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カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)
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ASIN:4334751067
光文社(2006-09-07)
翻訳:亀山 郁夫ドストエフスキー
売上順位:1935
¥ 760(中古:¥ 269)

レビュー総評点:673総評点300以上の注目商品
カラマーゾフの兄弟(亀山 郁夫訳) ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ドストエフスキーの名著で、学生時代以来数回読んだ。今までは翻訳本の定番とされた米川訳だった。もう一度別の訳者のを読んでいやになった覚えがある。今回は、新訳というので亀山訳を読んだ。文庫本なので出張の最中にも持っていって読める。読んで驚いた。米川訳のカラマーゾフとは待ったく別の本という感じがする。いい意味では、読みやすく現代的だ。登場人物の名前を統一していて読みやすくなっていることもあろう。逆に悪く言うと、米川訳のような、重さというか、いかにもドストエフスキー的な感覚がない。ロシア語を読めないので、どちらが本当のドストエフスキーかはわからないが、以前ロシアの空港で手にした"Re Reading Dostoefsky"という英語の解説や日本での小林秀雄の解説等からは、米川訳がドストエフスキー的な感じもする。ただ、今の読者には、今回の亀山訳はよく出来ていると思う。すぐにでもテレビドラマになりそうである。各巻についている、訳者の解説がわかりやすさを倍化させているかもわからない。同じ訳者が「罪と罰」や「白痴」(どちらも私は米川訳で大好きだが)を訳すると、どのような小説になるのかと思った。新しいドストエフスキー像を感じさせられる面白い翻訳の努力だと思って楽しんだ。 (PK_PK/2007-09-23)
読みやすい!!! |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
米川正夫、池田健太郎、原卓也、小沼文彦とそれぞれに楽しんで読んできた『カラマーゾフ』の邦訳であるが、確かにこれは読みやすい!
以降も早く刊行を期待する。何回読んでもこれほど面白い小説はないこともあって、亀山訳第1巻読了のあと原卓也訳で読み継いでしまった。亀山訳に比べやや生硬な印象もあったが、「大審問官」に差し掛かるともうそんなことはどうでもよい。圧倒的、冠絶の文業である。
亀山訳「スタブローギンの告白」もその解説も含めよかっただけに、2巻以降の「大審問官」が待ち遠しい。価格もうれしい。町の書店さんは是非常備されたし。ソローキンの翻訳といい、スターリン研究といい、最近のショスタコヴィッチの連載といい、この著者の大車輪は凄い!! (野火止林太郎/2006-09-16)
誤訳余りに多し、全面改訂を |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
週刊新潮5月22日号で取り上げられているとおり、この訳書にはおびただしい誤訳がある。指摘した「ドストエーフスキイの会」のHPによると、誤訳・不適切訳は、検証された第1巻だけで100以上。全巻では数百箇所に上るという。しかも、その多くが初歩的誤りであり、チェックの杜撰さは否みようがない。実際、誤訳のほとんどは先行訳では正しく訳されているのである。

それだけではない。その後の対応に不信が募る。1月末以降、訳者・出版社は、指摘をなぞり、脱落も含めて第1巻の40数箇所を第20刷と22刷で訂正している。ところが、このことは明記も公表もされていない。しかも、上記週刊新潮で誤訳訂正について質された訳者は、「ケアレスミスが10箇所程度。その他は解釈の違い」と弁明しているのである。残念ながら、これは事実に反する。現に40箇所余りを訂正しているのがその証拠であり、また、その大半は上述のように「解釈」以前のレベルの誤訳だからである。

問題は更にある。訳者は、先の弁明の如く大量誤訳の事実を認めていない。従って、第1巻の残り、そして、巻を追って増すという第2巻以降の膨大な誤訳はいまだ手つかずのまま増刷され続けているのである。

苦しいことではあろうが、訳者・出版社は、誤訳の実態を率直に認め、もう一度原文に立ち返って全巻を徹底的にチェックし直すべきである。そして、できるだけ早く改訂版を出してほしい。それが、読者、また、作品に心血を注いだ原作者に対して果たすべき道義的責務ではないか。なお、誤訳の中には、読解不足に由来するものもあり、また、恣意的誤訳も散見する。これらも是非正して頂きたい。

ドストエフスキーの魅力を広く世に伝えた訳者の功績は大であり、読みやすさを目指した新訳の意図に異論はない。問題は、翻訳の基礎がおろそかだったことである。これでは、作品の読みを深めることは出来ない。新訳が信頼できる翻訳に生まれ変わることを願いたい。
(のんき亭/2008-06-12)
作品自体が偉業、翻訳も偉業 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出版社の意図がまず素晴らしい。既存の出版社は、難解な翻訳を長年出し続けていたわけで、この愚行によって文学の楽しさを味わうことなく興味を失ってしまった人が多数いたと思うと、非常に残念である。
それに対してこの翻訳は、他のレビュー者のとおり非常に読みやすい。
しかも最後に解説があり、読みこなすための前提知識などを教えてくれる。だから最初はこの部分から読むのもよいかもしれない。
ちなみに第二巻の解説には、第一巻のあらすじが載っている。第一巻の内容が理解しづらかった場合は、このあらすじを読むことで補うことも出来る。 (doncorleone/2007-05-23)
非常に読みやすい |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
驚いた。頭にすらすら入ってくる。
前人の翻訳で何度か読んだことのある本書だが、
ごく普通の小説と同じようにすらすら頭に入ってきてくれるのには
大変に驚いた。
早く読めすぎて注意力散漫になる人もいるかもしれないが、
私の場合は理解が深まったような気がする。
これまで読みきれなかった人も、この翻訳ならば読めるのではなかろうか。 (ぱぱり/2006-12-20)
「プロとコントラ」の章とゾシマ長老の演説 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高校2年の時初めて読んで以来、現在の人生観にも色濃く影響が残っている一冊。特にイワンとアリョーシャが直接問答を繰り広げる「プロとコントラ」の章での問題提起は人間の根本的な罪を問いかけるインパクトがあります。何度読んでも苦しくなる。それに対抗するように置かれた、ゾシマ長老の演説と告白は人間の愛と善と救いを描いています。

この本を読むと、人間という存在の根本的な罪と救いを自分に問いかけることになります。
人間という存在と人間の歴史に果たして救いはあるのか?現代という時代にも、いや現在ではさらにドストエフスキーの予言はより身近な問題でリアルな問題になっている気がする。

ちなみにこの本の影響で、私は子供を作ることに未だに抵抗があります。人間に生まれること、人間を生むことはそれほど優れたことではない、と。私の中ではイワンが未だに勝利しています。もっともインパクトのあるこの本のキーワードはイワンの語る「償われぬ涙」の理論だと感じます。
善と悪、聖と俗、などの観念がそれぞれの人物に見事に具象化され、読むものに宇宙規模の文学的”?”を刻み込む一冊です。

構成的にダラダラと長い感じがあるのがたまにキズですが、一生に一回は体験して絶対に損はありません。読書ということに留まらず特異な世界の体験になるはずです。 (イワン/2007-08-22)
恐ろしいまでに人間の本質を突きつめた大作 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
文学作品と言われるものを、少なくとも3000作品は読んできた
私の読書暦のなかで、最も感銘を受けた作品です。

あまりの奥深さに、多くは語れません。
単純に言えば、

人間って何?と言う、誰もが思う難題に、
現時点でもっとも深く答えてくれる作品ではないでしょうか。

読んでいてわけのわからない涙がよく出ました。
人間の尊さ、愚かさ、有難さ、難解さ、真摯さ、…等々、
人間・人間社会の悲喜交交、本質を突きつめた世界の大文豪
ドストエフスキーの大著です。

読んでみてください。 (忍者poetry/2007-07-26)
悪訳 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この新訳ではじめて読んだのだが(ドストエフスキーは『悪霊』『未成年』を既読)どうにも物足りなく、図書館で江川卓の訳を借りてきて比較してみて驚いた。
江川訳のほうがはるかに文意が伝わりやすい。亀山訳は一文ごとに細切れになっていて、文章の接続がわかりにくい。「本よみうり堂」の記事によれば、
「ドストエフスキーの原文は逆接の接続詞や関係代名詞が多く難解だが、亀山訳はすいすいと頭に入る日本語に置き換え」たとのこと。
つまり文章の接続をいじってしまった(カットした?)わけで、つながりが分かりにくくなるのは当然である。これでは「すいすいと頭に入る」というより
文が頭の中を上滑りしていくだけだ。ストーリーを把握するだけならこれでもいいのだろうが、ドストエフスキーのおもしろさがストーリーだけにあるはずもない。 (水と眉毛/2007-11-12)
リーダビリティが高い! ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
なんか難しそうだし、会話が多いらしいのが理由で敬遠してましたが、
新訳ということで試してみました。
意外とつるっと読めて、まだ2巻の途中だけど楽しいです。
難解じゃないし、小説的な楽しさもある!のがわかった。 (れーku/2007-07-04)
イワンと悪魔の対話は実に現代的だ。
酒鬼薔薇聖斗から福島の母親殺し・・・まで、自分の理屈で他人を傷つけ、殺害する人が増えている。それは自分の中にも潜んでいる。
その得体の知れないものを気づかせ、真摯に向き合うことを教えてくれたのが本書だった。
(ミュンヘン/2008-01-07)
読みやすい! ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中学生の頃、図書館で手にとりつつも注釈の多さや文章の難解さに挫折しました。今回の新訳は、どこの書評でも誉めてるので気になって読み始めました。例えば、ヒステリー状態のことを「おきつねさんがついた」と訳したり、『うまくおちをつけましたね』と会話していたり、現代的に表現されているので理解しやすい。古典、特にロシア文学なんて普段読まないもので、一巻は登場人物達のとっつきにくさと話のまわりくどさにまごつきましたが、気がつけば3日で読み終えていました。今2巻です。久々に夢中で読書しています。
(水羊羹薄茶/2007-08-28)
若い世代に受ける理由? ||||||||||||||||||||||||||||
学生時代、一度挫折した。
新訳ということで、再チャレンジ。

第一と第二編は、当時ロシアの宗教批判が繰り広げられていて、
これで、今の高校生が読んだり出来るのか、
率直に不思議になった。

しかし、とにかく、
この作品に夢中になる10代がいる。
まさに、そのことが、今の日本の
ある状況を示しているのかも・・・。
この新訳が出たことは、この事実を
明らかにしただけでも、意味がある。

第三編からは、ぐいぐい引き付ける。
しかし、ドストエフスキーの作品は、
どれも、お金にまつわるミステリー色が濃厚で、
この、「金」に対する人間の執着、ということを
読み解くには、どうしても、当時ロシアの
貨幣価値について、注釈が欲しかった。

3千ルーブルの使い込み、とか、
2千ルーブルを元手にヨーロッパに渡った、とか
書かれていても、それが、実際今のお金だと、
どの程度の額なのか、そこがわかればもっとリアルに
読めると思う。
それは、主な登場人物が、ロシアの地主階級で、
不労所得者である、という点で、現代の我々
庶民には、どうもピンとこないからでもある。

最終巻のガイドにそのあたりがあるのか、
しかし、一冊づつ読み進めるのであるから、
最低限の注釈があれば、さらにいいと思う。 (れんげ/2007-10-07)
とても読みやすい ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
初めてこの本を手にしたのは高校3年生だったと思う。
キリスト教のことはわからないし、ロシアの文化についてもわからないし、
わからないものだらけの中で文章を読み進めていった。
それから25年間の間、2度読み返してみた。
2度目以降は、キリスト教についての知識も大幅に増えたし、
ドストエフスキーの他の小説も読んだりして、
ロシア文化についてもそれなりに馴染んでいたつもりだったが、
やはり難しいことには変わりなかった。
今回、こうして新しい訳で読んでみると、話しが頭にスーッと入ってくる。
他の小説を読むのと同じくらい状況も見えるようになってきた。
やはり訳っていうのは本当に大切なんだと実感した。

この小説を初めて読む人には、
この1巻のストーリー展開が全巻でもっとも遅く、
どちらかと言うと登場人物紹介が中心となってしまうので、
途中で挫折してしまうかもしれないな〜と思ってしまうところもある。
また2巻は大審問官やロシアの長老のように、
この小説の大詰めでもあり、キリスト教に対する知識が必要な箇所があり、
一番難しい巻かもしれない。(その分、考えさせられることも一番多い。)
ストーリーとしては3巻以降がテンポとスリルがあり面白いと思う。

ちなみに、今までは新潮文庫で読んでいて、3巻だったが、
新訳になって5巻ということなので、少し高くつくな〜とも思っている。 (paxdomini/2007-08-06)
とある週刊誌にこの作品は誤訳が多いと出ており
ましたが、原書が読めないので、仕方がないかなと
思いつつ読み始めました。
確かにおかしな日本語だと感じる部分はありますが、
全体的には読みやすくできているとは思います。

この1巻にてカラマーゾフ一家が説明されていきます。
その中のアリョーシャが活躍し始めます。
この先が楽しみです。 (mitsugi/2009-01-28)
作者の論旨が伝わらない訳文 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
 しばらく前、ヘーゲルの『精神現象学』の新訳が出て、マスコミや識者が「画期的に読みやすい」などと言って絶賛したが、今では不正確な悪訳という評価が定着している。あれと同じことが、これからまた起きるだろう(起きなければ、それは当該学界における訳者の「地位」の違いによるだろう)。
 江川訳のほうが文意が伝わりやすいという評に賛成だ(「文意」というよりむしろ「論旨」だが)。この翻訳では、つるつると上滑りに流れるばかりで、重要な箇所で何よりもドストエフスキーの「論旨」(論拠と結論の論理的関係)が伝わってこない。たとえば江川訳なら「AならばBだ、ところで現にAだ、それゆえBということになるだろう」と、しっかりきっちり読めるところが、この訳では「AならBだ、Aだ、Bだ」とボツボツに切って訳されていて、結局、イワンもゾシマも、主張はわかっても、何を論拠としてそれが主張されているのかが、さっぱりわからない。このタイプの作家にとって、これは致命的なことだ。
 概して翻訳において(翻訳に限らずだが)表面的な「読みやすさ」や「分かりやすさ」に欺かれて我々が失うものは大きい。
 

(真贋鑑定局/2007-12-04)
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カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)
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ASIN:4334751172
光文社(2006-11-09)
翻訳:亀山 郁夫ドストエフスキー
売上順位:3136
¥ 820(中古:¥ 380)

レビュー総評点:100
翻訳者と作家本人の主張 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
まだ全4巻のうち2巻め、ですので「確かなことは何も言えない」(作中人物の台詞より)ことを前提にしてのレビューです。

「いま、息をしている言葉で、もう一度古典を」これが光文社の同シリーズに掲げられたコピーです。
事実この「カラマーゾフの兄弟」の中で、登場人物たちは「現代風」の言葉遣いで会話、独白していて、地の文でも平仮名と外来語の割合が高いようです。
これを馴染みよいとするかどうかは、読者それぞれの感覚しだいですが、今までの訳でも十分口語体の勢いを活かしたものがあったと思います。
それにしても「亀山カラ兄弟」たちは若々しいです、…少々無理を感じるほどに…。
逆に言えば、もう少し時期が過ぎると古臭さにつながるかもしれません。

また、本文での注釈を減らし、巻末で「読書ガイド」が設けてありますが、読者にとって親切なのか不親切なのか、難しいところです。
30ページの長さで当時の教育制度、推察される貨幣価値についても丁寧に記されてあり、作品の背景を知るのに役立ちます。
反面、あまり強調しないほうが良いのでは?というところまで書いてあるので、初読の場合、亀山氏の主張に引きずられる可能性があります。
何度も読んだり、同作家の他作品にいくつもふれているうちに、「そこ」に思い当たったり、それから派生する事柄の解釈も、読書の楽しみの一つだと思うのです。

否定的に聞こえる感想ばかりを並べてしまいましたが、読み返したくなる部分もとても多いです。
かなり大胆な訳もあれば、慎重で無難な言葉をおいた箇所もあります。何通りかの邦訳を手に出来ることは、面白いものです。
この作品自体が大きなエネルギーを持っているので、おのずと多方面へ興味が広がり、読者それぞれの「カラマーゾフ」が生まれると思います。
続刊が楽しみです。
(ソルベ/2006-11-15)
ゾシマの教え |||||||||||||||||||||||||||
3度めのトライでようやく2巻読了。読書ガイドがとてもすばらしく、「カラマーゾフ」の世界がくっきりと目に浮かんできます。何といってもゾシマ長老の部分に感動しました。なかでも「謎の訪問客」が印象的でした。これまで、ここを読むのがいやで、挫折してきたのが、逆にここが何かとても崇高な感じがするのは、ゾシマ長老の言葉遣いの優しさでしょうか。すらすら読めるというより、ふんわかした感じがとても心地よい。ドストエフスキーのイメージがすっかり変わりました。 (ブロンテ姉妹/2006-12-02)
ある意味お正月の初詣にくらいしか「神」
の存在を感じることがない日本人にはこの2部は
難しいかもしれません。
「大審問官」は難しく感じましたが、「ゾジマの教え」
は何度でも読み返したい。ようやく2巻目にして他の翻訳でも
読んでみたいと思えるようになった。
誤訳が多いと言われているだけに、定評のある新潮版か、
岩波で読んでみたいと思います。 (mitsugi/2009-01-28)
 フェラポント神父に始まり、スメルジャコフやスネギリョフ大尉などカラマーゾフを固める役者達が続々登場する。エピソードを通じて詳細な人物像が浮かび上がる。でもこの時点では、これが後半どのようなことに結びついていくのかはわからない。

 わからないと言えば、「大審問官」も同じ。ゾジマ長老のアンチテーゼとして登場した感があるが、なぜかこの部分だけ邦訳そのものが難解。後半を読めば、第2巻でのエピソード群がどのような意味を持つのかわかるだろうと思いながら読み進めた次第。

 一方、ミーチャの精神状態とフョードルとの関係はいずれも益々悪くなっていく。不安を抱えながら、第3巻へ突入する。 (どろがめ/2008-08-15)
神の存在。 |||||||||||||
ゾシマの言う神、キリスト教の神とは存在するか?もし我々が存在しないと断定しても、実際に存在していれば存在するし、我々が存在すると断定しても、実際に存在していなければ存在しない。

つまり、人間がどう考えてもいればいるし、いなければいないのだ。神がいて私の存在を信じてくれと、言ったわけでもない。

ゾシマの言う神(キリスト教の神)とは人間に利用される存在でしかなく、利用できなければ「いらない」という神でしかない。つまり、人間世界を幸福にする、もしくは救いを与える神でなければ存在してはいけないという、押しつけられた存在としての神だ。

そんなものはすべて人間のエゴで、カラマーゾフによってドストエフスキーの信仰が揺らいでいることが感じ取れる。

神を肯定する「ゾシマ長老」、大審問官により悲惨な現実世界を示し、神を否定する「イワン」。彼はどちらを信じていたのだろうか? (「数学ましーん」/2007-09-17)
人は生まれながらに罪なのか考えました |||||||||||||||||||||||||||||||||
古典には縁(興味)があまり無く、この本を読むきっかけも、カラ兄が好きな村上春樹さんですが、
これから古典を読んでみようかな?と考えている方にはお奨めできる本だと思います。

私自身、この本の偉大さ(実際に偉大であるとして)には未だ気づけていない部分が多々あると思いますが、
聞きなれたフレーズである、「人間は生まれながらに罪を背負っている」という言葉に深く考えさせられました。

自分の子供時代を振り返った時、無慈悲に小さな生き物(蛙)を何度も殺したことがあり
その事を思い出し、人は誰しもが、無慈悲なことを行う土壌をその心の内に隠し持ってる
という、心に潜む闇のようなものを再認識させられました。

金欲と淫欲にまみれた親、暴力、知力、慈悲力?に長けた3兄弟、彼ら及び彼らを取り巻く
登場人物達の生き様、思想が実に示唆に富んでいて、読者個々人に多面的に色々深く考える
きっかけを提供してくれると思います。

この本が持つ示唆の大きさを、これからの人生で少しずつ気づき、自分の生きる上での指針となるものを
身につけたいと感じる本でした。
(New JJ-K 72/2007-01-04)
興味がわく本 ||||||||||||||||||||||
有名な大審問官の章が入っている巻。
 確かに難解で理解できた部分はほとんど無いと思う。具現化された神がいたらカトリックの制度は維持できなくなるんだ。イワンが子供に限定して話したのは残酷さを増すためだとか。
 でも理解できる最善は尽くされている。
 違和感のない訳、しおりへ記述された登場人物、そして最後の読書ガイド。
 背景知識が無いと理解できない部分を補うヒントが詰まっている。
個人的に第三巻が出版されるまでにゲーテのファウストを読もうと思った。
(オーちゃん/2007-02-05)
アリョーシャは小川で子供のケンカに巻き込まれる。コレは、イワンの話の伏線だ。石ころは「闘争」パンは「貧困」を暗示する。くたびれた古いコートを着た少年は、孤軍奮闘インティファーダだ。

■悪魔の質問「石をパンに変える」
コレは“争う兵士を平和な農夫にかえる”世俗政治の必要性だろうか?病気を抱える家族に、金銭的誘惑…姉歯建築士の耐震偽装事件05年11月を連想する。イワンの主張は『幼児虐待を前提としたキリスト教社会なんてまっぴらだ!』(幼児虐待は一つの典型例にすぎず、異端迫害や魔女狩りも含む、幼児はマイノリティの象徴か)と聞こえた。ただし、僕ら運用側にも責任があるのでは?と思った。

 例えば、柔道のヘタクソなフランス人がいて、そもそもルールが悪いんだ!「技あり」なんて無くしちまえ!これって責任転嫁に聞こえる。ルールだけの問題か?運用側の問題でもあるだろう、ルールに文句つける前に審判にメガネを買ってやれよ!現実に幼児虐待がある、これって全て聖書の責任か?オレ様が、創造主の想定外なことをしたって構うもんか。そもそもルールの方が、曖昧でおかしいんだ!?

■イワンの問題提起は「教会が国家に属すべきか否か」
いっぽう、ゾシマは「教会の裁判こそが唯一の真実」さらに、教会は犯罪者の更生(良心)を見放さない。《一巻169p》太宰は『人間失格』のなかで“一つの罪に対して、罰は二種類ある”という様なことをいった。つまり

地上の罰(被告vs原告、裁判官、世間)と、もう一つは天上の罰(罪人の良心vs神)だ。

 ゾシマは、神のみが“良心の呵責”を認識でき、科学や精神分析では無理、という。被告の反省の弁は、検証可能か?“犯人が心のなかでは舌を出してるかどうか”例えば光市母子殺害事件99年事件後犯人が友人にあてた手紙が、証拠として公開された。その内容は…字数オーバー次巻へ続く (ブリキ男/2008-01-22)
 イワンの大審問官の話は圧巻だった。最初読んだときはただ単に読み流しただけで、イワンが何を言いたいのかよく分からなかった。2回目を読み終えた今でもよく分からない。でも1回目に呼んだときには何も感じなかった何かを感じた。夢中になった。結局イワンが述べたいのは以下のようなことだと思う。人類は結局キリストが訴えているような自由を求めていない、ということだ。キリストこそが人間にとって悪魔のようなものなのではないとだろうか、そう言いたいのだと思う。
 ゾシマの死に際における説教についても強烈な印象が残った。人間は互いに尊敬しあうべきである、ということを感じた。ゾシマは科学に頼りきってはいけないとも述べている。科学など、人間の理性から生じたものなど、実は大したことではないのかもしれない。人間にとって一番大切なのは他者の存在を尊重し、しっかりとコミュニケーションを取って、心の底から愛することなのだと思った。
  (k-um/2007-10-13)
 「このレビューは参考になりましたか?― いいえ」を覚悟して、2巻まで読んだ時点で、思った通りに書きます。
 まず、ストーリー展開が遅すぎます。単純な話をどうしてこうも引きのばして書くのか、途中で何度も中断したくなりました。又、やはり内容が古すぎです。19世紀のロシアと、21世紀の日本ではキリスト教的信仰(=神への信仰)の持つ意味合いが違いすぎます。私も含め、聖書を読んだ事の無い多くの日本人にとって、本書の後半、ゾシマ長老の話は抹香クサイお説教にしか思えないでしょう。「文豪ドストエフスキーの最高傑作」の名声の前に、ひれ伏して誰も批判しないけど、小説としてはダラダラし過ぎの展開でとても成功作とは思えませんでした。
 有名な「大審問官」の章も期待ほどではありませんでした。例えば無神論宣言としてはサド公爵の『閨房哲学』なんかの方がずっとインパクト、説得力があると思いました。
(ビン・ラーディン/2007-09-04)
にわか ||||||||||||||||||
まず通常の人間ならば新潮のほうを買ってるはずです。

こんな翻訳のを買ってる人間は流行りに流されて本を選ぶ
しかも本が本だけにタチの悪いスノッブです。

この本は聖書をよく読み耽り社会とは?国家とは?キリストとは?幸せとは?人生とは?人間とは?神とは?
そういうことを日常から追求している人じゃないと絶対に理解できない

今の日本の漫画ばかりみたり文字を追うことを読書だと勘違いしてるこの本を購入した皆さんは

典型的なエセ読書家ですね (プーシキン/2008-11-20)
登場人物の紹介

( =ω=.) 泉こなた 26歳 二ート

(;//Д//) 柊かがみ 22歳 国立大学理学部生

('・ω・`) 柊つかさ 19歳 変な宗教に入ったかわいそうな子

〜本編〜

〜ガストの中〜

(;//Д//)<私がライトノベルを投稿してるのは知ってるよね?そこで、私の傑作な話を考えたんだケド・・つかさ、読んでくれる?

('・ω・`)<ごめん、おねーちゃん・・私、字を読むと眠くなるから・・

(;//Д//)<そっか、なら、口頭で内容を言ってみるわ。

( =ω=.)<全部、暗記してんの?凄いネ(ある意味・・)

(;//Д//)<タイトルは『大審問官』よ

( =ω=.)<テラ中2病じゃん、恥ずかしいよ、かがみ

(;//Д//)<私は つかさと喋ってんのよ!なんで、あんたがここにいんのよ!

('・ω・`)<・・・・・

( =ω=.)<本当は、私にも聞いて欲しいくせに、かがみは意地っぱりのツンデレさん
だなぁ・・

(;//Д//)<つかさ、こいつ殴っていいか?

('・ω・`)<おねーちゃん、落ち着いて・・
(ホッカルさん(改)/2007-10-02)
5巻あるけど3巻でフェードアウト気味に読書終了してます。
1巻目は「あの!ドストエフスキーの名著だから」と思って読んだが、感想はまあまあ。(もちろんドストエフスキーがWikipediaに「文学界に空前絶後の影響を及ぼした」という言葉を受けて読んだのであって、例えば書店でふと手にして読んでハマることは無かったと思う。)

そしてこの2巻目、1巻とは打って変わって一瞬で読んだ。
大審問官の場面ではちょうど自分自身が、現在社会のあり方や周りに対する失望(期待しすぎるがあまりの反発だろうけど)から、その場面には深く納得する部分が大いにあった。大審問官の告白は心をスーッと溶かされた感じ、「腑に落ちた」という感覚になった。
このように深い部分での納得、共感があるとその後の考え方、思考の根本になってくるとおもう。

なんだか、3巻でしんどくなって4巻に行く前にすっかり時間が空いてしまった。
自分のような幼い頃から読書に親しみが無く、日本で生まれ育った者としては名前がロシア人だと誰が誰だかいま一つしっくり理解できていない。ロシア語でロシア人として読んだらまた違ってくるだろうな。

蛇足だけど、この表紙カバーの抽象画がなかなか印象深いと思いません?
(アマゾンゴ/2009-03-29)
「たとえ人生が信じられなくなり、大切な女性にも世の中の秩序にも幻滅して、それどころか、すべてが無秩序でのろわしくて、ひょっとして悪魔の混沌そのままなんだとまで確信して、人が幻滅することからくるいろんな恐怖にうちのめされたって、やっぱりおれは生きていたい。人生という大きな杯にいったん唇をつけた以上、最後までこれを飲み干さない限り、ぜったいに手をはなさない、ってな!」 。人生という壁に思い切りぶちあたって、味わいつくして、壊してしまうような、激しいインパクトに魅了される。100年近く前の古典といっても、今読んでも新鮮に心に響く。脱帽。 (だん/2008-12-10)
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w:10 h:15 541page
カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)
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ASIN:4334751237
光文社(2007-02-08)
翻訳:亀山 郁夫ドストエフスキー
売上順位:4197
¥ 880(中古:¥ 600)

レビュー総評点:86
4巻が待ち遠しい。 |||||||||||||||||||||||||||
今まで、カラマーゾフの兄弟を読もうと思い、挫折してきた。
それはやはり翻訳の不自然さが最大の原因であった。
亀山訳は本当に読みやすい。
2巻の有名な大審問官の章もキリスト教の知識は必要ではあるが、
すらすらとはいかなかったが読めた。
第3巻は、長男ミーチャの章だ。事件が発生し、予審が始まる。

早く次が読みたい。それにしても、待たせすぎだ。
待たせすぎたことで☆の数は変わるものではないが、
あまりにも遅すぎる。
他の訳を買っちゃう人が出てきてもおかしくない。
商売下手ですな。
じらしても何の得もないと思うけど・・・ (gz/2007-05-21)
 ついに、この第三巻で父親フョードル殺しが出てくる。章立ては「アリョーシャ」「ミーシャ」「予審」となっているが、予審の章はミーシャが主役だから、この第三巻は殆どミーシャを中心とした話であると言ってよいだろう。
 グルーシェニカの愛を確信できた途端に、父親殺しの疑いをかけられたミーシャ。金銭については性格破綻者と言ってよい彼の行動・発言はなぜか心に響く。憎めないキャラクターである。

 話は変わるが、当時のロシアの風俗や習慣のわからない読者にとって、大きな助けとなるのが巻末の読書ガイドである。翻訳の現代語化もさることながら、これまでの翻訳と大きく異なるのはこの点かもしれない。訳者が読者にずっと寄り添って、この長編の読破を助けてくれる。 (どろがめ/2008-08-24)
待ち遠しかった |||||||||||||||||||||||||||||
亀山新訳のこの3巻が出るのが、非常に待ち遠しかった。
カラマーゾフの兄弟は、もともとすごくおもしろいけれど、同時に相当に難しく、
読んでいる私自身の頭の中も注意深く整頓しながら進めなければ
きちんと理解することが出来にくいものだったが、
この新訳のおかげで、読むまますうっと頭にはいってきて、
日本語として頭に落ち着き、ふに落ちて、
次から次へと襲い来る饒舌極まるドストエフスキーの作り上げた台詞に流されることがない。
幸せだ〜
最後までこの幸福は続くのだろう。
ああもう4巻が待ち遠しい。
(ぱぱり/2007-02-09)
じっくりと腰を据えて本を読む機会がなく、
とぎれとぎれとなりましたが、第3巻を読み終えました。
この新訳では、読み始めるとグッとのめり込んでしまい、
時間が経つのも忘れてしまうので、途中で意識して時間を見なければいけません。
以前違う文庫シリーズで読んだときは、なかなか進まないなぁと思ったものでしたが、
それとは全然違うワクワクとした気分です。

第2巻は、大審問官やロシアの修道士などの有名な箇所があって、
それなりに力を入れて読みましたが、
この第3巻は長男ドミートリーとその取り巻きの人間関係が描かれていて、
大きな事件もあったりして、本当に面白く読むことができました。
新しい訳で、ドミートリーが等身大の人間に見えてきますし、
ドミートリーの人間性も理解しやすい気がします。
面白いのは、前の2巻であれだけ大切に扱われてきた他家族3人が、
まるでドミートリーの話しの小道具のようで、
この小説におけるドミートリーの重要性がしみじみ感じられる巻だと思います。

本編は残るもう1巻。楽しみに読ませてもらいます。 (paxdomini/2007-10-13)
カラ兄が好きな村上春樹さんは、「恋をするというのは、人生においてもっとも理不尽で、(それがゆえに)もっとも素晴らしい
ことの一つ」と読者に回答されていましたが、この第3巻のミーチャの行動からその言葉を思い出しました。

3兄弟の内、最も慈悲深く神秘的な魅力を持つアリョーシャや、ナイフのような鋭い知性を持つイワンに比して
長男の退役軍人のミーチャはとても俗人的であり、我々のような一般の読者を代表した人物だと想像できます。

1,2巻では殆ど注目に値すべきでない彼が第3巻では主役となり、グルーシェニカや父フョードルに対する
理不尽な恋・愛・嫉妬によって、身を滅ぼし、しかし、最愛の人の愛を得る過程が描かれています。

古今東西誰もが知っているように、恋や愛は理屈ではありません。
その恋や愛が途轍もない嫉妬を生み、人を破滅させること、しかし同時に人を救う、あるいは真実に気付かせる
そういった崇高なる力を持ち合わせること、そして、その順番が狂った時大きな悲劇が訪れることを実感させてくれた本です。 (New JJ-K 72/2007-02-25)
 ミーチャと予審判事、検事とのモークロエ(取り調べ場所)でのやり取りが面白かった。ミーチャの「恥辱」について検事たちが理解できなかったのはやむを得ないだろう。ミーチャはグリゴーリーに対しては半殺しにしたにも関わらず、そのことは父殺しの事に比べて対して関心を持っていない。罪の意識も持っていないと思う。

 召使であったとしても一人の人間であるので(しかも自分の命の恩人でもある)、もっと殴ったことに対して罪の意識を持つべきだと思った。助かったからそれでよかった、という問題ではないと思う。 (k-um/2007-10-13)
4巻まだ? ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1巻→2巻は、発刊まで2ヶ月待ち。
2巻→3巻は、発刊まで3ヶ月待ち。
3巻から4巻(完結)は?
すでに3ヶ月以上も経つのにまだ発刊されていない。
予定もわからないし、本当に4巻は出るの?
続きものはやっぱり全部そろっているものを買うべきだった・・・
しかもごく最近、
訳者は違うけれど『地下室の手記』(ドストエフスキー)
が発刊されているし・・・
光文社のHPを見ると6月の刊行予定にも入っていないし。
光文社さん、どーなってるのですか?
4巻出ないんですか? (えみみ/2007-05-15)
つまり地上の罰(社会的罰)と、天上の罰(内面への罰)だ。ゾシマは、神のみが“良心の呵責”を認識でき、科学では無理という。例えば光市母子殺害事件
後、犯人の手紙が、証拠として公開された。

「選ばれし人間は…私を裁けるものはこの世におらず」
これら供述は『罪と罰』『ドラえもん』の丸写しだが、夢は小説家らしい。
一方で精神医学では、良心が欠落した異常者“サイコパス”の存在を唱える。どちらが正しいのか、科学は、人の内面をも暴けるのか?

■大審問官は居直る『自由は、三次元の人間にとって荷が重すぎる』
民衆の「闘争・貧困」解決策は、取引しかないと。たしかに我々は、『バックトゥザフューチャー』の様に四次元的に行動できない。日本は今、スピリチュアルブームだが、占い師が、詐欺師かどうかも神秘だ。
自由を苦痛に感じる弱者は、現代日本にも確実に存在する。例えば刑務所を出所した老人が、わざと万引きをくり返し、囚人に戻りたがるというニュースを聞く。

■「不死がなければ善もない」《一巻182p》
コレは、魂の不滅がないなら因果応報が機能しない、ことか。
つまり現世で無実の青年力士が、(ビール瓶で撲殺される様ないわれなき現世の罰が)来世で報われないならば、善悪は無意味だ。
司法の補償も怪しいものだ。時津風部屋で07年6月26日に撲殺がおき、立件されたのは約3ヵ月後。それもそのはず警察は、診断書を書換え妥当な検視も怠った。「耳は裂けアザ・火傷だらけの死体」は「心不全」と診断された。我々が欲する「くもりなきメガネ」は、科学がもたらすのか?それとも、神が与えた自由には、善悪の審判は含まれないのか?

戦後日本は国民宗教を失った。法律を補完する社会規範を失った以上、地上の罰に頼らざるを得ない。それが現代日本の現状だ。ゾシマが誇る様な“教会”を持たない日本における死刑制度は… (ブリキ男/2008-01-26)
 高校時代の同級生が昔、「『カラマーゾフ』なんか、最後の方は早く続きが読みたくて仕方なくなった」と言ってたし、ある女流作家(金城ひとみだったかな?)も、「1〜2巻は数ヶ月、3巻以降は数日で読めた」みたいなことを書いていたもんだから、1〜2巻で相当退屈したにも関わらず、半ば意地で、でも少し期待しながら、3巻も数ヶ月かけ、とぎれとぎれでやっと読了した。

 正直な感想=愛読者の皆さん、『カラマーゾフ』ってどこがそんなにいいの?
 
 ミーチャの大時代的で、芝居じみた長ったらしい台詞なんてシラケッパナシ。単に女と酒に溺れやすい激情型人間にしか見えない。父親殺しというモチーフも現代の日本では極々日常的に報道されているし、別に新鮮味もないしなあ。3巻ではアリョーシャやイワンは全く登場せず、ミーチャの一人舞台だが、私にとってはあまり興味深いキャラではない。カラマーゾフも『罪と罰』位の長さ(文庫2巻)で、丁度良い話ではなかろうか。どう考えても、物語としてはダラダラし過ぎた失敗作だと思う。

 4〜5巻どうしようかなあ。こうなりゃ、意地でも読むしかないか。 (ビン・ラーディン/2008-01-13)
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カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)
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光文社(2007-07-12)
ドストエフスキー
売上順位:3230
¥ 1,080(中古:¥ 708)

レビュー総評点:60
お値段分の価値 ||||||||||||
分厚い4巻である。
翻訳した亀山氏の意図によりこの巻はこの厚さ、この値段になった。
ほとんどがドミートリーの裁判で、文学でありつつ法廷小説としても非常に面白い部分であるから、この値段にも納得できる・・かな(笑
全巻が出揃ったあとだから言うが、初版よりも3版、4版になったころに買い求めるのが得策かと思う。
なぜなら初版での誤字誤訳が改訂されるであろうから。
このごくわずかな瑕疵で、今回の翻訳の偉業を貶めようとはさらさら思わないのだが、大事なことなので書いておいた。
(ぱぱり/2007-08-27)
「父親殺しを願望するだけで罪になるか?」の問いはそのまま
「神殺しを願望するだけで罪になるか?」の物語全体に通底する命題を炙りだす。

「異教徒に捕まり改宗を迫られ拷問された際、狂おしく祈り助けを求めても自分の叫びでは山
ひとつ動かなかったのにそれでも神への信仰を保ち続けていられるか?」
 
一巻でスメルジャコフが発した問いにイラクの拉致事件を連想した。
イワンは思想の中で神を否定した。
転じてそれはキリスト教を奉ずる人類の父たるイエス・キリストの否定へと繋がり、
現実の父殺しと呼応しながら次第に狂気じみた様相を呈していく。

父フョードルは滑稽かつ下劣な言動で人々の嘲笑を買う道化であると同時に、
とどまるところをしらない旺盛な生命力と強烈な存在感でもってカラマーゾフ三兄弟の上に君臨し、
三兄弟の思想・人格形成に多大な影響力を持ち得た通俗の神であった。
 
現実の父を殺したのはだれか?
信仰上の父を殺したのは?

二つの問いが互いに絡み合いながら行き着く答えとは?

思想の中で神たる父を殺したイワンが、現実の父殺しの犯人もまた自分ではと懊悩する場面は
息詰まる緊迫感を生み読者を引き込む。

人的に気になったのは、カラマーゾフ家の他の面々やホフラコーワ夫人や警察関係者などささやかな
脇役にいたるまで詳細な外見描写があったのに、主要登場人物である次兄イワンの容姿の記述だけ
まったく見当たらなかった点だ。
穿ちすぎな見解かもしれないが、作中イワン自身が
「もし悪魔が存在しないとすれば、つまり、人間が創りだしたのだとしたら、人間は自分の姿かたちに似せて悪魔を作ったんだと思うよ」
と発言したことを踏まえれば、否定する霊(=メフィストフェレス即ち誘惑する悪魔)になぞえられたイワンの外見描写だけが省かれていたのは
「悪魔はだれもに似ているからして特定の顔を持ってない」という作者のメッセージともとれて興味深い。 (まさみ/2007-09-04)
これが初めて読む本ではないのに、特に前半は
まるで今までに一度も読んだことがないかのようにワクワクと読んだ。
イワンの行動と変化には本当に驚いたし、スメルジャコフの役回りにも本当に驚いた。
二人の末がいずれも悲惨だったので、その章を読み終えた時は、
しばらく何もしたくなくなってボーっとしてしまったくらいだった。
3巻で長男の物語が息もつかぬ勢いで進んできた後だったから、
イワンの内面に話しが進んでいって、しかもスメルジャコフが絡んでくるので、
読んでいてとてもドラマティックな展開となり、
だからこそワクワクもし、終末には大きな驚きを覚えたのだと思う。

審判が始まってからはむしろ変化がなく、
検察と弁護人のスピーチは、それまでに既に読んできた内容の重複だったので、
少し間延びした感じがぬぐえず、読む楽しみも減ってしまって、
読み終わるのに時間がかかってしまった。

登場人物の紹介が中心だった1巻、哲学的・宗教的考察が中心だった2巻、
話しが急展開して物語自体がグンと面白さを増した3巻、
どれもとても大きな存在だったけれど、
この4巻も2巻と3巻が終結を向かえる大きな存在だと思う。

(paxdomini/2008-01-18)
醜悪な人の性を体現したヒョードル・カラマーゾフの子のうち、突然変異的に美しい慈悲と愛の心を持つ3男のアリョーシャ、愛を知らずに育ち乱暴者だが正直な心も併せ持つ長兄のミーチャ、そしてナイフのような鋭い知性を持ち、兄の妻のカーチャを深く愛し、神の存在と自己の存在との関係に均衡点を見出せずに精神に異常を来たす、3兄弟で最もヒョードルの性格に似た次男のイワン、それぞれの兄弟の運命が大きく分かれるのがこの第4部の特徴だと思います。

カーチャはイワンの大きな愛を感じながらもその本当の意味・大切さに気付かず、夫のミーチャの裏切りや自分のプライドと現状との間に均衡点を見出せず大きく悩み、そしてイワンの精神の崩壊を見るにつけ裁判で証人として最後の最後にミーチャを陥れる証言をしてしまいます。

本書では、人は何かに心が捉われている時、身近にある本当の愛に気付けないもので、気付いた時には手遅れになっている、そして如何に強く見えても人の心は弱く、また人の欲は果てないという何世紀にも渡って人が実践・経験してきたであろう真理をとても強く感じることができます。

物語の時代背景は現代と大きく違いますが、それらを感じることができるだけでも、本書を星5つとして良いと思いました。
(New JJ-K 72/2007-09-07)
2週間かけて読んだ。新訳は読みやすい、活字も大きい。
カラマーゾフ的なものとは清濁混沌とした人間性そのものなのだろうか。
百年以上経ってもこの小説は心に響く。インターネットが普及したぐらいでは、人の心のあり方なんてものは、そうそう簡単に変化するものではない。

→コーリャの存在感
 めっぽう強いやつ
 抜け目がなく、粘り強い、度胸もある、何かをすすんでやってのける気構えに満ちている
 鉄道事件の後は、さすがに母と子は感極まり、まる一日、ひしと抱き合い、体を震わせて泣き通した
 「プライドが高くて、目がぎらぎら光っている。そういうやつが大好き」
 うちの学校じゃ、全科目一番の生徒
 生活にまみれていない天性が、荒っぽい馬鹿げた話で歪められている
 「たとえ一人きりになっても、きみだけはやっぱりみんなと別の人になるんですよ」

→散々な描かれ方のグルーシェニカが愛したポーランド人
 乞食同然の恐ろしく貧しい暮らしぶり
 連日、無心の集中砲火

→スコトプリゴニエフスク、町の名前、家畜追い込み町
 父殺しの裁判をめぐる噂が、ロシア全国に隈なく広まっている

→イワン
 モスクワから帰ると、カテリーナに対する燃えるような狂おしい情熱に、身も世もなくのめりこんでしまった
 
→フョードルの死
 後ろから後頭部のてっぺんめがけて、打ち下ろしました
 二度、三度。三度目に、ぐしゃっと割れた手ごたえがありました。

→分裂した自分との会話、イワン
 人はいずれ死ぬ身であって、復活はないことをしるので、死を、神のように誇り高く、平然と受け入れる
 真理を認識すれば、新しい原則に従って、完全に自分の好きなように身の振り方を決めることが許される

→弁護士、渾身の言葉
 この世には、心を狭め、全世界を向こうに回して非難する人々がいます。しかし、そうした人々の魂を温かい憐れみで圧倒し、愛を与えてやれば、その魂は自分の行いを呪うようになるでしょう。
 
 



(三好明広/2008-07-06)
イワンとマリョーシャの大審問官は意味深い。
この若いとき読み返した小さな活字をおもいだした。
 新約本はわりと分かりやすく、ソレデモ何度となく読み返した。
亀山さんのはご苦労も多かったかとおもわれるが、古典がベストセラー
というのもたのもしい。
 演劇の世界を見ると案外よくわかる。
文字でドストエフスキーというのはなかなかである。
 26万部突破に恥じない約だとおもう。しかし、いつの世も愛ありいじめあり
殺し自殺とそんなことを考えると人というのは案外変わらぬいきものなんだなと
かんじました。

 みなさんに是非一読推薦いたします。

(flora/2007-10-31)
私があれこれ言う必要もない、古典的名作です。
法律を勉強されている方々にとっても、一大法廷絵巻であるこの4巻は、
刑事サスペンスの名作として、とても勉強になるかと思います。
目からウロコでした。 (shin/2008-02-13)
 スメルジャコフは気味の悪い人物だ。針入りのパンを犬に食べさせたり、猫の首を絞め葬式をしたりする。イワンもしゃべっていて気がめいっただろう。リーザ・ホフラコーワも同様に薄気味悪い人物だ。アリョーシャの周りには変わった人がたくさんいる。

 裁判に関して:ミーチャの弁護人は立派な弁論をしたと思う。それでも有罪になったのは、陪審員の多くが、ミーチャに元々不快感を持っていたからかも知れない。
(k-um/2007-10-13)
 恐らく本作のレビューは殆どが高評価であろう。なぜならこの『カラマーゾフ』を4巻まで読むのは余程ハマッタ人達だからだ。
 私は本来なら2巻あたりで挫折していた読者だが、義侠心と半ば意地で4巻まで何とか通読し、このレビューを書いている。
 よく『カラマーゾフ』は前半退屈、後半ワクワクとゆう評価がされるが、それはハマッテ通読出来た人達の評価。その裏には何倍もの途中挫折組が居ると考えられる。私も本来ならその挫折組みの一人である筈だが、今回このレビューに書きたいがために、頑張ってこの4巻まで何とか読み終わった。以下断言できる事。

 1)本『カラマーゾフ』はハッキリ言って、ダラダラ長いだけの失敗作です。よっぽどドストエフスキーにハマッったマニア以外は読む時間が無駄でしょう。一気に全巻購入は止めて、第1巻(の)冒頭)だけ読んで、通読するかどうか判断して下さい。後半にもそれを凌ぐ場面はありません。
 2)これは訳者の力量ではありません。原作が失敗作なのです。岩波文庫でも私は第1巻で挫折しました。
 
 第5巻も意地で読みます。 (ビン・ラーディン/2008-09-14)
古典新訳文庫。読みやすく、1巻からずっと仕事の合間を見つけて読んできたが、4巻の裁判で止まりがちになり、半年くらいかけてぼちぼち読んだ。人間存在に関する様々な洞察が深く、しばしば書き留めたくなるようなフレーズがある。しかし、増長な文章の中でマラソンをしているようで、特に最終検事の答弁などは、もうちょっとシンプルでもいいのではないかと思う。 (だん/2008-10-12)
 父殺しがテーマだが、殺しの場面は直接出てこないので、やはり裁判シーンがこの物語最大の見せ場ということになる。ただ、この4巻を読んで私が最も心引かれたのは、アリョーシャとドミートリーの接見の場面のやりとり。
 ドミートリーの口から「もしも、神さまがいないとなりゃあ、人間が大地と世界の主人てことになるよな。悪くないぜ!ただし、人間は神さまがいないのに、どうやって善良でいられる?」
 登場人物中もっともわかりやすいドミートリーから発せられる単純明快なセリフである。このフレーズだけでなく、作者は自分の主張をいろいろな所に埋め込んでいるように思う。読者は、これをどのくらい掘り出すことができるだろうか。 (どろがめ/2008-09-13)
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ドストエフスキー
ドストエフスキーの名作
 
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カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)
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光文社(2007-07-12)
翻訳:亀山 郁夫ドストエフスキー
売上順位:3711
¥ 660(中古:¥ 344)

レビュー総評点:84
待望の最終巻 |||||||||||||
 この新訳カラマーゾフの兄弟が刊行せれ始めて約1年ようやく最終巻がでた。結果的に4巻+エピローグ1巻の5巻構成になったが、個人的にはエピローグを分けこのような形にしたのは正解だと思う。また、この5巻の約半分を占める解説もこの小説を理解する上でとても参考になるし、再読するにあたってまた別の視点に立って読み進めてく上で有用であると思う。 (ro/2007-08-18)
最終巻 |||||
エピローグだけ別巻にしたいという翻訳者の希望で
一冊の半分以上が解説になっています。
亀山氏の翻訳に違和感を感じた読者の方々もいたようですが、
今までそんなに気になりませんでしたが、この5巻に対しては
違和感を感じました。
「そんな訳でいいのかな?」と・・・でもまあ英語以外の外国語が
できない私にとっては、仕方がないかなと感じました。

解説も今ひとつ。特にドストエフスキーの翻訳家で有名な
江川卓さんの考えに批判的なのが、気になりました。
別に人を批難しなくとも、自分は自分でいいのでは
ないかと・・・。少し亀山さんに反感を持った私です。
(mitsugi/2009-03-03)
ああ読み終わってしまった!
という寂しさが、読了の満足感を凌ぐ傑作。
異例のベストセラーということで、新聞各紙でも採り上げられているが、
ドストエフスキーの魅力を(おそらく)巧みに引き出した名訳が、
本書を含む全5冊の光文社判「カラマーゾフ」の魅力のすべてである。

そして、特にこの別巻について言えば、小説の「エピローグ」部分は、
総ページの5分の1以下だが、1〜4各巻に付されてきた、
すこぶる工夫を凝らした解題の総決算もいうべき長文の解題と、
「カラマーゾフ」創造との結びつきを意識した刺激的なドストエフスキー略伝が
掲載されており、小説読後の余韻を高めてくれる。

学生時代、『罪と罰』を読んだあと、同じ新潮文庫で挑戦したものの挫折。
遥かな時間を隔てて向き合った本書の、なんと面白いこと。
登場する人物像、事件の、あまりにも現代に通じる点も驚異だが、
小説とは主題以上に、語り口が持ち味なんだということを、
改めて思い知らされた次第。

それにしても、本書は書かれるはずだった全体の「第一」の部分だという。
いったいどんな展開が、この後にあったのでしょうか!
前のレビューの方で、「サイドストーリーとも言えるアリョーシャと
子供たちとのエピソード」に惹かれる趣旨のコメントがありました。
訳者の「解題」を読めば、それもまた、書かれなかった“第二の小説”
の伏線だったようです。
そんな謎というか、「未刊」であることも含めて、本書は偉大な作品。
(bias/2007-08-22)
この別巻だけでも買い |||||||||||||||||||||||||||||||||
古典としては近年異例のベストセラーとなった亀山訳『カラマーゾフの兄弟』。私は新潮文庫版を愛読していたのでそちらの訳文に慣れてしまったが、こちらの亀山訳は確かに平易で簡潔。各登場人物の台詞も、古典翻訳モノでありがちな「実際の日常会話ではほとんど使われることのないであろう文語的表現」は一切出てこず、それがために流れるような文章だ。読みやすさ、という点ではこちらが上。ただし、表現の適度な重厚さ、原文が持っているニュアンスまで出来る限り忠実に再現するために選び抜かれた訳語、その彫心鏤骨さという点では、新潮文庫の原卓夫訳も決して劣らないことを是非主張しておかねばならない(ただ、原訳は少し読点が多すぎ、読書のリズムが損なわれがちな嫌いはある。他の翻訳作品にも見られる特徴なので、これは訳者の癖であろう)。

なんと言っても、この亀山版は各巻の解題・作品解説が素晴らしく、それらが凝縮されたこの「エピローグ別巻」はこれだけでも買う価値がある。ドストエフスキー研究をライフワークとされている氏の作品読解は、流石に半可通では及び難いレベルにまで達している。もちろん翻訳物におまけ程度で付いている解題群など比較にならない。個人的にはこの亀山氏の解説も、作品を十分に読み込み、独自の作品解釈を構築してから読んだ方がよいとは思うが。というか、自分でその域に達してからでないと、他者の解釈も本当には味わえないもの。「カラマーゾフ」を読み込んだ者ほど、氏の解説には唸るであろう。 (モリブンドゥス/2007-09-29)
この5の解題がなければ、私はカラマーゾフの兄弟を読んだことにはならなかったかもしれない!と感じます。

まァ、この解題すらちゃんと理解できたのかは疑問ですが、だいたい読んだかな、8割方は楽しんだかな、という気分になれました。ありがたいことです。

とにかくすごい小説なんですね。というか、ドストエフスキーが壮絶。描かれている人間の感情、観念の幅の広さに圧倒されました。
完結してないことが惜しいです。
(marpsjournal/2007-10-20)
解説本として ||||||||||||||
作品が感動的に終わるエピローグのあと、本書の大部分は亀山氏によるドストエフスキーに関する解説や本書内容に関する説明などが書かれている。
亀山氏によるバフチン理論に関しては専門的に勉強した人々によって少々非難が巻き起こっているのではあるが、単純な一読者としてこの解説を読むことは、カラマーゾフの兄弟を読む上でなかなかに興味深いものであった。
高潔でありながらも、けだものでもあったドミートリー・カラマーゾフほか、やたらに二重性のある人物たちをドストエフスキーが創造し、克明に描けたのはなぜなのかが、この解説によるドストエフスキ−の人となりから、多少理解できた気がする。 (ぱぱり/2007-08-27)
この3週間、カラマーゾフの世界にドップリ浸らせて貰った。
そして、まずは読了出来た事を率直に喜びたい。
また、本書の様にとても読みやすい新訳が出たのは非常に意義のある事であり
ドストエフスキーがこんなに読みやすくて良いのだろうかと思ったくらいである。
しかし期待が大きすぎた事もあるかも知れないのだが(世界最高の小説と言われていたりして)
正直言って物語自体はそれ程関心しなかった。特に父殺しのエピソードについては、ミーチャを有罪にする為にやや不自然かと思われる部分もあった。自分はむしろサイドストーリーとも言えるアリョーシャと子供たちとのエピソードの方が良かった。
もちろん本書は単に物語だけでなく、神の存在をめぐる議論などドストエフスキーの思想がギッシリ満載されており、特に大審問官の章は再度読み直して理解を深めたいと思う。 (都筑まもる/2007-08-19)
大長編のエピローグ、わずか60ページほどだが、高揚感にあふれ、ポジティブな力がわいてくるようなエンディングで大満足。ここまで読んでよかったという充実感に満たされた。その後のドストエフスキーの生涯についての記述も興味深く読んだ。ただ、約半分を占める解題は興味深いが、また別の作品として出版されてもよかったのではないか。小説は小説でかたまりとして完結したほうが、続いて読んでしまって、読後の感激に理性の分析が入ってちょっともったいないかもしれない。 (だん/2008-11-20)
すぐれた訳者が必ずしもすぐれた解説者であるとは限らない。本書解題におけるバフチンのポリフォニーへの言及は全くの出鱈目。
本書では「登場人物の多様性による視点の相対化」というくらいの意味ですがポリフォニーとはそのような意味ではありません。
亀山の知ったか振りは、本当にバフチンを読んでいるのかさえ怪しい程で、ただお茶を濁すだけで殆ど何も説明していない。
そればかりかバフチンがポリフォニーの「非常に際立った対話」として詳しく考察している箇所(『詩学』p534-539)を事もあろうに
「ポリフォニーの原理にさからうセリフ」(『本書』p281)等と頓珍漢なことを(しかもなぜか自慢げに)書くトホホな始末。
何も知らないと思って読者を馬鹿にしているとしか思えない。

参考
「イワンの言葉と悪魔の応答とを差異づけているのは、内容ではなく、ただその調子、ただそのアクセントだけである。
しかしそうしたアクセントの移行は、イワンの言葉と悪魔の応答の最終的な意味の全体を変化させている」(『詩学』p454-455)
「悪魔はイワンの内的対話の中に、愚弄嘲笑と絶望的な断罪のアクセントを持ち込む」。悪魔は「イワンのアクセントを悪意的に誇張し、
歪めてしまう」。「アリョーシャもまたイワンの内的対話の中に他者のアクセントを持ち込むが、しかしその方向性は正反対」の「愛と和解
の調子を持ち込む」。悪魔とアリョーシャは「双方とも同じようにイワンの言葉を反復しながらも、その言葉にまったく正反対のアクセント
を付与」する。「対話において衝突し、論争しているのは」絡み合った「闘争する声たち、内部で分裂した声たちのポリフォニー」である。
(同p537-538、p522から再構成)

キーワード
アクセントの移動(変化)/言葉の対話的分裂/意識の対話的分裂/言葉の他者性/私的言語の否定
多声=対話=複声/対話と対話の対話/対話の未完結性=永遠性

『ドストエフスキーの詩学』ミハイル・バフチン(ちくま学芸文庫)特に「ドストエフスキーの対話」p527-562参照。 (Maulwurf/2008-05-31)
エピローグはすぐ終わり、
あとの100ページ程がドストエフスキーの生涯。
そのあとの170ページ程がカラマーゾフの兄弟論となっている。

いままで新潮社の訳の違和感から抜け出せず、カラマーゾフの兄弟をなかなか読み切ることができなかったが、この亀山訳は読みやすく、これからの定番になるだろう。

ドストエフスキーは永遠に人類に読み継がれる偉大な作家だ。 (「数学ましーん」/2007-09-03)
 最終巻は、冒頭にエピローグの章があるものの、殆どが著者による解説である。本作に対する理解を深めるため、まずはドストエフスキーの生涯を説明し、本作の解説へと移っている。
 これまで本作の解説というと、表面のストーリーとその背後に流れる神の存在を巡るテーマについて論じられてきたが、著者はそれだけではないだろうと主張している。それは自伝の要素である。
 著者は「自伝の締めくくりとして、カラマーゾフの兄弟全体を構想していたといっても過言ではない」と述べている。
 私は、この解説を読んで、改めて本作品の構成力に圧倒された次第である。
 19世紀の作品とはいえ、今は昔、現在の知識では理解できない時代背景や当時の常識が散りばめられている。ましてや外国の作品であればなおさらである。自分で一字一句理解しようと無理をせず、水先案内人に従って読書を楽しむのも悪くない。

(どろがめ/2008-10-11)
5巻まで読み終えるのに優に3ヶ月を要した。人間の善悪の本質、キリスト教と無神教、高貴な心と醜悪な感情、重層に繰り広げられる壮大なドラマである。150年経っても、人間の本質はさほど変わらないということを思い返された。

→気に入った表現をいくつか
子供時代の、両親といっしょに暮らした時代の思い出ほど、その後の一生にとって大切で、力強くて、健全で、有益なものはない

どうか人生を恐れないで!なにか良いことや正しいことをしたとき、人生って本当に素晴らしいって、思えるんです!

新約聖書と旧約聖書、とくにドストエフスキーに強い興味を覚えさせたのは、神のむごたらしい試練を受け、信仰を失わないヨブの話

極端に内気で人付き合いの苦手な若いころのドストエフスキー

政治犯容疑のドストエフスキーは、4年間、シベリアの流刑地で人生の奈落を経験

罪と罰 世界文学史上に燦然たる光を放つ小説 農奴解放後のロシア社会を襲った混乱

ロシアが国家としての推進力を失い、崩壊の道を辿りつつあるという、ナショナリストとしての漠とした絶望感 (三好明広/2008-08-03)
 ま、「エピローグ」という言葉からも予想される通り、この第5巻での『カラ兄』本文の残りはごく僅か、366ページ中なんと63ページまでしかない。残りの部分は訳者による「ドストエフスキーの生涯」「年譜」「解題」「あとがき」である。つまり本文は解説の5分の1しかない、ってこと。
 訳者の意向により、このエピローグだけで一分冊にしたかったらしいけど、営業的にはどうなんでしょ?なんか、訳者が自分のカラ兄解説書まで買わせる「抱き合わせ商法」にも感じられる。

 で、本編「エピローグ」ですが、やはり大幅なストーリーの展開は無く、最後のアリョーシャの子供たちに対する歯の浮くような「お説教」の後、唐突な「カラマーゾフ万歳!」って、どうよ?冤罪で流刑になっちゃったミーチャはどうなんのよ?脱走計画は?まだ、全然話終わってないでしょうってば!
 ま、元々作者前書きの部分で本作は物語の前半部、つまり続きがありますよ〜、って断ってんだから仕方ないかも知れないが、じゃ世間はもっと「カラ兄は未完の作」って事を周知徹底して欲しいよ。

 「ドストエフスキーの生涯」は読みやすい文章で分りやすかった。「解題」の方は思い入れたっぷりに書いているのは分るが、ここまでやると贔屓の引き倒しでしょう、って気がしてきた。むしろこれだけ歴史的、伝記的、文化的考証が必要な原作はもはや現代の一般読者が読むにはそぐわないとの感を強くした。

 全巻通読後の最終結論=ドストエフスキー代表作は『罪と罰』で決まり、『カラ兄』通読必要無し! (ビン・ラーディン/2008-10-06)
 あのスリット・タンのお姉ちゃん作家・金谷ひとみが愛人に唆されて「上巻読むのに4ヶ月、一気に3日で中・下巻」というペースで読んだのは新潮文庫版カラマーゾフ。この亀山版なら愛人の愛撫もそこそこに受け流し「1部と2部にまる1日、後も一気に全部で3日」というくらいで読んでしまえそう。圧倒的なスピード感、かっての古典訳本につきものの何箇所にも振られている注釈のルビ、これが一切ないので、読める、読める。

 ロシア人特有の名前の呼称は、愛称が出てきたり、これがまたしょっちゅう変化したり、父姓が絡んだりやたらややこしい。亀山はこれを簡素化してしまった。これだけでも、21世紀日本の翻訳革命。だからドスケビッチ・オナゴスキーなんて名前が出てこない。それにしてもこのカラマーゾフって小説、なんて面白いんだらう。私にとっては2回目のカラマーゾフだけど、みんなシャベルしゃべる!おしゃべりなロシア人、父親のフョードル、ミーチャ、ホフラコーワ婦人、小悪魔たち、みんなロシア版吉本新喜劇の役者になれる。そして、最後にみんな元気に「カラマーゾフ、万歳!」ってんだからもう2007年最大の話題書はこれに決まり! (ヒデボン/2007-09-03)
 コーリャは個人的に好きになれない。すこし背伸びをしているような気がする。学問を究めないのに、高尚なことを言うのは良くない。

 彼に対して、アリョーシャは全然偉ぶらない人物で好感が持てる。影でいろんなことを良く勉強しているのだろう。

 私はコーリャのような知ったかぶりをする人間にはならずに、アリョーシャのように高度な知識を備えつつ、かつ慎み深い人間になりたいと思った。 (k-um/2007-10-05)
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『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する (光文社新書)
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光文社(2007-09)
亀山 郁夫
売上順位:102803
¥ 819(中古:¥ 173)

レビュー総評点:-17
売れてますなあ亀山新訳『カラマーゾフ』!! ドストエフスキーファンには周知の第2部『カラマーゾフ』を空想するというたまらなく魅力的な構想の本書も、亀山郁夫という稀代のロシア文学者の誠実さと「科学精神」にあふれた好著である。
末弟アリョーシャが、ロシア皇帝という「母国の父」を殺すことになるのかというプロブレマティックは、河出版全集の完訳者米川正夫も指摘していたが、亀山は少年コーリャをその実行者として想定し、証拠固めをしてゆく。その手際には畏れ入った。本書を読んでいてしきりに残念に思ったのは、江川卓の早世である。彼の『謎解き』シリーズをもっと読みたいと思ったのだ。
さらに、作家ドストエフスキーには、スターリン時代まで生きていて欲しかったという、叶うべくもない夢想に浸ってしまった。 (野火止林太郎/2007-09-15)
 「カラマーゾフの兄弟」の新訳を手がけたドストエフスキー研究の第一人者が、〈幻の続編〉を空想するという知的ロマンの書だ。大まかな構想だけ示された続編については「三男アリョーシャの皇帝暗殺物語」との見方が支配的だが、本書では想像力あふれる斬新なプロットを提示しているのが注目される。

 著者はオリジナル作品の暗示的な「序文」や、続編への伏線とみられる謎めいたディテールをはじめ、作者の残したメモ類、同時代人の証言など、客観的データを多角的に検証。想像の翼を広げ、続編の輪郭や骨格をイメージしていく。そのまるでジクソーパズルを1枚ずつはめ込んでゆくみたいな丹念な作業を経て構築したのが、以下のようなダイナミックでスリリングなストーリーだ。

 ……本編の舞台から13年後、1879年のロシア。キリスト教布教者アリョーシャはモスクワの大学を卒業し、村の学校で教えるかたわら、新しい信仰を広めてゆく。一方、少年時代から彼と交流があるコーリャ・クラソートキンらの〈弟子〉たちは成人し、コーリャが中心となり革命組織を結成、列車爆破による皇帝暗殺計画を練る。そして、組織は皇帝暗殺後のリーダーにアリョーシャを据えようと決議。コーリャはアリョーシャに就任の要請をするが、ふたりはテロルか融和かをめぐり対立。その後、暗殺計画が漏れ、テロ決行前日、コーリャは逮捕される……。

 ざっとこんなプロットだが、著者は様々な根拠を挙げ、従来のアリョーシャ=皇帝暗殺者説を否定。事件の首謀者をコーリャとし、アリョーシャは間接的な関与にとどまるとの創見を示す。その背景に設定した1879年というのはドストエフスキー死去の2年前、国内で政府要人に対するテロルの嵐が吹き荒れた年である。

 全体の構成は本編同様、「4部+エピローグ」形式を想定、各部各編の展開もラフスケッチ。さらに、本編を彩る登場人物、カラマーゾフの長男ドミートリー、次男イワンをはじめ、カテリーナら女性陣のその後の足取りを描いているのも興味深い。

 このほか、壮大な物語に採用されたであろう、ロシア正教異端派の「性と信仰」のモチーフを幅広い観点から論考するなど、全体として著者の学識とイマジネーションが発揮され、ライトな新書らしからぬ読み応えがある。
 
……空想、仮説とはいえ、おぼろげに見えてきた「幻の作品」。もし、世に出ていたなら……。
(しぁんくれーる(Champ Clair)/2007-12-24)
がっかりでした ||||||||||||
タイトルから、非常に魅力的に感じて買いました。
とてもがっかりしました。
空想というより、妄想という感じでした。
興味の無い個人哲学を延々読まされた気分です。
カラマーゾフの兄弟を好きな人でも
本書を買うときはよく考えたほうがいいと思います。 (たんごのせっく/2008-03-07)
書かれなかった幻のカラマーゾフの兄弟の続編を空想するというはっきり言えばインテリトンデモ本。
正解のない話題であり、空想というより妄想に近い部分も多い。

ただし、この本を読むことによって、「カラマーゾフの兄弟」への興味、理解がより膨らんだ。
カラマーゾフの兄弟が続編を意識して書かれ、多くの伏線が全編にわたって
張り巡らされているということ。
現代のような言論の自由の概念がない時代背景が小説のプロットに大きな影響を
与えたであろうということ。
このようなただ読んだだけでは理解できないことが亀山氏の訳版では丁寧に
解説されていた。
おそらく解説部分を執筆しているうちに解説を逸脱して想像力が拡がり、その勢いで書いたのが本書ではないだろうか?
それぐらいカラマーゾフの兄弟は謎に満ちた深い世界であるといえる。
カラマーゾフの兄弟・亀山訳を読んだ後、その勢い読むのがおススメ。
あくまで気が向けばという程度でいいと思うが・・・・ (reedin01/2009-05-20)
 ここまでやってしまう、というのは、ドストエフスキー的過剰というべきなのだろう。
 ドストエフスキーの脳髄の端っこを覗くことができただけでも功績は大というべきか。
 しかし確実にいえることは、非常に堅実に空想された科学的な続編だということだ。研究者としての良心がずいしょに見えるのが、好ましい。アリョーシャが皇帝暗殺者にならない、ということの証明のためにあれだけ熱をこめて説明する態度が感動的である。大江健三郎氏が、朝日のエッセーでも書いていたが、第二の小説の主人公をコーリャ・クラソートキンと見定めたのは、慧眼である。何よりもそれを、第一の小説の細部から浮かびあがらせているのがよい。しかし、不満がないわけではない。爆発的な想像力という点で、その学問的な態度が少し邪魔をしていることだ。もう少し羽を伸ばしてもよかったのではないか、という思いが残る。しかし、責任を持って語れるぎりぎりの地点はこのあたりなのかもしれない。 (谷間のゆり/2007-09-24)
 世界で最も有名な未完成作品であり最近ブームの「カラマーゾフの兄弟」。著者はその翻訳者(光文社文庫版)であり、著作に名著「ドストエフスキー父殺しの文学」もある。「父殺し」でも続編予想はされていたが、アリョーシャを皇帝殺しにするにはかなり無理があり、私は氏の説にはいくつも反論があった。それから数年を経て書かれた本書は、私の反論に対し(リーザの扱い以外は)全て答えたものであり、前作の予想より遥かに完成度は高い。「父殺し」と重複する点は少なく前著を読んだ方でも満足するであろう。内容も丁寧でかつ「悪霊」や「白痴」等しっかりとした根拠に基づいた良心的で冒険のない妥当な内容であり「カラマーゾフの兄弟」を読んだ方には専門的度合いの高いドストエフスキーの解説書にしては「まずまず」楽しめると思う。
 ただし、「白痴」「悪霊」(共に「カラマーゾフ」より遥かに難易度は高い)を読んでいることを前提として記載していたりさらにグノーシスや鞭身派について一切解説していない等(まあ、ドス読者には鞭身派は常識だが)、新書としては異常な難易度であり、カラマーゾフブームで読んだだけの人には非常に敷居の高い内容になっている。 (karenina/2007-10-11)
それにしてもよくこんな本を出しましたね。ターゲット狭すぎでしょ。「カラマーゾフの兄弟」そのものですら読んでる人はそんなに多くないのに、そのニッチを狙って新書を出すとは。。

ちなみになぜこんなマニアックな本がこのタイミングで出たかというと、本書の著者である亀山さんが最近「カラマーゾフの兄弟」の新訳版を出して、ちょっとした「カラマーゾフの兄弟」ブームになったからです。亀山さん訳の「カラマーゾフの兄弟」を読んだ人が、まんまとこちらの新書も買わされるという(僕もそうなんですが)一種の抱き合わせ商法になっているのです。しかも内容は本家の最終巻に載せてある「解題」を膨らませただけという、なんとも手抜きな感じの新書になってます。はっきり言って、これはずるい。

でも困ったことに、この新書けっこう面白いんですよね。「カラマーゾフの兄弟」は作品そのものよりも「続編」を想像・空想・妄想する方が断然楽しいというのが定説なわけですが、それを翻訳者がやっちゃってるわけで、これは当然興味深いし面白い。また普通は「カラマーゾフの兄弟」を読み終わっても、こういう「空想」を語り合える友人が近くにいることはなかなかないわけで、本書は空想を共有する楽しみもちゃっかり備えていると言えます。翻訳者がこんな本を出しちゃうこと自体、やっぱりこれもずるい。

なんかねー、とにかくずるいよね。だって最近「カラマーゾフの兄弟」を読んだ人は、この新書も読まざるを得ないんだもん。悔しいけど、オススメ本なのです。特に亀山訳で「カラマーゾフの兄弟」を読んだ人は、必ずこちらも一緒に読んでみてください。「カラマーゾフの兄弟」の魅力が一気に数倍に膨れあがること間違いなし、なので。 (のいのい/2008-04-16)
私が学生時代に初めて『カラマーゾフの兄弟』を読んだときには、その内容のすごさに圧倒されつつも、まさかカラマーゾフブームなるものが訪れる日が来ようとは思ってもみなかった。
そのブームを作った立役者である亀山氏が、『カラマーゾフの兄弟』に秘められた数々の謎を解き明かしつつ、未完に終わった続編を予想(著者は時に自虐的に「妄想」という言葉も使っている)していくのが本書だ。

この手の「カラマーゾフ謎解き本」には、江川卓氏の『謎解きカラマーゾフの兄弟』があり、これも非常に面白い。
だが本書は、続編に直接関連してくるであろうトピックスのみを対象とし、その総括として、著者が思い描くカラマーゾフ続編(著者が名づけるところの『カラマーゾフの子どもたち』)のプロットまでを提示する。

そこらの人が同じことをやっても鼻で笑われそうだが、『カラマーゾフの兄弟』の新訳を完成させた著者だからこそ許されるし、説得力もある。
そして内容は非常にスリリングだ。

もちろん、『カラマーゾフの兄弟』を読んだ人でないとなかなか理解できない内容。
逆に言えば、あの大著を読破した人へのちょっとしたご褒美、と言えるかも。 (チャックモール/2007-10-10)
 息もつかずに読み切った。
 とにかく説得力がある。カラマーゾフの続編を空想するのに、序文の成立事情、夫人や当時のジャーナリスト・スヴォーリンの証言を並べ、当時ロシアで起きたテロ事件を振り返る。そうした上でアリョーシャは皇帝暗殺者となるのか、ドストエフスキーは皇帝暗殺を書けるのかを子細に検討する。そして時空間を定め、小説を三つの層(神の実在と不在、パンか自由か、などを問う「象徴層」、プロットやストーリー、登場人物の葛藤を描く「物語層」、ドストエフスキー自身の体験を露出させる「自伝層」)に分け、かつ続編は、正編同様の交響曲風の展開をするものとして、一気に続編の構造を起ち上げる。まさに正確なコンピュータが再生させたドストエフスキーの頭脳による構想と言っていい。
 それにしても、書かれて百年以上経つ小説がここまで熱く語られ、ここまで人の心を捕えることに驚く。「カラマーゾフの兄弟」を読むことは単なる読書体験というよりも、一種の魂の体験で、アリョーシャもリーザもイワンも単なる登場人物というより、一種の知人。“萌えキャラ”どころじゃありません。そんな人物たちがどうなるのかを考えるだけでわくわくする。
 もっともドストエフスキーの小説は必ず、お約束を裏切ってくれる。「罪と罰」のラスコーリニコフは一線を踏み越えたかに見えて踏み越えられなかったし、「悪霊」のスタヴローギンもヴェルホベンスキーの思う通りには動かなかった。亀山氏の描いた完璧な想像図を、ドストエフスキーが生きていたら、どう裏切り、どう突っ走って行ったかを、スリリングに想像する。アリョーシャの関わる皇帝殺しがもし本当に描かれていたら、二十世紀の文学史はもちろんのこと、歴史すら変わっていたかも知れない。 (キャラメルマキアート/2007-12-02)
新規性ゼロの作品 |||||||||||||||||||||||||||||||
題名通り、ドストエフスキー「カラーマーゾフの兄弟」の続編について考証したもの。私は「カラマーゾフの兄弟」を世界最高峰の文学と考えているので、本来なら本書のような本は歓迎すべき所なのだが、内容に新規性がないのにはガッカリさせられた。

「カラマーゾフの兄弟」が超大河小説の第一部として書かれた事は常識である。また、何時の日にか"神"となったアリョーシャが皇帝暗殺を企てるという事も。これらの点は江川卓氏「謎とき「カラマーゾフの兄弟」」に詳細に解説されている。政治犯ドストエフスキーが当局の目を逃れるために、皇帝暗殺に失敗する話にする云々と書かれているが、これも江川氏の作品を読めば明記されている。「カラマーゾフの兄弟」の末尾で、アリョーシャが十二人の少年使徒を前に演説するシーンがある。この少年使徒は勿論キリスト(=アリョーシャ)の十二人の使途に対応するが、当然その中にはユダがいる。だから、暗殺は失敗するのである。

「続編を空想」しなくても、答えは「カラマーゾフの兄弟」の中に書かれているのである。完全な徒労作。 (紫陽花/2007-10-11)
泣きました |||||||||||||||
「カラキョー」の第二部はどうなるかという単なる好奇心で読み始めましたが、そういう次元を遙かに越えた本でした。すべての点で、文学の凄みというものを感じさせられました。一例ですが、テロリズムと作家の執筆が深いところでシンクロしていくところなど、まさにスリルです。そして締めとして、「おそらく、『改心はなかった。『改心』を演じつづける努力、それこそがその後のドストエフスキーの三十年の人生だったのではないか」(p.269)という言葉には、文字通り涙しました。私がずっと思っていたドストエフスキー像だったからです。
厳密な意味での研究書ではないのかもしれませんが、いろいろな言語に訳されてドストエフスキーに興味をもつ人すべてに読まれてほしい本です。 (kisobe/2007-10-10)
・・たった今、本書を読み終えたところです。
既にタイトルにもあるようにこの本は、「・・空想する」という立場にたって書かれた書であり、読者はそれを予め踏まえた上で読むべきものであると思います。
著者は、ドストエフスキーの大名作「カラマーゾフの兄弟」を新訳する快挙を成し遂げた後に、どうにも書かずにはいられない内的衝動、否使命ともいうべき意思で、本書を謂わば「空想」した・・それは常人には、計り知れない程のプレッシャーが有ったことでしょう・・
推考に推考を重ねながらも逡巡し逸脱しそうになりながら執念で書かれたのが、この本ではないかと思います。
著者の姿勢には、常に極めて謙虚でありながらも飛躍する勇気(冒険)も含まれてあり、その論考には読者を惹きつけて離さない切迫したものがあります。
ぼくは、新書でこれだけの「内容」の濃い「密度」の高い本を嘗てこれより他にみたことがありません(極めてCPが高いと思います)。
既に「カラマーゾフの兄弟」(未完の書)を読了した読者には、正に待望の、また「余熱」冷め遣らぬ書と言えるのではないでしょうか・・
大名作「カラマーゾフの兄弟」続編に挑戦した著者の惜しみない「情熱」に拍手を捧げたい・・そう素直に思えます。 (長太郎/2008-03-09)
いやとうとうここまで来てしまいましたか。著者のドストエフスキー論の集大成にもなっています。だってフェードロフだけでなく、スペツネフまで登場してきますから。「根本から調べなおしたい」という著者の結語にもかかわらず、ここから先のカラマーゾフの「空想」的な展開は出てこないでしょうね。そこまでいくと、本当に”妄想”の世界に近づいてきてしまいますから。この未完の続編は、著者の前作の「父殺し」でも触れられていましたが、ここではその仮説がより洗練され、「可能性だけではなく、現実性」により焦点を合わせた解明が試みられています。解明は、作品を三層構造(象徴層、自伝層、物語層)として捉え、かつ作品の背景を1870年代後半のロシアの現実の状況に位置づけることにより、説得力を増しています。そしてその仮説の究極的な到達点とは、double speakの塊としてのドストエフスキー理解です。つまり「改心はなかった。改心を演じつづける努力」こそがドストエフスキーだったというわけです。この驚くべきモティーフの解明には、祖先の物理的な復活を目的としたフェドーロフという特異なパーソナリティの「共同事業の哲学」の影響が取り上げられます。そして、スペツネフとの切れることのない関連が指摘されます。ただドストエフスキーが影響を受けたフーリエやサン・シモンなどの社会主義者は、あくまでも西欧の合理主義哲学の延長線上に位置づけられものであり、ドストエフスキーの最終的な理想はあくまでもこれらの社会工学的な発想とは対極に位置するものではないかという疑問は残りますが。 (recluse/2007-09-22)
「続編を空想する」と言うタイトルですが、何となく「推理する」と書き換えたいような感じでした。そのくらい「推理小説」感覚で一気に読みきることが出来ました。

宗教問題、そこからくる性の問題、そしてオイディップス・コンプレックスとしての「父殺し」、その延長線上にある「第二の父殺し=皇帝暗殺」と、様々な視点で描かれているのですが、それに戸惑うことはありません。
そこには、作者が言う「象徴層」「自伝層」「物語層」というはっきりした視点を用意されているからだと思います。そうした作者の論理性の素晴らしさが、誰が読んでも素直に受け止められる作品にしているのだと思います。

とにかく、この本を読むと『カラマーゾフの兄弟』の続編は、これしかないと思ってしまいます。
改めて、『カラマーゾフの兄弟』を読み直さねば・・・。 (ringmoo/2008-01-10)
 亀山新訳の「カラマーゾフの兄弟」全5巻を読破した者にまだお楽しみの1冊が残されていた。それがこの「第二の小説」がどのようになるかという亀山本人によるプロット展開。これを書き終えるまでは、まだまだ外大の学長になんぞ就けないとでも言うかのような迫力ある文章、気合が入っている。本書は、「カラマーゾフ」解説本であると同時に、革命前夜のロシアのテロリズム史であり、社会文明史、思想史でもある。アリョーシャを中心に展開すると予想される「第二の小説」のプロットは、読む人のお楽しみにとっておいたほうがいいので、ここでは何も言わないが、知的好奇心あふれるお勧めの1冊ではある。それにしても亀山が何度か引用している「空想から科学へ」という言葉、この新訳の主な読者といわれている現代の若い人はどのように受け止めているのだろう。 (ヒデボン/2007-09-21)
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w:10 h:15 488page
罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)
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光文社(2008-10-09)
翻訳:亀山 郁夫フョードル・ミハイロヴィチ ドストエフスキー
売上順位:7565
¥ 860(中古:¥ 506)

レビュー総評点:81
よく流れリズム感のある日本語に ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
賭博で一文無しになった44歳のドストエフスキーが、乾坤一擲の思いで書いた傑作。選ばれた者の例外的特権、大いなる善の為に小さな悪は許されるか否かなど、重い思想的テーマを扱うが、心理描写や推理小説のような緊張感が素晴らしい。亀山氏の新訳は、日本語としてとても読みやすい。日本語は関係代名詞をもつ西洋語と違い、複雑な構文を苦手としており、主語・述語、主語・述語と短い文章にバラして並列することによって、先へ先へと文章が流れるからである。たとえば、金貸しの老婆を殺した直後のラスコーリニコフの動揺場面を、既訳と比べてみよう。「けれども一種の放心が、瞑想ともいうべきものが、次第に彼を領しはじめた。そして彼は、ともすれば我を忘れて、というよりはむしろ大事なことを忘れて、瑣末な事にかかずらうというあんばいであった」(中村白葉訳、岩波文庫p135)。「ところが放心というか、瞑想とさえいえるような状態が、次第に彼の心を捉えはじめた。数分の間彼は自分を忘れたようになっていた。いやそれよりも、肝心なことを忘れて、つまらないことにばかりひっかかっていた」(工藤精一郎訳、新潮文庫p139)。「だが、ある種の放心といおうか、ある瞑想にも似た状態が、徐々に彼をとらえはじめた。ときおり、われを忘れたような状態に陥った。というより、大事なことを忘れつまらないことばかりこだわるのだった」(本訳p191)。 (お気に召すまま/2008-10-11)
新訳は本当に読みやすいか? ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
読み始めてすぐに、文意の取りにくさを感じた。そこで、岩波文庫の江川訳(1999年刊)と比べてみたところ、こちらの方が遥かに明晰で文脈が読みやすく、日本語もしっかりしている。前半の第1部から幾つか例を挙げてみます。

(1)まずは、物語の冒頭、ラスコーリニコフが通りを歩きながら、頭の中で想念をぐるぐるとめぐらせる場面。
「それにしても、おしゃべりがすぎるな。何もせずにいるのは、このおしゃべりのせいだ。いや、逆にこういうことかもしれん。おしゃべりがすぎるのは、何もしていないからだ、一日中、下宿に寝ころがって……そう、ゴロフ王のことなんか考えながら、こうしてしゃべることを覚えたのはついこのひと月じゃないか。」(亀山訳p.11)
「それにしても、おれはどうもおしゃべりがすぎるな。おしゃべりがすぎるから、何もしないんだ。いや、待てよ、何もしないから、おしゃべりをするのか。こんなおしゃべりの癖がついたのも、おれがこの一カ月、のべつ部屋にばかりごろごろして、考えごと……なに、ゴロフ王がどうのと愚にもつかんおとぎ話をでっちあげていたせいだ。」(江川訳p.13)

(2)すぐその後の、主人公のひどい身なりについて説明する箇所。
「それに、青年の心は、敵意にも似た軽蔑の念が溜まりに溜まり、もともとがごくデリケートで、ときには初々しいほど敏感ながら、今はこうしてぼろぼろの服で外出することすら、少しも恥ずかしいとは感じなかった。」(亀山訳p.13)
「それに青年の心は、敵意にも似た軽蔑にこりかたまっていたから、根が潔癖なほうで、ときには少年くさいくらいの彼も、こんなぼろ服で往来に出てきたことを、いっこうに恥じる様子がなかった。」(江川訳p.15)

(3)続いて、マルメラードフの住まいの描写。玄関口から、一家の、みすぼらしくてひどくちらかった部屋が見わたせる。
「マルメラードフは、同じ部屋の片隅にではなく、独立した別の一室で寝起きしていたが、その部屋が、じつは通りぬけになっていることがわかった。」(亀山訳p.62)
「話とちがって、マルメラードフは部屋の片隅を借りているのではなく、独立した一室に住まっていたが、この部屋は通りぬけになっていた。」(江川訳p.56)
マルメラードフ一家が借りているのは集合住宅の住居の一室である。ふた部屋借りているのではない。これは誤訳の一例ですね。
上記引用は、直前に酒場でマルメラードフが主人公を相手に、自分の一家は他人の家で「部屋の片隅を借りております」(江川訳p.40)と、くだを巻いているのを受けているのである。(亀山訳はこの照応関係を捉え損なっており、同じ箇所も、他人の家の「ひと間に住んでおります」(p.43)となっている。)

新訳『カラマーゾフの兄弟』でも感じたことだが、訳者はどうも原文の文脈(文と文の論理的前後関係)を十分に読み取っていないようである。
最後に、不適切な日本語の例を一つだけ挙げておきます。

(4)ラスコーリニコフは図らずも金貸し老婆の妹(リザヴェータ)をも殺害するはめになる。その後の主人公の恐怖と混乱を語る場面。
「(…)自分がここを抜けだし、下宿にたどりつくのにさらにどれほどの困難を乗りこえ、ことによると、悪事さえ重ねなければならないと理解できたら、彼はおそらくすべてを放りだし、ただちに自首して出たことだろう。」(亀山訳p.190)
「(…)自分がここを脱けだし、家にたどりつくためには、まだどれほどの困難を克服し、もしかすると、悪事をさえ働かなければならないかを理解することができさえしたら、おそらく彼はいっさいをほうり出して、すぐさま自首して出たことだろう。」(江川訳p.166)
「どれほどの〜」と来たら、正しく「〜か(を理解…)」と受けてほしいものです。

大量誤訳を指摘されている新訳『カラマーゾフの兄弟』ほどではないにせよ、本訳書もあちこちで不備が目立つ。訳者も出版社も仕事を急ぎすぎているのではないか。両訳書の不備が全面的に正され、また、続巻の訳文が入念に吟味されることを望みます。
(のんき亭/2008-12-10)
ラスコーリニコフより下の年齢(高校・浪人・大学初年かのいずれかの時代)に、始めて「罪と罰」を読み、小説を読んで受ける満足感がそれまでと別のものになった。どの訳かは忘れたが、なにしろ自分がラスコーリニコフになった感じにさせられ、まだ知らなかったサンクトペテルブルグを熱病にうなされながら歩いている感じになった。小説とはこういうものか、と強く感じ、それ以後同じような「快感」を求めながら次々とロシア文学を読みあさった。何度も「罪と罰」には立ち戻った。多くの訳の中では、米川訳が好きで、読んだ回数も最も多いだろう。いずれにしても、最初の「罪と罰」読破を契機にして、ロシア文学への興味は当然として、最初に訪問したい外国が当時のソヴィエト連邦の、シベリアかサンクトペテルブルグ(当時はレーニングラード)になった。そういう意味で、私の小説の読み方の原点を与えてくれた「罪と罰」の亀山訳が出るというので、当然飛びついた。亀山訳は「カラマーゾフの兄弟」で感心したからである。少なくとも1巻を読んだ結果は、それなりの満足を覚えたが、不思議と過去の「罪と罰」を読んだときとは違った感覚だった。いうなら、「罪と罰」が私にとって特別な小説ではなく、普通の意味での面白い、かつ考えさせてくれる小説の仲間入りをはたしたのだ。もう今はラスコーリニコフの年齢をはるかに超えてしまったからかもしれないし、過去は名前でしか知らずにさまよい歩いたセンナヤ広場付近やフォンタンカ運河・ネヴァ河・ネフスキー大通りなどを実際に歩き回ってよく知っているからかは不明だが、過去の各種の訳本とは違っている。最大は、やはり訳語が現代的で読みやすくなっているのが原因なんだろうと肯定的に捕らえている。このために、どういう反応が出るのか。少なくとも私の場合である。なにしろ文脈を追いやすいがために、深く小説に没入しないのだろうが、グイグイ読める。そして、小説の背後を常に考えながら読めるようになる。読みながら、現代の世相を考えることができる。特に、強く思ったのは、金貸し老婆殺人での考え方だ。ラスコーリニコフが学生と士官から聞いた話にある、人を苦しめるだけで無用の人間を殺してもいいという殺人の論理だ。彼の殺人には、このような、優れた人間が悪質な人間を殺人しても許されるという「特異な」論理の裏づけがされている。これは、あくまで小説の中であって、ラスコーリニコフも、結局はあれこれさいなまれ、最後に福音書での助けによって再生するのだが、今の日本の世の中を見るとどうだろう。少し前までは考えもされなかったような殺人も多いし、人命軽視がはなはだしい。多くは、ラスコーリニコフのように苦悩もしないのだろうし、再生も望まない人たちが増えている。このような日本に何故なってしまったのだろう?多くの若者が、テストと偏差値で追いまくられ、夢も希望も持たなくなった国に誰がしたのだろう?こういうことを考えさせてくれるのが、亀山訳だ。改めて翻訳の重要さを思い知らせてもらった感じがする。「カラマーゾフの兄弟」でもそうだったが、この訳のお陰で、今まで「罪と罰」を敬遠していた人たちも読みやすくなるのではないだろうかと思う。どこかの国の総理大臣のように、漫画しか読まない人にはまだ難解なのだろうが。なお、1巻では巻末に読者用にセンナヤ広場近くの地図がつけてある。これは非常に便利だ。ここに、直接小説に関係しないから記入してないのだろうが、折角だから「ドストエフスキー博物館」の位置も加えてもらうといいと思う(「マリンスキー劇場」は入っているのだから)。 (PK_PK/2009-02-18)
あれは大学生の時、新潮文庫の「罪と罰」に手を出した。下宿の洋式便所に座ってウンウンうなりながら、何とか上巻を読み終えて、そして下巻は買わなかった。面白みを感じないどころか、苦痛だった。

10年後。「カラマーゾフの兄弟」で虜にさせられた亀山訳を買ってみた。本当にあれと同じ物語なのか。熱病の主人公がずぶりずぶりと沼に足をとられていく様。この読み手を捉える吸着力が新訳の魅力だ。

ただ、「カラマーゾフ」に比べ、いくらか訳が軽く、それでいて「新訳」になりきっていない、古い表現も目に付いた。たとえば、2巻の帯にある「ぼくをなぶりものにはさせませんよ」。なぶりものって、いかにも岩波文庫で使われそうな表現じゃないか。「ぼくを弄ばせたりはしませんよ」とかでいいんじゃないのかなあ。 (シュガースターの白昼夢/2009-05-06)
読んでみてまず思ったことは・・・

「読みやすい!わかりやすい!」 これに尽きます。

翻訳書にありがちな、難解な言い回しをできるだけしない努力をされていることがよくわかります。
抑揚のつけ方も上手く、内容もスラスラ頭に入ってきますし、途中で「あれ?これ何だっけ?この人誰だっけ?」となって同じところを読み返す、という事が少なかったですね(あくまでも私はですが。)

ただ、こういう「わかりやすい・簡単な」文章は、文学ではどうしても諸刃の剣なわけで・・・

ドストエフスキーの小説が、普通の小説レベルになりました。
合う、合わないはあると思います。 (クロダイ/2008-11-13)
 「罪と罰」を読むのは、これで3回目である。いやいやながら読まされましたっていう感じの高校時代の第一回目、激しいお色気攻勢のさなか、学園騒動(決して紛争ではない!)のうごめきの中で読み進んだ第二回目、そして、今回社会人になって始めて読んだ第三回目、当然この三回目がいっちゃん面白かった。古典新訳の泰斗、亀山先生の真骨頂がこの文庫に現れているといっても過言ではない。言い過ぎても聞き取れないくらいのこの充実した翻訳内容である。

 第2部第3章のラスコーリニコフ、ラズミーヒン、ナスターシャ、というここでの若者三人組の会話文の翻訳の新鮮さったらない、21世紀日本のトレンディ・ドラマを観ているようだ。
 今まで読んできた「罪と罰」と同じあのドストエフスキー先生の書いたものかいなと勘ぐってしまうほど、ラスコーリニコフ自身のしゃべりも可笑しく、爽やか1粒300bである。ナスターシャって、ロージャに本当に気があるなあ・・・・・。

 「カラマーゾフ」の巻末の「読書ガイド」も充実していたが、今回もなかなかいい。当時の時代背景を勘案しつつ、21世紀の今の経済と比較するのに有意義で、ラスコーリニコフ君のお財布の中身を除くのに好都合な「1ルーブル=○○円」というこの○○、「読書ガイド」で確認してみましょう。 (ヒデボン/2008-10-11)
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地下室の手記(光文社古典新訳文庫)
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ASIN:4334751296
光文社(2007-05-10)
翻訳:安岡 治子ドストエフスキー
売上順位:22259
¥ 580(中古:¥ 1)

レビュー総評点:73
神の存在と人間の個性は矛盾する。 ||||||||||||||||||||||||||||||||
この本でドストエフスキーが提示した命題は
「神の存在と人間の個性は矛盾する」という恐るべきものだった。

つまり、人間に多種多様な価値観があり、それぞれが正しいと認めるのであれば
神=(絶対真理)はありえないというものだ。

この地下生活者は、一般世間からしてみればかなり異常に思えるであろう。
「私が一杯のお茶を飲むことと、世界が滅びることとどちらが重要だろうか?
 私はいう、私が一杯のお茶を飲むために、世界はいつでも滅びるべきだと」
こんなことをいう人間などいない。

しかし、今一度、人間というものを深く探って欲しい。私たちの原初的感覚は
この程度のものではないだろうか。
いわゆる「知性」とか「教養」によって私たちは「高められている」にせよ、
このような矛盾、無秩序こそ人間的存在ではないのだろうか。

ドストエフスキーの後期の大作群は、神の存在と人間の個性の矛盾をめぐって
延々と物語が展開されていく。
このような地獄めぐりのような大作群を、他に誰が書きえたであろうかとつくづく思う。
芥川龍之介は「ドストエフスキーは悪魔をも憂鬱にする」と評したが、けだし名言だ。

最後に「神の存在」を「真理」という言葉に、「人間の個性」を「私たち」という言葉に
置き換えて、このドストエフスキー命題をもう一度考えてみてほしい。
あなたも必ずやドストエフスキーの恐ろしさに戦慄するだろう。

「真理と私たちは矛盾する」
(至高の豚/2007-11-19)
やはりドストエフスキー ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
新潮版ももっているけど、ダンボールの中。
それで、こちらを本屋で見かけて即効買い。
訳のよしあしはわからないけど、読みやすかったのは確か。
ひねくれ者で引きこもりな話だけど、世界を語っちゃうのがドストエフスキー。
20代の頃夢中になって読んだけど、今読み返しても何か新鮮! (ぷんぷん/2007-06-09)
意識はビョーキ! |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ドストエフスキーを読みこなすにあたり
イキナリ「罪と罰」も良いが、
僕のおすすめは、これだ。
好きになるか否かの試金石となるであろう。
なんたって、薄いのが良い。

最近ひここもりがちのアナタ、そうアナタ。
本書を読んでから街に出よう!

そう、意識は、ビョーキなんだから。。。 (椎之丞/2007-07-24)

決して「新しい解釈で」では無く、ただ単に「読み易さ」のみに主眼
を置き邦訳されたのでしょうが、最初の数ページでこの訳者の次元並
び力量が容易に推測されます。

仮に、これが日本のオタクの皆さんを狙ったものである、としたら随
分的外れで世界観の色や質(それでもこの本の世界の方が遥かに優っ
ている事が情けないのだけれども)も異なっており、一方、所謂普通
の人々向けだとしたら、ドストエフスキーの世界そのものに対し誤解
と偏見を抱く恐れのある訳本です。

新潮社版(江川訳)の悪魔のパロディかと思わせる簡潔で無駄の無い
邦訳がそれなりに懐かしく思い出されます。 (nostalghia/2008-12-04)
「おれは病んだ人間だ・・・」
出だしから、もうマイナスパワー全開です。

前半独白
中盤コメディ
後半ホラー

って感じでした。
特に中盤の主人公のへたれっぷりには
声出して笑ってしまいました。

新潮社の方も読んだのですが、個人的には
光文社の訳のほうがしっくりきました。
(一人称がおれになっている)

(アチオ/2008-02-17)
地下室の住人である「俺」があまりにもどうしようもないのだけど、何故か憎みきれない。世界最弱。しかも同情も出来ない。
ちょっとイラっとしながらも結局最後まで読んでしまった。
そして最後まであんまり尊敬は出来ないという…
ほんとアンチヒーローですね。

「俺」のこのしゃべり方だと、共感出来るものもあと一歩で出来なくしてしまうような。
ただのイカれた人ってだけじゃないのは分かるのだけど、せっかくの賢さや魅力が、霞んでしまってるような気がする。
もともとこう言う人物なのだろうか。
それとも翻訳のせいか?
地下室の手記はもうしばらく読まないだろうが、次は違うドストエフスキーを違う訳で読んでみようと思う。 (eco/2009-02-16)
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ドストエフスキーの名作
 
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罪と罰〈2〉 (光文社古典新訳文庫)
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光文社(2009-02)
翻訳:亀山 郁夫フョードル・ミハイロヴィチ ドストエフスキー
売上順位:8046
¥ 840

レビュー総評点:8

この『罪と罰』も同じ翻訳者による『カラマーゾフ』もすばらしい!と思います。ロシア語を勉強しておりますので『罪と罰』の原文を、いろいろな翻訳とつき合わせたりもしています。今までは江川卓氏の岩波版を標準としてましたが、亀山氏訳の方が原文の意図するところを、より生き生きと伝えているように感じます。『カラマーゾフ』同様、小さな誤訳はきっと発見出来るでしょう。翻訳者のクセもあるでしょう。でも、そんな誤訳やクセはどんな翻訳にも付きものだし、それで作品全体の意図が歪められたりはしないでしょう。ロシア語読解の実力はプロの翻訳家の先生方なら、誰にでもありあまるほどあるでしょう。でも、ロシア語の原文をこんなにわかりやすく、こんな自然な日本語に仕立て上げるセンスは誰にでもそなわっているわけではないでしょう。

世の中は広いので「この翻訳はダメだ!」とめくじらを立てる人もいるでしょう。私はそういう人達に「いや、この翻訳はいいんですよ!」と説得しようとするつもりも、詳細について議論するつもりも全くありません。そんなことは時間の無駄ですから…

これまで、私は亀山氏の翻訳に感動させてもらったとともに、翻訳というものについて深く考える絶好の機会を与えてもらったことに、いたく感謝しております。翻訳については、いろんな人がああだ、こうだ言いたがります。一種の野次馬的な快感すら伴います。推理小説の謎解きみたいでもあります。でも、私が一番面白いと思うのは、褒める人・批判する人によって全く正反対の主張をしている場合です。「真っ向から対立する価値観」とでも言えるでしょうか。例えば、哲学の理論についての議論であれば「真っ向から対立する価値観」がこんなに赤裸裸に表には出て来たりしないでしょう。翻訳についての議論の場合は、本当に「価値観が対立する」なんて生やさしいものでなくて、「人間の種類が違う」感じがします。だから、私は、私の反対の立場の人達(私とは違う種類の人種)に「これは良い翻訳ですよ!」なんて言えません。

恐らく、この『罪と罰』も前回の『カラマーゾフ』と同じく、ある人達から「目の敵」にされ、さんざんたたかれることでしょう。そして、再び、大変な話題作りをするでしょう。理由は? 一つは、彼らの嫌いな亀山氏の翻訳だから。もう一つは、ドストエフスキーの『罪と罰』だから! あの世ではきっとトルストイも、シェイクスピアも、ゲーテも、セルヴァンテスも、ダンテも「自分も翻訳のことであんな風に騒がれてみたいよ!」とつぶやいていることでしょう… そう、ドストエフスキーというのはそれぐらい偉大なのです。だから、読んでない人はぜひ読みましょう。私の書いてることにちょっとでも共感される方は、この版で、そうでない方は正反対とも言える工藤精一郎氏の版(新潮文庫)で。 (caperucita/2009-04-26)
 第2巻では、原著第3部と第4部が収録されている。第3部は、今回の彼の犯罪の動機が明らかにされるという非常に重要なもの。悪役スターで怪人、しかし興味深いキャラ・スヴィドリガイロフも登場してくる。天使のようで天使でない(ベンベン!)しかし本当は天使そのものであるソーニャの魅力にぞっこんするのもこの第2巻である。

 おとぼけキャラ・予審判事ポルフィーリーと警察事務官ザメートフを前に朗々と開陳するラスコーリニコフお得意の独特の「犯罪論」!(あると思います!)
 「凡人」VS「非凡人」、「第一の階層」VS「第二の階層」、「現在の主人」VS「未来の主人」等々、21世紀の文学・哲学世界にも大きな影響を及ぼしている彼の思想は、「新しいエルサレム」が誕生してしまった今でも受け継がれている大きな課題である。

 巻末の「読書ガイド」は第1巻に引き続き亀山先生の筆が冴え、「罪と罰」が書かれた時代背景、ドストエフスキーのギャンブラー人生、女性遍歴等々が次々と明らかにされ、我々読者をひきつけて止まない。
 なお、今回の「読書ガイド」の多くの部分が、2009年5月に平凡社新書から出された亀山先生の「『罪と罰』ノート」にそのまま転用されているのは、いささか興醒めではある。 (ヒデボン/2009-06-13)
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新訳『カラマーゾフの兄弟』を読む―「父殺し」の深層 (NHKシリーズ NHKカルチャーアワー・文学の世界)
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日本放送出版協会(2008-09)
亀山 郁夫
売上順位:153986
¥ 893(中古:¥ 630)

レビュー総評点:4
ロシア文学と歴史の太祖、亀山流解釈が冴える本です。
すでに読破した人も、より深くドストエフスキー世界に浸れるような構成。
またカラマーゾフ本編が読みづらい、ややこしくてよくわからない!
そんな人の手引書にもなると思います。
カラキョー読む気がない人、これであらすじと概要がわかります(笑)。
ただしあくまでも「父殺し限定」です。(スタンダードに近いですが)。

さらに深く追求したい方は、亀山編カラマーゾフ5巻をお勧めします。 (ciena/2009-02-26)
 本書は2008年10月〜12月にかけてNHKラジオ第2放送で放送された「カルチャーアワー文学の世界 新訳『カラマーゾフの兄弟』を読む 父殺しの深層」のテキストです。従って、テキストよりは実際のレクチャーのほうが重要なわけですが、このテキスト自体もロシア文学者としての亀山郁夫の非凡さ・個性が溢れていて、今後再度この古典を読み返す際の、重要な指針となる位置を占めていると思います。

 外大の学長という多忙な職務の合間にこのような非凡なレクチャーを行うこと自体が奇跡に近いと考えられますが、同時に教育者としての責務として「文学は今の時代にあっても決して廃れてはいけない。まだまだ、人間の生き方に重要な影響を与える得る事ができる」ということを言いたかったのでしょう、公開録音という場を借りてレクチャーというサービスをする事によって。
 放送時の録音を手に入れて、ぜひとも聴いていただきたいと思います。亀山先生の熱意が伝わってくるわかりやすく、素晴らしい講義ですよ。 (ヒデボン/2009-02-14)
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