとしたのか、血の滴るナイフを持った加害者の表紙の絵をわざわざ自分の娘に書かせたのか、まったく理解できない。著者の態度に微小ながら疑問・不信感を持ってしまう。それでも、この本の衝撃的な力は失われるわけではないが。 (カラグラ/2007-04-11)
殺人者が弁護士になるのは矛盾している。これが実話とは! |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
少年法に問題を提起した著者の勇気と執念に一票投じたい。
殺人者は、医者と弁護士にだけは、なってはいけない。 医者は人の命を預かる仕事だし、弁護士は人権を守るのが 仕事だから。 殺人によって若い少年の「生きる権利」すべてを強引に 剥奪した者が、弁護士になるのは矛盾している。被害者の人生は リセットできないのに、加害者の人生はリセットできるなんて おかしい。「どうせ罪を犯しても白紙に戻せる。」と 少年法を隠れ蓑にして犯罪を犯す者だっている。日本の少年法は 甘すぎる。未成年者の犯罪率を増加させるだけである。職業には 厳しく制限をつけて、野に放つ前に位置検索探知機の持参を義務 づけるべきである。 加害者は自分の人権ばかり主張して、他者の人権は平気で踏みにじる、 冷酷な人物と思った。娘がいるそうだが、自分の娘が滅多刺しにされ、 首を切り落とされて、蹴飛ばされたらどんな気持ちになるか?親に なった今も被害者の遺族の気持ちが忖度できないのだろうか? 愛息を失い廃人のようになってしまった被害者の母親に詫びて、残りの賠償金 を払うべきだ。それが人間の生き方で、鬼畜との違いだ。 この弁護士に言いたい。「あんたと同じだけの生きる権利が被害者にもあった。 被害者の分も働くと言ったそうだが、勝手に命を奪っておいて、勝手な言い分だ。 被害者は、あんたになんか自分の人生を捧げるつもりはなかったはずだ。」 (普通の親/2007-05-01) 読んで衝撃を受け、レビューを書こうとアマゾンに来てみれば、カスタマーレビューがこんなに。それだけ、多くの人に「語らせよう」という力を持つルポです。
中学校のころから「からかわれ」ぎみだった少年Aが、ナイフで同級生を殺し、首を落としました。被害者家族には差し伸べられる公けの手もなく、耐え難い視線にさらせれながらも、妹、両親で必死に生き延びます。本書は被害者の妹の証言を中心にまとめられています。その苦難の道のり、孤独なそれぞれの心、痛切な家族の物語です。 半壊してしまった母親、自分が死んでいたらこんなことにはならなかったのかと思う妹、全ての煩悶を自分の中に閉じ込めた父親。 語り合いぶつけ合えないままに、昇華されることのない事件の重み。 終章近く、加害者少年の社会的に成功した立場が判明します。 このルポタージュを読んだ人は、なんたることぞと加害者のその後の生き方を思うのでしょう。 きっと、法律を学び、加害者は知ってしまったのだ、未成年の時の行ったことには、責任をとらなくて許されるものだと、と読者は少年法の問題点を考えずにはいられなくなるでしょう。 でも、本書からは事件の全容を読者は読み取れません。 加害者の歴史がすっぽりと抜け落ちているからです。 そのことを踏まえたうえで、読後の判断を持つべきと思います。 ひとつだけ、この本の帯、あまりにも本を売ろうとしすぎていて、断定的になっています。 もっと複雑に交錯したものを扱った著者に、そして語った被害者家族にこれでは失礼ですよ。 (kokodokodoko/2006-11-06) 1969年春、横浜の高校で酒鬼薔薇事件に相当する事件が起きた。入学して間もない男子生徒が、同級生に首を切り落とされ、殺害されたのだ。本書の大部分は、殺された被害者の苦しみというか後遺症というものがありありと述べられています。被害者の苦しみというものは一生拭い去ることがないということがわかる。母は寝込んでしまい、父はその母を支えるために必死でがんばり、妹はリストカットに走る。
本書の場合は、被害者のその後のことが中心となっている。加害者のその後は、11章で述べられているだけである。その後加害者は、弁護士になって社会復帰して暮らしているそうだ。名誉も地位も手に入れている立場で、過去の事件はリセットされたうえで社会復帰している。この加害者は、700万円の慰謝料も被害者の謝罪もしていないのではないか。ましては、被害者の心をズタズタにしているのではないか。 本書を読んだときに思ったのは、社会復帰ってどういうことだろうかということだ。加害者に使うお金のほうが、被害者に使われるお金よりも多い。加害者の方が被害者よりも法律で守られている。少年のほうがなおさらそういう側面が強い。加害者が被害者に心からの謝罪ができてこそ、はじめて社会復帰ができるのではないかと思う。加害者がのうのうと暮らしていき、被害者が一生苦しむような社会ではいけないように思う。もう少し、国が被害者にもう少し心のケアをしていくのがいいのではないか。 (itchy1976/2007-08-13) あまりにも時間が経過し事実が事実であるかどうか検証しようがない苦悩を感じた。
原因とされる同級生達の「からかい」も本人(加害者)にとっては耐え難い「いじめ」だったのかも知れない。温度差を感じた。 だとしても殺人を肯定する理由には全くならないのだが。 遺族にとって事件後も終わることのない地獄が続く。本当にお気の毒だと思う。 が、筆者のやり方は勇み足だと感じた。ほぼ遺族側のみの取材に終始している。 話題となってはいるが、結果インターネットを通じ加害者の実名や勤務先が露出している実情。 遺族と加害者に接点を持たせた点も現状では問題だ。 問題提起しながら裁きを下すような感じが否めない。 加害者を擁護するつもりは毛頭ないが、弁護士になるには相応の労苦があった筈だ。 殺人者が弁護士になったというインパクトは確かにあるが、興味深く煽る事例ではない。 どのような仕事に従事していれば納得するという問題ではないからである。 なんとも後味の悪い、一方からの糾弾を聞いた感がある。 (nico/2006-11-05) 1969年の高校生殺人事件、その後には酒鬼薔薇事件と言う同様な事件があった。
内容については、アマゾンの説明でなされているのでここには書かない。 加害者が更正して、今や弁護士事務所を経営し、弁護士として生活している。そして謝罪も慰謝料の支払いもない。 被害者家族の地獄のような生活を描き出し、心の崩壊を淡々と綴っている。 あまりに理不尽な社会であり、少年法という法律の無常さを考えてしまう。 被害者ご家族の心の崩壊を天童荒太さんの「永遠の仔」とダブって感じてしまった。 (dream4ever/2007-05-21) 後半あたりから特に一気に読んでしまい、否、読まされてしまいました。
被害者遺族のあまりに重い人生、それは経済的側面以上の精神的側面の重さ。 真綿でぐいぐい締め上げるようなそのつらさを読者側にも教えてくれたことは この著書の大きな意味だと思います。 そして、加害者本人の罪悪感など問われることもないまま一定期間を過ぎれば 無罪同様に扱われる少年法の持つ不条理。 それを理解したうえで、口先だけで「反省してます」もいかがなものかと思いますが。 (身近なところで学校や親に怒られたときなど。口先だけの謝罪が増えましたよね) ただ、個人的にここはちょっと…と感じてしまったのが、妹さんのモノローグとして 書かれている箇所なのですが、 「(精神)病院の患者さんを見ていると、ものの考え方が自己中心的で、 自分は常に正しく、自分以外はすべて間違っていると信じている患者さんが多い」 という部分は、著者が書籍化にあたって、もう少しなんとか、表現を考える等 できなかったのでしょうか? 言葉を丸呑みしてしまう方にとってこの表現は、 精神を病んだ人=加害者Aと同種の思考を持つ人 と誤って受け取られませんか? それが精神障害・疾患者などへの差別感情につながらないか、 蔑んでも構わない奴等だ、とならないかが心配です。 とはいえ、少年法の歪みをここまで生々しく描けたことに関して、 この本の意義はとても大きいと思いますし、感じました。 できるなら、加害者弁護士がこの著書を読んでどういった感想を抱くのか 聞いてみたいです。攻撃するつもりではなく、ひとりのひととして。 (虫食い梨/2007-04-27) 我々はニュースなどで事件を知っても、それぞれある感情を抱いたらそれで終わりです。
しかし、家族や親戚が関わった事件というものは、それで終わりということには絶対にならない。 被害者遺族にとっては、事件は苦痛と恐怖の始まりなのです。 この本は、被害者遺族に焦点を絞った、衝撃的なものルポルタージュです。 被害者遺族は、家族が殺されたという十字架を一生背負って生きていかねばならない。 悲しみと憎悪の感情は、癒されるどころかますます助長されていくだろう。 だが、加害者は極刑にはならない限り、罪を改めさえすればもう一度やり直せるのです。 この本は、そんな理不尽なシステムに対する警鐘を鳴らしているのではないだろうか。 実際にこの少年Aは、今では弁護士事務所を構えるくらい立派な弁護士になっていた。 これは衝撃としかいいようがありません。 過去にあんな残忍な事件を起こし社会から隔離された人間が、今度は社会の組織になくてはならない重要な地位にいる。 日本の司法制度は、過去に犯罪を起こした者でも弁護士になれてしまうのか。 色々な角度から考えさせられる良書だと思います。 (バラの花。/2007-02-04) 構成は、最初が事件のこと、2章〜10章が被害者家族のモノローグ、11章が少年A(ここで少年Aと書か
なくてはならないところがもどかしい)の行方と一瞬の邂逅、終章が妹さんのモノローグ。少年法、マスコミ、司 法制度、「更生」の意味、被害者よりも加害者に手厚い制度、裁判官や司法関係者のアタマの構造、政 治家の怠慢・・・、投げかけられる問題は、ずっとずっとずっと前からのもの、何度も何度も繰り返されているこ と。そのたびごとに暗澹たる、暗い怒りの感情が湧き上がる。 この手の犯罪に関する本は加害者について書いたものが多いが、ここのところ、この本含めて被害者側のこと を書いたものが増え、その点は慶賀すべきこと。 ただ、やはり中途半端だと思う、この本は。発禁処分になっても、名誉毀損で訴えられても少年Aとは誰か を明らかにするべき。この家族は加害者だけではなく著者奥田氏にも翻弄されたと思う。奥田氏はここまでズ カズカと被害者家族に入り込んだにもかかわらず、加害者相手にはなぜそこまでしないのか? (エパメイノンダス/2007-07-24) 他の方のレビューと重複になるが更生の意味について考えさせられた。
社会復帰して弁護士になるのはかまわない。かなりの努力をしただろう。 では更生したかどうかについては疑問だ。作者の言うように被害者に謝罪をして 許しを得てから初めて更生したと言えるのではないだろうか。 少年Aが子を持つ側になっても謝罪がないというのは許しがたいことだ。 法的には問題ないかもしれない、だけど人間としては最低なことだと思う。 子を持つ者のすることではない。元少年Aはこの書を読むべきだと思う。 この書の出現によってネット上では元少年Aの実名と勤務先が露になっている。 よって多少は社会的な制裁を受けるかもしれない。 それは謝罪をしなかったことで生じたものだと思う。 本当の人間ならどうするか考えて欲しい。 (タイラーダーデン/2007-11-19) 最後に一気に少年法への問題提議に持っていかれたようで、拍子抜けした感もあった。
というのも、犯罪や法律の不条理さは勿論だが、 この本に引き込まれたのは、猟奇殺人事件の被害者側の、克明な心の深淵の吐露そのものにあったからである。 悲劇を背負った一家族の、体験者でなければ判り得ない人間模様が訥々と一人称で語られる内容と手法に引きずり込まれた。 先代からの環境などにより形成されたそれぞれの性格により、この家族の場合、どのように崩れていったかがわかる。 そして被害者を見る周囲の目などに於いては、 もしも自分が被害者に近しい者であったとしたら、はたしてどのような目線を遺族に向けるのだろうか、 と、読者自身をも顧みさせる問題の提起がある。 個人的に唸った一文は「周囲の大人たちが兄を聖人化した」という件だ。 昨今の社会の、一つのズレた目線がここにある。人間社会の「作られる恐ろしさ」だ。 また、辛い出来事を封じ込める為に、犯人への怒りさえも封じ込めてしまう被害者の地獄の苦悩は、 封じ込めの苦しさを多少なりとも知る私にとっては、怒りと悲しさで心が引き裂かれる思いだった。 犯人のような、素のままに自己中心的な考えを持つ人間は、恐ろしいことに世間でそれなりに目に付く。 だからこそ真に恐ろしいのだ、いつ我が身が被害者になるのかと。 人間心理、社会の不条理さを知る上で、是非読むべき本の一冊であると思う。 (経理/2007-03-15)
私は号泣しました |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大ファンである評論家の宮崎哲弥氏がテレビで「読んでみるべきだ」と言っていたのをきいて
買いました。 被害者の母親の精神的な弱さを、父親と妹が必死で支えているという感じで 少年Aの犯罪は被害者の人生を破壊しただけでなく、家族の心や生活をメチャクチャにしていました。 父親が、殺されてしまった息子の血に染まった腕時計を泣きながら水道で洗い、その後もずっと形見としてつけていたという話は涙なしでは読めませんでした。 でも本当に号泣したのは、妹が結婚して娘が産まれたのですが、彼女(妹の娘)には「あなたの伯父さんは交通事故で死んだんだよ」と話してあったのに、あることがきっかけで本当のことを話すことになった時です。 思春期の娘たちは、自分の母親の兄が無残にも殺されたことを知って大声で泣いたのです。 実際には会ったこともない伯父さんの死に号泣する姿を読んで、事件のあった時には生きていなかった人の心までも傷つけるという事実に、被害者の家族の何十年にもわたる苦しみが想像を絶するものであるということが感じられ、私も声をあげて泣いてしまいました。 このレビューを読んで感情移入しすぎだと思われる方もいるでしょうが、今は初老になった少年Aが弁護士としてのうのうと生きているということが信じられませんし、許せません。 そして犯罪者が、私たちが思っている以上に簡単に社会に再び放り出されているんだということを知って恐ろしくなりました。 (ちくわ/2006-10-07) 同級生の首を切断し殺した少年のその後と、被害者家族の地獄の30年間が描かれています。
70件のレビューうち参考になった順で15件までを表示しています。ナイフを万引きし、ロッカーに隠し、友達を「散歩に行こう」といって連れ出し後ろからナイフを何度も 何度も突き立て、首を切断・・・。 その後「父親の愛人」の養子になることで名前を変えたというのも凄いですが、 その後賠償金をすべて払わず、かといってお金がなかったわけではなく息子を大学院にまで行かせて いるのです。 その少年はいまや、弁護士として地方の名士となっているそうです。 一体、少年法とは何なのか、加害者の権利とは?人権とは、人命よりも人権が尊重されるとは等 様々なことを考えざるをえませんでした。。。 是非みなさんに読んでみて欲しい書物です。 (きんぐ研究会/2006-09-24) [16件以降をamazonで見る][amazonでレビューを書く] 平均点:4.0 はてブコレクション数: |
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ナツコ 沖縄密貿易の女王 (文春文庫)
ASIN:4167717476文藝春秋(2007-10) 奥野 修司 売上順位:60021 ¥ 790(中古:¥ 35) これを買った人はこれも買ったよ![一覧で見る] |
レビュー総評点:19
「沖縄密貿易の女王」というサブタイトルがついているが、
実は「夏子」が、いわば集団ヒステリー状態になって密貿易に関わっていた 「沖縄の戦後」の象徴的な存在だったことがわかる。 当時の沖縄は「貧しかったが夢があった」とも言う。 密貿易もまたその象徴だったのだろうか。 ナツコの人物像も魅力的だ。 沖縄――とくに八重山に行ったことがある人はわかると思うが、 文化圏は日本ではなく台湾や中国に近いものさえある。 その彼らが台湾や中国と交易することは、沖縄の人にしてみれば 「悪」ではなかったのだと思う。 とくに密貿易の中心地だった与那国島は、台湾から百キロ少しだ。 タイトルの割には「人物」より「戦後史」に力点が置かれている気もするが、 沖縄の戦後を再検討する力作だと思う。 (辰巳/2007-11-18) 太平洋戦争前後の動乱期に、沖縄、八重山、フィリピン、台湾、香港、そして神戸を結ぶ海を駆け巡って生きた女性ナツコの物語です。
ナツコと同時代を生きた人には大浦太郎、照屋敏子といった著名人もいますが、僕は本書を読んで初めてナツコが沖縄の人々の心に残したものの大きさを理解しました。 国境を気にすることなく大海を渡って密貿易を行った、潮気あふれる海人そのものとも言えるナツコの爽快で清々しい生き様。しかし、その裏側に垣間見える母親としての苦悩。そして病との闘い…。 決して「生き急ぎ」という言葉で片付けたくはないのですが、彗星のように時代を駆け抜けた彼女の人生には眩暈を伴うスピード感があります。 本書はナツコの人生に仮託して沖縄の戦後史の一こまを描いたものですが、かなり読み応えがあります。 (拓海広志/2008-07-08) 沖縄は旅行で出かけたことがあるが、本書に書かれているような
歴史についてはぜんぜん知らなかった。 だから興味深く読んだのだが、個人的にはもう少しナツコその人に しぼった本だったらよかったのに、という印象を持った。 「歴史」に軸足を置くのか、「人物」に軸足を置くのか、これは 著者の関心のありようだから仕方がないが、私は沖縄の歴史をあまりに こまかく追う記述が、ちょっと疲れた。 (京太郎/2007-11-01) 世の中の出来事の多くは、人知れず忘れ去られていくものかもしれません。
全4件のレビューを表示しています。しかしながら、著者は、その中から素晴らしい評伝をすくい上げました。 取材対象が他界しているゆえに、取材は困難であったでしょうが、 ナツコのカリスマ性や、当時の歴史の裏側が、人間群像が、 迫力を持って伝わってきました。 地理的には、狭い範囲のことながら、歴史であることには間違いなく、 そのため事実関係の記録に、多くのページが割かれるところがあります。 その分、読み物としては、長い集中力を必要とするかもしれません。 最晩年(といっても40前)に、一人の母親に戻っていくナツコと娘たちの 交流は、胸に染み入ります。 (豆太郎/2008-08-19) [amazonでレビューを見る][amazonでレビューを書く] 平均点:4.5 はてブコレクション数:この商品をリストに入れている人:
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そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)
ASIN:4101300518新潮社(2006-10) 日垣 隆 売上順位:52412 ¥ 500(中古:¥ 1) これを買った人はこれも買ったよ![一覧で見る] |
心神喪失規定暴走国家日本 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
題名から勝手に「ある事ない事を書いて人々を必要以上に不安に陥れる本」と想像し読む気が起きなかった本である、
しかし、ある折、この本を薦められたので手にとって読んでみた。非常によく調べられ書かれている。おそらくこの本を書いた後様々な嫌がらせなどを受けたのではないだろうか。 この本で描かれている、刑法39条の超拡大解釈には、殆ど一般の人がおかしいと感じているはずである。 作者が法律に精通している(法学部卒)だけあってその筆は作者の憤りを感じるものの、冷静である。 だいたい人を殺したとき、普通の精神状態であるほうがおかしい。(平然と人を殺せるのが殺人鬼である)興奮状態にあるのが通常なのである。 精神鑑定により、不起訴にするケースは他国でもある、しかし日本の問題はその後の受け皿がない、という事である。 その点もよく調べている。 弁護士は殆どの重大事件で精神鑑定を求め、それが、精神科医や弁護士(人権団体)を経済的に潤しているというは納得いかない、 39条はまさしく「精神障害者」を人として認めていない差別的条文以外のなにものでもない。 何年も前になるが、知り合いが、通り魔的犯行で性的暴行と肉体的(及び精神的)傷害を負った。しかし、新聞に容疑者の名前は出なかったし、結局責任能力なしで不起訴になったと聞く。 彼女は命を取りとめたもののその時の治療代もでず、人生を大きく狂わされた。 その犯人は今も普通に街中を歩いているかもしれない。そういう人がいつ大切なものを奪うかもしれないと考えると不安になる。 私の大学の先生はそういった不安をもつ人たち(私を含め)を「擬似被害者」と言い、39条の必要性を説いていた。 しかし、やはり納得いかない。 39条を摘要するなら、それに伴った受け入れ施設が必要である。この本を読んでそういった考えが深まった。 (Tochitli/2007-03-22) 刑法第39条「心神喪失者の行為は罰しない。心神耗弱者の行為はその刑を減軽する。」にスポットをあてた本。
著者の主な主張は、 (1)殺人など重大な行為を犯した者であっても、精神病の疑いがあれば、検察が「起訴前鑑定」を行い起訴を見合わせてしまうことが多い(殺人者の4割が不起訴ななる)。それは、起訴した事件が無罪になれば検察官自身の出世にひびくから。 (2)鑑定は、被疑者の過去の時点の状態をさかのぼって推定するもの。絶対的な判定はできない。さらに、鑑定人によっては、常に心身喪失や心身耗弱の鑑定をする。 (3)裁判官も、極めて安直に刑法第39条を適用し、無罪にしたり減刑したりする傾向にある。 (4)刑法第39条に該当し、無罪や減刑になった者に対する医療上の対策ができていない。 (5)その結果、心身喪失を偽装している疑いの濃い者であっても無罪になり、極めて短期間病院に入院したあと、世間に戻ってくるケースがある。 10年がかりで執筆したというだけあって、さまざまな事件、文献等にしっかりとあたった上で書いたことが伝わってくる。もちろん読んで楽しい本ではなく、著者自身が書いているように、事件の記述などはむしろ読むのが苦痛な部分もある。 しかし、著者の主張をどう判断するかはともかくとして、極めて重要なテーマであり、まず読んでみて考えてみることが大事だと思った。 (mfhty/2006-12-23) いつ自分が犯罪の被害者になってもおかしくはないが、薄ら寒い現状が控えていることに愕然とした。
加害者が心身の異常を持ち出せば、なし崩し的に責任が回避されてよいものか? またそれを暗黙のうちに認める、もしくは正しく目を向けない現代社会(法曹界・医学界・マスコミ等)の無責任さ。 本書が一石となり、少しでも状況が改善されていくことを望んでやまない。 (もみくろ/2007-11-13) 非常に辛辣な言葉で書かれている。
あえて辛辣に書かれているのだが、反感は全く覚えない。 ということは、現在の刑法がいかに私の感覚からかけ離れたものになっているか、ということである。 刑法第39条。 心神喪失または心神耗弱の場合には無罪、または刑の軽減がなされる。 この条文があるがために、例えば意図的に覚せい剤を使用し、または意図的に酒による酩酊状態に陥って殺人を犯した場合でも、刑の軽減がなされる。 心神耗弱状態だからだ。 「自分で」覚せい剤を使用して、人を殺しても刑が「軽減」されるのだ。 故に自ら覚せい剤を使用し、連続殺人を犯しても刑の軽減がなされ、死刑にはならず、無期懲役と言う十数年で社会復帰出来るシステムとなっている。 そして、殺人者は同じ過ちを繰り返す。 また、著者は精神鑑定不要論も展開している。 いちいちごもっともである。 殺人を犯して取り押さえられた犯人の医療費が我々の税金でまかなわれ、被害者の医療費は全て自己負担という摩訶不思議なシステムが、この近代国家、法治国家日本に存在している (john/2007-11-21) 刑法39条第二項(心神耗弱)を中心とする司法の不条理をこれでもかというほどの例を挙げて批判した本です。
正気と心神喪失の間にある心神耗弱とは一体何なのか。 完璧に正常な精神で異常な犯罪を行える人はあまりいないでしょう。 つまり、心神耗弱なんていうのは凶悪な犯罪を行ったほとんどの人にあてはめることが可能なものなのです。 いまいち大きな話題にならないこの大問題。 誰がどう見てもおかしいと思うのですが・・・。 (N.K/2007-03-11) 心神喪失や心神耕弱について、考えるのにとても良い本だと思います。心神喪失や心神耕弱規定の問題点について、浮き彫りにしていると思います。法律を考えるのに良い問題提起をしていると思います。刑法を勉強している人や精神医学を勉強している人は是非読むことをお薦めします。私は、興味深くて一日で読みました。
(フィラデルフィアン/2007-01-26)
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ならば、責任能力のない人間がシャブ、アルコール、自動車、包丁などのデンジャーなアイテムとともに天下の往来を我がもの顔でのし歩いていた責任は誰がどのように取るのか? いったい、どうなってるんだ! 凄惨な事件に対するビックリ判決。誰もが感じる義憤。その『どうなっているか』の部分について、詳しく啓蒙してくれるのがこの本です。 今日も今日とて、日本法曹会からグレイトなサプライズが飛び出しました。自殺の道連れとして五人もの無辜の市民を殺傷しようとも、それが“悪魔の命令”なら無罪ッ! 民意が圧倒的なら司法の判断も影響を受けざるを得ないのは過去の判例からも明らかなこと。この一冊、もっと読まれるべきでしょう。 (Dの卓袱台/2007-02-28) 正直、読んでいて段々腹が立ってきました。と言うか、この国に住むことの怖ささえ感じてしまいました。
刑法39条については、何度か聞いたことがあり、その存在は知っていました。しかし、その運用の実態がこんなことだったのかと、驚きを通り越して恐怖を感じてしまいました。 本当の意味での「心神喪失」での運用がなされているとばかり思っていたのですが、「心神耗弱」の名の下に、無罪や減刑がなされているという実態を改めて知ることになりました。 ここに例示されている事件のいくつかについては、知っているものでした。それが、新聞報道から消えたと同時に、その犯人は「野に放たれる」仕組みになっていようとは・・・。 これでは、人を殺したかったら、泥酔するほど酒を飲み、捕まったときに「神の啓示」を受けたとか何とか、訳のわからないことを言えば、少なくとも「心神耗弱」で、減刑はしてくれるということになってしまいます。 法曹界、医学界、そして官僚と、彼らは一体何を考えているのだろう。同時に、それを知らしめないマスコミは何をやっているのか? 明治時代の刑法がまだ活きているなんて・・・。 (ringmoo/2007-01-05) かねてから、{なんで精神を理由に犯罪が許されるんだろう}と思ってました。
はやく刑法39条を撤廃してほしいと思ってましたが、この本をよみ勇気ずけられました。 (森田のり/2007-07-08) 大変な本である。私は『新潮45』連載中から読み、ハードカバーでも読みました。
文庫版で追加訂正などがあると、今回も入手しなければいけませんが・・・。 臨床心理士やうつ病者などにも貸し出し、読ませ、みんな驚いていました。 驚きますよ、そりゃ。私は世田谷区の松沢病院の近所に住んでいましたから、 改めて開放介護の実態も見ています。強い抗てんかん剤を打たれて、 植物のような人間になってしまうことも危険というか、人権無視ですが、 だからといって殺人者を野に放つのには大きな抵抗、いや大問題があります。 被害者家族の気持ちを考えることも大事ですね。日垣さんのベストな1冊です。 (向島鳩居堂/2007-01-12) 著者の正義感、大爆発である。しかし、全体に表現があまりに感情的であるため、却って内容の峻烈さを損ねている感がある。とは言え、密度の高い本であることに間違いはない。
まったくもって首を捻る以外にないような判決文の数々を読んでいて「所詮、人間のやることは・・」と思わないでもなかったが、真の「正義」とは何かを、ある種のやりきれなさとともに、考えさせられた一冊であった。 (杜の百鬼王/2007-02-23) 著者は丹念に資料を読み解きつつ、自ら調査し本書をかきあげている。
その内容は驚くべきものであり精神障害者の犯罪が野放しになっている状況を まざまざと見せ付けてくれる。 恐ろしいの一言。人権というものを隠れ蓑にしマスコミも 報道しない事実の数々がわかる。 絶対におすすめできる1冊です。 (きんぐ研究会/2007-12-18)
一読必須。 |
刑法39条の不条理については各レビュアーが述べられている通り。本書によりその法解釈・裁判・報道の実態が見事に描き出されている。それだけで一読の価値は有る。
読者は本書をベースに自分なり論点へ思索を広げていくことができるだろう。例えば、 ・なぜ日本のマスメディアはこれほどにも犯罪報道を重視するのか。海外のいわゆる一流紙では一面トップに犯罪報道がくることは稀だ。政治・経済・外交こそが主要な論点となる。国内メディアにおける社会部の強力なポジショニング、警察とマスコミの緊密な関係などが本書の犯罪報道を通して浮かび上がる。 ・裁判員制度が刑法39条に与える影響。一般人が判決を下すことにより、今までと同様の「無罪」量産が行われるとは思いがたい。最終的に評決は多数決。おそらくは、法社会学における極めて興味深い事例(法の社会からの拒絶)になるのではないだろうか。 ガッキーは最近ハウ・ツー本の大量生産者になりつつあるのが残念ではある。 (たく/2008-11-28) 幾つかのレビューでも評されている通り,事実関係
の取材に対する日垣の姿勢には,他のジャーナリスト の追随を許さないほどの徹底さが窺えます.本書に挙 げられた数多の事例はいずれも,刑法39条を考える に当たって無視できないものばかり.資料としての価 値を否定する理由はありません. ただ,日垣自身が認めているように,拾い集めた事 実から結論を導き出す過程,つまり評価の過程があま りにも杜撰で,浅薄で,この部分がどうしても,星の 数を押し下げさせてしまいます.事例紹介の後に1文, いずれも辛辣な言葉を選んで批判を添える訳ですが, その1文が,刑法39条とは関係のないところに向け られているものは論外として,日垣の主張に直結しそ うなものであっても,どのような立場を拠り所にして いるのか,それがおよそ見えて来ないのです. 事実の羅列からは何の評価も生まれえないのですか ら,辛辣な言葉の裏には,何らかの価値観が伴ってい るはずです.それにもかかわらず,刑法39条が前提 とする思想と日垣の価値観とがどのような形で衝突し ているのか,本書は何も語っていません.現行制度を 動かすどころか,提言としての体を備えていないよう に見えます. 事実を伝えるのがジャーナリストの役目だというの であれば,それに徹するのも1つの在り方だと思いま す.本書も,資料として出版されていたのなら,迷わ ず星5つを付けていたところですが……,場当たり的 な批判を繰り返して,物書きとしての底の浅さを自ら 露にしてしまっている点で,残念ながら,星3つには 到底届きません. (K/2008-06-30) 責任能力をめぐる判決について資料と共に細かに例示されており刑法の曖昧さに疑問と指摘を投げかけ諸外国や日本刑法に近しい国の刑法にも触れ、いかに日本刑法の不明瞭で罪刑法定主義の体勢を果たしていないかを危機感を抱いて追求している。
21件のレビューうち参考になった順で15件までを表示しています。裁判は誰のためのものなのか、裁判員制度のスタートを前に考えさせられた。 (前略、amazon様/2008-01-16) [16件以降をamazonで見る][amazonでレビューを書く] 平均点:4.0 はてブコレクション数: |
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皇太子誕生 (講談社文庫)
ASIN:4062755505講談社(2006-10-14) 奥野 修司 売上順位:437586 ¥ 750(中古:¥ 1) |
レビュー総評点:18
史料的価値が高い好著 |||||||||
ほとんどベールに隠されて、宮内庁からのおこぼれ情報しかもらえない中で、
全1件のレビューを表示しています。このような貴重な本が出版されたのは大変なことだと思う。 初めて聞く話が多く、当時の、そして多分今でもだが、医師たちの苦労が 伝わってくる。美智子皇后のプライベートな話などをあえて掲載しなかった 著者の態度も見事だと思う。売れるということを考えれば、当然入れたくなる のは人情である。そこを割り切って書いている。 礼宮(現秋篠宮)の出産の時には麻酔を使っていたとは驚いた。 やはり、浩宮(現皇太子)の出産のときの苦心談がすごい。同じ歳の私は 当時の医学的状況を調べれば、ものすごい最新医学で対応したと思う。 それだけ、皇室と日嗣の皇子というのは重い存在なのだろう。 それにしても宮内庁の「おもて」と「おく」の関係はどうにもならない ものだろうか?彼らの保身が皇室に対してどのような結果をもたらしているか? 暗鬱な気持ちになる。 (蘇冬/2006-12-09) [amazonでレビューを見る][amazonでレビューを書く] 平均点:5.0 はてブコレクション数: |
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累犯障害者
ASIN:4103029315新潮社(2006-09-14) 山本 譲司 売上順位:16450 ¥ 1,470(中古:¥ 292) |
私は平凡な会社員だが、多少福祉分野に携わったことがあり、この本の中にあるような世間一般から隠されている実態の一部は事前に知っていた(障害者の売春婦、ヤクザなど)。
この本が衝撃を与えたことに異論はないが、このような探索型のノンフィクションは読んだあと「では、どうするか?自分にできることは何か?」を考えるのがとても重要だと思う。 よく周囲に目を凝らしてみると、ヤクザが障害者を喰い者にしているような構図が見つかるかもしれない。本の中の人は一般論としてかわいそうだが、周囲の障害者は何をするかわからないから怖い、というダブルスタンダードが問題を見えにくくしているのだと思う。 山本氏の功績は、刑務所に入って障害者受刑者の実態をリポートしたこともあるが(ケガの功名?)、それよりも、日本には日本人が直視しようとしない問題がいろいろとあって、それを明るみにしたことだろう。 文章表現でやや大げさだったり、違和感を感じるところも若干あるが、それを補って余りある意義ある本だと思う。 (カスタマー/2008-01-21) 本書は、「獄窓記」の著者が服役経験を交え障害者の犯罪をリポートした、画期的なノンフィクションである。
刑法には、心神喪失者の行為は罰せず心神耗弱者の罪は軽減する旨が定められている。この条文を根拠に、私は知的障害者は犯罪を犯しても通常服役することはないものだと思い、またそうしたあり方に少なからぬ疑問を抱いていた。 だが、現実は異なっていた。 14歳未満は刑事未成年として不処罰となるにもかかわらず、知能の面でそれ以下である多くの知的障害者が、実際には刑を受け服役しているというのだ。論理的に反論する能力を持たないため、警察のシナリオどおりの調書が取られ、犯罪者に仕立て上げられた障害者もいたという。 責任能力の有無にかかわらず、殺人等の重大犯罪を犯した者については情状酌量の余地はあるにせよ、なんらかの刑に服するべきだと私は考えていた。だが、軽度の知的障害であるがゆえに福祉の枠からは外れ、かといって「健常者」が支配する社会には居場所がなく、刑務所が唯一の居場所とならざるをえない累犯障害者の現実を目の当たりにすると、複雑な思いにかられてしまう。 他にもろうあ者の暴力団の存在や売春する知的障害者の女性たちなど、今まで知りえなかった驚くべき現実を精巧な筆致で書き綴っている。 (佐藤忠義 /2006-10-11) 見たことのないことばがいっぱい出てくる。累犯障害者、デフ・ファミリー、デフ・コミュニティ、触法障害者などだ。さらに、意外な事実もいっぱい出てくる。ろうあ者が用いる手話と健常者が使う手話には大きな違いがあるなどだ。なんと自分は無知だったんだろうと思う。パラレル・ワールドのようだとも思う。
マスコミでも障害者の犯罪にはほとんど触れないのだという。本書は、そういったほとんど公開されない障害者の犯罪とその背景を明らかにしている。 パラレルワールドなどと書いたが、現実だ。 この現実を知らない人はたくさんいると思うが、そういった人にはぜひ読んでいただきたい本だ。 (りりしはおり/2006-09-25) かつて政治家でもあった著者がまさに決まり文句(山本氏だけでなくね)のように主張していた「セーフティーネットの構築によって安心できる社会を」という言葉について、そのような綺麗なスローガンでは見えてこない悲惨な現実と向き合うことで、同じ「セーフティーネット」の必要性を説く言葉でもここまでも読む、あるいは聞くものの心を打つかということをまさに言葉の力の一つの側面を教えてくれる一冊。
法改正によって法的(それも加害者としてだけど)に障害者は正常者と同等の扱いを受けるようになったが、それは正しかったのだろうか?と人としての尊厳を確保するのは建前としての平等よりも福祉、形式的平等ではなく実質的平等があって始めて現実的でありえるのではないかという結論に否応なく至る。…たとえそれが差別の固定化に繋がる恐れがあるとしても、やはり別の世界を生きているのではないかと。このことは昨今39条の廃止を巡る言説についても敷衍化可能な部分でもあろうと思う。 しかし、ドラマなどでは純真無垢な存在として描かれがちな障害者の綺麗ごとではない、もう一つの社会(ここは是非読んで衝撃を共感していただきたい部分なので避けます)の暗部、翻ってこの社会の冷淡さをとことん突きつけられたとき、この国とはなんなのかと考えざるをえなくなる、目を逸らさずに読まなければいけない一冊であることだけは断言できます。 しかし、今こそ山本譲司氏は政治家たるに相応しいというか、是非とも政治家になって欲しい人材となっている。しかし、皮肉な話のようで本来政治というものが弱者の声を掬い取るものだとすればまさに当たり前のことなんですよね。これが代々の政治家、苗字が同じであればポチでも当選できそうな地盤を有していれば、禊を経たなどと容易に復活できたであろうことを思うたびに嘆息してしまいます、秘書給与の流用という罪自体が本当に軽微なものなだけにね。 (遊鬱/2006-10-30) 2006年に読んだ本では文句なし、一番の衝撃作だった。障害者×犯罪、二重のタブーに身を以て斬り込んでいった著者に拍手したい。
地味だけどショックだったのは「第三章 生きがいはセックス――売春する知的障害女性たち」。これを読むと、風俗(売春)産業にはかなりの割合で知的障害者が従事しているのではないかと思われる。男性の方、思い当たりませんか。ものすごくサービスのいい、情熱的な風俗嬢の記憶ってありませんか。客は、通常の商取引だと思って買春している。資本主義倫理的には売り手と買い手はイーブンだから、そこには何の後ろめたさもない、と思っていたのに、実は相手は知的障害だった、としたら。 本書が取り上げるのは、いま流行の格差社会論ですら掬われていない、どん底の人々である。自分と彼らとのあまりの距離に愕然とする。とくに「聴覚障害者が使っている手話は日本語逐語訳ではない。逐語訳手話は通じない」という指摘とか、改めて衝撃だった。日本語じゃない、んですよ! だが、私たちは彼らとまったく違うのか?というと、そうではない。私たちも加齢とともに必ず何らかの障害を抱えるのである。私たちもいつか、この社会に居場所のない、排斥される、弱者になるのだ。必ず。金があれば居場所はあるかもしれないけれど、その金を失ったら誰もが弱者だ。そのとき、こんなはずじゃなかった、と泣くような社会でいいのだろうか。私たちが作るべきは、そんな社会なのだろうか。 山本譲司さんの投げる球は、遠くまで届く力があると思います。力の続く限り投げ続けてほしいです。私は、受け取り続けたいと、強く思います。 (不審な言動/2006-12-27) 監獄経験を経歴のひとつに加えて物を書く作家は多いが、
なぜ彼らはこれまでこの現実に向き合わなかったのだろうか。 著者自身が「監獄」に入り、その目で現場を見たことは、 日本にとり大きな収穫だった。 どれも驚くべき事実ばかりだ。 手話通訳の通じない裁判がなんの改善策も考えられずに行われていることに この国の福祉政策の貧しさを見た。 一件一件にさかれるページ数が少なく若干物足りない気がするが、 今はこうした障害者による犯罪と刑務所の実態が白日の下に晒されたことに 本書の価値を見るべきだろう。 (冬野紫/2006-12-11) 経歴という面から見ればこれほどドラマティックな人生を経ている人は少ないでしょう。
本書は元国会議員の山本さんが服役中に見た累犯障害者たちの姿を丁寧に追ったものです。 我々の社会から存在自体をほとんど無視され、居場所すらない障害者たちが何度も刑務所に服役する姿、警察や検察から冤罪を捏造される姿など、読み進めるのが苦しくなるような切なく、悲しい現実が綴られています。 セイフティネットという元々脆い網ですら、小泉政権の時に一層網目が粗くなり、彼らは正に絶望的な状況に置かれているといって良いでしょう。 また本書で特筆すべきは、障害者たちが、我々健常者がほとんど想像すらしたことのない異なる世界に住んでいるかもしれないことに触れている点です。 たとえばろうあ者たちが使う言語は、健常者が作った普通の「手話」ですら彼らの思考に直結する言語とは解離があり、夢ですら手話で見る彼らは、文化や思考など我々とは全く異なる世界を築いているかもしれない、と述べられています。 つまり犯罪に対する意識すら我々とは全く異なるかもしれない、ということです。 これは正に慧眼といえるでしょう。 著者が自身の経験に基づき、自らの足で築いた文章は圧倒的な説得力をもっていてわかりやすく、また非凡な文才も伺えます。 そしてかつて絶望を経験した著者の持つ慈しみの目線は、絶望的な事実を述べていく中でかすかな救いと光を感じさせました。 読みすすめるのが、心苦しく、所々で切ないため息をつかずにはいられない本ですが、読む価値は十分にあると思いました。 (サウザンツ/2007-02-24) 今年の犯罪白書が特集で取り上げたように、最近の犯罪情勢においては、再犯を問題とすることが多いようだ。特に高齢者の犯罪が顕著だという。
同じように、知的障害を持つ人たちの犯罪(や再犯)も、近年まで等閑視されてきたものであるが、著者の前作「獄窓記」によって脚光を浴びることになったことは周知のとおりである。 本書は、これまでタブー視されてきた知的障害者や高齢者など社会的弱者とされる人々が行う犯罪を、冷徹な視点で直視しようとするものである。見たくないものを直視することは確かにつらいことだ。だが、著者はあえてそのような作業を引き受け、社会的弱者である人々が犯罪に立ち至る原因を突き止めようとする。そして、そのような人々が犯罪を行わないようにするために何が必要かを、事実をもって語らしめようとする。 これまで、裁判所や刑務所などのいう「社会復帰論」が机上の空論でしかなかったことを関係機関は重く受け止めるべきだろうし、私たちも私たちのもつ「犯罪者」のイメージを改めるときが来ているように思われてならない。 同じような視点で、刑務所での犯罪者の実像を描くものとして、浜井浩一の「刑務所の風景」がある。こちらとあわせて読むことで、理解はより深まると思う。 (コースケ/2007-11-22) 福祉施設からは触法障害者として受け入れを拒まれ、一方、厚生施設(身元引受人のいない受刑者の出所後の受け入れ先)からは、障害者は絶対に受け入れてもらえない。
行き着く先もなく、そしてまた犯罪を重ねて、刑務所に戻ってくる……。そんな、なんとも切ない事実を初めて知った。 「出所後は、刑務所での作業賞与金一万五千円で飲むだけ飲んで、後は人に迷惑にならないような方法で死ぬだけ」「障害者は生まれたときから罰を受けているようなもの。だから罰を受ける場所はどこだっていい。また刑務所の中に戻ってきてもいい」「これまで生きてきたなかで、刑務所が一番暮らしやすかった」 彼等の多くは、無銭飲食や置き引きといった軽微な罪での服役だという。福祉が関わり、身元引受人さえいれば、何も実刑判決を受けるような罪ではないという。 筆者の、 「福祉は一体何をやっているんだ。そう叫びたくなる。もちろんそれは、私自身に対してもだ」 という言葉、「私自身に対しても」というところが、この本の説得力を支えていると感じた。筆者自ら罪を犯し受刑し、そこで見た事実が、その後の筆者の人生を大きく変えていった様子も、人間の生涯の機縁を考えさせられる。 書かずにはいらなかった、伝えずにはいられなかった……筆者の辛く熱い気持ちが籠もった作品だと思う。 (ミシシッピかずみ/2007-11-26) 著者は元々福祉政策にも通じた政治家であり、実刑判決を受け政界を去ったのち刑務所でも辛酸を嘗めた。
著者は本書で障害者(ここでは知的障害者および聴覚障害者)が、累犯(犯罪を繰り返してしまう)となる社会システムについて優れた洞察を見せているが、それも著者の希有な経験がなせるものと言える。 取調、裁判では、 ・適切にコミュニケーションできないので、自己に不利な状況でも弁明がうまくできない ・反省の弁を述べることができない(反省という概念をうまく理解できない) ・警察、検察が誘導尋問する場合、それを認めやすい。 ・聴覚障害者の場合は、ろう者同士の手話を適切に理解できる手話通訳がいない という理由で、実刑判決となる場合が多い。 また、障害者の犯罪は、容疑者が障害者であるとわかった段階で、メディアは報道を自粛するので、市民から事件が忘れられたまま結審する。メディアのバックアップもない。 刑期を終えても、刑務所から福祉へのバトンタッチはほとんどされず、触法障害者(犯罪歴のある障害者)が、障害者福祉のサポートを受けることはほとんどない。 触法障害者は文字通り「野に放たれる」わけであり、現実社会でほとんど居場所がなく、適切なサポートもないのだから、再び犯罪を犯す可能性も極めて高い。犯罪を繰り返すうちに福祉のサポートはますます遠のき(ほとんどが障害者手帳を保持していない)、まともな生活ができるのはやはり刑務所だけ、という意識になるのが、悲しい現実である。 前述の理由で、メディアも報じない障害者による事件を、丁寧に足で追いかけ本書にまとめたことで、メディアを通して知っている「障害者福祉」は本当に福祉の必要な障害者に届いてはいないことを知ることになった。 (picander/2006-10-18) この本を手に取る人は,おそらく,様々なバックグ
ラウンドを持っているのだろうと思います。福祉,医 療,政治,法律,マスコミ,自身が障害を持つ人,障 害を持つ人を家族に持つ人……。山本が書き写した現 実は,ここに挙げたいずれの立場にある人からも見え にくい,あるいは意図的に隠されてきたところにある のかも知れません。 社会に居心地の悪さを感じているのならば,ニュー ス番組の解説を鵜呑みにする前に,政治家のプロパガ ンダに飛び付く前に,自分勝手な哲学的解釈を始める 前に,まず,事実を知らなければならないのだと思い ます。評価はそれからでも十分なのだと,彼は教えて くれます。 読了したすべての人に,何も知らない愚かな自分と, 社会を見詰める新しい自分とを知らせてくれる一冊。 (K/2007-09-30) 重い作品である。食い逃げやその他の軽犯罪を繰り返す留置場行きの常習犯の話は昔から良く聞いていた。理由は本書と同じく「三度の飯が食えて、雨露を凌げるから」である。しかし、それは健常者の話であった。自己の不明を晒すようだが、軽度知的障害者にこうした同様の問題があるとは知らなかった。本書は、刑務所内でこの問題に気付いた著者が、その後、軽度知的障害者を追跡し、売春問題や暴力団絡みの問題まで綴る暗澹たるレポートである。本レビューで、もしかすると、いわゆる"差別語"を使ってしまう恐れがあるが、それは一重に私の無知によるもので他意はない事をお断りしておきたい。
良く障害者のスポーツ大会等はTVで放映される。こうした事を公にすることは"善"という認識があるからだ。一方、本書で語られるような内容をレポートしたTV、雑誌等にお目にかかった事はない。こうした実態を知っている関係者は多くいるだろうに。日本人の「臭い物にはフタをしろ」的体質がこういう所にも出ていると感じざるを得ない。どのような解決策を提示するにしても、その前にまず問題を一般に知らしめる必要がある。多くの人の理解・共感・協力が必須だからだ。本書をキッカケに、多くの人にこの問題を知って欲しいと思う。特に、マスコミ関係者には勇気を持って取り上げて欲しい問題である。 (紫陽花/2006-11-17) 「障害者の福祉施設の一つが刑務所」と、言われかねない状況。このフレーズを聞いて、衝撃を受けた。「刑務所」=「福祉施設」ではないのは当然であるが、まるで福祉施設のように使われているという実態がある。
障害者が罪を犯してしまったきに、帰る場所がないのは問題だと思う。自分の存在するべき場所、自分の居所、(住む場所、心が満たされる場所)がなければ、再犯してしまう。だから、刑務所に再び行くことになる。再犯をしてしまう理由の一つに挙げられるだろう。刑務所でも社会復帰できるようなプログラムをもっと考えるべきだが、人手不足のようだ。社会復帰は大切なことであり、もっと充実したものになってほしい。 障害者は、障害者が受給できる福祉サービスを知らないこともある。子どもも障害があり、親、もしくは同居をしている親族が障害をもっていれば、福祉サービスがあっても理解できないこともあるだろう。このような点にも焦点をあて、福祉サービスの恩恵を受けることができるようにしたい。昨今の福祉サービスは煩雑で、自分で知識をもとうと探し求めなければ受けることのできないサービスもある。福祉サービスについての伝え方についても、再考する必要がある。 上記にあげたような、犯罪を未然に防ぐような手立てが充実し、犯罪が減少することを切に願いたい。 (はましょう/2006-11-04) 大変ショッキングな内容であり、そして予想以上の内容だった。予想以上、というのは「得るものが多かった」という意味だ。
福祉施設で収容しきれない知的障害者が、罪を犯し服役している…つまり刑務所の一部が福祉施設の代替施設と化してしまっている事実。 「俺ね、これまで生きてきたなかで、ここ(刑務所)が一番暮らしやすかったと思っているんだよ」と語る知的障害を持つ受刑者。 人類に於ける知的障害者の出生率は2〜3%であるというデータ。受刑者一人当たりに270万円と言う税金が投入されているという事実… 全てが初めて知ることばかりだった。触法障害者に関する報道が(過剰なほどに)メディアによって自主規制されていることも初めて知った。 初めて知る事実に驚くとともに、自らの服役経験から障害者福祉に従事するようになったという著者の情熱にも、心動かされるものがあった。前著「獄窓記」も早速読みたい。 (moripu/2007-07-25) 触法障害者と呼ばれる「括り」があること自体私には衝撃だった。そして、本書でもっともクラクラとさせられるのは、その触法障害者と呼ばれる者たちの再犯率の高さである。彼らが語る再犯の動機を、誰も容易には否定できない。本書が取り上げる事例は、刑務所において矯正という目的が達せられていないことをまざまざと示している。ただし、著者はこの問題を、決して社会や制度への批判に終止するのではなく、立法や福祉活動への取り組みなど具体的な行動をライフワークとし解決しようとするところに、暗い気持ちで終わってしまいそうな内容に読んでいて救われる思いがした。「福祉」、「矯正」、「更生」という無批判で受け入れがちな言葉に対して、立ち止まって考えさせてくれる本である。
40件のレビューうち参考になった順で15件までを表示しています。(てるおはるお/2006-12-11) [16件以降をamazonで見る][amazonでレビューを書く] 平均点:5.0 はてブコレクション数: |
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「少年A」この子を生んで……―父と母悔恨の手記 (文春文庫)
ASIN:4167656094文芸春秋(2001-07) 「少年A」の父母 売上順位:76697 ¥ 540(中古:¥ 1) これを買った人はこれも買ったよ![一覧で見る] |
レビュー総評点:38
この手記をどう読むかは、いろいろな考えがあるだろうけれど、少なくとも当事者によって書かれていることに意味があると思う。
どこまでが事実であるのか、あるいは事実のうちどれだけの部分が記されたのかは、判断し難いところではあるけれど、加害者の親からは、このように見えていたということだろう。 個人的には一読したときに強烈な違和感が残った。それが何なのかは、はっきりしている。両親がこの手記に記していながら、その重大さに気づいておらず、さらりと触れただけの事項があるからだ。このため、この両親による子育ては、手記からは「普通の子育て」に見えてしまう人もあるだろう。 「普通の子育て」ではないことを示す記述があるにもかかわらす、そのことの重大性には言及されず、それについての後悔の念は全く述べられていない。全てが親の責任ではないにしろ、気づいてほしい大切なことがあり、なんとも言えないもどかしさを感じる。 評論家の独善的で無責任な評論を読むよりも、不十分なものであっても、こういった当事者による手記を読むほうが、問題の所在がどこにあるのかよく理解できるのではないだろうか。 (albali/2004-04-23) 帯に書いてあった「私たち親は、どこで、何を、間違えたか?」
という問いの答えは、「結局何も分かりませんでした」になる らしい。そういうことを知りたいと思う読者(私も含めて)には 見るべきところがない本だと思う。 確かに、「普通」の育て方をしていることは文面から良く分かる。 おそらく、今回の事件の原因を、父母の育て方だけに求めるのは あまり正しくないのだろうとは思う。 しかし、読んでいて感じるこの違和感は何だろうか。どうも他人 事に感じているようにしか思えない。確かに、彼らと同じ状況に あったら、同じ感想を抱く親は多いだろうが、「私たちは正しく やっているのに、子供が勝手に常軌を逸脱してしまった」とも読み 取れる書き方には(彼らに責任があるかどうかは別として)読ん できて絶望感を感じた。仮に、少年が「異常」ではなくて、必死 に求めた救いを平気で無視していたのだったとしても、きっと彼ら は同じことを言ったのだと思う。そう考えると、言いようのない 寂しさを感じる。 同時に、こういう親は決して珍しくないようにも思う。「普通」で あることを優先させたために、何か大切なものを見落としている のではないだろうか。自戒の念も込めて、そう思う。 (はっぴー/2004-03-14) 本書を読んで、浮き彫りになるのは加害者側家族の行動のおかしさである。
息子が逮捕当日の朝、警察に連行される記述がある(父親の文章)。連行される理由や行き先の警察署も聞かずに、息子を送り出す父親。被害者家族に謝罪には行かないのに、被害者家族が転居しているかどうかの確認作業を積極的に行う母親。家の軒下から猫の死骸や斧が出てきたり、子供がナイフを身につけているのを知りながら不審に思わず、逮捕後1ヶ月近く経って警察に教えられるまで、淳君以前の被害者の名前すら知ろうとしない両親。それぞれの被害者家族にまったく同じ内容の謝罪文しか出せない両親(文章は郵送で届けられた)。 読み進めば、読み進むほど、なんとも表現しがたい違和感を感じるのである。何か変だ、何かおかしい。本文では延々と事件には気づかなかった云々、と綴られているが、読んでいて感じるのは子供が引き起こした事件に背を向けて、新しい転居先を探す親の姿の異常さなのである。 本書で一番、驚いた文章は、「能天気だった私たち親・・・」というところを「ノーテンキだった私たち親」とカタカナで表現しているところである。このノーテンキだった両親は被害者家族に直接会って、謝罪をしたのだろうか?それとも・・・?! (赤いジャケット/2006-12-12) 母親は、ごく一般的な親と同じように少年Aを愛していたのでしょう。しかし、子どもの気持ちに寄り添っていなかったようです。
「ダメなことは徹底的に叱った。たとえば弟をいじめることはいけないと厳しく言った。それのどこがいけなかったのか」と母は自問しています。 この母は真面目すぎたのでしょうか。自分のやり方に疑問を持たず、子の気持ちを考えず、ずっと押し通してきたように感じました。被害者に対する思いやりも罪悪感も稀薄なことに驚きます。自分の子に対する償いという形では何度も述べられていますが、そんなことよりも、淳くんとご家族への謝罪が先ではないでしょうか。 「この子がこんなことをするなんて信じられない」は言い訳にしか聞こえません。 「この母親は思い込みの激しい人」と先人のレビューにもありましたが、まったくその通りです。 子どもは家庭によってつくられるのだと思います。少年Aもまた被害者に思えてきました。 少年には息を抜く場所も甘える人もなく、おそらく笑顔もなかったのでしょう。家庭に笑顔があったとしても、それは少年Aに向けられるものではなかったように感じました。 このごろ頻繁に報じられる悲しい事件は、家庭に笑顔がないことに尽きるような気がします。 勉強でもスポーツでも、それだけが人生ではありません。他の価値観を認める寛大さを、大人も持ち合わせなければ、子どもは救われないと強く思いました。 この手記の公開によって、凄惨な事件の原因は何かを見つけるべきであり、いったい何がどう狂ってしまったのか、何がいけなかったのかを、みんなで真剣に考えるきっかけにしなければなりません。その点から見れば、本書はとても興味深く、人の心の奥を探るものであると思います。 (未来を案ずる凡人/2006-07-14) 被害者側の「淳」、加害者側の「少年Aこの子を生んで」の2冊は事件を両側から
知ることができる貴重な存在だ。 親が自分の子供のことを 一番に考えて、かばいたくなるのは理解できる。 Aの両親も被害者も突然に事件に巻き込まれたという点では同じだと思う。 両親はAともっとも長い時間を過ごしてきた存在であるからこの手記は事件を 理解する上で非常に大きな助けとなる。父親、母親別に手記がまとめられており、 事件を起こした少年Aと家族の一員としてのAとのギャップに驚く。 これだけの大事件だったのだから、この本が書かれた真の意図がどこにあるのか ということを考えてみるのも良いかもしれない。 加害者が仮退院した今、事件を受けとめるのは両親達だけでなくわれわれ一般市民なの だという認識をもたなくてはいけないな。 (ヤーチャイカ/2004-03-17) ここに書かれているのは、両親の懺悔。自分(親自身)を弁護しているような印象を受けました。親として「少年A」を弁護するなら話はわかる。けれど、この本に関しては自分たち自身への言い訳に見えた。
素直に納得できたのは第一章。あとは自分を客観視出来ない親の謝罪文章。私の疑問は「なぜこのような殺人を起こしたか」ということ。しかし答えは書かれてなかった(理由は書いてありましたが)。なぜならこの本を書いた両親自体それ(なぜ殺人を犯したのか)を理解していなかったからだとおもいます。そういう印象を受ける本でした。 親として子として自分自身を見つめなおすにはもしかしたらいい本かもしれません。 (karu_826/2004-03-11) この本の中で、少年Aの両親が繰り返し述べていることは、少年の異常性に全く気づいていなかったといういいわけです。しかし、よく読んでみると、小学校の担任、中学の担任等、親の知らない学校でのAの様子を知っている教師からは再三に渡って両親は異常性を指摘されてきていたことが分かります。
この本を読んで、親の前の子どもと外での子どもは決して同じではないと言うことを認識しなくてはならないと言うことに気がつきました。どんなに我が子がかわいくても我が子を疑ってみる勇気が必要なのでしょう。 (reiko/2002-04-04) まず最初に思ったのは、ほんとうかなぁ・・・ということでした。
とにかく両親とも、まさか自分の子供がこんなことをするなんて 夢にも思っていなかったし、気づかなかった、ということが多く のページを割いて書かれていました。 自分は子供を育てたことがないので、もしかしたら本当かも知れ ないけど、そんなに分からないものなのかなあと思いました。 と同時に、子供を持つのが少し怖くなりました。 こういうところを見逃していた、こうすれば防げたのではないか と思う、とかそういう内容を期待していたので、残念でした。 犯罪防止のために情報公開を、ということが言われて久しいです が、これでは何の役にも立ちませんでした。 (yumi216/2003-09-11)
自分を弁護をする酒鬼の母 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
私も本を読む前は『この母親も色々と息子の事で大変だったろうな』と思ったのですが、この本を読んで改めて酒鬼薔薇誕生は、コノ母親の責任が大きいように思いました。彼女は何度も”自分の息子がコンナ事件を起こすなんて、最後まで信じられなかった”とシツコク書いていますが、この事件が起きる前に、自宅で猫が御腹を引き裂かれた死体が出てきていたり斧やノコギリ、そしてナイフが何度も見つかっていたし、親友の友達も時計をつけた手でワザと殴る残虐性を普通の喧嘩として捉えてるのも変だ。その他も女の子の靴を燃やしたりシツコク付け回しているのに母親が何も感じなかった方が異常だ。担任の先生が弟の体育祭にまで来て酒鬼の事を心配して『御母さん彼をちゃんと見てください』と言う時点で息子の異常さに気づくべきだ。淳君の事件が起こった時も”モシカシテ息子が”と気づけないわけが無いだろ?と思いました。ソレをコノ母親は『能天気で気づけない』と書いて自分も被害者なのです!!と世間に知ってもらいたいように思えた。そのくせ息子が将来出所して更正する事を考えれば、猫を口から内臓まで切り裂いて気持ちが良くて射精した事を世間に母親として言うだろうか?と頭をかしげる一方でした。しかも母親は13日の金曜日を息子が好きで全巻見てました♪と普通に書いていたが、普通14歳にシカモ事件を何度も起こしている息子にコノ類いの映画を見せるか不思議だ。コノの母は”息子が突然変異で異常になった〜自分は悪くない”と言う事を何とか世間に伝えたい一方でコノ本を書いたのじゃないか?としか思えませんでした
(榊原/2007-01-15)
この本を読んでまず感じたのは「この家庭のどこに問題があったのか」です。やはりごくごく普通の家庭といしか思えませんでした。
ただ、文章の端々に「私だったら...」と思う点が多数あり、この両親が「こんなこともあるさ」と軽く流していた点にこそ、重大な落とし穴があったように思えます。 年子で男の子3人の子育てはさぞかし大変だったろうと思いますが「長男をしっかり育てればあとが続くだろう」というのは、ちょっと違うなと思いました。兄弟とはいえ、3人3様、みな人格が違います。同じ言葉を言ったとしても受け取り方はさまざま。すごく気にする子もいれば、へっちゃらな子もいます。 この本だけ読むとごく普通の人たちだと思えるのですが、被害者の方の手記を読むとAの母の非常識さにあきれてしまいます。「矯正日記」も読みましたが、やはり本当に矯正されたのか、気になります。 (しゃむねこ/2004-07-07)
起こったことという現実 ||||||
我が子への愛情を持つ両親が公になることを前提に書いたものであるから、当然自分たちの全てをさらけ出しているわけではないと思うが、これが現実ではないだろうか。どんな親であれ、自分の子供が殺人事件の加害者になったという事実に冷静に対応などできはしまいし、その部分のみを責めて親の教育の問題へとつなげるのは短絡的過ぎる。
被害者の父親による手記「淳 (新潮文庫)」を読むと、この両親が世間の基準でいう「まともな親」だったかどうか疑問であるし、親に同情する気持ちは起こらないが、積極的に我が子を殺人や異常性欲に興味を持つように教育したのでも無い限り、どこまで親の責任を問うものか考えさせられる。 どんな親も完璧な教育をすることはできないし、全く自由放任に育てても立派に育つ子供もいる。同じに育った加害者の兄弟が同じく殺人を犯しているわけでもない。「うちの子にかぎって」という言葉が昔流行ったが、親はどこまで子について理解できるのか?親とは子にとって何か?親の責任とは何か?について考えてみるきっかけとなる書だ。 (水田屋/2009-05-18) 凶悪犯罪を犯した未成年者の親の気持ちに大変興味があって読んでみました。
事件前後の家庭でのやりとりや事件後の両親の気持ちなど、貴重な資料ともいえるものです。とくに逮捕当日の父親の手記は、 読んでいてとても切ない気持ちになりました。 本書はあくまでも本書は両親の視点から書かれたものなので、これをもって「少年A」を語ることはできません。たとえば幼少期に おける少年Aへの虐待があったか無かったのか、これもあくまでも母親からの主観なので読者には判断することはできません。 真実に近づこうとするならば、更に関連書籍を読む必要があります。 (へに/2005-11-19) 両親の声は ほんとうの気持ちなんでしょうか?
被害者の父の本も 読みましたが食い違いが少しあります。 加害者の母は 自分を正当化してるような気がします。 自分の子供のこと、心から関心をもってたののでしようか? 私も男の子をもつ母として 考えさせられる本でした。 (y/2007-03-21) 最近友達に借りて読みました。友達が読んでいてイライラしたと言っていましたが・・。
何ていうか、両親は本当にピントがずれているというか・・。 違う惑星に住んでいるの?っていうぐらい感覚がずれているように感じました。 鈍感すぎないか?それとも知らないフリをしていて逃げていたのか? (hannibal24da/2005-06-18) 1997年に起こったこの事件の衝撃は記憶に新しい。遅ればせながら2005年になって読んだ訳であるが、加害者側の両親、兄弟、親戚一同も大きな苦しみを負ったという点については被害者であると言える。いったん事件が報道されるとマスコミとニュースを受け取る第三者からの中傷が家族に対して始まる怖さを知りました。被害者宅にすぐに謝罪に行けない心理状態、死か生か、これから弟達2人を抱えてどう生きるのかと言うこと。しかしながら、問題の核心部分は少年Aの小学高学年頃からの行動に奇異で、執拗で行き過ぎた行動に出るところがあるのに両親がこの子の”普通ではない”シグナルを見すごした点にあると思う。親の監督責任は免れようがないであろう。外見、普通の子が犯罪を犯す現代社会、子供の脳や精神がどうなってしまったのか。シグナルにどう対処すればいいのか、事件が起こってしまったから親が怠慢だったと結果論でいえるのではないだろうか。ほとんどの親はうちの子に限ってと思うだろうから。
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殺人者はそこにいる―逃げ切れない狂気、非情の13事件 (新潮文庫)
ASIN:4101239134新潮社(2002-02) 編集:「新潮45」編集部 売上順位:26057 ¥ 500(中古:¥ 1) これを買った人はこれも買ったよ![一覧で見る] |
レビュー総評点:77
タイトルのつけかたがうまい。これだけで本を買う人が2割(?)は増えたはずだ。13の殺人事件をとりあげてルポルタージュでまとめているが人をあやめることが、これほど日常的に行われていることにあらためて背筋が凍る。中には逮捕されたものの証拠不十分で無罪になったケースや一度無期懲役で服役しながら後に釈放され、また殺人を起こして死刑に至ったケースもある。
読み終えての正直な感想はむなしさ、やるせなさ。それぞれの犯人には、犯人なりの「殺す理由=動機」があったわけだが、それにしても被害者になった人たちと親族、友人たちの悲嘆ははかりしれない。いま、死刑制度に対して激しい議論が展開されているが、服役中に反省するのではなく、復讐への怨嗟ばかりをつのらせる殺人犯が多いことを考えると、“死刑やむなし”という思いもつのる。同時に、ここに再現されている13の殺人事件は、いずれも防犯や自己防衛といった程度で防ぎきれないという事実も横たわっている。 殺人者はそこにいるのではなく、だれの中にもある「狂気」といいかえてもいい。人間の「業」について深く考えさせられる1冊。平和ボケした日本の社会への厳しすぎる警鐘と受け止めたい。 (浦野孝嗣/2002-03-04) 初めて表紙を開いてから 徹夜で一気に読んでしまった。この手の犯罪ルポタージュは他にもいくつか読んでいたが ここまでの衝撃のものは初めてだった。我々一般市民は犯罪の情報をマスコミを通したものでしか享受できない。その一方的な情報提供は受け取り側の判断を鈍らせ、ある共通認識を作ってしまうこともある。まさに犯罪は悪=犯人は悪。犯罪行為そのものに目を奪われ その裏に潜む 犯人や被害者をとりまく環境。 もちろん犯罪は悪だが 何が犯人をそうさせたか。 これを綿密に追った本書はマスコミが流した情報とは違った側面を見せてくれた。
(火屋/2006-04-06)
日頃、湯水のようにニュースの中でに流れては消えていく殺人事件。そこで実際に何が行われたのか、ということを知るのは、死刑制度や少年法の改正などを考える上で重要なことだと思います。頭に『猟奇』や『凶悪』の二文字がついたところで一年も経てば大抵は忘れられてしまう事件を取材して改めて掘り起こしてくれたことはとても評価できるでしょう。
が、できればライターの方には事実のみを淡々と書いて欲しかった。変に情緒的な描写が多すぎるせいで、ワイドショー的な胡散臭さが先に立ってしまう気がします。特に自殺テープの回は酷すぎる。怪談話じゃ無いんですから、不気味な音がどうのこうのなどという煽りは必要ないでしょう。 (くま/2002-04-21) 「事実は小説よりも奇為り」一読したならまず誰もがその言葉を思い浮かべるだろうと思う。事実のもつ重みと怖さがひしひしと伝わってきた。しかし犯人の心の底までは分からなかった。なるほど新聞記事では到底知ることの無かった事件の詳細、あるいは背景をある程度このノンフィクションは伝えてはいるけれど、結局のところ犯人はどんな人間なのか、何故殺したのか、到底その闇の心までは分からないということだ。あたりまえだと思う。公判事実等分かっている事実だけをもとに書けばそうなってしまうだろう。宮部みゆきの「模倣犯」がどうしてあんな大長編になったか、細部を書けば書くほど書き足りないものがでてきたからではないだろうか。小説でしか書けない事もあるのである。
この13事件、ショッキングな事件ばかりであるが、いちばん怖いのは葛飾無理心中事件の「自殺実況テープ」だろう。これは怖い。自殺直前のあの「ため息」「謎の轟音」を生で聞いたら、私も精神に変調をきたすかもしれない。 (/) 殺人犯、この本ではとりわけ凶悪殺人を犯した人物が取り上げられています。その内容については、本人や被害者の家族、生い立ち、犯行に至るまでの経緯など、実に「抉る」といった表現がふさわしい程、詳らかにされています。しかも、憶測を交えながら。
私は興味本位でこの本を手にしました。しかし読後、後悔にも近い、何ともすっきりしない気分になったのが正直なところです。 というのも、私の古くからの知人の親が、かつて凶悪犯罪と言われた犯罪を犯しました。当時、知人も私も学生で、同じ学校に通う仲の良い有人だった関係上、お互いの人柄をよく知る間柄でした。家庭不和の良い意味での反面教師のせいでしょうか、知人はとても人情に厚く、優しい心の持ち主でした。 多くの犯罪者の家族がそうであるように、その知人も昼夜問わずマスコミに追い掛け回され、どこで聞いたのかその知人の人柄にまで触れる記事を掲載するほどまでの事態になりました。 その記事の中の知人は、到底私が知っている知人の姿とは遠くかけ離れた、実に醜悪な人物として書かれていました。 殺人を犯した本人の人権は、当然制限されるものであると私は考えます。その家族にも、家族でありながら犯罪を抑止できなかったという落ち度は少なからずあるとは思います。しかし、犯罪者本人と同様に家族までそうされるべきなのでしょうか。 その答えを私が知るのは、まだまだ先になりそうです。ただ、今言えるのは、軽い覗き気分で人を不幸にすることは自分にはできない、ということです。当然、人にはいろいろな物の見方があるはずですから、「軽い興味」とは違う動機でこの手の本を読まれる方もいらっしゃるでしょう。しかし、もしあなたが「軽い興味」でこの本を読まれるならば、興味がある人の人生を破壊することがある、ということを頭の片隅にでも置きながらお読み頂きたい、と切に望みます。 (/) 一体誰がどの立場から書いているのかの説明もなく
突然一つ目の事件が始まる。 読者はどの視点に立って読めばいいのか… 読んでいるうちに記者が綴っているらしい事はわかるが、 事件関係者、遺族、筆者以外の記者の話しと 筆者本人の考察が 混在して出てくるので、戸惑う部分も少なくない。 また、事実と推測も入り混じっている為 心して読まなければ、筆者側の指向に傾倒させられて しまうだろう。 ワイドショーレベルで事件を知りたい人なら、これで十分 だろうが、あまりオススメしない。 (sugioka22/2003-02-06)
こ・わ・い ||
「自殺実況テープ」…これは怖い。なんとか最後まで読んだけど 第四部へはすぐに進めなかった。年間自殺者3万人以上の日本。皆、どんな思いで死んでいくんでしょうか。あの謎の轟音は…
(みう/2008-12-22)
週刊誌やテレビで取り上げられた事件の中で、なんとなく記憶に
残っている事件が、いまだに未解決のままであることに驚きを 隠せない。この本は、悲惨な事件は何故起きてしまったのか、事件の 裏側を教えてくれるだけではなく、被害者家族の声にならない悲痛な 叫びが聞こえてくる気がした。 (佐藤さえ/2004-07-07) 事件が起きたとき、一斉に報道されても、他の事件がおきたり大きな進展がないと、だんだん報道されなくなります。
「その後どうなったんだろう。」 と思っていた事件について書かれていたので購入しました。 週刊誌や、新聞の興奮した報道とちがい、時間がたっているので冷静な文章で書かれています。 「我々の気持ちは理解できんでしょうね。」 という遺族の言葉が強く印象に残りました。 (齊藤祐作/2004-07-14) 殺人、それは何故起こるべくして起こったのか。その理由は様々で、何が原因かは直接には解らないことも多い。しかしこの本は、殺人事件をその周辺から照らし合わせて、一体どんな状況であの殺人事件が起こったのかを克明に記録している。
勿論、その状況は残酷過ぎてここでは描写できないものも多いが、この本は無名の人が突如殺人者に化してしまう恐怖を上手く伝えている。もし隣人が殺人者に化してしまうと、どうなってしまうのか。この本はそれを考えさせられる内容だと思う。 余談になるが、私の場合は他に「新潮45」編集部編の「死ぬための生き方」「生きるための死に方」を持っていることである。この2冊は見事な死に方を考えさせる内容であるが、一方この「殺人者はそこにいる」は、残酷な死に方を考えさせる内容である。見事な死に方と残酷な死に方、それはどう違うのか。それを考えながら読んでみる価値もあると思う。 (/) 「新潮45」編集部から3シリーズが出てますが、すべて読みました。各記者さんが冷静に、わかりやすく、読者に語るかたちと思えて好感。残酷な事件の数々ですが、ある意味、当事者・関係者の立場が臨場感たっぷりに味わえる一冊です。
犯罪ものは有名記者さんが書いたものが目立ちがちですが、こういった編集部でのものも大変読み応えがあるのだなと実感しました。全体的に人間のにおいがする、でも変な「クセ」はない、涙さえ出そうになるくだりもあって、読み物としても素晴らしいと思います。 (みぼ/2006-02-10) 実際にあった事件を緻密に検証や取材をされた一冊。事件の背景や人物像を詳細に調べられており真に迫っていて読むのも咎められるような残忍な事件もあって残虐に衝撃を受けるばかりである。
(前略、amazon様/2007-12-14)
新聞のベタ記事で終わる殺人事件にも、そこに至る過程でのさまざまなドラマがあるはず。
全13件のレビューを表示しています。加害者だって、それなりの動機があるはずだろう。 被害者だって、生きていれば語りたいことはあったはずだろう。 ああ、そういう人間の生々しい声が聞きたい。新聞じゃ見えてこない。声が……。 そういう意味で、週刊誌が好きだ。とりわけ、複雑怪奇な動機や背景がある殺人事件のルポが好きだ。 自分の琴線にふれる事件を見出しに見つけると、ワクワクしてして、思わず、買ってしまう。 そんな私にとって、この本は、週刊誌のうまみを凝縮したような充実の1冊。 いわゆる週刊誌的な書き方も上の上ですね。 さすが『フォーカス』や『週刊新潮』を出している出版社だけあって、アンカーの筆が冴えてます㡊?? 一方的だの、視点がわかりにくいだの、いろんな意見があるでしょうが、 その事件の持っている、人を惹きつけるなにかを、一点集中して力技でまとめる手法は、 こういうタイプのノンフィクションにはピッタリかと。 風化しそうな事件を、どうにか解きほぐせないかと、新事実を丁寧に掘り起こそうとした取材にも好感が持てました。 (けろろん/2003-09-03) [amazonでレビューを見る][amazonでレビューを書く] 平均点:4.5 はてブコレクション数:この商品をリストに入れている人:
本系3 実録物 やめられないとまらない 「殺人」を含む書籍 1 犯罪ノンフィクション、アングラ歴史もの これから読みたい本 とりあえず買っとけ! その時興味がある事はすぐ調べる くらいむりすと。 |
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自閉症裁判―レッサーパンダ帽男の「罪と罰」
ASIN:4896918983洋泉社(2005-03) 佐藤 幹夫 売上順位:180130 ¥ 2,310(中古:¥ 405) これを買った人はこれも買ったよ![一覧で見る] |
ふたりの女性へのレクイエム |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
異常者による通り魔事件という印象しかなかったが,冒頭から驚かされた。男は高等養護学校を出た障害者であったが,ほとんどの新聞はこれを黙殺して中卒とした。障害者の人権を謳うマスメディアとしては,凶悪犯が養護学校卒では犯罪報道しにくかったのである。本書はマスメディアがタブー視した障害を真正面から捉え,自閉症裁判のリーディングケースとなった裁判過程を丹念に追う。前半,男の障害を巡って精神遅滞か自閉症かを争う二人の医師の攻防は,それぞれの知識と経験を総動員して双方に説得力があり実にスリリングだ。鑑定医と治療者という立場の違いもあろうが,ふたりとも立場を越えて真摯に真実に迫ろうとしている。翻って裁判長とのやり取りからは,裁判所はつまるところ責任能力にしか関心はなく,落としどころを捕まえてほっとしている様がありありと浮かぶ。自閉症という診断名に全てを託して「減刑を,情状酌量を」と訴えるのが著者の狙いなら,ひとりの支持も得られないだろう。本書が投げかけているのは,「人としての罪と罰を求めればこそ,障害への理解が不可欠となるのであり,それなくして責任も贖罪も十全足るものとはならないのではないか。ほんとうの意味での再犯の防止とはならないのではないか」という問いである。自閉症に関して凡百の医師以上の研鑚を積み,3年に渡って努力の限りを尽くした弁護が判決に影響を与えられず,弁護士をして「自閉症にこだわりすぎた。もっと事実関係で争うべきだった」と述懐させるくだりはあまりにも哀しい。事実の大枠は争いようのないものであるから,弁護方針は正しく意義のあるものであった。判決にも新聞にも黙殺された裁判過程を丹念に追い,双方の当事者への困難な取材を重ねて,障害の理解による真の贖罪と再犯防止を世に問うた本著作の意義は大きい。被害者O.M.さんへの,男に無心され続けて他界した妹への鎮魂の書でもある。
(林幸司/2005-03-05)
養護学校の事務員をしていた知人に聞いた話です。
病気で長期入院をしている子供は養護学校に転校扱いになるのだけど、卒業を前にすると「養護学校卒業」となるのを嫌って、書類上は元の学校に学籍を戻すそうです。 障害問題について理想と(心の中にモヤモヤある)現実のわだかまりがこの本の中にあらわれています。 こーいう現実は一つずつ掘り返して光を当てていくべきですね。 と、加害者に寄り添う視点なのだけど、いきなり家族の命を絶たれた家族の心情にも配慮されています。 が、一番鮮烈なのは加害者の妹の生き様です。 家族の犠牲になっている不幸な境遇も、晩年の生きること楽しむことへの貪欲さも、どちらも印象的です。 読みやすい本ではないと思いますが、多くの人に読んでほしいですね。 (ずみとし/2005-08-31) 当時は国民的な話題となり世の中を騒がした,レッサーパンダ帽男の女子大生刺殺事件.
犯人は自閉症と言う病気を持っていた. 本書はその事件を始まりから裁判終了まで追いかけた内容. 事件を全体的に追いかけているため,報道で得られる情報とはずいぶん違った内容. 本事件については多くの報道がなされたと思うが,報道と事実はずいぶんと違うということに気づかされる. また,この本では障害者だから罪が許されるという論点では描かれていない. 障害者の犯罪についてはその障害の特徴を知った上での適切な配慮が必要だということが一貫して描かれている. これがなければ公平な裁きはありえず,世論に流された私刑になってしまう. そのような作者のメッセージを一貫して感じた. この問題は根が深いが,だからこそいろいろな立場の人に読んでほしい. 最後のほうの章が多少隔たりが見られたため☆は1つマイナスの4つ. (hisa-taro/2005-12-14)
考えさせられる |||||||||
本当は★★★★★。押し間違いで不本意な表示になってしまった。
レッサーパンダ帽を被った男が白昼の路上で女性を刺殺した事件といえば、犯人の異様な服装のせいで大半の人の記憶に残っていると思う。 そんなことから、『レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』というサブタイトルに惹かれて半ば興味本位で読み始めた。遺族の気持ちを考えると面白いと言っては不謹慎だが、重い内容だが素人でも理解できるよう要領よく書いているので読みやすい。 登場する人物が上手に描かれているので小説を読んでいるような錯覚を覚えることもあった。 特に犯人の妹のくだりには泣かされる。 逮捕された容疑者は目撃証言から犯人に間違いなく人を殺めたという事実は歴然としているのだが、「彼はどのような罪に問われるべきか」「彼にはどのような罰が与えられるべきか」。浅学の自分には判断できないが考えさせられる良書だと思う。 (kise/2007-07-20) 2001年4月,浅草で女子大生が刺殺された.その10日後に逮捕された男は,事件当時にレッサーパンダ帽をかぶっており,その異様さから,事件発生当初マスコミに大きく取り上げられた.
著者の佐藤氏は,養護学校教諭の経歴を持つフリージャーナリストで,精神面・知的面でのハンディキャップに関係する書籍等を多く著している. 本書では,自閉症について理解し,正しい理解に基づく警察の取調べ,裁判の進め方,さらには法と制度の整備などについて問いかけている.だが,自閉症だからといって「刑を軽くせよ」などということでは決してない. また,著者は被害者の家族,加害者の家族に寄り添う気持ちも強く持っている.それは単に「どちらの味方か」という問題でもない. 少年犯罪を含めて,大小様々な事件が日々起こっている.そのうちの何割かは,自閉症などの精神的なハンディキャップを持つ人やその境界にある人によるものではないかと思う.ハンディキャップがあるからといって犯した罪が許されるわけではない.また,裁判制度が変わったからといって犯罪が劇的に減るというものでもないだろう.しかし,精神的・知的な面でのハンディキャップを持つ人々への社会的な理解と,そういった人々をフォローする制度の充実が必要だと考える. 本書には,今後の日本社会に必要なことが多く記されている. (琥珀/2006-07-18)
本物のジャーナリスト ||||||||
著者は、被害者・加害者双方の家族や関係者に対し、4年という歳月を費やして、あくまでも真摯に、そして粘り強く取材を続けた。
この本は、その「誠意の記録」である。本来、あるべきジャーナリストの姿を見たようで、まさに心洗われる想いがした。 悲惨でセンセーショナルな事件を扱った内容から、軽い好奇心で手に取る読者も多いだろうが、決して軽く読み流せる類の本ではない。再犯防止の為の、司法・医療・福祉とは・・・・? 誰もが、改めて考えさせられることだろう。 経験に裏付けされた専門知識も、とても勉強になった。 (Luna/2007-09-25) 本書で取り上げられている「浅草女子短大生(レッサーパンダ帽)殺人事件」は当時大きな話題になったので、当然自分もマスコミを通じて知っていました。このような事件が起きると弁護側は「責任能力」の有無を持ち出すのが常であり、またかという感じで、それ以上深く考えることはありませんでした。
本書は、受身の姿勢では見えてこないこの事件の本質を解き明かすことで、社会に埋もれるさまざまな障害者問題を浮かび上がらせています。 著者は加害者側に立つという難しい立場にありながら、遺族感情との矛盾からも背を向けず、罪をどうにかして償って欲しいという気持ちから「責任能力」を問いただしました。 なぜ著者が遺族感情との矛盾に苦しみながらもこの裁判を闘ったのかということを、本書を読んで理解して欲しいと思います。 また、加害者の家族についても詳しく書かれていますが、この恵まれた国でこんな不幸が存在するのかというほどのもので、大きなショックを受けました。 そして、罪のない一人の女性が殺されたこの事件のおかげで、希望の欠片もなかった加害者の妹が幸せな最期を送ることができたのはなんとも皮肉であります。 著者の気持ちがこもったおもい本です。 (N.K/2007-03-05) 「障害者が加害者だから無罪にしろ」という主張なのではない。
高機能自閉症(アスペルガー症候群)や自閉症の者が犯罪を起こす率が健常者(そんな線引きが可能だとして)に比べて多いとか少ないとかいうことでもない。障害者=同情すべき人々という短絡的な括られ方を恐れてか、はたまた責任追求が可能かということ以外触れる必要がないからなのか、犯罪報道でこのことが伏せられ、そもそもどんな障害なのかという認識も含め、一般社会に暮らす人々にはほとんどその姿が伝わらないことが問題なのだ。新聞やニュース段階の報道ではほとんど表に出てこないし、書籍の形では一部の人にしか届かない(それはこの本も同様だが)。 作者は加害者のレッサーパンダ帽男を庇おうとしているのではない。それどころか、被害者の両親とも話し、どんな立場に立てばいいのかという板挟み状態の中で、誠実な態度を取ろうとしてきた。加害者の家庭状況も同様に、犯行の理由にできるわけではない。こんな犯罪がもう二度と起きないために、裁判は根源の問題をきちんと見つめるべきではなかったかという主張なのだ。本当なら、どこかでこの犯罪の元の根を断つことができたかもしれない(それくらい加害者のことを思っている者が皆無だったわけでもないのに)、その可能性を探りたいという願いなのだ。 さらに、この事件がきっかけとなって加害者の妹(若くして重病に苦しめられていた)に向けられた救いを描いた最後の部分は、この本がなかったなら知り得なかった真実であった。被害者の女性の生涯だけでなく、この妹の人生もまた、この事件に大きく左右されることになった。皮肉にも、それまで男が犠牲にしてきた彼女の幸せを他人の手で与え、最後の瞬間になって初めて充実した生を生きることを可能にするという形によって。 (maddoggie/2005-03-06) 2001年4月に発生した浅草女子短大生殺人事件は、3年の審理を経て、東京地裁は被告に無期懲役の判決を下す。当時、被告はその目撃証言から「レッサーパンダ帽の男」として報道を賑わせたが、しかし、マスコミが報じなかった事実がある。それは被告が高等養護学校出身で知的障害を持つということ、なかんずく、自閉症の疑いがあるということだった――弁護側は被告の親族を探す。被告の妹は父親と同居していたが、驚くべきことに、彼女は末期ガンに侵されており、その高額の医療費は、彼女自身が働いて賄っていたのだった――。
今年を代表するノンフィクション。「自閉症」の一般的な誤解と無理解、知的障害者をめぐる司法手続きの問題、犯罪被害者と加害者、現代の福祉社会の陥穽――と、どれひとつとってもひとつの作品に仕立て上げうるに十分なテーマが、しかし複雑に絡み合い不可分一体のものとなっている。読者は異常犯罪と思われていたこの事件の、思わぬ問題の重層性に絶句することになるだろう。 私個人は、若くして他界した被告の妹の存在が特に印象に残る。彼女(そして父親にも)「福祉」の手は届かなかった。彼女はボランティアスタッフなどの援助を得て、充実した余生を送ることになるが、自分の幸せは被害者の犠牲の上に立っている、と彼女は気づいていたに違いないとの作者の述懐を目にすれば、彼女たちの魂が安らぎを得るためには、被告がいかに自らの罪と罰を引き受けるかが肝要になることは、容易の了解できる――が、このことに多大な困難が伴うであろうことも……。 著者は立場的には被告側に沿って事件を追わざるを得ないが、被害者家族の無念さをも引き受け、いわば自らを宙吊りにしている。この所作には単なるモラリスティックというにとどまらない切実さがある。 (フェイク・ザ・コバトン/2005-08-03) 知的障害者でパチンコ狂いの父親。自閉症の兄。母親死亡後、癌に冒されながらも、
死の床まで一人で一家を支え続けた妹。そして弟。 レッサーパンダ事件を通してあらわになった悲惨な家庭状況。 理解されない自閉症という病い。 あまりに悲しく、あまりに救いのない現実に、不謹慎ながらも 同情の念を禁じ得ません。 この本はある意味において『ほたるの墓』かもしれません。 ページを再び開く気は、しばらく起きそうにありません… (白い妖精/2007-09-22) 筆者の努力を無駄とは言いません。また、この種の努力が必要なのは論を待ちません。しかしこの本の持つ力は、いみじくも判決が示すとおり、残念ながら自閉症という疾病を一度も見たことの無い人には通じないと思います。「ではどうすればいいのか」という処方箋を僕が持ち合わせているわけではありませんが、結局のところ、福祉システムの中の人間が、日常抱えている不全感を、その中で開陳しているに過ぎないものになっています。つまり、この本の一番の問題点は、自閉症の人に1回でも接したことがある人は読まなくても筋は分かるし、そうでない人には、決して理解してもらえないものになっているところにあります。
また、著者は、障碍者福祉への無理解を告発しているのですが、健常者(と自分で信じている人々)が障碍者から隔離されている現状から見れば、主題である自閉症(に限らず、全ての障碍)について理解してもらうことは残念ながら不可能であることも、読後に残った虚無感で示すことには(それが著者の目的ではないと思いますが)不幸にも成功しています。 かく言う消化不良を抱えながらも星5つなのは、それでも一人でも多くの人にこれを読んでいただき、自閉症というありふれた障碍について自分の問題として考えてもらいたいと思ったからです。現実の持つ力には及びませんが、それでも当事者に深く関わった人の問題提起として、どれだけの力を持つか、一人一人が評価する価値はある本だと思います。 (Goodfox/2005-06-15) レッサーパンダ帽の通り魔事件は、異常者の犯罪として世間的には、認知されているが、実際はまったく違うことがこの本を読むと良くわかる。
罪は罪、罰せられるべきだが、ただ罰するだけでは、意味を成さないこともある。 この裁判の様子を通して、その実態が、警察の取調べや、マスコミの対応など、さまざまな問題提起と共に、被害者と加害者、双方の側から良く描かれている。 (メ力ガワ/2006-03-12) 被害者も加害者も両方の家族も、全てがつらく悲しい。
警察官や裁判官に「発達障害」が、理解してもらえないのも辛い。 社会にこれほどまで、理解されていないかと思うとやりきれない。 報道では決してわからない、裁判の内容が克明に記されていて、 日本の司法や警察・検察の問題点がよくわかった。 著者の悲痛な思いが伝わってくる本。 たくさんの方に読んでいただきたい。 (スマイルよし子/2006-06-28) もはや障害者は施設に押し込められている時代ではなく、巷に存在しているのは現実です。私たちがいかに直面化するかは差し迫った課題となっているのです。必要なのはまず理解することです。
本書ではいずれかの立場に偏ることなく、真摯な態度で事件の現実に迫っていると思います。一方で司法は現実への直面を回避して事件の処理を行いました。残念でなりません。 私は普段から発達障害の人々には仕事として接しているのですが、本書からどんな人がどんなわけで事件を起こしたのかを想起することが出来ました。あなたも本書を通して是非事件の真実に触れていただきたいと思います。 (youh/2006-05-28) ~街角を通り掛かったら、突如、理由らしい理由もなく刺殺された・・・
16件のレビューうち参考になった順で15件までを表示しています。被害者が『あなた』もしくは『家族』ならどう思うか? 加害者が『障害者』もしくは『未成年』なら司法に対し何を望むのか? 現在の世界的な福祉の流れは、『障害者も地域での生活を』ということを強く謳っており、日本もその一つである(西洋と比べ、その根本的な思想は違うが) 一~~方で、精神障害者や知的障害者が触法行為に関係したとされた時、『何故そんな危険な人間を隔離しておかなかったのだ』という言説は絶えない 社会(人)は自分の立ち位置によって基準を使い分ける 『障害者が地域で暮らす? 良いんじゃないの、私の生活圏内でなければ・・・』 これが本音ではないだろうか ではあなたの子供・兄弟に、もし知的障害が認~~められたならどう感じるだろう 周囲の住民は表向きはどうあれ、本音は何があるか分からないから『ウチの子に関わって欲しくない』と思っている それを感じ取ったあなたは、自分の家族を山奥に隔離できるだろうか こうのような社会矛盾が、目に見える形になった事件が本件といえるだろう 障害者を切り捨てることは、『人間の選別』を意味し、とても『フ~~ァシズム』的である しかし、社会とは秩序の上になり立つものであり、その秩序を守れない者を参画させることは混乱を招く 理想は『秩序を守れない者を社会参加させる仕組みを確立する』ことであろう 『モデルケースになるべき裁判だったのに・・・』 弁護士の最後の無念がむなしく響くが、果たして、今の社会において多数の賛同を得られる意見と言える~~か・・・一読を勧める~ (beach/2005-05-20) [16件以降をamazonで見る][amazonでレビューを書く] 平均点:4.5 はてブコレクション数: |
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でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相
ASIN:4103036710新潮社(2007-01-17) 福田 ますみ 売上順位:74919 ¥ 1,470(中古:¥ 225) これを買った人はこれも買ったよ![一覧で見る] |
新聞・雑誌の決定的な嘘 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マスコミは社会悪を暴き、追及する公器として絶対に重要だが、速報性(=他社との競争)に目がくらんでとんでもないミスも多い。
この本で実名で登場する週刊文春の「だまされ記者」はかなり有名な人のようで、最近もJR関連のスクープを飛ばして注目されているようだ。報道被害者への謝罪はあったのだろうか。そうは書いてない。 医師でも経営者でも、社会に迷惑をかける決定的な間違いはキャリアの終わりを意味する。マスコミの敗者復活ぶりには驚くばかりだ。異常な親・事なかれの学校に騙され、無実の教師を「殺人教師」とまで名指しして他人の人生をいじったプロフェッショナルが補償もなく野放しとは、どういうことなのだろう。 リスクをとらなければスクープはできない、ということもあろうが、他人の人生に多大な影響を与える以上、記者もプロであるべきだ。失敗に対しては謝罪があり、責任があるべきだ。この本のような破廉恥誤報記者の実名公開は、マスコミの内部告発・自浄作用として、今後増えていって欲しい。 (たるまつ/2007-01-31) 本書に描かれているのと寸分違わず同じ状況を僕も経験しました。どう考えても取るに足らない行き違い(とさえ言えるのかどうか。その生徒が二日続けて欠席した日の夕方、具合はどうかと連絡を入れると、前日に欠席の電話を受けた際、僕が「きょう配るプリントなどは後日となりの席の生徒に渡させますから」と言ったことを、「先生は昨日、プリントは今日中にとなりの席の生徒に渡させに行きますからと言いました。娘は夜中まで待っていて、今はショックで寝込んでいます」と突然猛烈な抗議が始まり、いくら「高校はいろいろな所から生徒が通ってきているので、たまたまとなりになった生徒にわざわざ持って行かせることはありませんし、お嬢さん自身いままでとなりの生徒が休んだ時にはそうしていて知っているはずです。しかし、もし言い間違えたのなら謝罪します」と言っても聞き入れてくれず、翌日には学校にやってきました)をきっかけにそれは始まりました。しかし、本書を読みながら僕が背筋に冷たいものを感じたのは、本書と僕の体験との細部に到るまでの一致にあります。それは大筋にとどまらず、例えば「室見」といった地名にまで及びます。あえて異なるところをひとつ挙げると、その生徒及び保護者がその前年、本校で同様の騒ぎを起こしており、その経緯や顛末を近くで見ていた僕が担任になった当初から十分に認識していたことです。しかし、そんなふうに心構えができていたにもかかわらずやはりそのようなことに巻き込まれていったことが、こういうケースの難しいところだとも思いますが。ただ唯一幸いだったのは、四月初めより緻密な記録を残していたことと、周囲の理解があったことですが、これはたいへん稀なことだと思います。もちろんこのような言説は本書も含めて教師の側からの一方的な言い分だということもわかりますが、現在の教師がこのようなギリギリの局面に立たされることが日常茶飯事であることも理解していただきたいように思います。
(yoshioki6/2007-04-23) 朝日新聞に、福岡で教師が「お前の血は混血で汚れている」などの理由で、体罰を加えたり、差別をしたりしたため、子供が学校に行けなくなった…みたいな記事が出たのは憶えている。
後片付けを10秒間でしてしまわないと、アンパンマンという罰(鼻をつかんで血が出るまで振り回す)やミッキーマウス(両方の耳が切れるまで引っ張る)などをその生徒に選ばせて、毎日体罰を繰り返していたなど克明に詳しく先生のいじめの内容が書かれていたと思う。 そのいじめの原因が、母親の父がアメリカ人なので、アメリカ人との血が混じっている奴は穢れているとかいう理由だったという記事を見て、まず「本当か?」「本当にこんな教師がいるのか?」と思ったのは事実だ。 新聞が書いているのだから、間違いないのだろうが、だとするととんでもない先生だなぁ…と思ってしまった。 そのニュースは週刊文春とか他の全国紙、西日本新聞なども追随して、もうその先生が「殺人教師」とレッテルを貼られ、担任を辞めさせられ、6ヶ月の休職?も科せられ…となるのだが、もし本当にやっていたとしたら、当然の報いで、いやもっと重い刑罰を与えるべきなのだが、驚く事にこれは「冤罪」だったとの事。 すべてがその被害者とされる生徒の両親の思い込み・虚言による作り話だった…というルポタージュ。 もう読み始めて途中でやめることが出来ずに、一気に読んでしまいました。それくらいインパクトがあります。桶川ストーカー事件の「遺言」を読んだ時くらいの衝撃を受けました。 実際にこんな事が許されるのかというか、実際に起こっているのだが、学校長や教育委員会の「事なかれ主義」が招いたとも考えられるのだが、恐ろしいのはその両親。最近問題になっている「モンスターペアレント」の奔りの様な親だ。 そもそも母親の父がアメリカ人というのも、何度も言い方を変えたりごまかしたりするのだが、結果的に嘘である事が判明。裁判は、いじめられた子供には500人を超える弁護士がつき、先生には2人。その絶対に悪徳教師を糾弾してやるという弁護団、マスコミの目論見が「虚言」でぼろぼろ崩れていくシーンは、圧巻である。 (いんてきふこ/2007-08-09) メディアが正しいことを言っているわけではないことは、
今さら書くまでもないが、この事件の場合、ひとつだけでなくほとんどすべてのメディアが 袋だたきのように「暴力教師」をつくりあげていった。 実際は虚言癖のある親の妄想だったわけだが、 校長や教頭は教師の言い分より親の言い分を信じてしまう。 親に対して異様なまでに気をつかってしまう教育現場の弱腰さも浮き彫りにされる。 最近は子供のほうもずるくなり、ちょっとでも叱られると「教育委員会に言っちゃうよ」 などという悪ガキもいるらしい。 問題教師が増えているのも事実かもしれないが、それ以上に問題な親も増えているのだ。 私の知り合いは小学校の教師だったが、親のあまりの無自覚さと身勝手さに嫌気がさして 高校教諭に転勤した。 圧倒的な筆力で一気に読ませる傑作である。 (辰巳/2007-09-01) 福岡のある小学校教師が生徒を悪質にいじめたと報道され,それに対する処分を受け,果ては損害賠償請求の裁判を提起されたが,実はそれが虚言を弄する当該生徒の保護者とその虚言を見抜けない杜撰なマスコミ・医師・弁護士らが作り上げた「でっちあげ」だったと告発する本です。
世の中にはこんなこともあるんだということを理解しておくために,ぜひ読んでおきたい本だと思います。こんなことが自らの身に降りかかったらと思うとおそろしくなります。 真の事実関係はもちろん分かりませんが,この本を読む限りではこの教師が被害者であるという方が納得性が高いです。今,問題化し始めている暴走する保護者のはしりなのかもしれません。 それにしても,当該保護者の存在だけでは,この教師がこんな残酷な仕打ちを受けることはありませんでした。この本に登場するいい加減なマスコミ屋・医師・弁護士の存在がこのような被害を生んだ最大の元凶だと思います。社会的な力と権威に釣り合った能力を持っていない人々であると言わざるを得ません。 ただ救いがあるのは,このような反対の立場からの本がきちんと出版されていることです。世の中のバランスをとろうとする動きが少しでもあるというのは,喜ばしい限りです。 (たら/2007-07-30) 新聞報道でこの事件を知っていただけに、「真相」を知って驚きました。たしかに本書も筆者の一見解かもしれませんが、説得力があります。この教師の対応は、大人としてはどうかな?とは思いますが、『殺人教師』と言われるような人間とは到底思われません。
一方、被害者とされる男子児童の両親のほうは、小中学校に通う子を持つ親だったら、「あ、こういう親居る…」と思うはずです。ほんのちょっとしたことで激高して、学校や同級生の親に文句を言ってきて、直ぐに「謝罪を求める」んですね。ウチの子が入学した時に、「最近の先生って、ずいぶんと保護者や生徒に気を遣ってくれるんだな」と感じましたが、こうした話を見聞きしていくうちに、間もなく理由が分かったものです。程度の差はありますが、本書の事件は、けっして特殊なものではないと思います。恐い世の中ですね。 (アルピーノ/2007-03-18) この本の解説を見て、
レビュタイと同じ感想を持った方。ぜひ読んでみてください。 「子供=イノセント」「大人=ギルティ」って概念はドラマの中だけだと思ってたら ニュースみてると普通にそっちに傾いてますよね。 この色眼鏡のかかったいまの社会って想像以上に危険だと感じました。 子供という絶対の盾の陰に隠れ マスコミ、世論という強力な矛でチクチクひとりの人間をいたぶろうとする ギルティな人種の行動はもはや狂気です。吐き気がします。 そして教師をいたぶっておきながら、刺す相手を間違えたという可能性が出た途端、 真実などどうでもいいとばかりそのことを忘れ 次の獲物に目を向けていく矛の異常性にも。 後半がやや『真相』を決めてかかった作りになっているのは否めません。 しかしそれでも、絶対に読む価値がある一冊です。 ほんの少しでもいい。社会にかかった色眼鏡は薄まれば。 (ふにとめ16世/2007-07-14) この事件のことはよく覚えています。
テレビ朝日の夕方のニュース番組だったと思いますが、ジャーナリスト(笑)の大谷昭宏氏が感情的に教師を断罪していたからです。 その番組のVTR自体は、原告被告双方の主張を取り入れ、比較的バランスよく編集されていたと思います。 他の児童や保護者たちの証言も報道していましたので、原告側の主張に疑問を感じたのを覚えています。 しかし、VTRが終わるとコメンテーターの大谷昭宏氏は、一方的に被告を責めはじめました。 「もし事実なら許せない」そんなエクスキューズもなく、被告を犯罪者扱いです。 一応ジャーナリストの大谷氏もこの有様… 痴漢冤罪と構造は同じです。 弱者が被害者なら、容疑をかけられた段階で犯罪者とみなされ、社会的に抹殺されるのです。 この事件の真相がどうであれ、推定無罪の原則は貫かれるべきではないでしょうか。 (デス歌謡/2007-05-15) いま教育界で一番の問題は「モンスター」と呼ばれる保護者からのクレーム。
この本は,全国で起こっているだろうこの種のトラブルを客観的に分析している。 そしてこの教師は最後に「教師と保護者は対等でないんですよ」という言葉で結んでいる。 まさにそのとおりのことがあちこちで起こっており,たいへん参考になる。 (どんつく/2007-02-18) 思わず一気読みしてしまった。
平凡な一教師がとんでもない虚言癖のあるらしい保護者に出会ってしまったために起こる恐ろしいまでの悲劇。 クラスの教え子のことを「血が穢れている」と発言したとんでもない教師がいたというこのニュースには覚えがあった。そのときは許せない教師がいるのだと思っていた。 しかし、実際の結末は全く知らなかった。 どんどん冤罪に巻き込まれていく善良で気の弱い教師。 この人、ちょっと情けなすぎる。同情と共に歯がゆさもわいてくる。 頼りない校長と教育委員会。 マスコミにもみくちゃに傷つけられて居場所がなくなる家族。 本の最後で、誹謗中傷にあふれたインターネット掲示板に載った教え子の書き込みの紹介がぐっと胸にきて泣きそうになった。 マスコミの怖さは「松本サリン事件」でもよくわかるがこのような小さな事件でも大変なことになっているのだ。 (ののこの妹/2007-03-10) まるでカフカ『審判』そのもの。
マスコミによって「殺人教師」にでっちあげられた教師は まさにユーゼフKの心境だっただろう。 松本サリン事件の教訓は結局いかされてないってことなん でしょうか。。。 「弱者の立場にたつ正義」。多分こんなヒロイックな物語 に未だに多くの記者がとらわれてるんでしょうね。 なかでも本書に登場する西岡研介記者。 著者はこの事件の彼の取材姿勢を批判しています。 西岡氏がJR革マル問題に切り込んだスクープ『マングローブ』が 2008年の講談社ノンフィクション賞を受賞しました。 読みましたが、本当ならとても深刻な事態で、正直その執念と勇気 はすごいなと思いました。是非、読んでいただきたい一冊でもある。 しかし、本書で指摘されている取材姿勢が本当であれば、『マング ローブ』で書かれていることも、割り引いて考える必要はあるかも しれません。弱者とされているものが、実は強者になっていないか? 不正への正義感から物語への期待が先行していないか? 井上章一の桂離宮神話ではないですが、物語を期待する前に、ディ ティールをきちんとみつめ、価値や物事の重層性に思いをはせること がどれだけ重要なのか、本書でよくわかります。 まあ、もっとも本書に登場する「被害者の親」の言説はあまりに荒唐 無稽で、すぐに物語としても破綻してしまうのですが。。。 (もし、もっと巧妙に仕組まれていたらと思うとゾッとします)。 本書こそが良心的なジャーナリズムと言えるのだと思います。 っていうか、著者はあたりまえの裏取りをしているだけ。 証言者の言葉の表面ずらばかりみて、言葉が発せられる磁場に対する 感性が今の記者になくなってるからだとろうか。。。 (白頭/2008-10-19) 先生稼業の方には、下手なホラー小説よりもよっぽど怖い内容だと思います。
いわゆる「モンスターペアレンツ」に翻弄され、人生をめちゃくちゃにされた 先生の話です。著者はできるだけ客観的に、かつ感情的にならず淡々と 取材内容を書き連ねているので、その分、真実みが増している感じがします。 (ただ、読み終わった後に「そうは言うけれど、これが本当という保証はない」 と、マスコミ全般に対して疑心暗鬼になっていると思いますが) 私はもう少しマスコミというものは「ウラ」を取ってから記事を載せると 思いましたが、この本を読むと、そうでもないことがよく分かります。 大きな影響力をもつマスコミがちょっとしたさじ加減で一人の人生を めちゃくちゃにする・・・愕然とします。 また、部下を守るべきはずの校長、教頭が、あっさりと親に迎合して、 この担任の言い分を十分に聞かず、また味方にもなってくれない様を読んで、 これでは担任が安心して教育に専念できるわけがないと思いました。 圧倒的に親が強いという学校の現状は理解できますが、それにしても、 あまりにも管理職として情けなく、怒りすら感じました。 こんな状態では、将来、先生になる人がいなくなってしまうのでは? (starless/2007-10-15) マスコミが、妄想癖のある生徒の親の主張にころっとだまされてしまい、「正義のつもり」の積み重ねが、無実の教師への陰湿ないじめに転じていくさまは、まるでホラーのようです。誤報をやってしまった記者の名前が実名で出ているところもよいです。ただ、だからといって著者の姿勢は、それをもう一つの「正義のペン」で糾弾するというような暑苦しいものではなく、むしろ「幸運がなければ、私もまた、川上(今回の被害者)を体罰教師と決めつけた記事を書いていたかもしれない。その差は紙一重だ。」といった、冷静かつ淡々としたものです。
(えめふろ/2007-08-13)
今、話題になっているモンスターペアレンツによって、
一人の教師、学校、そして社会が壊されていく様子が綴られている。 『となりのクレーマー』という本が話題になっているが、 現代の日本は、アメリカ型訴訟社会に突入しようとしている。 どの職業でも、クレームをもらわない職業はないと思う。 とすれば、どの人でもこの本に書かれているような出来事に遭遇する可能性がある。 教育関係者はもちろん、クレームをもらったことのある、 あらゆる職業の方に読んでいただきたい。 (たけのこ/2007-08-06) この冤罪を、大きく取り上げた一人が、西岡研介とあるのを見て、目を疑った。 『噂の真相』で活躍し、『文春』に入り、最近では、『現代』連載のJR東日本のタブーたる労組問題を『マングローブ』として上梓した彼だ。
33件のレビューうち参考になった順で15件までを表示しています。これが『文春』時代の失敗としても、裁判中「原告(児童)側の優勢が揺らぎつつあった」際の筆者の取材に対しても、書いた記事に対する文責を負っていないかのような態度に、2度驚いた。 騒ぐだけ騒いだメディアで、(控訴審は言うまでもなく)裁判までを追い、訂正記事を書いたメディアはないだろう。 当時、被害にあったとされる児童の同級生らに、対する裏付け取材すらしていないのだから。 速報性を競わざるを得ないTV・新聞以外は、裏取りや再検証をして、深い背景も含めた記事も書けようものだが、1度ついてしまった流れに棹差す記事は、書く気もないようだ。 良心的なメディアも尻馬に乗った事を思えば、何を信じればよいのか、メディアの一般的な読者としては判断に迷う。 この事件は、本書によってほんの少しは取り返しがついてもいるが、メディアが書きっ放しで良い訳はなく、キチンと謝罪・訂正は行うべきであるし、メディアでも間違う蓋然性はあると膾炙すべきだ。 版元の著者紹介ページによると、控訴審では暴行に対する賠償金を確定させる為に、教師を被告からはずし、福岡市とのみPTSDがあったかどうかを争っているようだ。 (ぽるじはど/2008-05-25) [16件以降をamazonで見る][amazonでレビューを書く] 平均点:4.0 はてブコレクション数: |
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殺戮者は二度わらう―放たれし業、跳梁跋扈の9事件 (新潮文庫)
ASIN:4101239169新潮社(2004-05) 編集:「新潮45」編集部 売上順位:67913 ¥ 500(中古:¥ 150) これを買った人はこれも買ったよ![一覧で見る] |
レビュー総評点:101
「報われない」 ||||||||||
この本読んで一番に思った事です。読むのが辛くなって途中で何度も止めた事件もあった。被害者が殺されるまでの過程から、事件後の遺族が受ける理不尽な状態を読んでいると、本当に「報われない」としか言いようがない。一度事件に巻き込まれると、もう地獄しかないと思った。
(まこと/2006-05-22)
すべて読み終わった後に、何故かどうしようもない脱力感のようなものを覚えました。これは、架空の小説でも何でもなく、現実にこの日本で起こった事件なのだと思うと、やるせない気持ちになります。
個人的に「反省し「シャバ」に戻った少年少女のそれから―名古屋「アベック」殺人事件)」が一番気になり、こちらを購入したのですが、現実として・・・加害者から反省の色は何一つ伺えない。 やはり少年法という壁は厚く、本当の意味での更正というのは困難なのだと思うと、「これが現実なのか・・・」と溜息が出ました。 (エンジェル/2006-06-21) つい1.2年前くらいにテレビを騒がしていたいくつかの事件。
その詳しい全貌が書かれています。 テレビに取り上げられなくなり忘れかけていた事件。 こんなに恐ろしい事が実際に起こっていたのかと、哀しくなりました。 (contradiction/2007-05-27) テレビで数分、新聞でも数行で処理される日々の事件の数々。
その事件を追った、実名ドキュメンタリーの良書。 犯罪大国日本になりつつある現在においては必読。 事件の背後には、それに至る刻々が必ず存在している。 その至極当たり前の事実を明示し、実感させてくれる本。 勿論、編集者の主観や、事件関係者の証言に基づかざるを得ない部分もあるため、 全てが客観的事実のみに基づいているわけではないのは当然としても (そもそも、そんなことは事件当事者しか知る由もないが)、 事件の概要、その経緯を知るには十二分であった。 特に、最終話の「名古屋アベック殺人事件」について以下記す。 残酷性を緩和された情報しか受け取っていなかったせいか、 読みながら何度も手を止めさせられ、その常軌を逸する犯行にゾッとさせられた。 事件の経緯自体は凄惨に凄惨を極めているが、 その後の加害者側の対応や、被害者遺族の生活状況の変化には 遣る瀬無いというか、本当に何とも云えない感情に苛まれた。 確かに、非道な加害者達にも幸せになる権利はあるはず。 だが、フツーの犯罪とは到底比較にならない罪を犯しておきながら、 事件を振り返ることを「後ろ向きに生きることだ」とか 「忙しいので墓参りにすら行けない」と言う者を 更生済みとして野放しにしてしまったこの国が恐ろしい。 彼らの中で既に出所している者と明日すれ違っているのかもしれない。 (marutsubo/2004-05-30) いくつかのここ2,3年にあった事件の背景が丹念に取材されています。特に男女のドロドロした物語は、へたな小説を読むよりもひっくりさせられます。
(/)
シリーズ4冊目。前3冊に比べて圧倒的に読後感が悪い。殺人行為の背景を切り裂いていくルポ形式も、最初の方の巻は鮮やかさが目に付いたがこの4冊目はただただやるせない胸の悪くなる思いのみが残る。「警官立ち去り事件」など特に、無念さと醜悪さがないまぜになって読んだあと大変気味が悪い。編集部とルポライター陣が、取材し続けているうちに自家中毒を起こしてしまったような一冊。
(ベンタ/2006-05-31)
人の命をいたずらに奪っておいて墓参りに行く時間もないだと?
全7件のレビューを表示しています。加害者達の人生が短いものであること望む。 頼むから、とっとと悶死してくれ。 お前等の最期が最高に無残である事を願う。 (コールタール/2009-02-19) [amazonでレビューを見る][amazonでレビューを書く] 平均点:4.5 はてブコレクション数:この商品をリストに入れている人:
本系3 実録物 人の真心を信じたい〜感動の仕事と人生を取り戻すために読む本 不起訴・無罪になる犯罪者・再犯者 犯罪ノンフィクション、アングラ歴史もの 殺人について 刑事ミステリ 資料編 |
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