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心にナイフをしのばせて
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ASIN:4163683607
文藝春秋(2006-08)
奥野 修司
売上順位:54605
¥ 1,650(中古:¥ 1)

レビュー総評点:589総評点300以上の注目商品
更生とは何なのだろう ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
少年犯罪史の中でも有名なこの「同級生首切り殺人事件」は、酒鬼薔薇事件が起きたときにマスコミなどにも取り上げられて、
加害者の少年が今では弁護士となり、地元の名士として暮らしていることも伝えられました。
それを知ったときには、「もしかしたら、人の役に立つ職業に就くことで過去の償いをしているのだろうか」とうっすら期待をしたものですが
そんな自分の甘さをこの本を読んで痛感しました。現実はあまりにも残酷でした。

この本は、事件後の被害者の家族、特に妹さんの視点に立ち、
被害者家族がどれほど苦しみ、破壊されていったかを生々しく綴っています。
ショックから立ち直ることができず、娘をどんどん追い詰めてしまう母親
そんな親に反抗しながら、自分も呪縛から抜け出ることができない妹さん
読んでいて少し苛立ちすら感じたのですが、でも、もし自分の身に同じことが起きれば、やはり同じように心が壊れただろうと思いました。
苛立つほどに生々しい話だからこそ、リアルに感じ、共感することができました。
ここまで語ってくださったご家族の方にお礼を申し上げたいです。

一方の加害者は、国費で教育を受けて成功者となったが
被害者への謝罪の言葉は一度とてなく、賠償金もわずかな金額をを払ったのみでストップ、
それどころか困窮する被害者家族に金を貸し付けて恩を着せようとする。
それでも法的には何の問題もないし、多分この加害者は(法的に見れば)立派に「更生」した例なのでしょう。
なんだかやり切れない気持ちになりますが、では、加害者が自責の念で廃人にでもなっていれば満足かと問われれば、そういうわけでもない。
いったい更生とは何なのだろう、どうあったら一番良いのだろうと、いろいろ考えさせられました。
なお、著者は被害者家族の側に寄り添って書いていますので、当事者に対して公平な見方をしていないと感じる読者の方もいらっしゃるかもしれません。
私は、そういう立場で書かれた本だからこそ価値を感じて★5つ付けましたが、客観的なノンフィクションを好まれる方はその辺を割り引いてください。 (留吉/2006-09-15)
事実の重みと表現方法について ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
何の落ち度もない男の子が、同じ年ごろの少年に残虐な方法で殺されてしまう。その後、被害者家庭は崩壊し、心を病んでしまうほどに深い傷を残す(今もそれはつづいている)。
一方の加害者といえば、殺人者という過去を封印し、あまつさえ弁護士として土地の名士にすらなっている。そのくせ現在に至るまで被害者家族に対しては一言の謝罪もない。
これが「更生」なのか? 突きつけられる現実はあまりにも重い。
その事実を明らかにしたことで本書は価値をもつ。
しかし、被害者家族のモノローグという手法を選択したことには違和感を禁じえない。重い現実だからこそ、著者の想像は極力排して、事実を読者にストレートに伝えてほしかった。
日本の出版界では、本書のような形式の本は、ふつうタイトルの冠に「小説」という一語がつく。ノンフィクションと謳うのは、誤解を招かないだろうか。 (竹内正浩/2006-10-05)
殺人者が弁護士になるのは矛盾している。これが実話とは! |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
少年法に問題を提起した著者の勇気と執念に一票投じたい。

殺人者は、医者と弁護士にだけは、なってはいけない。
医者は人の命を預かる仕事だし、弁護士は人権を守るのが
仕事だから。

殺人によって若い少年の「生きる権利」すべてを強引に
剥奪した者が、弁護士になるのは矛盾している。被害者の人生は
リセットできないのに、加害者の人生はリセットできるなんて
おかしい。「どうせ罪を犯しても白紙に戻せる。」と
少年法を隠れ蓑にして犯罪を犯す者だっている。日本の少年法は
甘すぎる。未成年者の犯罪率を増加させるだけである。職業には
厳しく制限をつけて、野に放つ前に位置検索探知機の持参を義務
づけるべきである。

加害者は自分の人権ばかり主張して、他者の人権は平気で踏みにじる、
冷酷な人物と思った。娘がいるそうだが、自分の娘が滅多刺しにされ、
首を切り落とされて、蹴飛ばされたらどんな気持ちになるか?親に
なった今も被害者の遺族の気持ちが忖度できないのだろうか?

愛息を失い廃人のようになってしまった被害者の母親に詫びて、残りの賠償金
を払うべきだ。それが人間の生き方で、鬼畜との違いだ。

この弁護士に言いたい。「あんたと同じだけの生きる権利が被害者にもあった。
被害者の分も働くと言ったそうだが、勝手に命を奪っておいて、勝手な言い分だ。
被害者は、あんたになんか自分の人生を捧げるつもりはなかったはずだ。」

(普通の親/2007-05-01)
加害者の社会復帰の在り方 ||||||||||||||||||||||||||
1969年春、横浜の高校で酒鬼薔薇事件に相当する事件が起きた。入学して間もない男子生徒が、同級生に首を切り落とされ、殺害されたのだ。本書の大部分は、殺された被害者の苦しみというか後遺症というものがありありと述べられています。被害者の苦しみというものは一生拭い去ることがないということがわかる。母は寝込んでしまい、父はその母を支えるために必死でがんばり、妹はリストカットに走る。

本書の場合は、被害者のその後のことが中心となっている。加害者のその後は、11章で述べられているだけである。その後加害者は、弁護士になって社会復帰して暮らしているそうだ。名誉も地位も手に入れている立場で、過去の事件はリセットされたうえで社会復帰している。この加害者は、700万円の慰謝料も被害者の謝罪もしていないのではないか。ましては、被害者の心をズタズタにしているのではないか。

本書を読んだときに思ったのは、社会復帰ってどういうことだろうかということだ。加害者に使うお金のほうが、被害者に使われるお金よりも多い。加害者の方が被害者よりも法律で守られている。少年のほうがなおさらそういう側面が強い。加害者が被害者に心からの謝罪ができてこそ、はじめて社会復帰ができるのではないかと思う。加害者がのうのうと暮らしていき、被害者が一生苦しむような社会ではいけないように思う。もう少し、国が被害者にもう少し心のケアをしていくのがいいのではないか。
(itchy1976/2007-08-13)
1969年の高校生殺人事件、その後には酒鬼薔薇事件と言う同様な事件があった。
内容については、アマゾンの説明でなされているのでここには書かない。
加害者が更正して、今や弁護士事務所を経営し、弁護士として生活している。そして謝罪も慰謝料の支払いもない。
被害者家族の地獄のような生活を描き出し、心の崩壊を淡々と綴っている。
あまりに理不尽な社会であり、少年法という法律の無常さを考えてしまう。
被害者ご家族の心の崩壊を天童荒太さんの「永遠の仔」とダブって感じてしまった。 (dream4ever/2007-05-21)
複雑な読後感 ||||||||||||||||||||||
衝撃的な本である。

少年のころに殺人を犯した者が、現在は「正義の味方のふりをしながら弁護士をして」おり、しかも被害者に対する慰謝料もろくに払わず、謝罪すらもしないという不条理な状況を可能にしている現行のシステムに対して衝撃を受けたが、それよりもなによりも、殺された子供の家族が辿った地獄とも言うべき日々が当事者たちの言葉として語られており、そのあまりにも過酷な運命に強い衝撃を受けた。殺人の被害者家族というものが、どのような深い悲しみと苦しみを受けるのかが克明に描かれており、圧倒的である。

だが、いくつか疑問に思うこともある。結局、この著者が取材を始めたことによって今まで封印していた昔の傷を無理やりこじ開けることになったのは否定できない。この事は、被害者の母親も妹もそのように語っているので、著者としても十分に悩み、逡巡した点であると思う。実際、加害者の現在の状況も、著者が関与しなければ知りえなかったはずであり、それによって憤怒に身を晒すこともなかったはずである。果たして本当に彼らにとって良かったのかどうか、判断は自明ではない。そういう後味の悪さがある。また、私はどうしてこの本のタイトルを「心にナイフをしのばせて」などとしたのか、血の滴るナイフを持った加害者の表紙の絵をわざわざ自分の娘に書かせたのか、まったく理解できない。著者の態度に微小ながら疑問・不信感を持ってしまう。それでも、この本の衝撃的な力は失われるわけではないが。 (カラグラ/2007-04-11)
後半あたりから特に一気に読んでしまい、否、読まされてしまいました。
被害者遺族のあまりに重い人生、それは経済的側面以上の精神的側面の重さ。
真綿でぐいぐい締め上げるようなそのつらさを読者側にも教えてくれたことは
この著書の大きな意味だと思います。
そして、加害者本人の罪悪感など問われることもないまま一定期間を過ぎれば
無罪同様に扱われる少年法の持つ不条理。
それを理解したうえで、口先だけで「反省してます」もいかがなものかと思いますが。
(身近なところで学校や親に怒られたときなど。口先だけの謝罪が増えましたよね)

ただ、個人的にここはちょっと…と感じてしまったのが、妹さんのモノローグとして
書かれている箇所なのですが、
「(精神)病院の患者さんを見ていると、ものの考え方が自己中心的で、
 自分は常に正しく、自分以外はすべて間違っていると信じている患者さんが多い」
という部分は、著者が書籍化にあたって、もう少しなんとか、表現を考える等
できなかったのでしょうか?
言葉を丸呑みしてしまう方にとってこの表現は、
精神を病んだ人=加害者Aと同種の思考を持つ人
と誤って受け取られませんか?
それが精神障害・疾患者などへの差別感情につながらないか、
蔑んでも構わない奴等だ、とならないかが心配です。

とはいえ、少年法の歪みをここまで生々しく描けたことに関して、
この本の意義はとても大きいと思いますし、感じました。
できるなら、加害者弁護士がこの著書を読んでどういった感想を抱くのか
聞いてみたいです。攻撃するつもりではなく、ひとりのひととして。
(虫食い梨/2007-04-27)
家族の物語 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
読んで衝撃を受け、レビューを書こうとアマゾンに来てみれば、カスタマーレビューがこんなに。それだけ、多くの人に「語らせよう」という力を持つルポです。
中学校のころから「からかわれ」ぎみだった少年Aが、ナイフで同級生を殺し、首を落としました。被害者家族には差し伸べられる公けの手もなく、耐え難い視線にさらせれながらも、妹、両親で必死に生き延びます。本書は被害者の妹の証言を中心にまとめられています。その苦難の道のり、孤独なそれぞれの心、痛切な家族の物語です。
半壊してしまった母親、自分が死んでいたらこんなことにはならなかったのかと思う妹、全ての煩悶を自分の中に閉じ込めた父親。
語り合いぶつけ合えないままに、昇華されることのない事件の重み。
終章近く、加害者少年の社会的に成功した立場が判明します。
このルポタージュを読んだ人は、なんたることぞと加害者のその後の生き方を思うのでしょう。
きっと、法律を学び、加害者は知ってしまったのだ、未成年の時の行ったことには、責任をとらなくて許されるものだと、と読者は少年法の問題点を考えずにはいられなくなるでしょう。
でも、本書からは事件の全容を読者は読み取れません。
加害者の歴史がすっぽりと抜け落ちているからです。
そのことを踏まえたうえで、読後の判断を持つべきと思います。

ひとつだけ、この本の帯、あまりにも本を売ろうとしすぎていて、断定的になっています。
もっと複雑に交錯したものを扱った著者に、そして語った被害者家族にこれでは失礼ですよ。
(kokodokodoko/2006-11-06)
更生とは ||||||||||||
 他の方のレビューと重複になるが更生の意味について考えさせられた。
社会復帰して弁護士になるのはかまわない。かなりの努力をしただろう。
では更生したかどうかについては疑問だ。作者の言うように被害者に謝罪をして
許しを得てから初めて更生したと言えるのではないだろうか。
少年Aが子を持つ側になっても謝罪がないというのは許しがたいことだ。
法的には問題ないかもしれない、だけど人間としては最低なことだと思う。
子を持つ者のすることではない。元少年Aはこの書を読むべきだと思う。
この書の出現によってネット上では元少年Aの実名と勤務先が露になっている。
よって多少は社会的な制裁を受けるかもしれない。
それは謝罪をしなかったことで生じたものだと思う。
本当の人間ならどうするか考えて欲しい。
(タイラーダーデン/2007-11-19)
後味悪し |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
あまりにも時間が経過し事実が事実であるかどうか検証しようがない苦悩を感じた。
原因とされる同級生達の「からかい」も本人(加害者)にとっては耐え難い「いじめ」だったのかも知れない。温度差を感じた。
だとしても殺人を肯定する理由には全くならないのだが。
遺族にとって事件後も終わることのない地獄が続く。本当にお気の毒だと思う。
が、筆者のやり方は勇み足だと感じた。ほぼ遺族側のみの取材に終始している。
話題となってはいるが、結果インターネットを通じ加害者の実名や勤務先が露出している実情。
遺族と加害者に接点を持たせた点も現状では問題だ。
問題提起しながら裁きを下すような感じが否めない。
加害者を擁護するつもりは毛頭ないが、弁護士になるには相応の労苦があった筈だ。
殺人者が弁護士になったというインパクトは確かにあるが、興味深く煽る事例ではない。
どのような仕事に従事していれば納得するという問題ではないからである。
なんとも後味の悪い、一方からの糾弾を聞いた感がある。 (nico/2006-11-05)
地獄の記録 |||||||||||||||
最後に一気に少年法への問題提議に持っていかれたようで、拍子抜けした感もあった。
というのも、犯罪や法律の不条理さは勿論だが、
この本に引き込まれたのは、猟奇殺人事件の被害者側の、克明な心の深淵の吐露そのものにあったからである。
悲劇を背負った一家族の、体験者でなければ判り得ない人間模様が訥々と一人称で語られる内容と手法に引きずり込まれた。
先代からの環境などにより形成されたそれぞれの性格により、この家族の場合、どのように崩れていったかがわかる。
そして被害者を見る周囲の目などに於いては、
もしも自分が被害者に近しい者であったとしたら、はたしてどのような目線を遺族に向けるのだろうか、
と、読者自身をも顧みさせる問題の提起がある。
個人的に唸った一文は「周囲の大人たちが兄を聖人化した」という件だ。
昨今の社会の、一つのズレた目線がここにある。人間社会の「作られる恐ろしさ」だ。
また、辛い出来事を封じ込める為に、犯人への怒りさえも封じ込めてしまう被害者の地獄の苦悩は、
封じ込めの苦しさを多少なりとも知る私にとっては、怒りと悲しさで心が引き裂かれる思いだった。

犯人のような、素のままに自己中心的な考えを持つ人間は、恐ろしいことに世間でそれなりに目に付く。
だからこそ真に恐ろしいのだ、いつ我が身が被害者になるのかと。

人間心理、社会の不条理さを知る上で、是非読むべき本の一冊であると思う。 (経理/2007-03-15)
我々はニュースなどで事件を知っても、それぞれある感情を抱いたらそれで終わりです。
しかし、家族や親戚が関わった事件というものは、それで終わりということには絶対にならない。
被害者遺族にとっては、事件は苦痛と恐怖の始まりなのです。
この本は、被害者遺族に焦点を絞った、衝撃的なものルポルタージュです。
被害者遺族は、家族が殺されたという十字架を一生背負って生きていかねばならない。
悲しみと憎悪の感情は、癒されるどころかますます助長されていくだろう。
だが、加害者は極刑にはならない限り、罪を改めさえすればもう一度やり直せるのです。
この本は、そんな理不尽なシステムに対する警鐘を鳴らしているのではないだろうか。
実際にこの少年Aは、今では弁護士事務所を構えるくらい立派な弁護士になっていた。
これは衝撃としかいいようがありません。
過去にあんな残忍な事件を起こし社会から隔離された人間が、今度は社会の組織になくてはならない重要な地位にいる。
日本の司法制度は、過去に犯罪を起こした者でも弁護士になれてしまうのか。
色々な角度から考えさせられる良書だと思います。
(バラの花。/2007-02-04)
中途半端だ |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
構成は、最初が事件のこと、2章〜10章が被害者家族のモノローグ、11章が少年A(ここで少年Aと書か
なくてはならないところがもどかしい)の行方と一瞬の邂逅、終章が妹さんのモノローグ。少年法、マスコミ、司
法制度、「更生」の意味、被害者よりも加害者に手厚い制度、裁判官や司法関係者のアタマの構造、政
治家の怠慢・・・、投げかけられる問題は、ずっとずっとずっと前からのもの、何度も何度も繰り返されているこ
と。そのたびごとに暗澹たる、暗い怒りの感情が湧き上がる。
この手の犯罪に関する本は加害者について書いたものが多いが、ここのところ、この本含めて被害者側のこと
を書いたものが増え、その点は慶賀すべきこと。
ただ、やはり中途半端だと思う、この本は。発禁処分になっても、名誉毀損で訴えられても少年Aとは誰か
を明らかにするべき。この家族は加害者だけではなく著者奥田氏にも翻弄されたと思う。奥田氏はここまでズ
カズカと被害者家族に入り込んだにもかかわらず、加害者相手にはなぜそこまでしないのか? (エパメイノンダス/2007-07-24)
陰惨な真実 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
 同級生の首を切断し殺した少年のその後と、被害者家族の地獄の30年間が描かれています。
 ナイフを万引きし、ロッカーに隠し、友達を「散歩に行こう」といって連れ出し後ろからナイフを何度も
何度も突き立て、首を切断・・・。
 その後「父親の愛人」の養子になることで名前を変えたというのも凄いですが、
その後賠償金をすべて払わず、かといってお金がなかったわけではなく息子を大学院にまで行かせて
いるのです。
 その少年はいまや、弁護士として地方の名士となっているそうです。
 一体、少年法とは何なのか、加害者の権利とは?人権とは、人命よりも人権が尊重されるとは等
様々なことを考えざるをえませんでした。。。
 是非みなさんに読んでみて欲しい書物です。 (きんぐ研究会一同/2006-09-24)
私は号泣しました ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大ファンである評論家の宮崎哲弥氏がテレビで「読んでみるべきだ」と言っていたのをきいて
買いました。

被害者の母親の精神的な弱さを、父親と妹が必死で支えているという感じで
少年Aの犯罪は被害者の人生を破壊しただけでなく、家族の心や生活をメチャクチャにしていました。
父親が、殺されてしまった息子の血に染まった腕時計を泣きながら水道で洗い、その後もずっと形見としてつけていたという話は涙なしでは読めませんでした。
でも本当に号泣したのは、妹が結婚して娘が産まれたのですが、彼女(妹の娘)には「あなたの伯父さんは交通事故で死んだんだよ」と話してあったのに、あることがきっかけで本当のことを話すことになった時です。
思春期の娘たちは、自分の母親の兄が無残にも殺されたことを知って大声で泣いたのです。
実際には会ったこともない伯父さんの死に号泣する姿を読んで、事件のあった時には生きていなかった人の心までも傷つけるという事実に、被害者の家族の何十年にもわたる苦しみが想像を絶するものであるということが感じられ、私も声をあげて泣いてしまいました。

このレビューを読んで感情移入しすぎだと思われる方もいるでしょうが、今は初老になった少年Aが弁護士としてのうのうと生きているということが信じられませんし、許せません。
そして犯罪者が、私たちが思っている以上に簡単に社会に再び放り出されているんだということを知って恐ろしくなりました。 (ちくわ/2006-10-07)
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w:10 h:14 400page
皇太子誕生 (講談社文庫)
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ASIN:4062755505
講談社(2006-10-14)
奥野 修司
売上順位:251721
¥ 750(中古:¥ 1)

レビュー総評点:16
ほとんどベールに隠されて、宮内庁からのおこぼれ情報しかもらえない中で、
このような貴重な本が出版されたのは大変なことだと思う。
初めて聞く話が多く、当時の、そして多分今でもだが、医師たちの苦労が
伝わってくる。美智子皇后のプライベートな話などをあえて掲載しなかった
著者の態度も見事だと思う。売れるということを考えれば、当然入れたくなる
のは人情である。そこを割り切って書いている。
礼宮(現秋篠宮)の出産の時には麻酔を使っていたとは驚いた。
やはり、浩宮(現皇太子)の出産のときの苦心談がすごい。同じ歳の私は
当時の医学的状況を調べれば、ものすごい最新医学で対応したと思う。
それだけ、皇室と日嗣の皇子というのは重い存在なのだろう。
それにしても宮内庁の「おもて」と「おく」の関係はどうにもならない
ものだろうか?彼らの保身が皇室に対してどのような結果をもたらしているか?
暗鬱な気持ちになる。 (蘇冬/2006-12-09)
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w:10 h:15 459page
ナツコ 沖縄密貿易の女王 (文春文庫)
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ASIN:4167717476
文藝春秋(2007-10)
奥野 修司
売上順位:74090
¥ 790(中古:¥ 99)

レビュー総評点:19
「沖縄密貿易の女王」というサブタイトルがついているが、
実は「夏子」が、いわば集団ヒステリー状態になって密貿易に関わっていた
「沖縄の戦後」の象徴的な存在だったことがわかる。

当時の沖縄は「貧しかったが夢があった」とも言う。
密貿易もまたその象徴だったのだろうか。
ナツコの人物像も魅力的だ。

沖縄――とくに八重山に行ったことがある人はわかると思うが、
文化圏は日本ではなく台湾や中国に近いものさえある。
その彼らが台湾や中国と交易することは、沖縄の人にしてみれば
「悪」ではなかったのだと思う。
とくに密貿易の中心地だった与那国島は、台湾から百キロ少しだ。

タイトルの割には「人物」より「戦後史」に力点が置かれている気もするが、
沖縄の戦後を再検討する力作だと思う。 (辰巳/2007-11-18)
 太平洋戦争前後の動乱期に、沖縄、八重山、フィリピン、台湾、香港、そして神戸を結ぶ海を駆け巡って生きた女性ナツコの物語です。
 ナツコと同時代を生きた人には大浦太郎、照屋敏子といった著名人もいますが、僕は本書を読んで初めてナツコが沖縄の人々の心に残したものの大きさを理解しました。
 国境を気にすることなく大海を渡って密貿易を行った、潮気あふれる海人そのものとも言えるナツコの爽快で清々しい生き様。しかし、その裏側に垣間見える母親としての苦悩。そして病との闘い…。
 決して「生き急ぎ」という言葉で片付けたくはないのですが、彗星のように時代を駆け抜けた彼女の人生には眩暈を伴うスピード感があります。
 本書はナツコの人生に仮託して沖縄の戦後史の一こまを描いたものですが、かなり読み応えがあります。 (拓海広志/2008-07-08)
沖縄は旅行で出かけたことがあるが、本書に書かれているような
歴史についてはぜんぜん知らなかった。

だから興味深く読んだのだが、個人的にはもう少しナツコその人に
しぼった本だったらよかったのに、という印象を持った。

「歴史」に軸足を置くのか、「人物」に軸足を置くのか、これは
著者の関心のありようだから仕方がないが、私は沖縄の歴史をあまりに
こまかく追う記述が、ちょっと疲れた。
(京太郎/2007-11-01)
世の中の出来事の多くは、人知れず忘れ去られていくものかもしれません。
しかしながら、著者は、その中から素晴らしい評伝をすくい上げました。

取材対象が他界しているゆえに、取材は困難であったでしょうが、
ナツコのカリスマ性や、当時の歴史の裏側が、人間群像が、
迫力を持って伝わってきました。

地理的には、狭い範囲のことながら、歴史であることには間違いなく、
そのため事実関係の記録に、多くのページが割かれるところがあります。
その分、読み物としては、長い集中力を必要とするかもしれません。

最晩年(といっても40前)に、一人の母親に戻っていくナツコと娘たちの
交流は、胸に染み入ります。 (豆太郎/2008-08-19)
4件のレビューを表示しています。
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w:10 h:15 318page
そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)
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ASIN:4101300518
新潮社(2006-10)
日垣 隆
売上順位:40801
¥ 500(中古:¥ 88)

レビュー総評点:424総評点300以上の注目商品
心神喪失規定暴走国家日本 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
題名から勝手に「ある事ない事を書いて人々を必要以上に不安に陥れる本」と想像し読む気が起きなかった本である、

しかし、ある折、この本を薦められたので手にとって読んでみた。非常によく調べられ書かれている。おそらくこの本を書いた後様々な嫌がらせなどを受けたのではないだろうか。
この本で描かれている、刑法39条の超拡大解釈には、殆ど一般の人がおかしいと感じているはずである。
作者が法律に精通している(法学部卒)だけあってその筆は作者の憤りを感じるものの、冷静である。

だいたい人を殺したとき、普通の精神状態であるほうがおかしい。(平然と人を殺せるのが殺人鬼である)興奮状態にあるのが通常なのである。
精神鑑定により、不起訴にするケースは他国でもある、しかし日本の問題はその後の受け皿がない、という事である。
その点もよく調べている。
弁護士は殆どの重大事件で精神鑑定を求め、それが、精神科医や弁護士(人権団体)を経済的に潤しているというは納得いかない、
39条はまさしく「精神障害者」を人として認めていない差別的条文以外のなにものでもない。

何年も前になるが、知り合いが、通り魔的犯行で性的暴行と肉体的(及び精神的)傷害を負った。しかし、新聞に容疑者の名前は出なかったし、結局責任能力なしで不起訴になったと聞く。
彼女は命を取りとめたもののその時の治療代もでず、人生を大きく狂わされた。
その犯人は今も普通に街中を歩いているかもしれない。そういう人がいつ大切なものを奪うかもしれないと考えると不安になる。
私の大学の先生はそういった不安をもつ人たち(私を含め)を「擬似被害者」と言い、39条の必要性を説いていた。
しかし、やはり納得いかない。
39条を摘要するなら、それに伴った受け入れ施設が必要である。この本を読んでそういった考えが深まった。
(Tochitli/2007-03-22)
いつ自分が犯罪の被害者になってもおかしくはないが、薄ら寒い現状が控えていることに愕然とした。
加害者が心身の異常を持ち出せば、なし崩し的に責任が回避されてよいものか?
またそれを暗黙のうちに認める、もしくは正しく目を向けない現代社会(法曹界・医学界・マスコミ等)の無責任さ。
本書が一石となり、少しでも状況が改善されていくことを望んでやまない。 (もみくろ/2007-11-13)
読むべき本 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
 刑法第39条「心神喪失者の行為は罰しない。心神耗弱者の行為はその刑を減軽する。」にスポットをあてた本。

 著者の主な主張は、
(1)殺人など重大な行為を犯した者であっても、精神病の疑いがあれば、検察が「起訴前鑑定」を行い起訴を見合わせてしまうことが多い(殺人者の4割が不起訴ななる)。それは、起訴した事件が無罪になれば検察官自身の出世にひびくから。
(2)鑑定は、被疑者の過去の時点の状態をさかのぼって推定するもの。絶対的な判定はできない。さらに、鑑定人によっては、常に心身喪失や心身耗弱の鑑定をする。
(3)裁判官も、極めて安直に刑法第39条を適用し、無罪にしたり減刑したりする傾向にある。
(4)刑法第39条に該当し、無罪や減刑になった者に対する医療上の対策ができていない。
(5)その結果、心身喪失を偽装している疑いの濃い者であっても無罪になり、極めて短期間病院に入院したあと、世間に戻ってくるケースがある。

 10年がかりで執筆したというだけあって、さまざまな事件、文献等にしっかりとあたった上で書いたことが伝わってくる。もちろん読んで楽しい本ではなく、著者自身が書いているように、事件の記述などはむしろ読むのが苦痛な部分もある。
 しかし、著者の主張をどう判断するかはともかくとして、極めて重要なテーマであり、まず読んでみて考えてみることが大事だと思った。 (mfhty/2006-12-23)
非常に辛辣な言葉で書かれている。
あえて辛辣に書かれているのだが、反感は全く覚えない。
ということは、現在の刑法がいかに私の感覚からかけ離れたものになっているか、ということである。


刑法第39条。
心神喪失または心神耗弱の場合には無罪、または刑の軽減がなされる。

この条文があるがために、例えば意図的に覚せい剤を使用し、または意図的に酒による酩酊状態に陥って殺人を犯した場合でも、刑の軽減がなされる。
心神耗弱状態だからだ。
「自分で」覚せい剤を使用して、人を殺しても刑が「軽減」されるのだ。

故に自ら覚せい剤を使用し、連続殺人を犯しても刑の軽減がなされ、死刑にはならず、無期懲役と言う十数年で社会復帰出来るシステムとなっている。
そして、殺人者は同じ過ちを繰り返す。

また、著者は精神鑑定不要論も展開している。
いちいちごもっともである。

殺人を犯して取り押さえられた犯人の医療費が我々の税金でまかなわれ、被害者の医療費は全て自己負担という摩訶不思議なシステムが、この近代国家、法治国家日本に存在している (john/2007-11-21)
怒りの告発本 |||||||||||||||||||||||||||
刑法39条第二項(心神耗弱)を中心とする司法の不条理をこれでもかというほどの例を挙げて批判した本です。

正気と心神喪失の間にある心神耗弱とは一体何なのか。
完璧に正常な精神で異常な犯罪を行える人はあまりいないでしょう。
つまり、心神耗弱なんていうのは凶悪な犯罪を行ったほとんどの人にあてはめることが可能なものなのです。

いまいち大きな話題にならないこの大問題。
誰がどう見てもおかしいと思うのですが・・・。 (N.K/2007-03-11)
心神喪失 |||||||||||||||||
心神喪失や心神耕弱について、考えるのにとても良い本だと思います。心神喪失や心神耕弱規定の問題点について、浮き彫りにしていると思います。法律を考えるのに良い問題提起をしていると思います。刑法を勉強している人や精神医学を勉強している人は是非読むことをお薦めします。私は、興味深くて一日で読みました。 (フィラデルフィアン/2007-01-26)
責任能力が認められないので無罪 ||||||||||||||||||||||||||||||||
?
ならば、責任能力のない人間がシャブ、アルコール、自動車、包丁などのデンジャーなアイテムとともに天下の往来を我がもの顔でのし歩いていた責任は誰がどのように取るのか? いったい、どうなってるんだ!

凄惨な事件に対するビックリ判決。誰もが感じる義憤。その『どうなっているか』の部分について、詳しく啓蒙してくれるのがこの本です。

今日も今日とて、日本法曹会からグレイトなサプライズが飛び出しました。自殺の道連れとして五人もの無辜の市民を殺傷しようとも、それが“悪魔の命令”なら無罪ッ!

民意が圧倒的なら司法の判断も影響を受けざるを得ないのは過去の判例からも明らかなこと。この一冊、もっと読まれるべきでしょう。 (Dの卓袱台/2007-02-28)
責任能力をめぐる判決について資料と共に細かに例示されており刑法の曖昧さに疑問と指摘を投げかけ諸外国や日本刑法に近しい国の刑法にも触れ、いかに日本刑法の不明瞭で罪刑法定主義の体勢を果たしていないかを危機感を抱いて追求している。
裁判は誰のためのものなのか、裁判員制度のスタートを前に考えさせられた。 (前略、amazon様/2008-01-16)
 著者は丹念に資料を読み解きつつ、自ら調査し本書をかきあげている。
 その内容は驚くべきものであり精神障害者の犯罪が野放しになっている状況を
 まざまざと見せ付けてくれる。
 恐ろしいの一言。人権というものを隠れ蓑にしマスコミも
 報道しない事実の数々がわかる。
 絶対におすすめできる1冊です。 (きんぐ研究会一同/2007-12-18)
とてつもなく刺激的 ||||||||||||||||||||
かねてから、{なんで精神を理由に犯罪が許されるんだろう}と思ってました。
はやく刑法39条を撤廃してほしいと思ってましたが、この本をよみ勇気ずけられました。 (森田のり/2007-07-08)
これでいいのか、日本! |||||||||||||||||||||||
正直、読んでいて段々腹が立ってきました。と言うか、この国に住むことの怖ささえ感じてしまいました。
刑法39条については、何度か聞いたことがあり、その存在は知っていました。しかし、その運用の実態がこんなことだったのかと、驚きを通り越して恐怖を感じてしまいました。
本当の意味での「心神喪失」での運用がなされているとばかり思っていたのですが、「心神耗弱」の名の下に、無罪や減刑がなされているという実態を改めて知ることになりました。
ここに例示されている事件のいくつかについては、知っているものでした。それが、新聞報道から消えたと同時に、その犯人は「野に放たれる」仕組みになっていようとは・・・。
これでは、人を殺したかったら、泥酔するほど酒を飲み、捕まったときに「神の啓示」を受けたとか何とか、訳のわからないことを言えば、少なくとも「心神耗弱」で、減刑はしてくれるということになってしまいます。
法曹界、医学界、そして官僚と、彼らは一体何を考えているのだろう。同時に、それを知らしめないマスコミは何をやっているのか?
明治時代の刑法がまだ活きているなんて・・・。 (ringmoo/2007-01-05)
みんなで読もう! |||||||||||||||||||||
大変な本である。私は『新潮45』連載中から読み、ハードカバーでも読みました。
文庫版で追加訂正などがあると、今回も入手しなければいけませんが・・・。
臨床心理士やうつ病者などにも貸し出し、読ませ、みんな驚いていました。
驚きますよ、そりゃ。私は世田谷区の松沢病院の近所に住んでいましたから、
改めて開放介護の実態も見ています。強い抗てんかん剤を打たれて、
植物のような人間になってしまうことも危険というか、人権無視ですが、
だからといって殺人者を野に放つのには大きな抵抗、いや大問題があります。
被害者家族の気持ちを考えることも大事ですね。日垣さんのベストな1冊です。 (向島鳩居堂/2007-01-12)
所詮、人間のやること・・・ ||||||||||||||||||||||||||
著者の正義感、大爆発である。しかし、全体に表現があまりに感情的であるため、却って内容の峻烈さを損ねている感がある。とは言え、密度の高い本であることに間違いはない。
まったくもって首を捻る以外にないような判決文の数々を読んでいて「所詮、人間のやることは・・」と思わないでもなかったが、真の「正義」とは何かを、ある種のやりきれなさとともに、考えさせられた一冊であった。 (杜の百鬼王/2007-02-23)
 幾つかのレビューでも評されている通り,事実関係
の取材に対する日垣の姿勢には,他のジャーナリスト
の追随を許さないほどの徹底さが窺えます.本書に挙
げられた数多の事例はいずれも,刑法39条を考える
に当たって無視できないものばかり.資料としての価
値を否定する理由はありません.

 ただ,日垣自身が認めているように,拾い集めた事
実から結論を導き出す過程,つまり評価の過程があま
りにも杜撰で,浅薄で,この部分がどうしても,星の
数を押し下げさせてしまいます.事例紹介の後に1文,
いずれも辛辣な言葉を選んで批判を添える訳ですが,
その1文が,刑法39条とは関係のないところに向け
られているものは論外として,日垣の主張に直結しそ
うなものであっても,どのような立場を拠り所にして
いるのか,それがおよそ見えて来ないのです.

 事実の羅列からは何の評価も生まれえないのですか
ら,辛辣な言葉の裏には,何らかの価値観が伴ってい
るはずです.それにもかかわらず,刑法39条が前提
とする思想と日垣の価値観とがどのような形で衝突し
ているのか,本書は何も語っていません.現行制度を
動かすどころか,提言としての体を備えていないよう
に見えます.

 事実を伝えるのがジャーナリストの役目だというの
であれば,それに徹するのも1つの在り方だと思いま
す.本書も,資料として出版されていたのなら,迷わ
ず星5つを付けていたところですが……,場当たり的
な批判を繰り返して,物書きとしての底の浅さを自ら
露にしてしまっている点で,残念ながら,星3つには
到底届きません. (K/2008-06-30)
筆者がかなり感情的です。
気持ちはわかるけれど、もう少し落ち着いてほしい。
ところどころ、読みづらくなる。

世界においても日本は異例だったのか。
精神をやんで罪を免除されると、収容される施設がないのは驚き。

法曹界における考え方が一般人に理解できない。
精神病患者の擁護の裏にある考え方はなんだろう。
(ぽち/2008-05-20)
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淳 (新潮文庫)
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新潮社(2002-05)
土師 守
売上順位:10022
¥ 460(中古:¥ 198)

レビュー総評点:650総評点300以上の注目商品
言葉にまとめられない。 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
 あの忌まわしい事件から、ずいぶんと時間がたったように思います。
その後にも、長崎でも、同じような事件がおきました。
 そういうときに、私たちは、新聞報道、インターネットで、食い入るように情報を集めます。
 しかし、そういうときに、私たちは、取材されている被害者のことを考えたことhがなかったのではないでしょうか?
 そのことが、本当は、加害者と同じように被害者を傷つけているのではないか・・・?
 そんなことを考えていました。
 お父様が、よくここまで、踏ん張ってお書きになった、一字一句を大切にしたいと思います。 (yukie_787/2005-05-04)
被害者の叫び |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5年前、日本中を震撼させた「神戸児童連続殺傷事件」の被害者、土師淳君の父、守氏による手記が文庫化された。突然行方不明になった愛児は、悲惨な事件の被害者として発見された。殺到するマスコミに追い詰められる生活、加害者を保護することのみを目的とする現実離れした少年法、加害者側の不誠実な態度・・・読んでいて苦しくなり、ご両親の無念さを思うと、いくら涙を流しても足りない。どんな大事件も他人事だと次第に記憶から薄れていくが、当事者にとっては重く辛い闘いの日々が生涯、一日も休むことなく続くのだ。マスコミが垂れ流す報道を、鵜呑みにしてはならない。真実を知るためには、自ら求めて当事者の叫びを聞くべきだ。 (il_pleut/2002-06-25)
涙無しでは読めない ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
私は数年前、母が買ってきた<「少年A」この子を生んで>を先に読んだ。
そのため、多少先入観を持ってこの本を手に取った。私が読んだ限り少年Aの両親は完璧ではないにせよ息子を愛して育てていたように思えたからだ。
そのようなごくありふれた家庭に育った少年が何故?と、疑問に思ったものだ。人の心が怖くなった。
しかし「淳」を最近になって手に取りAの両親の異常さが少し理解できるようになった。何事もどちらの立場からの意見を聞いてみないと分からないものです。特に淳君が行方不明になっているときに少年Aの母親が取った行動には唖然とする。
それにしても、淳君のご両親の気持ちが痛いほど分かる。私は自分の家族がこのような残忍な殺され方をしたなら理性も吹き飛び、一生かかってでも復習しようとするかもしれない。とても穏やかで優しい心を持った淳君のお父様。そういうご両親に育てられて短い間でも淳君は幸せだったのだと「せめて」思いたい。
マスコミ報道については許せない気持ちが一層強くなった。彼らは仕事のためとは言え、血も涙もない人間なのか?加害者の両親は別として兄弟は守らなければならない。それは分かるが、被害者の兄弟はもっと守られなければならないのではないか?
マスコミに対しての不信感が一際強くなった。
天国の淳君、ご冥福を祈ります。淳君のご家族の方、世の中には優しい人がたくさんいます。私には祈ることしか出来ませんが精一杯生きてほしいです。 (雪sarasara/2004-02-15)
遺族の方の深い悲しみが すごく伝わってきました。
事件前後の遺族のようすがとても細かく書いてあります。
少年Aの家族との関係も書いてあります。
被害者の人権はないのでしょうか?
今の日本の法律はとても悲しいです。。。 (nadeshico/2003-02-04)
淳くんに翼をあげたい ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マスコミは人々が関心を持ってかぶりついてくる話ならたとえどんな手段を使ってでも、それをニュースにして視聴者や読者をあおりたてる。犯人が少年だった場合、この国の憲法や法律が手厚く保護するのは被疑者であり、犯罪で一番つらい思いをした被害者の家族ではない。だから被害者のプライバシーが公表されても、被疑者はどこまでも安全に守られているのだ。なんだか話があべこべなんじゃないの? と思うことを淳君のお父さんが必死に訴えています。ようやく少年法がほんの少し改正されたけれど問題はまだまだ残っています。淳君の死が無駄にならないように、私たち一人一人にできること、改めて見つめ直す良い機会になりました。
凶悪事件は小説の中だけで十分です。どうか平和な世界が訪れますように。 (julietomato/2004-08-31)
ご遺族の思い、そして今後の課題。 |||||||||||||||||||||||||||||||||
この事件当時、私は仕事に遊びに多忙な22歳の若者でした。
当時色々な報道もありましたが、正直、「こんな凶悪犯罪があるんだ」程度にしか感じておらず、新聞もニュースも全く見ておりませんでした。
今となってはお恥ずかしい限りです。

現在、一人息子が小学生になり、少年犯罪のサイトなどに関心を持ち始め、
そのとき辿り着いたのが、この「淳」という一冊の本でした。

最初から最後まで一気に読みました。途中、読みながら体が震える思いでした・・・
「犯人が成人以上であってほしい」と願ったお父様のお気持ちが、今の私なら理解できます。
結果として、犯人は若干14歳の少年であったが故、犯罪史上稀に見る事件だと衝撃を世間に与えながらも、処罰、ならぬ、「更正」で、彼は既に世間に出ております。
ご遺族の方にとっては、少年法というのは、なんと残酷な法律なのでしょう・・・
被害に遭われた宝物である息子さんは二度と帰らないのに、加害者は数年でこうしてまた世間に戻って来られるのです。
改めて凄い憤りを感じました。

この本で触れている、「マスコミの過大報道」というのも、本当に被害者にとっては大変な苦痛です。
こんな酷い形で最愛の子供を失ったのに、追い討ちをかけるような誤報道、そして取材攻撃・・・これは本当に、今後マスコミの方にも真摯に受け止めていただきたいと思いました。

「少年A」は、更正施設にて過ごしただけに過ぎません。施設にいたことは償いではない、これからが本当の償いです。もちろん親もです。
被害者は帰ってこないという現実を一生をかけて償って欲しい。
そして、少年法、マスコミの報道姿勢・・・まだまだこのような犯罪に残された課題は、果てしなく無数にあると感じました。
(エンジェル/2006-06-21)
「報道の自由」とは何か? |||||||||||||||||||||||||||||||||||
この本は私達に3つの問題を提起しています。
1.被害者の権利。
2.「報道の自由」とは。
3.少年法の意義。
特に私が強調したいのは「報道の自由」についてです。
"松本サリン事件"が起きた際にも問題が指摘されましたが、
報道機関の方々はそこから何も学んでいなかったようです。
「報道の自由」を武器に多くの人々が多大な被害をこうむり、
想像を越えた苦痛を強いられています。
また、単なる興味本位に情報を求めている
私達ひとりびとりにも問題があることを認識すべきです。
この事件に関する書籍は多く出版されています、
いま一度振り返り、改めて多くのことを学ぶべきだと思います。 (beyond/2004-01-21)
涙無しでは読めません。 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
あの忌まわしい「酒鬼薔薇事件」の被害者、土師淳君のお父様が、その悲しみと怒りの中で書き綴った手記です。私が本当に驚かされたのは、未成年の犯した事件の被害者がなぜここまで弱い立場に立たされるのか、という事でした。
マスコミは、事件発覚のその日から、連日の理不尽かつ狡猾な取材攻勢。そして、少年Aが悪いのではなく社会が悪い、教育が悪い、大人が悪いといった無責任な論調の大合唱。少年法は、被害者の感情をほとんど無視するものであり、少年Aは全く反省の色が無い。そして、少年Aの親は、事件発覚後もしばらくは自分の息子が犯人である事を納得せず、ずっと謝罪をためらい続け、挙句の果てには「息子をまともな大人に更生させる事が、淳君へのせめてもの償い」との勘違い発言をする始末。

亡くなった淳君の好きだった歌を、卒業式で子供達が泣きながら歌うシーンが出てくるんですが、それを読んだときは、もう声をあげて泣いてしまいました。

土師さん、これからもがんばって下さい。 (とん太/2006-03-30)
本書で一番印象に残っている場面は、父親が警察で淳君の遺体と対面するシーンだ。
この時の警察の対応はひどくデリカシーを欠く。もっと遺族感情、人間の尊厳を考えてほしい。
遺族にとって遺体は「物」ではない。父親は医者で親しい人物の死や死骸には慣れているはずだが、やはり衝撃を受けている。 (twi/2007-09-27)
1997年5月に起きた「神戸連続児童殺傷事件」の記憶も風化しつつあります。
何気ない言葉で外出したまま。
捜査、犯人逮捕、報道被害、少年法などに対する
被害者の家族の心理を生生しく描いています。
犯罪報道、被害者に対する配慮など深く考えさせる内容です。


(kkmhs461/2006-01-03)
衝撃的な事件から6年が過ぎ、少年がまもなく社会復帰するであろうというニュースを耳にするようになりました。一見ごく普通に見える少年の家庭(環境)でなぜ命の尊さを伝えられなかったのか、彼が愛情というものを遠く感じていたのか、ぜひ明らかにして、時には子どもに対して傲慢かもしれない私達大人や親への警告にしてほしいと感じていました。しかしただ月日は流れ、淳君の命にむくいることはできたのか疑問に思います。
少年のために少年法は何ができるか、また被害者の人権について、痛みに耐えて伝えられたお父様の言葉をむだにしたくないです。事件後遺族を守る警察の方々の姿にも感動しました。 (キャバンクラブ/2005-03-18)
この本を読んで、涙が出ない人がいるのであろうか? |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
 2005年、この事件の犯人は、社会復帰した。衝撃的な事件であったが、意外に早かったと感じる。
 しかし、被害者遺族にとっては、事件のときから時計が止まったままではなかろうか?
 この事件以前から犯罪被害者支援を担当していた弁護士としては、この事件に対する対応を自分であればどうするのか考えてきたが、今もって答えが出ない。
 この事件によって、様々な法改正もされたし、それまで忘れられた存在であった犯罪被害者、その支援が真剣に議論されるようになった。
 「淳」君の安らかな天国での暮らしのためにも、犯罪被害者に対する支援について、可能な限りの努力を続けたいと思う。
 われわれが出来ることは、それくらいしかないが、それくらいすらまだ出来ていないことを本当に申し訳なく思います。
 日々、研鑽を積むことで、社会を変えて生きたいと思っております。
 改めてご冥福をお祈りします。 (RLeaders/2007-08-19)
日本中が忘れることの出来ない衝撃的な事件からすでに、14年が経ちました。

被害者の遺族の方にとって、長かったようで短かった時間だったと思います。

この本では、子どもへの思い、加害者への思いが綴られていました。
加害者の親御さんが書いた「「少年A」この子を生んで・・・」と比較してみたのですが、
もちろん親御さんの立場は対極でありますが、
悲しいことに一つだけ共通していた点がありました。

それは、両者ともメディアに追われ、苦しい日々を過ごしたという事です。
それが悲しくもあり、今の日本社会を映し出しているようでした。 (まつたけ/2008-11-23)
少年犯罪によって愛息を亡くした、父・土師守さんの手記。被害者である淳君・生前の日常と、実に愛くるしい姿が鮮明に描かれている。土師さんの悲しみと加害者とその両親に対する不信は、痛々しいほど伝わってくる。

だが良識ある冷静さと、筆力をもって一語一句丁寧に、愛息への哀悼を込めて読手に語りかけてくださる。土師さんが執筆に至ったのは、我々が、いつの時代も痛ましい事件の内容にばかり目を向けがちで、いかにも形骸化した世論であることを、警告する意図はなかったろうか。淳君の平穏で幸せな日常に目を向けることは、被害者家族の境遇を思いやることにもなる。日常が一瞬で崩壊する「犯罪」がいかに醜悪で残忍なものかを思い知らされる。

絶望の渕でマスコミからの攻撃と、傍らで心無い人からの中傷、そして何より加害者側の鈍感で誠意を欠いた言動には、読手も苛ついて仕方ない。だが、辛くともこうして被害者家族が負う「更なる被害」を発信してくださった。被害者の側面をよく知ることができ、著者とその家族の努力には、敬服するばかりである。

あとがきには、本村氏が筆を添えている。土師さんとの出会いや、本書にも登場する少年法と被害者家族が負う理不尽さを丁寧に解説されおり、こちらも読み応え十分であった。 (/)
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自閉症裁判―レッサーパンダ帽男の「罪と罰」
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洋泉社(2005-03)
佐藤 幹夫
売上順位:78160
¥ 2,310(中古:¥ 872)

レビュー総評点:558総評点300以上の注目商品
ふたりの女性へのレクイエム |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
異常者による通り魔事件という印象しかなかったが,冒頭から驚かされた。男は高等養護学校を出た障害者であったが,ほとんどの新聞はこれを黙殺して中卒とした。障害者の人権を謳うマスメディアとしては,凶悪犯が養護学校卒では犯罪報道しにくかったのである。本書はマスメディアがタブー視した障害を真正面から捉え,自閉症裁判のリーディングケースとなった裁判過程を丹念に追う。前半,男の障害を巡って精神遅滞か自閉症かを争う二人の医師の攻防は,それぞれの知識と経験を総動員して双方に説得力があり実にスリリングだ。鑑定医と治療者という立場の違いもあろうが,ふたりとも立場を越えて真摯に真実に迫ろうとしている。翻って裁判長とのやり取りからは,裁判所はつまるところ責任能力にしか関心はなく,落としどころを捕まえてほっとしている様がありありと浮かぶ。自閉症という診断名に全てを託して「減刑を,情状酌量を」と訴えるのが著者の狙いなら,ひとりの支持も得られないだろう。本書が投げかけているのは,「人としての罪と罰を求めればこそ,障害への理解が不可欠となるのであり,それなくして責任も贖罪も十全足るものとはならないのではないか。ほんとうの意味での再犯の防止とはならないのではないか」という問いである。自閉症に関して凡百の医師以上の研鑚を積み,3年に渡って努力の限りを尽くした弁護が判決に影響を与えられず,弁護士をして「自閉症にこだわりすぎた。もっと事実関係で争うべきだった」と述懐させるくだりはあまりにも哀しい。事実の大枠は争いようのないものであるから,弁護方針は正しく意義のあるものであった。判決にも新聞にも黙殺された裁判過程を丹念に追い,双方の当事者への困難な取材を重ねて,障害の理解による真の贖罪と再犯防止を世に問うた本著作の意義は大きい。被害者O.M.さんへの,男に無心され続けて他界した妹への鎮魂の書でもある。 (林幸司/2005-03-05)
2001年4月,浅草で女子大生が刺殺された.その10日後に逮捕された男は,事件当時にレッサーパンダ帽をかぶっており,その異様さから,事件発生当初マスコミに大きく取り上げられた.
著者の佐藤氏は,養護学校教諭の経歴を持つフリージャーナリストで,精神面・知的面でのハンディキャップに関係する書籍等を多く著している.
本書では,自閉症について理解し,正しい理解に基づく警察の取調べ,裁判の進め方,さらには法と制度の整備などについて問いかけている.だが,自閉症だからといって「刑を軽くせよ」などということでは決してない.
また,著者は被害者の家族,加害者の家族に寄り添う気持ちも強く持っている.それは単に「どちらの味方か」という問題でもない.
少年犯罪を含めて,大小様々な事件が日々起こっている.そのうちの何割かは,自閉症などの精神的なハンディキャップを持つ人やその境界にある人によるものではないかと思う.ハンディキャップがあるからといって犯した罪が許されるわけではない.また,裁判制度が変わったからといって犯罪が劇的に減るというものでもないだろう.しかし,精神的・知的な面でのハンディキャップを持つ人々への社会的な理解と,そういった人々をフォローする制度の充実が必要だと考える.
本書には,今後の日本社会に必要なことが多く記されている. (琥珀/2006-07-18)
妹が印象的 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
養護学校の事務員をしていた知人に聞いた話です。
病気で長期入院をしている子供は養護学校に転校扱いになるのだけど、卒業を前にすると「養護学校卒業」となるのを嫌って、書類上は元の学校に学籍を戻すそうです。
障害問題について理想と(心の中にモヤモヤある)現実のわだかまりがこの本の中にあらわれています。
こーいう現実は一つずつ掘り返して光を当てていくべきですね。
と、加害者に寄り添う視点なのだけど、いきなり家族の命を絶たれた家族の心情にも配慮されています。
が、一番鮮烈なのは加害者の妹の生き様です。
家族の犠牲になっている不幸な境遇も、晩年の生きること楽しむことへの貪欲さも、どちらも印象的です。
読みやすい本ではないと思いますが、多くの人に読んでほしいですね。 (ずみとし/2005-08-31)
当時は国民的な話題となり世の中を騒がした,レッサーパンダ帽男の女子大生刺殺事件.
犯人は自閉症と言う病気を持っていた.
本書はその事件を始まりから裁判終了まで追いかけた内容.

事件を全体的に追いかけているため,報道で得られる情報とはずいぶん違った内容.
本事件については多くの報道がなされたと思うが,報道と事実はずいぶんと違うということに気づかされる.

また,この本では障害者だから罪が許されるという論点では描かれていない.
障害者の犯罪についてはその障害の特徴を知った上での適切な配慮が必要だということが一貫して描かれている.
これがなければ公平な裁きはありえず,世論に流された私刑になってしまう.
そのような作者のメッセージを一貫して感じた.

この問題は根が深いが,だからこそいろいろな立場の人に読んでほしい.

最後のほうの章が多少隔たりが見られたため☆は1つマイナスの4つ. (hisa-taro/2005-12-14)
本当は★★★★★。押し間違いで不本意な表示になってしまった。

レッサーパンダ帽を被った男が白昼の路上で女性を刺殺した事件といえば、犯人の異様な服装のせいで大半の人の記憶に残っていると思う。

そんなことから、『レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』というサブタイトルに惹かれて半ば興味本位で読み始めた。遺族の気持ちを考えると面白いと言っては不謹慎だが、重い内容だが素人でも理解できるよう要領よく書いているので読みやすい。
登場する人物が上手に描かれているので小説を読んでいるような錯覚を覚えることもあった。
特に犯人の妹のくだりには泣かされる。

逮捕された容疑者は目撃証言から犯人に間違いなく人を殺めたという事実は歴然としているのだが、「彼はどのような罪に問われるべきか」「彼にはどのような罰が与えられるべきか」。浅学の自分には判断できないが考えさせられる良書だと思う。 (kise/2007-07-20)
 著者は、被害者・加害者双方の家族や関係者に対し、4年という歳月を費やして、あくまでも真摯に、そして粘り強く取材を続けた。
この本は、その「誠意の記録」である。本来、あるべきジャーナリストの姿を見たようで、まさに心洗われる想いがした。

 悲惨でセンセーショナルな事件を扱った内容から、軽い好奇心で手に取る読者も多いだろうが、決して軽く読み流せる類の本ではない。再犯防止の為の、司法・医療・福祉とは・・・・? 誰もが、改めて考えさせられることだろう。
経験に裏付けされた専門知識も、とても勉強になった。
  (Luna/2007-09-25)
報道では伝えられなかったこと ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「障害者が加害者だから無罪にしろ」という主張なのではない。

高機能自閉症(アスペルガー症候群)や自閉症の者が犯罪を起こす率が健常者(そんな線引きが可能だとして)に比べて多いとか少ないとかいうことでもない。障害者=同情すべき人々という短絡的な括られ方を恐れてか、はたまた責任追求が可能かということ以外触れる必要がないからなのか、犯罪報道でこのことが伏せられ、そもそもどんな障害なのかという認識も含め、一般社会に暮らす人々にはほとんどその姿が伝わらないことが問題なのだ。新聞やニュース段階の報道ではほとんど表に出てこないし、書籍の形では一部の人にしか届かない(それはこの本も同様だが)。

作者は加害者のレッサーパンダ帽男を庇おうとしているのではない。それどころか、被害者の両親とも話し、どんな立場に立てばいいのかという板挟み状態の中で、誠実な態度を取ろうとしてきた。加害者の家庭状況も同様に、犯行の理由にできるわけではない。こんな犯罪がもう二度と起きないために、裁判は根源の問題をきちんと見つめるべきではなかったかという主張なのだ。本当なら、どこかでこの犯罪の元の根を断つことができたかもしれない(それくらい加害者のことを思っている者が皆無だったわけでもないのに)、その可能性を探りたいという願いなのだ。

さらに、この事件がきっかけとなって加害者の妹(若くして重病に苦しめられていた)に向けられた救いを描いた最後の部分は、この本がなかったなら知り得なかった真実であった。被害者の女性の生涯だけでなく、この妹の人生もまた、この事件に大きく左右されることになった。皮肉にも、それまで男が犠牲にしてきた彼女の幸せを他人の手で与え、最後の瞬間になって初めて充実した生を生きることを可能にするという形によって。 (maddoggie/2005-03-06)
現代福祉社会のサバルタン |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
 2001年4月に発生した浅草女子短大生殺人事件は、3年の審理を経て、東京地裁は被告に無期懲役の判決を下す。当時、被告はその目撃証言から「レッサーパンダ帽の男」として報道を賑わせたが、しかし、マスコミが報じなかった事実がある。それは被告が高等養護学校出身で知的障害を持つということ、なかんずく、自閉症の疑いがあるということだった――弁護側は被告の親族を探す。被告の妹は父親と同居していたが、驚くべきことに、彼女は末期ガンに侵されており、その高額の医療費は、彼女自身が働いて賄っていたのだった――。
 今年を代表するノンフィクション。「自閉症」の一般的な誤解と無理解、知的障害者をめぐる司法手続きの問題、犯罪被害者と加害者、現代の福祉社会の陥穽――と、どれひとつとってもひとつの作品に仕立て上げうるに十分なテーマが、しかし複雑に絡み合い不可分一体のものとなっている。読者は異常犯罪と思われていたこの事件の、思わぬ問題の重層性に絶句することになるだろう。
 私個人は、若くして他界した被告の妹の存在が特に印象に残る。彼女(そして父親にも)「福祉」の手は届かなかった。彼女はボランティアスタッフなどの援助を得て、充実した余生を送ることになるが、自分の幸せは被害者の犠牲の上に立っている、と彼女は気づいていたに違いないとの作者の述懐を目にすれば、彼女たちの魂が安らぎを得るためには、被告がいかに自らの罪と罰を引き受けるかが肝要になることは、容易の了解できる――が、このことに多大な困難が伴うであろうことも……。
 著者は立場的には被告側に沿って事件を追わざるを得ないが、被害者家族の無念さをも引き受け、いわば自らを宙吊りにしている。この所作には単なるモラリスティックというにとどまらない切実さがある。 (フェイク・ザ・コバトン/2005-08-03)
本書で取り上げられている「浅草女子短大生(レッサーパンダ帽)殺人事件」は当時大きな話題になったので、当然自分もマスコミを通じて知っていました。このような事件が起きると弁護側は「責任能力」の有無を持ち出すのが常であり、またかという感じで、それ以上深く考えることはありませんでした。
本書は、受身の姿勢では見えてこないこの事件の本質を解き明かすことで、社会に埋もれるさまざまな障害者問題を浮かび上がらせています。
著者は加害者側に立つという難しい立場にありながら、遺族感情との矛盾からも背を向けず、罪をどうにかして償って欲しいという気持ちから「責任能力」を問いただしました。
なぜ著者が遺族感情との矛盾に苦しみながらもこの裁判を闘ったのかということを、本書を読んで理解して欲しいと思います。
また、加害者の家族についても詳しく書かれていますが、この恵まれた国でこんな不幸が存在するのかというほどのもので、大きなショックを受けました。
そして、罪のない一人の女性が殺されたこの事件のおかげで、希望の欠片もなかった加害者の妹が幸せな最期を送ることができたのはなんとも皮肉であります。

著者の気持ちがこもったおもい本です。 (N.K/2007-03-05)
知的障害者でパチンコ狂いの父親。自閉症の兄。母親死亡後、癌に冒されながらも、
死の床まで一人で一家を支え続けた妹。そして弟。
レッサーパンダ事件を通してあらわになった悲惨な家庭状況。
理解されない自閉症という病い。
あまりに悲しく、あまりに救いのない現実に、不謹慎ながらも
同情の念を禁じ得ません。
この本はある意味において『ほたるの墓』かもしれません。
ページを再び開く気は、しばらく起きそうにありません… (白い妖精/2007-09-22)
福祉システムの不全感は分かるが… ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
 筆者の努力を無駄とは言いません。また、この種の努力が必要なのは論を待ちません。しかしこの本の持つ力は、いみじくも判決が示すとおり、残念ながら自閉症という疾病を一度も見たことの無い人には通じないと思います。「ではどうすればいいのか」という処方箋を僕が持ち合わせているわけではありませんが、結局のところ、福祉システムの中の人間が、日常抱えている不全感を、その中で開陳しているに過ぎないものになっています。つまり、この本の一番の問題点は、自閉症の人に1回でも接したことがある人は読まなくても筋は分かるし、そうでない人には、決して理解してもらえないものになっているところにあります。
 また、著者は、障碍者福祉への無理解を告発しているのですが、健常者(と自分で信じている人々)が障碍者から隔離されている現状から見れば、主題である自閉症(に限らず、全ての障碍)について理解してもらうことは残念ながら不可能であることも、読後に残った虚無感で示すことには(それが著者の目的ではないと思いますが)不幸にも成功しています。
 かく言う消化不良を抱えながらも星5つなのは、それでも一人でも多くの人にこれを読んでいただき、自閉症というありふれた障碍について自分の問題として考えてもらいたいと思ったからです。現実の持つ力には及びませんが、それでも当事者に深く関わっ