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「『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する (光文社新書)」 とその関連商品
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『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する (光文社新書)
ASIN:4334034209光文社(2007-09) 亀山 郁夫 売上順位:11316 ¥ 819(中古:¥ 450) これを買った人はこれも買ったよ![一覧で見る] |
レビュー総評点:9
「カラマーゾフの兄弟」の新訳を手がけたドストエフスキー研究の第一人者が、〈幻の続編〉を空想するという知的ロマンの書だ。大まかな構想だけ示された続編については「三男アリョーシャの皇帝暗殺物語」との見方が支配的だが、本書では想像力あふれる斬新なプロットを提示しているのが注目される。
著者はオリジナル作品の暗示的な「序文」や、続編への伏線とみられる謎めいたディテールをはじめ、作者の残したメモ類、同時代人の証言など、客観的データを多角的に検証。想像の翼を広げ、続編の輪郭や骨格をイメージしていく。そのまるでジクソーパズルを1枚ずつはめ込んでゆくみたいな丹念な作業を経て構築したのが、以下のようなダイナミックでスリリングなストーリーだ。 ……本編の舞台から13年後、1879年のロシア。キリスト教布教者アリョーシャはモスクワの大学を卒業し、村の学校で教えるかたわら、新しい信仰を広めてゆく。一方、少年時代から彼と交流があるコーリャ・クラソートキンらの〈弟子〉たちは成人し、コーリャが中心となり革命組織を結成、列車爆破による皇帝暗殺計画を練る。そして、組織は皇帝暗殺後のリーダーにアリョーシャを据えようと決議。コーリャはアリョーシャに就任の要請をするが、ふたりはテロルか融和かをめぐり対立。その後、暗殺計画が漏れ、テロ決行前日、コーリャは逮捕される……。 ざっとこんなプロットだが、著者は様々な根拠を挙げ、従来のアリョーシャ=皇帝暗殺者説を否定。事件の首謀者をコーリャとし、アリョーシャは間接的な関与にとどまるとの創見を示す。その背景に設定した1879年というのはドストエフスキー死去の2年前、国内で政府要人に対するテロルの嵐が吹き荒れた年である。 全体の構成は本編同様、「4部+エピローグ」形式を想定、各部各編の展開もラフスケッチ。さらに、本編を彩る登場人物、カラマーゾフの長男ドミートリー、次男イワンをはじめ、カテリーナら女性陣のその後の足取りを描いているのも興味深い。 このほか、壮大な物語に採用されたであろう、ロシア正教異端派の「性と信仰」のモチーフを幅広い観点から論考するなど、全体として著者の学識とイマジネーションが発揮され、ライトな新書らしからぬ読み応えがある。 ……空想、仮説とはいえ、おぼろげに見えてきた「幻の作品」。もし、世に出ていたなら……。 (しぁんくれーる(Champ Clair)/2007-12-24) 売れてますなあ亀山新訳『カラマーゾフ』!! ドストエフスキーファンには周知の第2部『カラマーゾフ』を空想するというたまらなく魅力的な構想の本書も、亀山郁夫という稀代のロシア文学者の誠実さと「科学精神」にあふれた好著である。
末弟アリョーシャが、ロシア皇帝という「母国の父」を殺すことになるのかというプロブレマティックは、河出版全集の完訳者米川正夫も指摘していたが、亀山は少年コーリャをその実行者として想定し、証拠固めをしてゆく。その手際には畏れ入った。本書を読んでいてしきりに残念に思ったのは、江川卓の早世である。彼の『謎解き』シリーズをもっと読みたいと思ったのだ。 さらに、作家ドストエフスキーには、スターリン時代まで生きていて欲しかったという、叶うべくもない夢想に浸ってしまった。 (野火止林太郎/2007-09-15) 私が学生時代に初めて『カラマーゾフの兄弟』を読んだときには、その内容のすごさに圧倒されつつも、まさかカラマーゾフブームなるものが訪れる日が来ようとは思ってもみなかった。
そのブームを作った立役者である亀山氏が、『カラマーゾフの兄弟』に秘められた数々の謎を解き明かしつつ、未完に終わった続編を予想(著者は時に自虐的に「妄想」という言葉も使っている)していくのが本書だ。 この手の「カラマーゾフ謎解き本」には、江川卓氏の『謎解きカラマーゾフの兄弟』があり、これも非常に面白い。 だが本書は、続編に直接関連してくるであろうトピックスのみを対象とし、その総括として、著者が思い描くカラマーゾフ続編(著者が名づけるところの『カラマーゾフの子どもたち』)のプロットまでを提示する。 そこらの人が同じことをやっても鼻で笑われそうだが、『カラマーゾフの兄弟』の新訳を完成させた著者だからこそ許されるし、説得力もある。 そして内容は非常にスリリングだ。 もちろん、『カラマーゾフの兄弟』を読んだ人でないとなかなか理解できない内容。 逆に言えば、あの大著を読破した人へのちょっとしたご褒美、と言えるかも。 (チャックモール/2007-10-10) それにしてもよくこんな本を出しましたね。ターゲット狭すぎでしょ。「カラマーゾフの兄弟」そのものですら読んでる人はそんなに多くないのに、そのニッチを狙って新書を出すとは。。
ちなみになぜこんなマニアックな本がこのタイミングで出たかというと、本書の著者である亀山さんが最近「カラマーゾフの兄弟」の新訳版を出して、ちょっとした「カラマーゾフの兄弟」ブームになったからです。亀山さん訳の「カラマーゾフの兄弟」を読んだ人が、まんまとこちらの新書も買わされるという(僕もそうなんですが)一種の抱き合わせ商法になっているのです。しかも内容は本家の最終巻に載せてある「解題」を膨らませただけという、なんとも手抜きな感じの新書になってます。はっきり言って、これはずるい。 でも困ったことに、この新書けっこう面白いんですよね。「カラマーゾフの兄弟」は作品そのものよりも「続編」を想像・空想・妄想する方が断然楽しいというのが定説なわけですが、それを翻訳者がやっちゃってるわけで、これは当然興味深いし面白い。また普通は「カラマーゾフの兄弟」を読み終わっても、こういう「空想」を語り合える友人が近くにいることはなかなかないわけで、本書は空想を共有する楽しみもちゃっかり備えていると言えます。翻訳者がこんな本を出しちゃうこと自体、やっぱりこれもずるい。 なんかねー、とにかくずるいよね。だって最近「カラマーゾフの兄弟」を読んだ人は、この新書も読まざるを得ないんだもん。悔しいけど、オススメ本なのです。特に亀山訳で「カラマーゾフの兄弟」を読んだ人は、必ずこちらも一緒に読んでみてください。「カラマーゾフの兄弟」の魅力が一気に数倍に膨れあがること間違いなし、なので。 (のいのい/2008-04-16) 息もつかずに読み切った。
とにかく説得力がある。カラマーゾフの続編を空想するのに、序文の成立事情、夫人や当時のジャーナリスト・スヴォーリンの証言を並べ、当時ロシアで起きたテロ事件を振り返る。そうした上でアリョーシャは皇帝暗殺者となるのか、ドストエフスキーは皇帝暗殺を書けるのかを子細に検討する。そして時空間を定め、小説を三つの層(神の実在と不在、パンか自由か、などを問う「象徴層」、プロットやストーリー、登場人物の葛藤を描く「物語層」、ドストエフスキー自身の体験を露出させる「自伝層」)に分け、かつ続編は、正編同様の交響曲風の展開をするものとして、一気に続編の構造を起ち上げる。まさに正確なコンピュータが再生させたドストエフスキーの頭脳による構想と言っていい。 それにしても、書かれて百年以上経つ小説がここまで熱く語られ、ここまで人の心を捕えることに驚く。「カラマーゾフの兄弟」を読むことは単なる読書体験というよりも、一種の魂の体験で、アリョーシャもリーザもイワンも単なる登場人物というより、一種の知人。“萌えキャラ”どころじゃありません。そんな人物たちがどうなるのかを考えるだけでわくわくする。 もっともドストエフスキーの小説は必ず、お約束を裏切ってくれる。「罪と罰」のラスコーリニコフは一線を踏み越えたかに見えて踏み越えられなかったし、「悪霊」のスタヴローギンもヴェルホベンスキーの思う通りには動かなかった。亀山氏の描いた完璧な想像図を、ドストエフスキーが生きていたら、どう裏切り、どう突っ走って行ったかを、スリリングに想像する。アリョーシャの関わる皇帝殺しがもし本当に描かれていたら、二十世紀の文学史はもちろんのこと、歴史すら変わっていたかも知れない。 (キャラメルマキアート/2007-12-02) 世界で最も有名な未完成作品であり最近ブームの「カラマーゾフの兄弟」。著者はその翻訳者(光文社文庫版)であり、著作に名著「ドストエフスキー父殺しの文学」もある。「父殺し」でも続編予想はされていたが、アリョーシャを皇帝殺しにするにはかなり無理があり、私は氏の説にはいくつも反論があった。それから数年を経て書かれた本書は、私の反論に対し(リーザの扱い以外は)全て答えたものであり、前作の予想より遥かに完成度は高い。「父殺し」と重複する点は少なく前著を読んだ方でも満足するであろう。内容も丁寧でかつ「悪霊」や「白痴」等しっかりとした根拠に基づいた良心的で冒険のない妥当な内容であり「カラマーゾフの兄弟」を読んだ方には専門的度合いの高いドストエフスキーの解説書にしては「まずまず」楽しめると思う。
ただし、「白痴」「悪霊」(共に「カラマーゾフ」より遥かに難易度は高い)を読んでいることを前提として記載していたりさらにグノーシスや鞭身派について一切解説していない等(まあ、ドス読者には鞭身派は常識だが)、新書としては異常な難易度であり、カラマーゾフブームで読んだだけの人には非常に敷居の高い内容になっている。 (karenina/2007-10-11) ここまでやってしまう、というのは、ドストエフスキー的過剰というべきなのだろう。
ドストエフスキーの脳髄の端っこを覗くことができただけでも功績は大というべきか。 しかし確実にいえることは、非常に堅実に空想された科学的な続編だということだ。研究者としての良心がずいしょに見えるのが、好ましい。アリョーシャが皇帝暗殺者にならない、ということの証明のためにあれだけ熱をこめて説明する態度が感動的である。大江健三郎氏が、朝日のエッセーでも書いていたが、第二の小説の主人公をコーリャ・クラソートキンと見定めたのは、慧眼である。何よりもそれを、第一の小説の細部から浮かびあがらせているのがよい。しかし、不満がないわけではない。爆発的な想像力という点で、その学問的な態度が少し邪魔をしていることだ。もう少し羽を伸ばしてもよかったのではないか、という思いが残る。しかし、責任を持って語れるぎりぎりの地点はこのあたりなのかもしれない。 (谷間のゆり/2007-09-24) タイトルから、非常に魅力的に感じて買いました。
とてもがっかりしました。 空想というより、妄想という感じでした。 興味の無い個人哲学を延々読まされた気分です。 カラマーゾフの兄弟を好きな人でも 本書を買うときはよく考えたほうがいいと思います。 (たんごのせっく/2008-03-07) 題名通り、ドストエフスキー「カラーマーゾフの兄弟」の続編について考証したもの。私は「カラマーゾフの兄弟」を世界最高峰の文学と考えているので、本来なら本書のような本は歓迎すべき所なのだが、内容に新規性がないのにはガッカリさせられた。
「カラマーゾフの兄弟」が超大河小説の第一部として書かれた事は常識である。また、何時の日にか"神"となったアリョーシャが皇帝暗殺を企てるという事も。これらの点は江川卓氏「謎とき「カラマーゾフの兄弟」」に詳細に解説されている。政治犯ドストエフスキーが当局の目を逃れるために、皇帝暗殺に失敗する話にする云々と書かれているが、これも江川氏の作品を読めば明記されている。「カラマーゾフの兄弟」の末尾で、アリョーシャが十二人の少年使徒を前に演説するシーンがある。この少年使徒は勿論キリスト(=アリョーシャ)の十二人の使途に対応するが、当然その中にはユダがいる。だから、暗殺は失敗するのである。 「続編を空想」しなくても、答えは「カラマーゾフの兄弟」の中に書かれているのである。完全な徒労作。 (紫陽花/2007-10-11) 「カラキョー」の第二部はどうなるかという単なる好奇心で読み始めましたが、そういう次元を遙かに越えた本でした。すべての点で、文学の凄みというものを感じさせられました。一例ですが、テロリズムと作家の執筆が深いところでシンクロしていくところなど、まさにスリルです。そして締めとして、「おそらく、『改心はなかった。『改心』を演じつづける努力、それこそがその後のドストエフスキーの三十年の人生だったのではないか」(p.269)という言葉には、文字通り涙しました。私がずっと思っていたドストエフスキー像だったからです。
厳密な意味での研究書ではないのかもしれませんが、いろいろな言語に訳されてドストエフスキーに興味をもつ人すべてに読まれてほしい本です。 (kisobe/2007-10-10) ・・たった今、本書を読み終えたところです。
既にタイトルにもあるようにこの本は、「・・空想する」という立場にたって書かれた書であり、読者はそれを予め踏まえた上で読むべきものであると思います。 著者は、ドストエフスキーの大名作「カラマーゾフの兄弟」を新訳する快挙を成し遂げた後に、どうにも書かずにはいられない内的衝動、否使命ともいうべき意思で、本書を謂わば「空想」した・・それは常人には、計り知れない程のプレッシャーが有ったことでしょう・・ 推考に推考を重ねながらも逡巡し逸脱しそうになりながら執念で書かれたのが、この本ではないかと思います。 著者の姿勢には、常に極めて謙虚でありながらも飛躍する勇気(冒険)も含まれてあり、その論考には読者を惹きつけて離さない切迫したものがあります。 ぼくは、新書でこれだけの「内容」の濃い「密度」の高い本を嘗てこれより他にみたことがありません(極めてCPが高いと思います)。 既に「カラマーゾフの兄弟」(未完の書)を読了した読者には、正に待望の、また「余熱」冷め遣らぬ書と言えるのではないでしょうか・・ 大名作「カラマーゾフの兄弟」続編に挑戦した著者の惜しみない「情熱」に拍手を捧げたい・・そう素直に思えます。 (長太郎/2008-03-09) いやとうとうここまで来てしまいましたか。著者のドストエフスキー論の集大成にもなっています。だってフェードロフだけでなく、スペツネフまで登場してきますから。「根本から調べなおしたい」という著者の結語にもかかわらず、ここから先のカラマーゾフの「空想」的な展開は出てこないでしょうね。そこまでいくと、本当に”妄想”の世界に近づいてきてしまいますから。この未完の続編は、著者の前作の「父殺し」でも触れられていましたが、ここではその仮説がより洗練され、「可能性だけではなく、現実性」により焦点を合わせた解明が試みられています。解明は、作品を三層構造(象徴層、自伝層、物語層)として捉え、かつ作品の背景を1870年代後半のロシアの現実の状況に位置づけることにより、説得力を増しています。そしてその仮説の究極的な到達点とは、double speakの塊としてのドストエフスキー理解です。つまり「改心はなかった。改心を演じつづける努力」こそがドストエフスキーだったというわけです。この驚くべきモティーフの解明には、祖先の物理的な復活を目的としたフェドーロフという特異なパーソナリティの「共同事業の哲学」の影響が取り上げられます。そして、スペツネフとの切れることのない関連が指摘されます。ただドストエフスキーが影響を受けたフーリエやサン・シモンなどの社会主義者は、あくまでも西欧の合理主義哲学の延長線上に位置づけられものであり、ドストエフスキーの最終的な理想はあくまでもこれらの社会工学的な発想とは対極に位置するものではないかという疑問は残りますが。
(recluse/2007-09-22)
亀山新訳の「カラマーゾフの兄弟」全5巻を読破した者にまだお楽しみの1冊が残されていた。それがこの「第二の小説」がどのようになるかという亀山本人によるプロット展開。これを書き終えるまでは、まだまだ外大の学長になんぞ就けないとでも言うかのような迫力ある文章、気合が入っている。本書は、「カラマーゾフ」解説本であると同時に、革命前夜のロシアのテロリズム史であり、社会文明史、思想史でもある。アリョーシャを中心に展開すると予想される「第二の小説」のプロットは、読む人のお楽しみにとっておいたほうがいいので、ここでは何も言わないが、知的好奇心あふれるお勧めの1冊ではある。それにしても亀山が何度か引用している「空想から科学へ」という言葉、この新訳の主な読者といわれている現代の若い人はどのように受け止めているのだろう。
(ヒデボン/2007-09-21)
「続編を空想する」と言うタイトルですが、何となく「推理する」と書き換えたいような感じでした。そのくらい「推理小説」感覚で一気に読みきることが出来ました。
全14件のレビューを表示しています。宗教問題、そこからくる性の問題、そしてオイディップス・コンプレックスとしての「父殺し」、その延長線上にある「第二の父殺し=皇帝暗殺」と、様々な視点で描かれているのですが、それに戸惑うことはありません。 そこには、作者が言う「象徴層」「自伝層」「物語層」というはっきりした視点を用意されているからだと思います。そうした作者の論理性の素晴らしさが、誰が読んでも素直に受け止められる作品にしているのだと思います。 とにかく、この本を読むと『カラマーゾフの兄弟』の続編は、これしかないと思ってしまいます。 改めて、『カラマーゾフの兄弟』を読み直さねば・・・。 (ringmoo/2008-01-10) [amazonでレビューを見る][amazonでレビューを書く] 平均点:4.5 はてブコレクション数: |
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ドストエフスキー―謎とちから (文春新書)
ASIN:4166606042文藝春秋(2007-11) 亀山 郁夫 売上順位:25716 ¥ 819(中古:¥ 328) これを買った人はこれも買ったよ![一覧で見る] |
レビュー総評点:44
名訳者は名解説者ならず |||||||||
ドストエフスキーの生涯と作品の関係、及び作品のストーリー解説は面白く、役に立つ。
特に最後の5大作については、力がこもったものとなっている。 しかし、ドストエフスキーにおける神という問題はどうなっているのだろうか。 本書では全くと言っていいほど、その問題に言及しておらず、ドストエフスキーの問題を もっぱらサディズム・マゾヒズム 去勢コンプレックス、オディプスコンプレックス等 に還元し解説している。 いうまでもなく、西欧の文学・哲学は、キリスト教の決定的な影響の上に培われてきたものだ。 ロシアの文学・芸術もその範疇に捉えられるものとしてよいだろう。 著者はわからない問題はすべて「性」の問題として考えるという現代知性の罠に陥っている ように思う。 ドストエフスキーの問題を「性」の問題に還元し、どれほど収穫が期待できるのか。 私の疑問は、その一点に尽きる。 (但し、読者を驚かせる作品であることは、素直に認めるが・・・・。) (至高の豚/2007-12-05)
ちょーっと肩に力が入りすぎでは? |||
カラマーゾフ続編論(『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する』)に次ぐ、亀山先生のドストエフスキー論。
ドストエフスキーの生涯における思考の変遷、特にロシア正教「異端」との出会いが、彼の作品にどんな影響を与えているかを読み解いていく。 一応、初心者にもわかるようにはなっているが、基本的には少なくとも長編のうち2、3冊は読んだことのある人向けだろう。 特に後半の5大長編の解読については、一応簡単なあらすじは載っているものの、読んだことのない人にはさっぱりだと思われる(そして、ここが一番面白いのだが・・・)。 私は一応、それらを読んだことがあるという立場ではある。 それでも正直、本書は期待したほどは面白くなかった、というのが正直なところだ。 著者は、特に異端派との関連で、非常に壮大な仮説を提示する。 それらは確かに知的好奇心を煽るようなものが多いとはいえ、著者自身「空想」と言っているごとく、「本当か?」というようなものが多いのも事実。 著者の少々力が入りすぎているような語り口と相まって、著者ばかりが盛り上がり、読者を置いてきぼりにしている感がどうしてもしてしまうのだ。 特に、本書でもたびたび言及されている江川卓氏の『謎解き』シリーズの、あくまで読者にわかりやすく、それでいて知的好奇心が刺激されるような文章を読んでしまっていると、なおさらその思いを強くしてしまう。 もっとも、これらの欠点は著者の思いの強さの現われ。 期待が高すぎた、というだけで、ドストエフスキーファンにとって本書が面白くないはずがない。 (チャックモール/2008-02-05) カラマーゾフの新訳、第2の小説の空想と、大いに楽しませていただいたが、2007年、さらにもう1冊お楽しみがあった。 これは亀山ドストエフスキー論の当面の結論である。カラマーゾフの解説等では書かれていなかった「スメルジャコフの父親はだれ?」について、独自の見解がなされている。またドストエフスキーの時代には「堕落した父=皇帝」「去勢派=農奴」と考えることが出来ても、グローバリゼーションが進行した現代では、亀山は「堕落した父=アメリカ」「去勢派=イスラム」と捉えている。でもここまではっきり、あからさまに言い切って、少しやばくないか?
この本は、カラマーゾフに止まらず、「罪と罰」から始まる5大小説の解説本にもなっている。これが実に面白い。願わくは、外大の学長に就いたばかりの多忙な亀山先生には申し訳ないが、できるだけ早く翻訳業に復帰されて、より詳しいドストエフスキー論をもっと書いていただきたいものである。 (ヒデボン/2007-11-23) どうしたんでしょう。なんという執筆のスピードでしょう。確かに、序文は相変わらずの団塊の世代の臭みと勝手な思い入れがあり苦笑させてくれます。最初は、前作(書かれることのなかった続編についての作品)のリフレーズかと思っていたら、いやいやとんでもない作品に仕上がってます。そして驚くべきどんでん返しもあります。そう今回の作品も、決して単純な全作の焼き直しではなく、主要な部分での著者の重要な考え方の変化が提示されています。スメルジャコフはフョードルの子ではなく去勢派の落とし子だったと言うのです。それも召使グリゴリーの息子かもしれないというのです。それ以外の論点としては、ドストエフスキーを偽装転向(戦前の日本の知識人)を演じきったdouble speakの二重性の人物として捉えきった部分。「そそのかし」と不思議な3角的欲望の関係の構図の中で、ドストエフスキーの駄作といわれた作品の秘密と原型を解説した部分。そして最後は彼の作品をキリスト教の拘束から解き放ち、大地というキーワードで消化させようとしたアプローチ。また分離派についてはかなりのスペースが咲かれています。相変わらず19世紀のロシアの革命運動の変質との絡みの中でのドストエフスキーの変質はは乱雑に扱われていますが、今回は著者なりの努力もうかがえます。。グローバリゼーションの絡みの中でのドストエフスキーの位置づけは、新味はありますが、 これは営業上の言説かもしれません。だって亀山さん自身もこのdouble speakの達人なのかもしれませんから。
(recluse/2007-11-19) 2007年の講義をもとに口述筆記を行い、加筆修正した本。NHKの番組で亀山氏のドストエフスキー作品論を見ていて、テレビ番組という時間的な制約上、もうちょっと詳しく聴きたいのに、とフラストレーションを溜めていた身としては大満足な一冊だ。
亀山氏の論考に触れると、自分がドストエフスキーをかなり概念的に読んでいたことに気づかされる。「異様に暑い」ペテルブルクの「棺桶」のようなアパートで、老婆殺しを考察するラスコーリニコフの息遣い、ムイシュキンだけでなくロゴージンとも性的な関係がなかったとされる(!)ナスターシャ・フィリポヴナの歪んだトラウマとヒステリー、そしてイワン・カラマーゾフの傀儡としか見ていなかったスメルジャコフの狂気を孕んだサディズム……実は何て生々しい作品世界だったんだろう! そして、哀れな少女マトリョーシャの自殺を察知しながら、引き止めようとせず、あとからその縊死体を「板の隙間から覗き」見るスタヴローギン。その姿を、亀山氏は「9・11」ツインタワー崩落をテレビで見ていた私たちと重ねる。スタヴローギンのみが持っていた悪魔的な「神のまなざし」を、現代人は否応なく手にしてしまったのだ。そう、インターネットの世界には神を失い、自ら神となったラスコーリニコフやスタヴローギン無数にはびこっている…… 「ドストエフスキーを読んだと思うな」という作者からのメッセージを強く感じる。ドストエフスキーを「昔読んだ本」にしてはいけない。まだ何も読んではいない、読み続けなければならない、と。 (キャラメルマキアート/2008-07-06) ようやく読了。かなりシビアなテーマを扱っています。何よりも、異端派のテーマが前面に押し出されていて、これまでの私の知るドストエフスキー像とはかなり違います。口述筆記だけあって勢いを感じさせますが、しかし、勢いにつられての誤読という、作者が冒頭で心配している逸脱は見受けられません。それにしても、去勢派と呼ばれるセクトが、ドストエフスキーが小説を書いていた19世紀全般にわたって存在していたというのは驚くべき事実です。『カラマーゾフの兄弟』を読み上げたときには、薄気味悪さを感じこそすれそこまでディテールが書き込まれているとは想像もできませんでした。圧巻は、何といっても、『罪と罰』と『カラマーゾフの兄弟』の章でしょう。スメルジャコフの自殺について新しい説が出されているようです。また、『カラマーゾフの兄弟』のタイトルとの関連で、この小説全体のテーマを黒と白の対決としているのも興味深い結論でした。特殊なドストエフスキー論というより、特殊さを突き抜けて初めて立ち現れたドストエフスキー論とでもいうべきでしょうか。かつてロシア文学やロシアの文化に夢中になって貪るように本を読んできた私にとって、新たな節目となる一冊です。
(ブロンテ姉妹/2007-12-15)
とにかく驚きの連続です。
全7件のレビューを表示しています。最初から最後まで、今まで思ってたことがすべて覆された感じです。 ドストエフスキーの作品が、宗教色が強く、それもロシア正教と思っていたものです。ところが、「去勢派」や「鞭身派」と言った異端があり、その影響が多きとは非常に驚きです。 その上、スメルジャコフがフョードルの子ではないと言われると、天地がひっくり返った感じになってしまいます。 そうした様々な作者の考え方を基に、五大長編小説の解説がなされるのですが、ここでも象徴層、歴史層、自伝層、物語層と言った4つの見方を提唱し、それぞれの見方によって、違った解釈が成り立つことが解かれていきます。 この本を読んで、ドストエフスキーをすべて読み直さねばと思いました。 (ringmoo/2008-01-06) [amazonでレビューを見る][amazonでレビューを書く] 平均点:4.5 はてブコレクション数: |
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カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫) (光文社古典新訳文庫)
ASIN:4334751334光文社(2007-07-12) 翻訳:亀山 郁夫/ドストエフスキー 売上順位:1844 ¥ 660(中古:¥ 536) これを買った人はこれも買ったよ![一覧で見る] |
レビュー総評点:106
ああ読み終わってしまった!
という寂しさが、読了の満足感を凌ぐ傑作。 異例のベストセラーということで、新聞各紙でも採り上げられているが、 ドストエフスキーの魅力を(おそらく)巧みに引き出した名訳が、 本書を含む全5冊の光文社判「カラマーゾフ」の魅力のすべてである。 そして、特にこの別巻について言えば、小説の「エピローグ」部分は、 総ページの5分の1以下だが、1〜4各巻に付されてきた、 すこぶる工夫を凝らした解題の総決算もいうべき長文の解題と、 「カラマーゾフ」創造との結びつきを意識した刺激的なドストエフスキー略伝が 掲載されており、小説読後の余韻を高めてくれる。 学生時代、『罪と罰』を読んだあと、同じ新潮文庫で挑戦したものの挫折。 遥かな時間を隔てて向き合った本書の、なんと面白いこと。 登場する人物像、事件の、あまりにも現代に通じる点も驚異だが、 小説とは主題以上に、語り口が持ち味なんだということを、 改めて思い知らされた次第。 それにしても、本書は書かれるはずだった全体の「第一」の部分だという。 いったいどんな展開が、この後にあったのでしょうか! 前のレビューの方で、「サイドストーリーとも言えるアリョーシャと 子供たちとのエピソード」に惹かれる趣旨のコメントがありました。 訳者の「解題」を読めば、それもまた、書かれなかった“第二の小説” の伏線だったようです。 そんな謎というか、「未刊」であることも含めて、本書は偉大な作品。 (bias/2007-08-22) この新訳カラマーゾフの兄弟が刊行せれ始めて約1年ようやく最終巻がでた。結果的に4巻+エピローグ1巻の5巻構成になったが、個人的にはエピローグを分けこのような形にしたのは正解だと思う。また、この5巻の約半分を占める解説もこの小説を理解する上でとても参考になるし、再読するにあたってまた別の視点に立って読み進めてく上で有用であると思う。
(ro/2007-08-18)
古典としては近年異例のベストセラーとなった亀山訳『カラマーゾフの兄弟』。私は新潮文庫版を愛読していたのでそちらの訳文に慣れてしまったが、こちらの亀山訳は確かに平易で簡潔。各登場人物の台詞も、古典翻訳モノでありがちな「実際の日常会話ではほとんど使われることのないであろう文語的表現」は一切出てこず、それがために流れるような文章だ。読みやすさ、という点ではこちらが上。ただし、表現の適度な重厚さ、原文が持っているニュアンスまで出来る限り忠実に再現するために選び抜かれた訳語、その彫心鏤骨さという点では、新潮文庫の原卓夫訳も決して劣らないことを是非主張しておかねばならない(ただ、原訳は少し読点が多すぎ、読書のリズムが損なわれがちな嫌いはある。他の翻訳作品にも見られる特徴なので、これは訳者の癖であろう)。
なんと言っても、この亀山版は各巻の解題・作品解説が素晴らしく、それらが凝縮されたこの「エピローグ別巻」はこれだけでも買う価値がある。ドストエフスキー研究をライフワークとされている氏の作品読解は、流石に半可通では及び難いレベルにまで達している。もちろん翻訳物におまけ程度で付いている解題群など比較にならない。個人的にはこの亀山氏の解説も、作品を十分に読み込み、独自の作品解釈を構築してから読んだ方がよいとは思うが。というか、自分でその域に達してからでないと、他者の解釈も本当には味わえないもの。「カラマーゾフ」を読み込んだ者ほど、氏の解説には唸るであろう。 (モリブンドゥス/2007-09-29) この3週間、カラマーゾフの世界にドップリ浸らせて貰った。
そして、まずは読了出来た事を率直に喜びたい。 また、本書の様にとても読みやすい新訳が出たのは非常に意義のある事であり ドストエフスキーがこんなに読みやすくて良いのだろうかと思ったくらいである。 しかし期待が大きすぎた事もあるかも知れないのだが(世界最高の小説と言われていたりして) 正直言って物語自体はそれ程関心しなかった。特に父殺しのエピソードについては、ミーチャを有罪にする為にやや不自然かと思われる部分もあった。自分はむしろサイドストーリーとも言えるアリョーシャと子供たちとのエピソードの方が良かった。 もちろん本書は単に物語だけでなく、神の存在をめぐる議論などドストエフスキーの思想がギッシリ満載されており、特に大審問官の章は再度読み直して理解を深めたいと思う。 (都筑まもる/2007-08-19) 作品が感動的に終わるエピローグのあと、本書の大部分は亀山氏によるドストエフスキーに関する解説や本書内容に関する説明などが書かれている。
亀山氏によるバフチン理論に関しては専門的に勉強した人々によって少々非難が巻き起こっているのではあるが、単純な一読者としてこの解説を読むことは、カラマーゾフの兄弟を読む上でなかなかに興味深いものであった。 高潔でありながらも、けだものでもあったドミートリー・カラマーゾフほか、やたらに二重性のある人物たちをドストエフスキーが創造し、克明に描けたのはなぜなのかが、この解説によるドストエフスキ−の人となりから、多少理解できた気がする。 (ぱぱり/2007-08-27) この5の解題がなければ、私はカラマーゾフの兄弟を読んだことにはならなかったかもしれない!と感じます。
まァ、この解題すらちゃんと理解できたのかは疑問ですが、だいたい読んだかな、8割方は楽しんだかな、という気分になれました。ありがたいことです。 とにかくすごい小説なんですね。というか、ドストエフスキーが壮絶。描かれている人間の感情、観念の幅の広さに圧倒されました。 完結してないことが惜しいです。 (marpsjournal/2007-10-20) すぐれた訳者が必ずしもすぐれた解説者であるとは限らない。本書解題におけるバフチンのポリフォニーへの言及は全くの出鱈目。
本書では「登場人物の多様性による視点の相対化」というくらいの意味ですがポリフォニーとはそのような意味ではありません。 亀山の知ったか振りは、本当にバフチンを読んでいるのかさえ怪しい程で、ただお茶を濁すだけで殆ど何も説明していない。 そればかりかバフチンがポリフォニーの「非常に際立った対話」として詳しく考察している箇所(『詩学』p534-539)を事もあろうに 「ポリフォニーの原理にさからうセリフ」(『本書』p281)等と頓珍漢なことを(しかもなぜか自慢げに)書くトホホな始末。 何も知らないと思って読者を馬鹿にしているとしか思えない。 参考 「イワンの言葉と悪魔の応答とを差異づけているのは、内容ではなく、ただその調子、ただそのアクセントだけである。 しかしそうしたアクセントの移行は、イワンの言葉と悪魔の応答の最終的な意味の全体を変化させている」(『詩学』p454-455) 「悪魔はイワンの内的対話の中に、愚弄嘲笑と絶望的な断罪のアクセントを持ち込む」。悪魔は「イワンのアクセントを悪意的に誇張し、 歪めてしまう」。「アリョーシャもまたイワンの内的対話の中に他者のアクセントを持ち込むが、しかしその方向性は正反対」の「愛と和解 の調子を持ち込む」。悪魔とアリョーシャは「双方とも同じようにイワンの言葉を反復しながらも、その言葉にまったく正反対のアクセント を付与」する。「対話において衝突し、論争しているのは」絡み合った「闘争する声たち、内部で分裂した声たちのポリフォニー」である。 (同p537-538、p522から再構成) キーワード アクセントの移動(変化)/言葉の対話的分裂/意識の対話的分裂/言葉の他者性/私的言語の否定 多声=対話=複声/対話と対話の対話/対話の未完結性=永遠性 『ドストエフスキーの詩学』ミハイル・バフチン(ちくま学芸文庫)特に「ドストエフスキーの対話」p527-562参照。 (Maulwurf/2008-05-31) エピローグはすぐ終わり、
あとの100ページ程がドストエフスキーの生涯。 そのあとの170ページ程がカラマーゾフの兄弟論となっている。 いままで新潮社の訳の違和感から抜け出せず、カラマーゾフの兄弟をなかなか読み切ることができなかったが、この亀山訳は読みやすく、これからの定番になるだろう。 ドストエフスキーは永遠に人類に読み継がれる偉大な作家だ。 (「数学ましーん」/2007-09-03) 大長編のエピローグ、わずか60ページほどだが、高揚感にあふれ、ポジティブな力がわいてくるようなエンディングで大満足。ここまで読んでよかったという充実感に満たされた。その後のドストエフスキーの生涯についての記述も興味深く読んだ。ただ、約半分を占める解題は興味深いが、また別の作品として出版されてもよかったのではないか。小説は小説でかたまりとして完結したほうが、続いて読んでしまって、読後の感激に理性の分析が入ってちょっともったいないかもしれない。
(だん/2008-11-20)
スピード感あり! |
読破しました!と言う言葉がぴったりの小説です。
とは言うものの、2ヶ月程で全5巻を読み終えました。そう言う意味ではかなり読みやすかったんだと思います。もっと苦労する覚悟でしたが、その反面新訳なのだから読みやすくなっているはず、という期待もありました。確かにある程度古い表現や、口語では少し違和感を感じるような表現もありましたが、結果的にはそんなことは気にならないほど、どんどん読み進むことが出来ました。それはもともとドストエフスキーの文体の力なのか、訳者である亀山氏の工夫なのかな分かりませんが・・・。 私はロシアの古典文学を読んだことが無かったので、何の先入観も予備知識もない状態でした。宗教的なことや、当時のロシアの状態など、分からないことだらけでしたが、各巻の最後にそれぞれ解説が付いていて、それを読むことによって本文では理解できていなかった事も更に理解することができ、そういった工夫も大変ありがたかったです。 ですので初心者にはかなりお勧めです! 内容的にもかなり興味深く、どこまで掘り下げて考えるかは読者次第と言えるでしょう。そう言う点でもあらゆる人が楽しめると思います。 また数年先に読み返すと、現在の自分では感じ取れなかった事に気づくのかな、などと思いを巡らせたりしています。 (JD/2008-10-29) 最終巻は、冒頭にエピローグの章があるものの、殆どが著者による解説である。本作に対する理解を深めるため、まずはドストエフスキーの生涯を説明し、本作の解説へと移っている。
これまで本作の解説というと、表面のストーリーとその背後に流れる神の存在を巡るテーマについて論じられてきたが、著者はそれだけではないだろうと主張している。それは自伝の要素である。 著者は「自伝の締めくくりとして、カラマーゾフの兄弟全体を構想していたといっても過言ではない」と述べている。 私は、この解説を読んで、改めて本作品の構成力に圧倒された次第である。 19世紀の作品とはいえ、今は昔、現在の知識では理解できない時代背景や当時の常識が散りばめられている。ましてや外国の作品であればなおさらである。自分で一字一句理解しようと無理をせず、水先案内人に従って読書を楽しむのも悪くない。 (どろがめ/2008-10-11) 5巻まで読み終えるのに優に3ヶ月を要した。人間の善悪の本質、キリスト教と無神教、高貴な心と醜悪な感情、重層に繰り広げられる壮大なドラマである。150年経っても、人間の本質はさほど変わらないということを思い返された。
→気に入った表現をいくつか 子供時代の、両親といっしょに暮らした時代の思い出ほど、その後の一生にとって大切で、力強くて、健全で、有益なものはない どうか人生を恐れないで!なにか良いことや正しいことをしたとき、人生って本当に素晴らしいって、思えるんです! 新約聖書と旧約聖書、とくにドストエフスキーに強い興味を覚えさせたのは、神のむごたらしい試練を受け、信仰を失わないヨブの話 極端に内気で人付き合いの苦手な若いころのドストエフスキー 政治犯容疑のドストエフスキーは、4年間、シベリアの流刑地で人生の奈落を経験 罪と罰 世界文学史上に燦然たる光を放つ小説 農奴解放後のロシア社会を襲った混乱 ロシアが国家としての推進力を失い、崩壊の道を辿りつつあるという、ナショナリストとしての漠とした絶望感 (三好明広/2008-08-03) 本編はエピローグだけで、このエピローグも大したストーリー展開もなく、
次作への布石のようなものだし、実際短いので、それ自体に感銘はないのですが、 その後に続く亀山先生の作者と作品についての解説がとっても面白かったです。 特に作品の解説がとても面白く、自分は自分なりに感銘を受けて読んだのですが、 こんな解釈もあるんだなぁ、とか、確かに言われてみるとそうだったなぁ、と、 この大河小説の深さを教えてくれるものです。 これを読んで、また違った視点から、もう一度本編を読み直してみたいなぁ と思わせる程の内容だと思います。 できれば次は違う訳者のを読んでみたいです。 作者の解説を読んで、スターラヤ・ルッサに一度行ってみたいと 今切に思っています。 (paxdomini/2008-02-03) あのスリット・タンのお姉ちゃん作家・金谷ひとみが愛人に唆されて「上巻読むのに4ヶ月、一気に3日で中・下巻」というペースで読んだのは新潮文庫版カラマーゾフ。この亀山版なら愛人の愛撫もそこそこに受け流し「1部と2部にまる1日、後も一気に全部で3日」というくらいで読んでしまえそう。圧倒的なスピード感、かっての古典訳本につきものの何箇所にも振られている注釈のルビ、これが一切ないので、読める、読める。
ロシア人特有の名前の呼称は、愛称が出てきたり、これがまたしょっちゅう変化したり、父姓が絡んだりやたらややこしい。亀山はこれを簡素化してしまった。これだけでも、21世紀日本の翻訳革命。だからドスケビッチ・オナゴスキーなんて名前が出てこない。それにしてもこのカラマーゾフって小説、なんて面白いんだらう。私にとっては2回目のカラマーゾフだけど、みんなシャベルしゃべる!おしゃべりなロシア人、父親のフョードル、ミーチャ、ホフラコーワ婦人、小悪魔たち、みんなロシア版吉本新喜劇の役者になれる。そして、最後にみんな元気に「カラマーゾフ、万歳!」ってんだからもう2007年最大の話題書はこれに決まり! (ヒデボン/2007-09-03) コーリャは個人的に好きになれない。すこし背伸びをしているような気がする。学問を究めないのに、高尚なことを言うのは良くない。
17件のレビューうち参考になった順で15件までを表示しています。彼に対して、アリョーシャは全然偉ぶらない人物で好感が持てる。影でいろんなことを良く勉強しているのだろう。 私はコーリャのような知ったかぶりをする人間にはならずに、アリョーシャのように高度な知識を備えつつ、かつ慎み深い人間になりたいと思った。 (k-um/2007-10-05) [16件以降をamazonで見る][amazonでレビューを書く] 平均点:4.5 はてブコレクション数: |
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カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)
ASIN:4334751326光文社(2007-07-12) ドストエフスキー 売上順位:1491 ¥ 1,080(中古:¥ 900) これを買った人はこれも買ったよ![一覧で見る] |
レビュー総評点:47
分厚い4巻である。
翻訳した亀山氏の意図によりこの巻はこの厚さ、この値段になった。 ほとんどがドミートリーの裁判で、文学でありつつ法廷小説としても非常に面白い部分であるから、この値段にも納得できる・・かな(笑 全巻が出揃ったあとだから言うが、初版よりも3版、4版になったころに買い求めるのが得策かと思う。 なぜなら初版での誤字誤訳が改訂されるであろうから。 このごくわずかな瑕疵で、今回の翻訳の偉業を貶めようとはさらさら思わないのだが、大事なことなので書いておいた。 (ぱぱり/2007-08-27) 「父親殺しを願望するだけで罪になるか?」の問いはそのまま
「神殺しを願望するだけで罪になるか?」の物語全体に通底する命題を炙りだす。 「異教徒に捕まり改宗を迫られ拷問された際、狂おしく祈り助けを求めても自分の叫びでは山 ひとつ動かなかったのにそれでも神への信仰を保ち続けていられるか?」 一巻でスメルジャコフが発した問いにイラクの拉致事件を連想した。 イワンは思想の中で神を否定した。 転じてそれはキリスト教を奉ずる人類の父たるイエス・キリストの否定へと繋がり、 現実の父殺しと呼応しながら次第に狂気じみた様相を呈していく。 父フョードルは滑稽かつ下劣な言動で人々の嘲笑を買う道化であると同時に、 とどまるところをしらない旺盛な生命力と強烈な存在感でもってカラマーゾフ三兄弟の上に君臨し、 三兄弟の思想・人格形成に多大な影響力を持ち得た通俗の神であった。 現実の父を殺したのはだれか? 信仰上の父を殺したのは? 二つの問いが互いに絡み合いながら行き着く答えとは? 思想の中で神たる父を殺したイワンが、現実の父殺しの犯人もまた自分ではと懊悩する場面は 息詰まる緊迫感を生み読者を引き込む。 人的に気になったのは、カラマーゾフ家の他の面々やホフラコーワ夫人や警察関係者などささやかな 脇役にいたるまで詳細な外見描写があったのに、主要登場人物である次兄イワンの容姿の記述だけ まったく見当たらなかった点だ。 穿ちすぎな見解かもしれないが、作中イワン自身が 「もし悪魔が存在しないとすれば、つまり、人間が創りだしたのだとしたら、人間は自分の姿かたちに似せて悪魔を作ったんだと思うよ」 と発言したことを踏まえれば、否定する霊(=メフィストフェレス即ち誘惑する悪魔)になぞえられたイワンの外見描写だけが省かれていたのは 「悪魔はだれもに似ているからして特定の顔を持ってない」という作者のメッセージともとれて興味深い。 (まさみ/2007-09-04) 醜悪な人の性を体現したヒョードル・カラマーゾフの子のうち、突然変異的に美しい慈悲と愛の心を持つ3男のアリョーシャ、愛を知らずに育ち乱暴者だが正直な心も併せ持つ長兄のミーチャ、そしてナイフのような鋭い知性を持ち、兄の妻のカーチャを深く愛し、神の存在と自己の存在との関係に均衡点を見出せずに精神に異常を来たす、3兄弟で最もヒョードルの性格に似た次男のイワン、それぞれの兄弟の運命が大きく分かれるのがこの第4部の特徴だと思います。
カーチャはイワンの大きな愛を感じながらもその本当の意味・大切さに気付かず、夫のミーチャの裏切りや自分のプライドと現状との間に均衡点を見出せず大きく悩み、そしてイワンの精神の崩壊を見るにつけ裁判で証人として最後の最後にミーチャを陥れる証言をしてしまいます。 本書では、人は何かに心が捉われている時、身近にある本当の愛に気付けないもので、気付いた時には手遅れになっている、そして如何に強く見えても人の心は弱く、また人の欲は果てないという何世紀にも渡って人が実践・経験してきたであろう真理をとても強く感じることができます。 物語の時代背景は現代と大きく違いますが、それらを感じることができるだけでも、本書を星5つとして良いと思いました。 (New JJ-K 72/2007-09-07) これが初めて読む本ではないのに、特に前半は
まるで今までに一度も読んだことがないかのようにワクワクと読んだ。 イワンの行動と変化には本当に驚いたし、スメルジャコフの役回りにも本当に驚いた。 二人の末がいずれも悲惨だったので、その章を読み終えた時は、 しばらく何もしたくなくなってボーっとしてしまったくらいだった。 3巻で長男の物語が息もつかぬ勢いで進んできた後だったから、 イワンの内面に話しが進んでいって、しかもスメルジャコフが絡んでくるので、 読んでいてとてもドラマティックな展開となり、 だからこそワクワクもし、終末には大きな驚きを覚えたのだと思う。 審判が始まってからはむしろ変化がなく、 検察と弁護人のスピーチは、それまでに既に読んできた内容の重複だったので、 少し間延びした感じがぬぐえず、読む楽しみも減ってしまって、 読み終わるのに時間がかかってしまった。 登場人物の紹介が中心だった1巻、哲学的・宗教的考察が中心だった2巻、 話しが急展開して物語自体がグンと面白さを増した3巻、 どれもとても大きな存在だったけれど、 この4巻も2巻と3巻が終結を向かえる大きな存在だと思う。 (paxdomini/2008-01-18) イワンとマリョーシャの大審問官は意味深い。
この若いとき読み返した小さな活字をおもいだした。 新約本はわりと分かりやすく、ソレデモ何度となく読み返した。 亀山さんのはご苦労も多かったかとおもわれるが、古典がベストセラー というのもたのもしい。 演劇の世界を見ると案外よくわかる。 文字でドストエフスキーというのはなかなかである。 26万部突破に恥じない約だとおもう。しかし、いつの世も愛ありいじめあり 殺し自殺とそんなことを考えると人というのは案外変わらぬいきものなんだなと かんじました。 みなさんに是非一読推薦いたします。 (flora/2007-10-31) 私があれこれ言う必要もない、古典的名作です。
法律を勉強されている方々にとっても、一大法廷絵巻であるこの4巻は、 刑事サスペンスの名作として、とても勉強になるかと思います。 目からウロコでした。 (shin/2008-02-13) 2週間かけて読んだ。新訳は読みやすい、活字も大きい。
カラマーゾフ的なものとは清濁混沌とした人間性そのものなのだろうか。 百年以上経ってもこの小説は心に響く。インターネットが普及したぐらいでは、人の心のあり方なんてものは、そうそう簡単に変化するものではない。 →コーリャの存在感 めっぽう強いやつ 抜け目がなく、粘り強い、度胸もある、何かをすすんでやってのける気構えに満ちている 鉄道事件の後は、さすがに母と子は感極まり、まる一日、ひしと抱き合い、体を震わせて泣き通した 「プライドが高くて、目がぎらぎら光っている。そういうやつが大好き」 うちの学校じゃ、全科目一番の生徒 生活にまみれていない天性が、荒っぽい馬鹿げた話で歪められている 「たとえ一人きりになっても、きみだけはやっぱりみんなと別の人になるんですよ」 →散々な描かれ方のグルーシェニカが愛したポーランド人 乞食同然の恐ろしく貧しい暮らしぶり 連日、無心の集中砲火 →スコトプリゴニエフスク、町の名前、家畜追い込み町 父殺しの裁判をめぐる噂が、ロシア全国に隈なく広まっている →イワン モスクワから帰ると、カテリーナに対する燃えるような狂おしい情熱に、身も世もなくのめりこんでしまった →フョードルの死 後ろから後頭部のてっぺんめがけて、打ち下ろしました 二度、三度。三度目に、ぐしゃっと割れた手ごたえがありました。 →分裂した自分との会話、イワン 人はいずれ死ぬ身であって、復活はないことをしるので、死を、神のように誇り高く、平然と受け入れる 真理を認識すれば、新しい原則に従って、完全に自分の好きなように身の振り方を決めることが許される →弁護士、渾身の言葉 この世には、心を狭め、全世界を向こうに回して非難する人々がいます。しかし、そうした人々の魂を温かい憐れみで圧倒し、愛を与えてやれば、その魂は自分の行いを呪うようになるでしょう。 (三好明広/2008-07-06) スメルジャコフは気味の悪い人物だ。針入りのパンを犬に食べさせたり、猫の首を絞め葬式をしたりする。イワンもしゃべっていて気がめいっただろう。リーザ・ホフラコーワも同様に薄気味悪い人物だ。アリョーシャの周りには変わった人がたくさんいる。
裁判に関して:ミーチャの弁護人は立派な弁論をしたと思う。それでも有罪になったのは、陪審員の多くが、ミーチャに元々不快感を持っていたからかも知れない。 (k-um/2007-10-13) 古典新訳文庫。読みやすく、1巻からずっと仕事の合間を見つけて読んできたが、4巻の裁判で止まりがちになり、半年くらいかけてぼちぼち読んだ。人間存在に関する様々な洞察が深く、しばしば書き留めたくなるようなフレーズがある。しかし、増長な文章の中でマラソンをしているようで、特に最終検事の答弁などは、もうちょっとシンプルでもいいのではないかと思う。
(だん/2008-10-12)
敢えて言う、失敗作。 |||||
恐らく本作のレビューは殆どが高評価であろう。なぜならこの『カラマーゾフ』を4巻まで読むのは余程ハマッタ人達だからだ。
私は本来なら2巻あたりで挫折していた読者だが、義侠心と半ば意地で4巻まで何とか通読し、このレビューを書いている。 よく『カラマーゾフ』は前半退屈、後半ワクワクとゆう評価がされるが、それはハマッテ通読出来た人達の評価。その裏には何倍もの途中挫折組が居ると考えられる。私も本来ならその挫折組みの一人である筈だが、今回このレビューに書きたいがために、頑張ってこの4巻まで何とか読み終わった。以下断言できる事。 1)本『カラマーゾフ』はハッキリ言って、ダラダラ長いだけの失敗作です。よっぽどドストエフスキーにハマッったマニア以外は読む時間が無駄でしょう。一気に全巻購入は止めて、第1巻(の)冒頭)だけ読んで、通読するかどうか判断して下さい。後半にもそれを凌ぐ場面はありません。 2)これは訳者の力量ではありません。原作が失敗作なのです。岩波文庫でも私は第1巻で挫折しました。 第5巻も意地で読みます。 (ビン・ラーディン/2008-09-14) 父殺しがテーマだが、殺しの場面は直接出てこないので、やはり裁判シーンがこの物語最大の見せ場ということになる。ただ、この4巻を読んで私が最も心引かれたのは、アリョーシャとドミートリーの接見の場面のやりとり。
全11件のレビューを表示しています。ドミートリーの口から「もしも、神さまがいないとなりゃあ、人間が大地と世界の主人てことになるよな。悪くないぜ!ただし、人間は神さまがいないのに、どうやって善良でいられる?」 登場人物中もっともわかりやすいドミートリーから発せられる単純明快なセリフである。このフレーズだけでなく、作者は自分の主張をいろいろな所に埋め込んでいるように思う。読者は、これをどのくらい掘り出すことができるだろうか。 (どろがめ/2008-09-13) [amazonでレビューを見る][amazonでレビューを書く] 平均点:4.5 はてブコレクション数: |
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カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)
ASIN:4334751237光文社(2007-02-08) 翻訳:亀山 郁夫/ドストエフスキー 売上順位:1859 ¥ 880(中古:¥ 500) これを買った人はこれも買ったよ![一覧で見る] |
レビュー総評点:91
今まで、カラマーゾフの兄弟を読もうと思い、挫折してきた。
それはやはり翻訳の不自然さが最大の原因であった。 亀山訳は本当に読みやすい。 2巻の有名な大審問官の章もキリスト教の知識は必要ではあるが、 すらすらとはいかなかったが読めた。 第3巻は、長男ミーチャの章だ。事件が発生し、予審が始まる。 早く次が読みたい。それにしても、待たせすぎだ。 待たせすぎたことで☆の数は変わるものではないが、 あまりにも遅すぎる。 他の訳を買っちゃう人が出てきてもおかしくない。 商売下手ですな。 じらしても何の得もないと思うけど・・・ (gz/2007-05-21) 亀山新訳のこの3巻が出るのが、非常に待ち遠しかった。
カラマーゾフの兄弟は、もともとすごくおもしろいけれど、同時に相当に難しく、 読んでいる私自身の頭の中も注意深く整頓しながら進めなければ きちんと理解することが出来にくいものだったが、 この新訳のおかげで、読むまますうっと頭にはいってきて、 日本語として頭に落ち着き、ふに落ちて、 次から次へと襲い来る饒舌極まるドストエフスキーの作り上げた台詞に流されることがない。 幸せだ〜 最後までこの幸福は続くのだろう。 ああもう4巻が待ち遠しい。 (ぱぱり/2007-02-09) カラ兄が好きな村上春樹さんは、「恋をするというのは、人生においてもっとも理不尽で、(それがゆえに)もっとも素晴らしい
ことの一つ」と読者に回答されていましたが、この第3巻のミーチャの行動からその言葉を思い出しました。 3兄弟の内、最も慈悲深く神秘的な魅力を持つアリョーシャや、ナイフのような鋭い知性を持つイワンに比して 長男の退役軍人のミーチャはとても俗人的であり、我々のような一般の読者を代表した人物だと想像できます。 1,2巻では殆ど注目に値すべきでない彼が第3巻では主役となり、グルーシェニカや父フョードルに対する 理不尽な恋・愛・嫉妬によって、身を滅ぼし、しかし、最愛の人の愛を得る過程が描かれています。 古今東西誰もが知っているように、恋や愛は理屈ではありません。 その恋や愛が途轍もない嫉妬を生み、人を破滅させること、しかし同時に人を救う、あるいは真実に気付かせる そういった崇高なる力を持ち合わせること、そして、その順番が狂った時大きな悲劇が訪れることを実感させてくれた本です。 (New JJ-K 72/2007-02-25) ついに、この第三巻で父親フョードル殺しが出てくる。章立ては「アリョーシャ」「ミーシャ」「予審」となっているが、予審の章はミーシャが主役だから、この第三巻は殆どミーシャを中心とした話であると言ってよいだろう。
グルーシェニカの愛を確信できた途端に、父親殺しの疑いをかけられたミーシャ。金銭については性格破綻者と言ってよい彼の行動・発言はなぜか心に響く。憎めないキャラクターである。 話は変わるが、当時のロシアの風俗や習慣のわからない読者にとって、大きな助けとなるのが巻末の読書ガイドである。翻訳の現代語化もさることながら、これまでの翻訳と大きく異なるのはこの点かもしれない。訳者が読者にずっと寄り添って、この長編の読破を助けてくれる。 (どろがめ/2008-08-24) ミーチャと予審判事、検事とのモークロエ(取り調べ場所)でのやり取りが面白かった。ミーチャの「恥辱」について検事たちが理解できなかったのはやむを得ないだろう。ミーチャはグリゴーリーに対しては半殺しにしたにも関わらず、そのことは父殺しの事に比べて対して関心を持っていない。罪の意識も持っていないと思う。
召使であったとしても一人の人間であるので(しかも自分の命の恩人でもある)、もっと殴ったことに対して罪の意識を持つべきだと思った。助かったからそれでよかった、という問題ではないと思う。 (k-um/2007-10-13) じっくりと腰を据えて本を読む機会がなく、
とぎれとぎれとなりましたが、第3巻を読み終えました。 この新訳では、読み始めるとグッとのめり込んでしまい、 時間が経つのも忘れてしまうので、途中で意識して時間を見なければいけません。 以前違う文庫シリーズで読んだときは、なかなか進まないなぁと思ったものでしたが、 それとは全然違うワクワクとした気分です。 第2巻は、大審問官やロシアの修道士などの有名な箇所があって、 それなりに力を入れて読みましたが、 この第3巻は長男ドミートリーとその取り巻きの人間関係が描かれていて、 大きな事件もあったりして、本当に面白く読むことができました。 新しい訳で、ドミートリーが等身大の人間に見えてきますし、 ドミートリーの人間性も理解しやすい気がします。 面白いのは、前の2巻であれだけ大切に扱われてきた他家族3人が、 まるでドミートリーの話しの小道具のようで、 この小説におけるドミートリーの重要性がしみじみ感じられる巻だと思います。 本編は残るもう1巻。楽しみに読ませてもらいます。 (paxdomini/2007-10-13) 1巻→2巻は、発刊まで2ヶ月待ち。
2巻→3巻は、発刊まで3ヶ月待ち。 3巻から4巻(完結)は? すでに3ヶ月以上も経つのにまだ発刊されていない。 予定もわからないし、本当に4巻は出るの? 続きものはやっぱり全部そろっているものを買うべきだった・・・ しかもごく最近、 訳者は違うけれど『地下室の手記』(ドストエフスキー) が発刊されているし・・・ 光文社のHPを見ると6月の刊行予定にも入っていないし。 光文社さん、どーなってるのですか? 4巻出ないんですか? (えみみ/2007-05-15) つまり地上の罰(社会的罰)と、天上の罰(内面への罰)だ。ゾシマは、神のみが“良心の呵責”を認識でき、科学では無理という。例えば光市母子殺害事件
後、犯人の手紙が、証拠として公開された。 「選ばれし人間は…私を裁けるものはこの世におらず」 これら供述は『罪と罰』『ドラえもん』の丸写しだが、夢は小説家らしい。 一方で精神医学では、良心が欠落した異常者“サイコパス”の存在を唱える。どちらが正しいのか、科学は、人の内面をも暴けるのか? ■大審問官は居直る『自由は、三次元の人間にとって荷が重すぎる』 民衆の「闘争・貧困」解決策は、取引しかないと。たしかに我々は、『バックトゥザフューチャー』の様に四次元的に行動できない。日本は今、スピリチュアルブームだが、占い師が、詐欺師かどうかも神秘だ。 自由を苦痛に感じる弱者は、現代日本にも確実に存在する。例えば刑務所を出所した老人が、わざと万引きをくり返し、囚人に戻りたがるというニュースを聞く。 ■「不死がなければ善もない」《一巻182p》 コレは、魂の不滅がないなら因果応報が機能しない、ことか。 つまり現世で無実の青年力士が、(ビール瓶で撲殺される様ないわれなき現世の罰が)来世で報われないならば、善悪は無意味だ。 司法の補償も怪しいものだ。時津風部屋で07年6月26日に撲殺がおき、立件されたのは約3ヵ月後。それもそのはず警察は、診断書を書換え妥当な検視も怠った。「耳は裂けアザ・火傷だらけの死体」は「心不全」と診断された。我々が欲する「くもりなきメガネ」は、科学がもたらすのか?それとも、神が与えた自由には、善悪の審判は含まれないのか? 戦後日本は国民宗教を失った。法律を補完する社会規範を失った以上、地上の罰に頼らざるを得ない。それが現代日本の現状だ。ゾシマが誇る様な“教会”を持たない日本における死刑制度は… (ブリキ男/2008-01-26) 高校時代の同級生が昔、「『カラマーゾフ』なんか、最後の方は早く続きが読みたくて仕方なくなった」と言ってたし、ある女流作家(金城ひとみだったかな?)も、「1〜2巻は数ヶ月、3巻以降は数日で読めた」みたいなことを書いていたもんだから、1〜2巻で相当退屈したにも関わらず、半ば意地で、でも少し期待しながら、3巻も数ヶ月かけ、とぎれとぎれでやっと読了した。
全9件のレビューを表示しています。正直な感想=愛読者の皆さん、『カラマーゾフ』ってどこがそんなにいいの? ミーチャの大時代的で、芝居じみた長ったらしい台詞なんてシラケッパナシ。単に女と酒に溺れやすい激情型人間にしか見えない。父親殺しというモチーフも現代の日本では極々日常的に報道されているし、別に新鮮味もないしなあ。3巻ではアリョーシャやイワンは全く登場せず、ミーチャの一人舞台だが、私にとってはあまり興味深いキャラではない。カラマーゾフも『罪と罰』位の長さ(文庫2巻)で、丁度良い話ではなかろうか。どう考えても、物語としてはダラダラし過ぎた失敗作だと思う。 4〜5巻どうしようかなあ。こうなりゃ、意地でも読むしかないか。 (ビン・ラーディン/2008-01-13) [amazonでレビューを見る][amazonでレビューを書く] 平均点:4.0 はてブコレクション数: |
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カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)
ASIN:4334751172光文社(2006-11-09) 翻訳:亀山 郁夫/ドストエフスキー 売上順位:1335 ¥ 820(中古:¥ 550) これを買った人はこれも買ったよ![一覧で見る] |
レビュー総評点:96
まだ全4巻のうち2巻め、ですので「確かなことは何も言えない」(作中人物の台詞より)ことを前提にしてのレビューです。
「いま、息をしている言葉で、もう一度古典を」これが光文社の同シリーズに掲げられたコピーです。 事実この「カラマーゾフの兄弟」の中で、登場人物たちは「現代風」の言葉遣いで会話、独白していて、地の文でも平仮名と外来語の割合が高いようです。 これを馴染みよいとするかどうかは、読者それぞれの感覚しだいですが、今までの訳でも十分口語体の勢いを活かしたものがあったと思います。 それにしても「亀山カラ兄弟」たちは若々しいです、…少々無理を感じるほどに…。 逆に言えば、もう少し時期が過ぎると古臭さにつながるかもしれません。 また、本文での注釈を減らし、巻末で「読書ガイド」が設けてありますが、読者にとって親切なのか不親切なのか、難しいところです。 30ページの長さで当時の教育制度、推察される貨幣価値についても丁寧に記されてあり、作品の背景を知るのに役立ちます。 反面、あまり強調しないほうが良いのでは?というところまで書いてあるので、初読の場合、亀山氏の主張に引きずられる可能性があります。 何度も読んだり、同作家の他作品にいくつもふれているうちに、「そこ」に思い当たったり、それから派生する事柄の解釈も、読書の楽しみの一つだと思うのです。 否定的に聞こえる感想ばかりを並べてしまいましたが、読み返したくなる部分もとても多いです。 かなり大胆な訳もあれば、慎重で無難な言葉をおいた箇所もあります。何通りかの邦訳を手に出来ることは、面白いものです。 この作品自体が大きなエネルギーを持っているので、おのずと多方面へ興味が広がり、読者それぞれの「カラマーゾフ」が生まれると思います。 続刊が楽しみです。 (ソルベ/2006-11-15) 3度めのトライでようやく2巻読了。読書ガイドがとてもすばらしく、「カラマーゾフ」の世界がくっきりと目に浮かんできます。何といってもゾシマ長老の部分に感動しました。なかでも「謎の訪問客」が印象的でした。これまで、ここを読むのがいやで、挫折してきたのが、逆にここが何かとても崇高な感じがするのは、ゾシマ長老の言葉遣いの優しさでしょうか。すらすら読めるというより、ふんわかした感じがとても心地よい。ドストエフスキーのイメージがすっかり変わりました。
(ブロンテ姉妹/2006-12-02)
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